令和元年12月6日(金)18時より、東京都港区のSHIBAURA HOUSE 1Fフロアにて、関東支部主催の第12回どぼくカフェ in TOKYOが開催されました。第12回どぼくカフェin TOKYOでは、『 灯台、陸の果ての守り神 』と題し、不動まゆう様(灯台どうだい? 編集・発行人)にご講演いただきました。

講演は、「灯台の歴史の話」から始まり、「灯台の建設の話」、「灯台の素材や色の話」、「灯台の世界史の話」、「灯台の魅力の話」、そして「灯台の楽しみ方の話」という構成で進められました。灯台マニアでない一般の方にも灯台のことを知っていただけるように灯台の基礎知識の話から導入し、中盤以降は不動様が感じる灯台の魅力やお奨めする灯台の楽しみ方というように、「灯台に行ってみようかな」という気持ちにさせられるお話という流れで、聞いている方々を灯台に上手に引き込んでいただきました。

「灯台の歴史の話」では、灯台が建てられるようになった経緯が印象に残りました。その時期の日本、列強国との関係の中で、開国、下関事件がきっかけと言われる改税訳書により灯台建築が決まり、灯台が建てられたことによって、上海と日本(神戸や横浜)の定期航路がつくられた、ということでした。

「灯台の建設の話」では、日本に30基もの灯台を建設した外国人技術者ブラントン(日本の灯台の父)の話や、青森県にある陸から32kmの沖合にある大きな波が来たらすぐにすべてがさらわれてしまう島(久六島)に毎日セメントを運び、海砂と海水を混ぜて命がけで建てた久六島灯台の建設と現場監督だった齊藤金蔵さんの話が衝撃的でした。

「灯台の素材や色の話」では、灯台の建設材料には珍しい木造灯台、耐久性がある石造灯台、当時はコストがかかった鉄造灯台、(鉄筋)コンクリート灯台など、様々な材料が使われていることに興味を持ちました。また、色についても、目立たせるために白く塗っていること、積雪のある地域や、背景が空となる小さな島では赤や黒のストライプ模様とすることで雪や曇り空に紛れない工夫をしていること、中には無塗装のものもあるなど、知らないことばかりでした。知らないことと言えば、灯台には種類があることも印象に残りました。航路標識は日本に約5100基ありますが、船舶に現在位置を伝えるための沿岸灯台、防波堤の端に立ち、港の入り口を示す防波堤灯台(ちなみに入港する際に左側に見える灯台は塔の色は白、光の色は緑、右側は塔、光の色共に赤というのが日本で運用されているルール)、狭い航路には、3色の光を出して白く見えるところを進むと安全に航行できる指向灯など、目的に応じて様々な灯台が役割を果たしているとのことでした。

「灯台の世界史」では、エジプト「ファロス島のアレキサンドリアの大灯台」、ギリシャ「ロドス島の巨象」、スペイン「ヘラクレスの塔」など、世界一古い灯台や7不思議という話に興味を持ちました。

「灯台の魅力」では、オーギュスタン・ジャン・フレネルが開発した遠くまで強い光を放つことができるフレネルレンズについての話が熱かったです。その原理の説明から、レンズと光の等級の関係、さらに光る周期と緑、白、赤などの色の違いを組み合わせて光だけでどの灯台かを認識させるような工夫など、灯台の光の深い話に感心させられました。ただ、省エネの都合でLED灯器に少しずつ替ってきてしまってレンズが無くなってきていることに、不動様は「このようなすばらしいレンズを残したいな、残念だなぁ」と、思いを語っていました。

「灯台の楽しみ方」では、灯台にハグ、(恥ずかしがらずに)キス、灯台の日(月1日)に海上保安庁のイベントに行こう、恋する灯台プロジェクト、灯台カード、(郵便局で押してもらう)灯台風景印、灯台ワールドサミットなど、灯台の楽しみ方をいろいろと教えていただきました。

最後に、昔は灯台に家族で移り住んで管理する灯台守の方がいたけれど現在はもういないことや、灯台守の戦争や火事にまつわる悲しい話、灯台が少なくなってきていることを危惧している話などとともに、灯台をもっとみんなで愛してほしいとういうメッセージで講演を閉じられました。終始、不動様の灯台に対する愛と情熱にあふれた講演に引き込まれて、あっという間に時間が過ぎてしまった、そんな90分間でした。最後に「ありがとうだい(灯台)」と決め台詞で閉会となりました。

画像:会場全景
会場全景

画像:会場外から
会場外から

画像:ご講演中の不動様
ご講演中の不動様

画像:不動様とスチューデントチャプター、土木学会関東支部関係者の記念撮影
不動様とスチューデントチャプター、土木学会関東支部関係者の記念撮影

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