座談会
グラングリーン大阪から考える都市再生 ―人間的都市が未来を創る―
[座談会メンバー]
佐々木 葉 氏 フェロー会員 第112代 土木学会 会長、早稲田大学 教授
齊藤 親 氏 元・(独)都市再生機構 西日本支社 支社長、東日本旅客鉄道(株) 技術顧問
篠ア 由紀子 氏 元・関西経済同友会 常任幹事(うめきた委員会 委員長)
[コーディネーター]
狹間 惠三子 氏 大阪商業大学 公共学部 教授、西日本旅客鉄道(株)取締役監査等委員
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SASAKI Yoh (写真左) |
早稲田大学で建築、東京工業大学で景観を学び、2003年より早稲田大学教授。土木学会では学会誌編集委員会、景観・デザイン委員会、D&I委員会の委員長を経験。NPO郡上八幡水の学校副理事長。博士(工学)。 |
SAITO Chikashi (写真中央左) |
1973年、建設省入省。中国地方建設局、住宅・都市整備公団再開発改善部、国土庁地方振興局、仙台市助役、国土交通省都市・地域整備局、都市再生機構などを経て、2011年より現職。 |
SHINOZAKI Yukiko (写真中央右) |
1979年、(株)都市生活研究所代表取締役社長。関西経済同友会常任幹事、同うめきた委員会委員長、大阪市総合計画審議会委員、樟蔭女子大学学芸学部客員教授などを経る。 |
HAZAMA Emiko(写真右) |
1982年、サントリー(株)入社。堺市副市長、立命館大学衣笠総合研究機構などを経て2020年より現職。NPO法人子ども環境活動支援協会代表理事。専門は都市政策、文化政策、地域経済。博士(創造都市)。 |
2024年9月に広大な都市公園を含む「グラングリーン大阪」が先行まちびらきを行った。貨物駅跡地を活用し約40年かけて多くの関係者がまちづくりを進めてきた経緯を振り返り、緑の創出によるまちづくりや本質的意義について考え、今後の都市再生について展望する。
グラングリーン大阪との関わり
狹間―まずはお二方に簡単な自己紹介とグラングリーン大阪との関わりについてお願いします。
齊藤―1973年に建設省(現・国土交通省)に入省して以来、都市づくり・まちづくりに携わり、バブル経済真っ盛りの1987年に日本国有鉄道清算事業団の用地整理に携わりました。その後10年以上経て、国や都市再生機構の立場から大阪市とも連携しながらこのプロジェクトに関わりました。
篠ア―ゼネコンで都市開発業務に携わった後、1979年に大阪で(株)都市生活研究所というシンクタンクを設立し生活者視点から都市の課題解決に携わってきました。その傍ら関西経済同友会(以下、同友会)に入り2001年に大阪の都市再生をテーマにした委員会の委員長に就任し、以来16年間うめきたの「みどりと水のグリーンパーク」の実現に向け提言と活動を続けてきました。
狹間―佐々木会長には景観や土木デザインの専門の立場からお話をお伺いしたいと思いますが、まずはこのような空間ができたことに対するご感想をお願いします。
佐々木―グラングリーン大阪のデザインの質の高さや広大な「みどり」の公共空間が都心の駅前にできたことに大きな関心を持っています。また2002年の大阪駅北地区国際コンセプトコンペを皮切りに定期的なデザインコンペやアイデア募集を通じてビジョンを共有しながらインフラのデザインが洗練されていったプロセスも重要と考えています。
ビジョンの共有
狹間―当時はバブル経済の崩壊もあり大阪の一等地のまちづくりのビジョンを共有するには大変なご苦労があったと思います。どのようにしてさまざまなセクターとビジョンを共有していかれたのでしょうか。
篠ア―うめきた2期に4.5haの都市公園と民間の宅地に3.5haの「みどり」を作り出すという方針の決定(2015年)まで関わりましたが、紆余曲折が多々ありました。
2001年、小泉内閣による都市再生プロジェクトが始まり、同友会はこれに呼応し、いち早くうめきたを一体的にみどりと水の潤いある街にと提言し、大阪市、吹田市、国や関係機関に働きかけ、さらに関西財界一体となって取り組む体制を整え、うめきたの開発が始動しました。翌年大阪市は国際コンペを行い1000近い作品が集まりました。しかしその後の基本計画にその精神が十分に反映されたとはいえません。
1期はナレッジキャピタルとして知の拠点ができ、素晴らしい建物群ができましたが、競争入札で土地代が非常に高かったため、高容積率でオープンスペースが限られた街になりました。同友会は民間だけでの開発の限界を認識し、2期は大阪市が開発主体となりグリーンパークにすべきと提言しました。その実現に向けてグリーンパークのイメージを市民や関係機関と共有するためのモデル図を描き、市民と都市のみどりを考える公開講演会を連続開催するなどして訴え続けました。残念ながら市サイドでは2期も民間開発で高度利用するとの流れが続きました。
