2025年7月号 座談会


水循環がつなぐまちと人 ―暮らしを潤す川づくり―

The water cycle connecting people and cities -Designing rivers to enrich lives-

池内 幸司
IKEUCHI Koji
長年、水害対策を中心とした自然災害の防災対策に携わり、災害対応の経験も豊富。2014年国土交通省水管理・国土保全局長、2015年同省技監、2016年東京大学教授、2023年より(一財)河川情報センター理事長、東京大学名誉教授。博士(工学)。

[座談会メンバー]
池内 幸司 フェロー会員 第113代 土木学会 会長、(一財)河川情報センター 理事長、東京大学 名誉教授
中野 太雄  土木学会誌学生編集委員
村岡 泰輝  土木学会誌学生編集委員
[司会]
渡部 哲史  土木学会誌編集委員

日本の高度経済成長期から現在まで、「水循環」にまつわる課題はどう変遷し、どのような対策が講じられてきたのか。さらに、望ましい将来像はどうあるべきか。河川の分野で豊富な経験を有する池内会長に取組を振り返ってもらい、これからを担う学生編集委員と未来を展望した。

公害対策を迫られた高度成長期

―まず1950年頃から70年代までの「水循環」を取り巻く課題の変遷について、池内会長に伺います。
池内―水循環を巡る問題は、時代とともに大きく変化してきました。1950年代から70年代は、私の幼少期から20歳頃に当たります。高度経済成長期の急激な発展が水循環に影響を及ぼしました。工場排水に含まれる有害物質によって水俣みなまた病などの公害問題が顕在化し、未処理の生活排水などの増加で各地の河川の水質が急速に悪化しました。高校生の頃は、川は異臭を放ち、近づきたくない存在でした。
これに対して、国は1967年に「公害対策基本法」を制定し、公害対策の基本方針を示しました。1970年には「水質汚濁防止法」を制定し、有害物質の排出を規制するとともに、水質の改善を図りました。あわせて、下水道の整備も進められ、各地の河川の水質は大幅に改善されました。
この時代には、工業用水の過剰なくみ上げによる地盤沈下も問題となりました。「工業用水法」や「ビル用水法」が制定され、地下水のくみ上げが規制されました。また、水需要の増加に対応するため、ダム整備などによる水資源開発も活発に進められました。
過剰な地下水のくみ上げによる地盤沈下は、地下水位が回復しても地盤高は回復しません。東南アジアには、かつての日本と同様に地盤沈下が深刻化している都市もあります。日本の経験を踏まえて、対策が進むことを期待しています。
都市化が進むと、土地の保水力が低下し、洪水の流出量が増え、ピークも早まります。浸水リスクのある地域に多くの人口と資産が集積し、浸水被害も拡大します。氾濫を繰り返していた神奈川県の鶴見川では、1980年から「総合治水対策」が講じられました。現在の「流域治水」の先駆けとなった取組です。国や流域の自治体などが連携し、緑地の保全や雨水貯留施設の整備などが進められました。
ABSTRACT

This article examines the historical evolution of water cycle -related challenges in Japan, the measures, and perspectives for the future. It reviews developments from the 1950s to the present, focusing on key initiatives such as pollution control, water quality improvement, fl ood mitigation, and environmental conservation. The article also explores a desirable future vision for the water cycle, emphasizing the importance of fl ood management strategies that incorporate extreme fl ood scenarios and natural disturbances into river planning.

