2025年8月号 新会長インタビュー
土木の力で「真に豊かな社会」を築こう
第113代 土木学会 会長
池内 幸司
[聞き手]堀田 昌英 土木学会誌編集委員長
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河川系エンジニアとして国の仕事に従事
―ご就任おめでとうございます。
まずは、池内会長が土木の分野に進
まれたきっかけやこれまでのご経歴
についてお聞かせください。
池内―私が土木の道を志すようになったきっかけは、中学生の頃、将来の進路に悩んでいたときに、先生に勧められて内村鑑三の「後世への最大遺物」を読み、感銘を受けたことです。特に「われわれの生まれたときよりもこの日本を少しなりともよくして逝きたい」「一つの土木事業を遺すことは(中略)永遠の喜びと富とを後世に遺すことではないか」という言葉が、心に深く残りました。大学に進学してからもいろいろ考えましたが、こうした思いが心の根底にあり、社会経済活動や人々の暮らしに密接に関わることができ、世の中のために役立っているという実感が持てる分野に進もうと考え、土木の分野を選びました。
東京大学の土木工学科では、どの講義もとても興味深かったのですが、特に関心を持ったのは河川工学と水理実験でした。川や水の流れを見るのが大好きになり、結局、卒論・修論とも河川系の研究に取り組みました。
―そして、旧建設省に入省されたのですね。
池内―はい。最初に配属されたのは荒川上流工事事務所で、荒川第一調節池の越流堤の設計、工事用道路の設計・積算、現場監督など、新人ながら重要な仕事を任せていただきました。その後も、河川系のエンジニアとして本省、地方建設局、工事事務所などに勤務し、河川改修やダム建設、自然災害の防災・減災対策、河川環境の保全・復元などに取り組みました。また、予算、人事、組織運営にも携わりました。
内閣府防災担当の参事官だったときには、政府全体としての地震・火山・大規模水害対策などに関する企画立案も担当しました。例えば、首都直下地震発災時の帰宅困難者対策では、それまでの「一斉帰宅」では危険と判断し、一旦は都心にとどまる方針を打ち出しました。警報を出すタイミングが難しかった火山防災対策については、「噴火警戒レベル」を新たに導入しました。
その後、近畿地方整備局長、水管理・国土保全局長、技監などを歴任し、2016年に退官しました。退官後は6年半にわたって東京大学の教授を務め、現在は河川情報センターの理事長をしています。
東日本大震災の経験を踏まえ対策法に新たな概念を
―長年にわたり国土形成や防災対策に尽力してこられましたが、特に印象に残るのはどの仕事ですか。
池内―多くの仕事が印象に残っていますが、特に印象深いものを五つに絞ってお話しします。
最も強く印象に残っているのは、東日本大震災への対応です。発災当時、私は国土交通省の河川計画課長を務めており、水管理・国土保全局における河川系の技官としては局長に次ぐ立場にありました。災害発生直後は、局長が官邸に参集されていたため、私が東北地方整備局と緊密に連絡を取りながら、応急対応の調整や取りまとめを担いました。
発災直後に重要なのは、被災状況の把握と、通行可能な道路に関する情報の収集です。車が通常どおり走行できる箇所や、少し段差はあるものの徐行すれば走行可能な箇所などを調べて、道路地図に油性ペンで記入して、その図面を写真に撮影し、官邸に送付しました。また、各地から排水ポンプ車の派遣要請が相次いだため、全国から集めた排水ポンプ車をどの地区に優先的に配備するかを調整の上、手配しました。さらに、宮城県と連携して航空レーザ測量を行い、地震による地形変化の状況を把握するとともに、浸水リスクが高まっている箇所の洪水予警報の発表基準の見直しも行いました。
復旧・復興の段階では、被災地のまちづくりやインフラ復旧、海岸堤防の整備などの基本方針の策定を担当しました。土木学会や社会資本整備審議会の先生方と何度も議論を重ねるとともに、内閣府とも調整を行い、津波防災対策で想定すべき外力として、新たに「L2(最大クラスの津波)」の概念を導入しました。さらに、それに基づいたまちづくりを進めるために、「津波防災地域づくり法」の企画立案も担当しました。
[日 時] 2025年3月13日(木) 土木学会にて |
―津波対策はそれまで、比較的発生頻度の高いL1レベルだけが対象でしたから、画期的でしたね。ほかに印象的だったことは。
池内―二つ目は、2014年の広島土砂災害への対応です。水管理・国土保全局長に就任した直後の8月に災害が発生し、応急対応に追われていたさなかの9月初め、土砂災害警戒区域の指定促進が急務であるとして、総理大臣から、その秋の臨時国会で土砂災害防止法を改正するよう指示が出されたのです。