この流れが変わったのは、大阪府の橋下知事が市長選挙にくら替え出馬し、「うめきたは大阪セントラルパークに」という公約で当選してからです。それでも当初は「緑地」でなく、壁面の「緑化」などにとどめる消極的な意見が主流でしたが、同友会は専門家の力を借りながら、「ほんまもんのみどり」を主張し続け、最終的に「みどりと水のグリーンパーク」に向けた計画が決定されました。
インフラ全体のありよう
狹間―このような経緯も含め、1期2期と実際に携わられた齊藤さんから見ていかがでしょう。
齊藤―1997年に住宅・都市整備公団に配属された当時は貨物ヤードの方向性が見えてきた頃で基盤整備に動き出しました。その10年後に都市再生機構西日本支社長として、うめきたの大きなインフラとしての器、あり様の議論を始めました。
器の輪郭としては地区の西端を走るJR東海道線支線が地区を分断しているので地下化することとしました。莫大な費用がかかるので連続立体交差事業を制度改正して、公共事業として行いました。また、大阪駅との接点の地区の南側は、使い勝手に自由度を持たせるため駅前広場を道路とせず民間の広場として開発事業者に裁量を持たせました。
さらに、土地は競争入札での売却が常識の中、「うめきた2期」の土地を、都市再生機構が区画整理事業を行う前提で全面買収しました。それで価格の高騰を抑え、大阪市は公園を適正な価格で手に入れることができ、民間事業者にも緑地の生み出しを促すことにつながりました。
狹間―1期の高度利用に対し2期は都市再生機構が一括して土地を取得したおかげで一体開発が可能となり広大な緑地が実現したとのことですが、佐々木会長はこの壮大な物語をお聞きになっていかがでしょう。
佐々木―都市やまちを育てていくため、市役所、都市再生機構、経済界、首長の方々がそれぞれ広い視野を持ち非常に大きなマネジメントの視点で考え、利益の還元や将来を見据えた投資を考えてきた結果だと思います。社会や未来、人々を信じることが大切で大阪の地政学的な位置付けや町衆のDNAも絡み合いこうしたポジティブなものがつながり、うめきたができたことを大変興味深く受け止めています。
都市構造に与える影響
狹間―地下化したJR東海道線支線には今後「なにわ筋線」がつながり南海電鉄が乗り入れ、さらに「駅」や「まち」、人の動きが変化していくと思われます。グラングリーン大阪が大阪の都市構造に与える影響や、もっと広く日本や世界から見た際の意義をどうお考えでしょうか。
齊藤―「駅」と「まち」の融合は、都市開発の潮流であり、世界的に「駅の多機能化」が進んでいます。まず日本の三大都市の玄関口の駅を比較してみると、東京駅は明治のレンガ駅が復元され、広場や皇居に向かう行幸通りに高質な材料が使われ高品位空間というイメージです。商業サービスは地下に隠す形で展開し、セントラルステーションの風格を保っています。名古屋駅は戦災復興の区画整理で整え、ある意味、個性や発展性が乏しい状況です。
大阪駅は駅舎のドーム化や時空の広場など立体的な大改造が完成しており、これから駅の周辺がどうなっていくかの段階です。
海外でも「駅の多機能化」は共通しており、一つはオランダのハーグなど大屋根や大広場など平面的な大容量の空間に機能を貼り付けていくイメージ。もう一つはスイスのベルンなど縦動線を意識した立体化。これら二つの方向性があります。大阪駅は縦動線を取り入れ、うめきたに顔を向けています。駅前に広大な緑地が開けているのはパリのモンパルナス駅ですが、管理されたイメージの緑地で、うめきたのような自由な緑地空間は世界的に稀有な緑です。うめきたは、既に開発された区域からのアプローチも含め、人とのかかわりが生まれると、さらに可能性が広がるのではないでしょうか。
狹間―佐々木会長は、駅とまちの関係、緑も含めた交流空間がどう変化し、どの方向に行こうとしているとお考えですか。
佐々木―駅はまちとの出会いの玄関であり、訪れた人々にウェルカムな感じとそのまちの風景をどう見せるかが重要です。特に地方都市であればあるほど、まちの個性を伝える大事な場所で、例えば長崎駅ではホームの先に海や港が見えるような工夫がされています。
駅は人々の思い出のシーンを提供する場所であり、映画でも駅のシーンが多く使われるように偶然の出会いやすれ違いなど、ドラマチックに演出できる空間として特別の役割を持っています。また駅は知らない人々が同時にすれ違う場所であり、社会の一員としての感覚を与える風景体験が可能です。安全性や効率性を満たしつつ、人のための駅を考えようという潮流が世界的にあります。大阪駅では人々を受け止めるものとしてこれだけ広大な緑地があり、他とは違う風景体験をいろいろな人たちに提供できると期待しています。
篠ア―梅田は大阪駅を中心に東西南北四つのゾーンに分かれます。市街地改造や私鉄の開発によりそれぞれのゾーンが整備され、さらに地下街も昭和30年代から開発されてきました。大阪駅は駅と駅ビルの作り方を工夫しており、今回「みどり」のオープンスペースができたことで、各ゾーン間のネットワークの結節点の役割を果たしていくと思います。
都市のエコロジー・防災