環境への意識が高まる80〜90年代

―1980年から90年代には、どのような課題が顕在化したのでしょうか。
池内―ちょうど私が建設省(当時)に入省した頃です。この時代には、湖沼などでアオコや赤潮が発生して社会問題となりました。窒素やリンが閉鎖性水域に蓄積され、富栄養化が進んだことが原因でした。1984年には「湖沼法」が制定され、窒素やリンの規制が強化されました。
また、トリハロメタンや環境ホルモンへの不安が高まりました。水道水の塩素消毒により発生するトリハロメタンは、暫定基準が設けられていましたが、1992年の水道法改正で規制が強化され、活性炭処理やオゾン処理による低減が進められました。一方、1990年代後半には環境ホルモンに注目が集まり、有害化学物質の審査が強化されました。
この時代には、河川環境に対する国民の関心が急速に高まり、市民活動も活発化しました。このような状況を踏まえ、国は1990年に「多自然型川づくり」をパイロット的に実施する旨の通達を出しました。これ以降、河川全体の自然の営みを意識した河川管理へと方針を転換していきました。
川の生態系は、周辺の生態系とは大きく異なります。周辺の生態系は比較的緩やかに変化しますが、川では、しばしば「撹乱かくらん」が起こります。こうした撹乱があることで生息・生育できる生物も多くいます。高度経済成長以降、河川改修やダムの整備などにより、撹乱のある水辺環境が失われていきました。その結果、生物多様性に富んだ河川環境が損なわれ、生態系の劣化が進みました。
1997年には「河川法」が改正され、その目的に「河川環境の整備と保全」が盛り込まれました。河川整備計画の策定にあたって、住民等の意見を聴く手続きも制度化されました。これは、それまでの河川行政に環境と住民参加の視点を取り入れた画期的な転換でした。同年には「環境アセスメント法」も制定されました。
このようにして、環境を政策の内部目的とする枠組みや理念は定まりましたが、現場で取り組むべき内容を具体化する必要がありました。当時、私は(財)リバーフロント整備センター(現・(公財)リバーフロント研究所)に出向しており、仲間たちと議論を重ねながら、実践的な指針やガイドラインの作成に取り組みました。
生態学の専門家と川を見て回ったり、市民団体とも積極的に交流したりしました。河川事業を担う私たちは自然環境を損なう存在と見なされ、市民団体から厳しい目を向けられていましたが、何とかその溝を埋めたいと考え、各地の市民団体の集会に足を運び、率直な対話を重ねました。そうした中で、川が好きで真剣に川と向き合っている人たちとは、立場の違いを超えて通じ合えることを学びました。

2000年以降、激甚化した水災害

―2000年から現在までの課題についてはいかがでしょうか。
池内―水災害が激甚化したことが特徴です。2000年の「東海豪雨」、2004年の「新潟・福島豪雨」など、多くの豪雨災害が相次ぎました。中でも衝撃的だったのが、2005年にアメリカを襲ったハリケーン・カトリーナです。大規模な浸水が発生し、1000人を超える犠牲者が出たことが、水害対策の在り方を根本から見直す契機となりました。
2006年には、大規模水害を対象とする専門調査会が、初めて中央防災会議に設置されました。私はこの調査会の立ち上げ時に内閣府の参事官として着任し、約3年間、その運営を担当しました。そして、大規模水害への備えを抜本的に見直すため、徹底した検討を行いました。
利根川や荒川などの大河川が決壊した場合に備え、想定される人的被害や、地下鉄などを通じて地下空間から浸水が広がるリスクについて分析し、具体的な対策を提案しました。地下鉄事業者の理解と協力を得るため、何度も足を運び、説明したことをよく覚えています。さらに、いわゆるL2洪水(想定し得る最大規模の洪水)が発生した場合のリスク評価も行い、被害を最小限に抑えるための方法を提案しました。
私は入省時からいくつかのことに違和感を覚えていました。その一つは、治水計画がほとんど計画高水流量を安全に流すことだけに重点を置いて策定されていたことです。相手は自然ですから、目標流量を超えることもあります。そのような場合の対策も具体的に検討すべきではないかという問題意識があり、専門調査会では、計画規模を超える「超過洪水」への対策も取り上げました。
L2洪水のリスク評価を公表した際には、多くの人々に不安を与えるような推計値をなぜ公表するのかという観点から、さまざまな方面から批判を受けました。けれども、リスクを正しく認識し、皆で対策を考えていく必要があります。実際、公表をきっかけに、対策に向けた動きが徐々に広がり始めました。振り返って、間違っていなかったと思います。
2015年には、水防法の改正を担当局長として主導し、最大クラスの洪水・内水・高潮を対象とするハザードマップの作成と公表を義務付けました。最大規模の浸水想定区域を公表した際には、ほとんど批判もなく、東日本大震災を経て、防災に対する国民の意識にパラダイムシフトが起きたと感じました。
2015年の鬼怒川の水害では、大規模氾濫により多数の逃げ遅れが発生し、避難指示の出し方や広域避難体制に課題があることが明らかになりました。そこで、2017年の水防法改正により、自治体や河川管理者などが連携して対策を進める「大規模氾濫減災協議会制度」が創設されました。
その後、2018年の西日本豪雨、2019年の東日本台風、2020年の球磨川水害など、深刻な水害が相次ぎました。気候変動により水害が激甚化する中、2020年には河川分科会の答申で「流域治水」の考え方が打ち出され、2021年には「流域治水関連法」が整備されました。