法改正には省内や省庁間の調整、与野党のさまざまな部会や調査会などの審議を経る必要があり、通常は1年ほどかかるものです。1日でもスケジュールが遅れれば成立が間に合わないという極めて厳しい状況でしたが、関係者一同が尽力し、緻密に工程を管理し、一つ一つの手続を確実にこなすことで、異例の速さとなる3か月弱で法改正を実現することができました。
―伺っているだけでもハラハラしますね。ほかにもありますか。
池内―三つ目は、気候変動への適応策の一つとして、2015年の水防法改正を担当局長として主導したことです。ハザードマップの対象洪水を「想定し得る最大規模の洪水」とするとともに、新たに内水氾濫用や高潮用のハザードマップも作成・公表するようにしました。
i-Constructionや事業執行のボトルネックを解消
池内―印象に残る仕事の四つ目は、技監時代に、堀田先生のご専門でもある「i-Construction」制度の創設を主導したことです。建設現場でのICT活用については、それまで、多くの人が「できる」「やるべきだ」と言っていたにもかかわらず、実際にはほとんど進んでいませんでした。調べてみると、役所の基準類が障壁となっていることが分かったのです。当時の各担当者が奮闘してくれたおかげで、約3か月という異例の短期間で15の新しい基準類を導入することができました。皆がやりたいと思っても、ボトルネックを解消しないかぎり進まない―そのことを痛感しました。
―まずは、何がボトルネックになっているかを解明することが大事なのですね。
池内―おっしゃるとおりです。五つ目の斐伊川放水路事業もそうでした。1995年、出雲工事事務所長時代のことです。予算は十分に確保されており、用地も97%まで取得が進んでいました。それなのに工事はほとんど進んでいなかったのです。原因は、残り3%の用地が、細かく点在していた上に、埋蔵文化財の調査箇所も広範囲に散らばっていて、まとまって発注できるエリアが非常に限られていたことでした。そこで、事務所の若手職員とともに、当時はまだ珍しかったGIS的な手法で、未買収地や埋蔵文化財調査などの情報を位置情報にひも付けて地図上で管理し、事業をマネジメントする新たな手法を開発しました。これを導入したことで現場の状況が見える化され、効率的な事業執行ができるようになったのです。
また、放水路の分流堰の設計に当たっては、計画規模を超える超過洪水が発生した際にも適切に分流できるよう、設計上の工夫を施したことも、当時としては画期的でした。
―どの仕事にもがむしゃらに取り組まれてきたように思いますが、そうした情熱は、どこから生まれるのでしょうか。
池内―自分自身の意志で動いてきたというよりは、運命のようなものに突き動かされてきた――そんな感覚があります。こちらが全身全霊で取り組んでいると、不思議なことに、ピンチのときも必ず誰かが助けてくれる。これまでに何度も困り果てた場面がありましたが、そのたびに多くの方々から手を差し伸べていただいたおかげで、何とか切り抜けることができました。
「課題解決先進国」へ日本を導く先導役として
―土木学会ではどのような活動をしてこられましたか。
池内―学生時代から論文集への投稿などを通じて、水工学委員会とは長年関わりがありました。河川部会が発足した頃からしばらくの間は、裏方として河川技術シンポジウムの運営にも関わっており、大学の先生方や建設コンサルタントの技術者の方々との交流も広がっていきました。
近畿地方整備局長時代には、関西支部長も務めさせていただきました。会議やその後の懇親会では、分野の異なる方々との交流を通じて多くの刺激を受け、視野も広まりました。
―会長に就任された現在の率直な心境をお聞かせください。
池内―土木の分野に進んでから、古市公威先生を知り、その思想や業績に深く感銘を受け、尊敬するようになりました。古市公威初代会長をはじめ、歴代会長が築いてこられた系譜に連なることを大変光栄に感じるとともに、その重責を担うことになり、身が引き締まる思いをしております。
土木学会の英語名称は「JapanSo- cietyofCivilEngineers」ですね。つまり「土木工学の学会」ではなく、「土木技術者の会」ということになります。この点に、土木学会の良さがあるのではないかと思っています。言い換えれば、土木学会は、立場の異なるさまざまな土木技術者が侃々諤々の議論を交わせる貴重な場です。交流の機能をさらに充実させていきたいと思っています。
―学会が短期的、または中長期的に取り組むべき重点課題や方向性については、どうお考えでしょうか。
池内―わが国は「課題先進国」とも呼ばれた段階を既に超え、少子高齢化・人口減少、インフラの老朽化、気候変動に伴う災害の激甚化・頻発化など、今後多くの国々が直面するであろう課題が、既に現実のものとなっているのです。一方で、見方を変えれば、これらの課題を乗り越えることによって、日本は「課題解決先進国」として、世界に先駆けて持続可能な社会像を提示することができるはずです。日本が世界のリーダーシップを発揮するチャンスでもあるとも言えるでしょう。