狹間―このグリーンインフラとしての公共空間が今の時代に何をもたらすのか。生物多様性や環境問題、ヒートアイランドなどの課題に対して、都市の真ん中に人工緑地を作ることの評価も含め、これからどういう使い方をしていくべきでしょうか。
佐々木―緑地が連続しまとまることでサスティナブルになる力を持ち、生態系がレジリエントになります。まとまった緑地を都市の中に埋め込んでいくことで都市全体の気象や災害に効果を持つことは間違いないと思います。また、人が常に触れる緑なので必然的に人と人とのつながりを生み出すきっかけになります。
グラングリーン大阪には、実に多様な仕掛けになる緑のデザインがあります。それに合わせ、ランドスケープに少し起伏をつけたり、それを眺める視点場として非常に洗練されたデザインの通路や橋が架かっています。つまり生態系の拠点としての緑地とそこに人々が関わる場のデザインが融合しており、このような規模で多様なシーンを埋め込むデザイン密度の高さと戦略性を感じます。
狹間―うめきた公園は広域避難場所として設計されており3万4000人が避難できるそうです。現在梅田のターミナル全体では1日約240万人が利用しており、災害時に重要な空間になると思いますが、防災の視点から見ていかがですか。
齊藤―東日本大震災の折、JR東日本は鉄道を全線停止し駅を閉鎖したため、多くの帰宅困難者が発生しました。今後、大都市のビジネス街では避難時の滞留機能が絶対必要で、国のガイドラインも出されており、各企業ではオフィス内に社員を滞留させる備えも進めています。
うめきたの緑地が防災に役立つことは間違いないと思います。ただ具体的な滞留人数の想定は困難であり、防災上の問題だけでなく日常の使われ方も含め、全体の利用の中で防災の役目や機能を考えていくべきと思います。
今後の可能性
―使われ方・育み方
狹間―まちづくりとは、多様な主体が連携・協力しながらまちの活力や魅力を高めていくことと思います。まちづくりに終わりはなく、ずっと手当をしていく、持続的な活動そのものともいえます。そういう点からもこれからグラングリーン大阪にどういう使われ方、育み方を期待しているでしょうか。
篠ア―梅田はオープンスペースが乏しかったので、このような広がりがあるスペースができ、これまで見かけなかったベビーバギーを押したファミリー層をはじめリタイア層などさまざまな方が集まり、多様な使われ方がなされ始めています。
また市民の参画の場としても期待しています。イベント企画への参画に加え、かつての花博のレガシーで緑や花のメンテナンスに参画する市民が大阪にはたくさんおられますので、広く市民の参画をはかっていただくことを期待しています。
佐々木―まちづくりやインフラデザインでは「ケア」という考え方が大切で、これは相手を気遣うだけでなく自分自身もケアされる関係性です。自分たちの環境をケアしていく、そのケアした結果が一番見えやすいのが緑だと思います。日本庭園のような管理ではなく、いろいろなタイプのケアを許容できる懐の広い緑地だと思いますので、ケアの仕方を長い期間の中で議論していくと素敵な関わり方が生まれると思います。都会で働く人々や若者が逃げ込んだり、緑との対話を通じて元気を取り戻したり、さまざまな可能性を持つインフラとして機能すると思います。
齊藤―植物が一定量人間と調和しながら生きていく環境を保持していくため、新しい「利用」と「管理」の方法を考えていくことが必要になるでしょう。大阪の人々は創意工夫に富んでおり、利用側と管理側がうまく連携して新しいアイデアを実現することを期待しています。
篠ア―うめきたは、都心に「みどり」を作ろうというテーマを掲げ続け、多くの人々の協力を得て進めることができました。夢を持てるテーマを掲げていくことの大切さを感じています。さらに、これから先のプロジェクトへの貢献ができると思います。都市再生機構と日本政策投資銀行は緑のもたらす社会的効果を数値化するモデル式をお作りになっています。国土交通省でも緑の質・量を評価した補助金制度が設けられました。後に続くプロジェクトで緑を作りやすくなっていくと思います。
会員の皆さんへの期待
佐々木―グラングリーン大阪は、長い時間をかけビジョンを描きながら制度も考え決断し、それらがつながってきた結果だと思います。土木学会の会員の皆さんがプロジェクトの完成した姿だけを見て単なる緑のデザインの話と受け止めるのでなく、ここに至るまで多様な立場、分野の人たちが最大限考えられる知恵を絞りその集積として現れている風景であることを読み取っていただきたいと思います。会員の皆さんもよい社会、よいまち、よい暮らしを作っていくために自分の立場で今何ができるのかということを、さまざまな立場の多様な人たちと一緒に議論しながら進めていく。そうすれば素晴らしい仕事ができすてきな風景をつくれる、そうした先例として読んでいただけるとうれしいと思います。
※齊藤親様は、2024年12月31日にご逝去されました。生前のご功績に敬意を表しますとともに、心からご冥福をお祈り申しあげます。