常識をうのみにせず、違和感を持つことが大切

―現在までを一気に振り返っていただきました。学生編集委員のお二人はどんな感想を持ちましたか。
中野―早稲田大学修士課程の中野です。人と川の距離が、時代によって変化していることを、興味深く感じました。高度成長期の汚くて人から敬遠されていた川が、さまざまな規制によってきれいになると、今度は人が川を大切に思うようになり、河川事業に反発するようになる。また対策の目的も、最初は公害対策に重きを置いていたものが、近年は大規模な自然災害への対策に注力するようになった。そうした変化が分かり、改めて勉強になりました。
村岡―横浜国立大学の村岡です。時代ごとに課題が生まれ、それに対して法律をつくっていく、個々の法律ができた背景がよく分かりました。また、川の中の生態系には撹乱による変化が必要だという話も印象に残りました。そうした視点もこれから川の環境整備には必要なのですね。
―池内会長は、若い頃に感じていた疑問を忘れずに、その時々の課題への対策に生かされました。おかしいと思ったことを口にするのは勇気がいりますね。
中野―何がおかしいか、違和感を持つにはいろいろな見方ができないといけない。ですからそのための知識を得ておくことが重要だと思います。ただ、それ以前に、最初の自分の直感があっているのかを判断するには、口に出して複数人で議論してみるといった過程が必要なのかもしれません。
池内―若い頃に抱く「違和感」は、大切にしてください。そうした違和感は、思考の出発点になります。他者と交流することで多様な視点に触れる機会が生まれ、その違和感の意味に気付くこともあります。違和感を覚えたら、遠慮せずに声を上げてほしいと思います。私自身、学生時代には先生方に積極的に質問していました。もちろん、質問するには準備が必要です。自分で考え、資料を集め、仮説を立てた上で投げかけた問いは、しばしば本質を突いていたと感じています。

「撹乱」の要素を河川整備に取り入れたい

―過去から現在までの取組を伺ってきましたが、将来に向けて残された課題としてはどのようなものがありますか。
池内―現在までの流域治水の取組では、計画規模を超える超過洪水への対策が依然として不十分です。水管理・国土保全局長時代、私は河川分科会の事務局を担当し、当初は津波防災対策と同様にL1洪水(おおむね100年〜200年に一度の発生頻度の洪水)と最大クラスのL2洪水の二つを対象としました。
つまり、L1は治水施設の整備で対応し、L2はハザードマップの整備や避難体制の強化などのソフト対策で人命を守るという考え方です。しかし、分科会の先生方からは、L1とL2の中間規模の洪水に対する対策も重要であるという指摘がありました。そこで、2014年の答申では、L1を少し超える、いわば「L1・5」の考え方も取り入れました。超過洪水に対しては、施設の運用や構造、整備手順の工夫などによる減災や、災害リスクを考慮したまちづくりの促進などの対策も盛り込みましたが、具体的な対策はあまり進んでいません。本格的に取り組まれているのは、排水ポンプ場の耐水化などにとどまっています。
もう一つの大きな課題は、変動や撹乱を取り入れた河川整備・管理手法の確立です。川の自然環境は、水や土砂の流れにより、地形、河床材料、水分条件などが常に変化している点に特徴があります。撹乱は、生物を育む上で重要な要素の一つです。
実は、2001年の「正常流量検討の手引き(案)」の「はじめに」で、「流量の変動も重要な要素」だと指摘し、「必要に応じ流量の変動が動植物の生息地又は生育地の状況の保全・復元にもたらす効果や影響に関する調査を行い、流量変動に配慮した必要流量を検討することが望ましい」と私なりの考え方を示しました。ただし、具体的な方法論については、まだ明確になっていません。そうした要素を取り入れた河川整備・管理の実現などが今後の課題です。