現代の社会課題は、いずれも複数の要因が絡み合う複雑な問題であり、個別分野の技術やシステムだけでは解決できません。こうした複雑な事象に対して総合的に対応する力を持っているのが、「土木」です。
土木は元々、自然科学と社会科学の両方にまたがる分野横断的な側面を持つ分野です。明治時代以降、土木はイノベーションを重ねながら、社会のニーズに応じて柔軟に進化してきました。土木技術者は、そうした広範な知見を駆使し、分野横断的な取組を進めていく使命を担っていると思います。土木学会としても、積極的に社会課題に関与し、具体的な解決の方向性を提示できればと考えています。
また、その実現に当たって最も重要なのは、やはり「人」の力です。総合力を備えた人材の育成にも、力を注いでいく必要があります。そのために、さまざまな専門知識を有する多様な人材が、異なる意見を排除することなく自由に議論できる場としての機能を充実させていきたいと考えています。
日本が課題先進国から「課題解決先進国」へと進化していけるよう、土木学会がその先導的な役割を果たしていければと願っています。
特別プロジェクトのテーマは「カーボンニュートラル」
―恒例となっている「会長特別プロジェクト」のテーマについて、構想をお聞かせください。
池内―日本政府は、「2050年カーボンニュートラルの実現」すなわち2050年までに温室効果ガスの排出量を全体として実質ゼロにするという目標を掲げています。もちろん、既に一定の進捗は見られますが、目標の達成にはさらなる取組の加速が不可欠です。
そこで、「カーボンニュートラルでレジリエントな社会づくりプロジェクト」特別委員会を設置することにしました。活動の一つは、まちづくり、交通の効率化、水管理、インフラ整備・維持管理・更新、さらには関連するエネルギー分野まで視野に入れ、カーボンニュートラルの実現に向けて土木界が取り組むべきことの全体像を提示することです。これまで、各分野ではさまざまな取組が個別に進められてきましたが、それらを俯瞰的に捉えた全体像の提示が必要だと考えています。
もう一つの活動は、そうした取組を進める上で障壁となっている事柄を明らかにし、その克服に向けた方策を提言することです。他の課題と同様に、カーボンニュートラルの推進においても、既存の制度や規制が障壁となっている面は否めません。こうした課題を洗い出し、改善に向けた具体的な道筋を示していきたいと考えています。
加えて、気候変動に伴う災害の激甚化・頻発化などへの適応策として、「エネルギーの地産地消」など、災害時のレジリエンス強化にもつながるカーボンニュートラルの取組についても、積極的に提案していきたいと考えています。
―カーボンニュートラルをテーマに選ばれたのは、どのような理由からでしょうか。
池内―これまで私は、約40年にわたり、水関連災害の防災・減災対策に取り組んでまいりましたが、近年の豪雨の発生状況は、これまでとは異なる次元の段階に突入していると感じています。海外においても、かつて経験したことのないような洪水が頻発しています。
土木学会会長という責務を担うに当たり、気候変動への適応策にとどまらず、気候変動の緩和策にも本格的に取り組んでいきたいと考えております。
―土木学会誌には、何を期待されますか。
池内―学会誌は、多岐にわたる専門分野や立場の異なる多様な会員の相互交流の場として、非常に貴重な存在です。社会課題を解決していくためには、多角的な視点を持つことが何よりも重要であり、学会誌を通じて会員は、自らの専門外の分野における多様な知見や技術動向に触れることができます。
このような役割を踏まえると、いつでも・どこでも手軽に読める環境を整えることが求められており、それは会員サービスの向上にもつながると考えられます。
海外への情報発信機能については、既に記事ごとに英語要約や目次タイトルの英訳といった取組が進んでいますが、英語での発信内容もさらに充実させていければと考えています。
一方で、海外のインフラ事情や土木分野における政策情報などについても掲載することで、海外の情報に接する機会の少ない会員にとって、より有益な媒体となるのではないかと考えています。
―会長ご自身は、どんな社会を目指しますか。
池内―日本はこれまで、経済成長を重視してきましたが、これからは「真に豊かな社会」とは何かを私たち一人一人が考え、それを形にしていく時代だと思います。
その第一歩は、それぞれの地域に暮らす人々の満足度を高めていくことではないでしょうか。例えば、まちなかで人々が楽しめるすてきな空間や、歩いてみたくなるようなフットパスをもっと増やしていくことなどが考えられます。そうした取組が暮らしの質を高め、地域への愛着にもつながっていくと考えています。
暮らしに寄り添い、心に届く土木をこれからも皆さんと一緒に進めていきたい―私は、そう思っています。
―本日は多岐にわたり、示唆に富むお話をありがとうございました。