令和6年2月19日(月)18時より、東京都港区のSHIBAURA HOUSE 1Fフロアにて、関東支部主催の第17回どぼくカフェ in TOKYOが開催されました。今回は、『 復興は橋から ~関東大震災の復興でエンジニア達が橋に込めた想い~ 』と題し、紅林章央様(東京都道路整備保全公社道路アセットマネジメント室長)に講演いただきました。

講演の内容は、隅田川に架かる橋を対象として,(1)現在の復興橋,(2)江戸時代,(3)関東大震災の前,(4)関東大震災後の復興時といった,各時代の橋の特徴や時代背景などを交えて紹介していただきました。(5)最後に,震災から100年を経ても使用され続ける震災復興橋梁について耐震性や耐荷性,老朽化などの見解を述べられました。各時代の印象に残った内容を以下に記します。

(1)現在の復興橋

現在、隅田川は橋の博物館といわれるほど様々な構造形式の橋梁が架かっている。また、ライトアップが夜11:00までされており,とてもきれいで見ごたえがある。各橋梁についての情報として,蔵前橋が一番きれいなようである。厩橋の親橋には橋名にちなみ「馬」のステンドグラスが使用されている。

(2)江戸時代

江戸時代、隅田川には5橋が架けられた。財政難から時代ごとに橋脚が細くなり維持管理がおろそかになった。さらに幕府は、永代橋と新大橋の管理を民営化し有料橋にした。そんな中,富岡八幡宮の例大祭で参拝客が殺到した永代橋で崩落事故が発生し700人~1500人が亡くなった。事故の直接的な原因は橋脚杭の支持力不足だが、間接的原因は、無料の両国橋に人が迂回し、想定した料金収入が得られず、有料橋としての採算が悪化し架け替えが先送りされたことでの老朽化によるものといわれている。

(3)明治時代

明治時代になると,まず西洋式の方杖式の木橋が導入された。これにより橋脚間隔が2倍に広がり、洪水への抵抗力が増した。馬車や人力車の登場により、江戸時代の太鼓橋から走行しやすい平坦な橋梁に変わり、歩道と車道も分離された。鉄橋(錬鉄)が登場し,日本の文明国として技術力の発展を目指し日本人が設計した八幡橋(旧弾正橋)には、官営工場製ということから菊の御紋が付けられた。

(4)関東大震災以前

橋梁の設計者が世に出始めた時代である。東京大学で勉強した設計者が特徴のある橋梁を設計し、多くの橋梁が建設された。形式はいずれもトラス橋で、今よりも装飾性の高い橋梁が多かった。

(5)関東大震災後の復興時

本講演の本題である。まず関東大震災の橋の被害として,隅田川に架かる5つの橋梁は崩壊しなかったが、木製の床版は焼失した。東京の668橋のうち289橋が被災したが大半が火災によるもので、揺れに伴う崩落は無かったと思われる。復興で架設された橋梁形式は、地盤と密接に関係しており,トラス橋は地盤高が低く軟弱地盤の箇所に、アーチ橋は地盤高が高く、地盤の良い箇所に架ける傾向がある。

震災復興橋梁において,異なる構造形式で多くの橋梁を建設したのは有名な話である。この理由について、土木雑誌「エンジニア」で復興局橋梁課長の田中豊は、「国内の技術者を育て技術力を高める千載一遇のチャンスであり、様々な形式の橋梁を配することが適当と考えた」と述べており、その結果、この復興橋梁建設の7~8年間という復興期間で400橋もの橋梁を建設し,震災以前、橋の技術力では世界の三流国に過ぎなかった日本がこの短期間で技術力をアップさせ、世界のトップグループと肩を並べた。また、永代橋と清洲橋に使用した高張力鋼に、当時世界標準だったニッケル合金ではなくマンガン合金のデュコール鋼を用いたのは、ニッケルは国内で産出するがマンガンは取れないため、戦時の補修などを考慮した安全保障上の考えからもたらされたとの解説もあった。

震災の教訓から、鉄やコンクリートを材料とした橋の不燃化を図り、初めて定量的な耐震設計の震度法を導入。その水平震度は1/3Gで、戦後、阪神淡路大震災以前に建設された橋の1.6倍もの強度を持っており、現在は考慮しない鉛直震度も1/6G見込むなど、高い耐震設計が施された。また、活荷重も市電荷重なども見込んだため、現道路橋示方書の2倍の強度で設計されていた。これら、未来を見越した設計ゆえに、100年を経ても供用され続けている。

(6)最後に

震災復興により得られた技術が礎になり、戦争というブランクはあったものの、やがて瀬戸大橋や明石海峡大橋などの世界最高水準の橋梁技術として結実した。しかし現在架設される橋梁の99%が桁橋で,トラス橋、アーチ橋、斜張橋などはほとんど姿を消した。このままでは、培われた折角の技術力が喪失し、斬新で多様な形式を手掛ける欧米や中韓から、大きく遅れてしまうと紅林さんは危惧している。

本講演は,橋梁に関心のある多くの方が参加されました。90分間,濃い内容で時が経つのを忘れるほどでした。


講演者の紅林さん


外から中をのぞく(ポスター)


会場の様子(その1)


会場の様子(その2)


参加者と模型実験をする場面

ページトップへ戻る