自然との共生を諦めてはいけない

―かつては「人が自然をコントロールできる」と思い込んでいた時代もありましたが、気候変動によって圧倒的に自然の力が強くなってきました。
池内―私たちは、自然に対してもっと謙虚であるべきだと思います。約30年前に、宮崎県の北川で「河川激甚災害対策特別緊急事業」の計画策定を担当しました。1997年の甚大な浸水被害を契機とした事業です。その際、住民の方々からは、浸水頻度を減らすために霞堤を閉じてほしいという要望がありました。
しかし、北川は洪水流量が大きく、超過洪水のリスクが高い川です。北川の霞堤の利点は、洪水時に堤内地が下流側からゆっくりと浸水することで避難時間が確保できる点と、堤防越水が発生しても湛水した水がクッションとなり、堤防が決壊しにくくなる点にあります。これを連続堤にすると、越水時に堤防が決壊しやすくなり、人的被害が生じやすくなります。霞堤は、そうしたリスクを減らす先人の知恵だと思いました。
このような考えから、私は霞堤を存置する計画案を提示しましたが、地元の方から強い反発がありました。そこで、連続堤にした場合の危険性について委員会で丁寧に説明し、地元の代表の方々にご理解いただいた上で、霞堤を残して河川を改修する計画を策定しました。事業実施後に大きな洪水が発生しましたが、事業の効果で洪水時の水位が下がり、被害を大幅に軽減できました。
ただし、浸水の頻度はあまり減っていません。100%の安全を確保することが難しい中で、いかに被害を軽減していくかを考える必要があります。
村岡―「自然に逆らう土木」という見方がありますが、私は以前から疑問を感じていました。自然の営みでは、例えば川の中を流れる土砂が堆積して河床が徐々に上がっていったことで、大雨時に川の水があふれ、栄養が周辺の土地に浸みていきます。しかし、こうした自然の営みを優先させることは、今の都市においては難しい。
自然の営みと人の暮らしをどのように両立させていくか、これから私たちが考えていかなければいけない課題だと思っています。
中野―自然をコントロールできた時代とは違う時代を生きていくのだという意識はすごくあります。川を3面コンクリート張りにして、そこに植栽をちょっと配置することに、果たしてどれだけの効果があるのか。人の営みにどう影響するかまで含んで検証していかないといけない。当然、水害への備えの視点も必要で、それらをどうバランスしていくか、難しさを感じています。
池内―それでも、決して諦めないことが大切です。例えば横浜市では、両岸が矢板の直立護岸だった川を、周辺の土地も含めて一体的に再整備し、住民が憩える美しい水辺環境を再生した事例もあります。
かつては人口増加に対応し、人が暮らす土地を確保する必要がありましたが、これからは人口が減少し、川のために土地を使う余地も出てきます。これまでの状況を前提にして考える必要はありません。

「かわまちづくり」や流域単位の課題解決を進めよう

―現在までの取組と、残された課題を挙げていただきましたが、それを踏まえて将来の目指すべき姿について、考えを聞かせてください。
池内―川の自然環境を生かし、人と自然が調和するまちづくりを進めていきたいものです。これは、「かわまちづくり」の考え方にも通じるものがあります。
日本では、水辺の環境と市街地が分断されていますが、スイスなどでは川とまちの間に「Auen」と呼ばれる氾濫原があり、その空間を介して川とまちが一体となっているところが多くあります。市民はその空間を通じて、日常的に水辺を楽しんでいます。こうした水辺空間が日本にも増えるとうれしいですよね。
総合的な水管理や防災、上下水道など、水循環をめぐる社会的課題は多岐にわたります。その中で、市町村単位では対応が難しい複雑な課題には、流域単位で取り組むべきだと考えています。
愛知県では、矢作川や豊川の流域をモデルとしたカーボンニュートラル(以下、CN)の実現を目指すプロジェクトが進められています。私もその協議会の構成員として参画しています。例えば、排水処理施設を流域で共同化し、スケールメリットによって省エネ化を図るといった取組などです。
協議会では、愛知県知事がリーダーシップを発揮し、市長や国の各出先機関の長、財界、学識者も参加しています。そのため、横の連携が図られ、取組はスムーズに進んでいます。このように、流域単位でのマネジメントが進められることが望まれます。
また、水循環は、再生可能エネルギーの中でも重要な水力発電を支えており、CNの実現に向けた取組においても流域単位での対応が有効です。
―学生編集委員のお二人は、将来の姿についてどう考えますか。
村岡―川といえば河川事務所などがメインで管理しているイメージでしたが、流域で見れば、多くのステークホルダーがいろいろなところで関わっているのですね。矢作川流域だけでなく、全国の流域においても関係者がつながっていくといいと思います。
中野―かわまちづくりの話に興味が引かれました。河川空間と都市空間をつなげて一体化することで面白い風景が生まれていく。その意味では今後いろいろなところでそうした取組が行われていくといいなと思いました。
一方で、市民が水辺環境へアクセスしやすくなるということは、川の氾濫時など防災面で不安もあります。災害時には避難のしやすさも考えるなど、局面ごとに分けて考えていく必要もあると感じました。


写真1 長井市のかわまちづくり(出典:長井市資料)


写真2 宍道湖の湖岸堤整備(写真提供:国土交通省)

まちの中に水を循環させるウェルビーイングなまちづくり

池内―もう一点挙げると、まちの中に水辺を取り戻したいですね。日本橋川では、高速道路の地下化に向けて出入口の撤去が始まっており、将来的には川の上空が解放される予定です。埋められた水路を再生したり、空堀に水を戻したりすることも、水辺再生の一つの方向だと思います。
事務所の課長時代に、山形県長井市から、まちなかの水路に水流を復活することができないかという相談を受け、「消流雪用水導入事業」を提案したことがあります。当時は、環境改善だけでは新たな制度創設の説得力に欠けるため、消流雪用水の導入を目的とする新規の河川事業制度の創設を本省に提案し、認められました。事業の実施により、水路に水が流れるようになって風景が一変しました(写真1)。夏場にはバイカモ(梅花藻)も咲き、観光客も大幅に増えました。まちなかに水が流れることで、まちに潤いとにぎわいが生まれました。
島根県宍道湖の湖岸整備にも関わりました。宍道湖は、ほぼ全周がコンクリートの直立した湖岸堤で囲まれ、市民が水辺に近づくことができませんでした。島根県立美術館の新設に合わせて、美術館前の湖岸を再整備することになりました。
湖岸は、国・県・市の管轄に分かれていましたが、出雲工事事務所(当時)が一体的に整備を担い、デザインもコンペで決定しました。湖岸堤を撤去し、緩やかな芝生の斜面が水面に擦りつくように整備することで、湖との連続性を確保し、美しい水辺景観を創出するとともに、アクセス性も向上しました(写真2)
―水辺の環境を変えることで、まちも人の暮らしにも波及し、さらに人を幸せな気分にまでさせる。それができるのはまさに土木の力ですね。
中野―今の宍道湖の話を聞き、改めて土木を選んでよかったと思いました。壁を取り払い、湖に沈む夕日が眺められる公共空間にするデザインの持つ力のすごさを感じました。その場所に手を加えることでどんな風景が生まれるのかを想像しながら、しかもステークホルダーともビジョンを共有して形にしていく。北川で市民との合意形成を行った話がありましたが、一方的に事業を進めるのではなく、相互に議論をして進めていくことが大事なのだと思いました。
村岡―自然との間に壁をつくらず、連続性を持たせていくためには、問題が二つあると思います。一つは法や制度の問題。もう一つは、その地域の人々がどれだけやる気になるか、本気度の問題です。これらを乗り越え、水辺の環境を変えていく事例がどんどん増えていけばいいと思いました。
池内―まちの成り立ちや歴史は水と深く関わっており、水を通してまちの変遷を俯瞰ふかんすることは、とても興味深いものです。利便性の追求によって損なわれた水環境の豊かさを取り戻すような「ウェルビーイングなまちづくり」が進められることを期待しています。


写真3 座談会を終えて(左から渡部委員、池内会長、中野委員、村岡委員)
© Japan Society of Civil Engineers 土木学会誌編集委員会