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第I編 激動の10年を振り返る

第1章 歴代会長が語るこの10年

8.土木技術者個人の顔が市民に見えるように
−インターネットで一般の人と議論できる,双方向コミュニケーションのシステムを立ち上げる−

岸 清 第90代会長
岸 清(きし きよし) Kiyoshi KISHI 第90代会長
 (1937〜)工博 名誉会員 1960年東京大学工学部土木工学科卒,東京電力に入り,原子力建設部土木建築課長,柏崎刈羽原力建設所副所長,原子力建設部副部長をへて同部長,92年原子力建設部副本部長,95年フェロー(理事待遇),01年顧問.89年技術開発賞受賞,岩盤力学,エネルギー土木,広報などの委員,委員長を歴任.99年理事,00年副会長.

原子力の仕事で鍛えられる

 理事,副会長,次期会長,会長と,続けて4年間,土木学会にお世話になり,会長職は2002年6月から2003年5月まで務めた.土木学会では,発足当時から携わった原子力土木委員会をはじめ,コンクリート委員会,岩盤力学などの委員会に携わり,ずっと縁をもってきた.
 私自身が専門とした原子力では,様々な経験をし,自分自身大いに鍛えられたと思っている.たとえば,昭和47-48年当時,東大では「成田と柏崎を潰せ!」と,講義中に過激派が押し寄せてきて,アジ演説を打っていた.柏崎は新潟県にあり,東京電力が800万kwのものをつくるということで着工した.当時の予算で,100万kwが3 000億円か4 000億円という時代だから,800万kwというと,3兆円以上の民間プロジェクトということになる.過激派からすると,大きな国家的プロジェクトを妨害するという点で,成田と共通していたのだ.
 そういったところで,我々土木は,最初の調査の段階から担い,矢面に立ち仕事を進めるということで,鍛えられた.仕事の質を高めていかないと,小手先でやっていては必ず隙ができる.だから,つねに完璧な仕事を目指した.そのような経験があって,学会で耐震から入り,コンクリート,海岸工学を担当することになった.ちょうど環境問題が表に出始めた頃で,最初の環境レポートをお手本なしにつくるということもした.気がついたら,岩盤力学の委員長になり,そのゴールに,学会の理事,会長があったわけだ.

理解してもらうためには努力が必要

 私が多くの経験の中で,常に考えてきたことは,土木界の評価が落ちているということである.これは,世の中全体の風潮でもある.評価を変えるためには,社会とのコミュニケーションを工夫しないといけないのではないかと思った.
 現場で土木に携わる技術者にとっては,自分たちがきちっと仕事をやれば,それで自然と評価される.自分たちは,いいことを立派にやっている.それに対して何の疑いもないというのが大半だろう.しかし,仕事を立派にやるということと,それを世の中から認識,理解してもらうということは別である.理解してもらうためには,コミュニケーション技術あるいはプレゼンテーション技術が必要だ.第三者にどう理解してもらうか.理解してもらう工夫,努力が必要だと,会社の仕事の中でもずっと言い続けてきた.
 こうしたことに興味をもったのは,私が技術屋の中でも事務屋寄り,文科系寄りの意識をもって仕事をしていたからである.会社では,文化雑誌の編集委員になり,東電という会社やその仕事の内容をどう一般の人に使えていくかを考えていた.日本はともすると,文科系偏重の構造をもっており,技術者の評価が低い.そこで評価を高める工夫が必要だと思ったのだ.

基本的な使命は利便性と防災

 土木業界に対するマスコミの批判が,新聞紙面を当たり前のように賑わせている.会社でもそのように話されてきた.しかし,たとえば談合などは他の業界でもあることで,それは土木の問題だけでなく,日本の風土の問題だと私は思っている.
 そこで,会長に就任したとき,何か手を打たなければいけないと感じた.私たちが担わなければならない基本的な使命は,社会の利便性と防災である.そのことだけは,認識しつつ,社会に対しても理解してもらわなければいけない.言ってみれば当たり前のことである.しかし,水不足のときはダムが大事だといわれるが,水不足が解消されると,そのことがすぐ忘れられてしまう.たとえば,戦後まもなくの頃は,利根川が決壊して,東京湾に向かって洪水が流れるということが起きていた.そうした利便性や防災の意識も,喉元を過ぎると忘れられ,粗探しに向かい,ダムは要らないという意見が出てくる.
 土木の重要性をわかってもらうためには,わかってもらう技術が必要である.だから,学会誌を含め,広報技術を工夫する必要があると思った.そこで私が行ったのは,インターネットで一般の人も参加できる,双方向コミュニケーションのシステムを学会でつくることだった.実際にシステムが出来上がり,現在,運用を行っている.
 これらをうまく活用すれば,テーマを決めてシンポジウムをやるときも,その準備段階で,いろんな考えの人を並べてみるという使い方ができる.専門家だけが集まって問題点を整理するというのでは,親近感が湧かず,必然性の厚みがないからだ.また,インターネットを利用すれば,世の中で正当に議論されていないことも俎上にのぼらせることができる.当時,小田急線高架化反対訴訟で,高架事業認可取消しの判決が出た.それを俎上にと思ったが,まだ舞台が整備されていなかった.その種のことは毎年のように起きてくるので,インターネットを活用し,活発な議論を行えればと思っている.
 もうひとつ考えなければいけないと思っているのは,最近の例では新潟や福井などで起こった水害の問題である.土木として,どうとらえるのか.まず,ハードとして,今度の水害はどうなっているのか,専門家としてどう考えたらいいのかということがある.そして,ソフトとして,災害当時の報道は十分だったのかということがある.雨は突然降るものではない.洪水は一種の積分値として起きる現象である.そこにはプロセスがあり,結果として堤防が切れ,洪水になるのだ.雨がどこでどう降って,中心域がどう移動しているか.今の技術ならわかるはずだが,一般の住民には知らされなかった.報道を工夫していれば,1階で寝ていた老人も助かっていたかもしれない.
 この災害について,土木学会では災害調査団を組成し,いち早く原因の究明に取り組んでいる.このようなハードからの取り組みはどうであろうか.では,ソフトからの取り組みはどうであろうか.私の会長の任期の時に,テレビ局や災害発生時に報道の先端に立つ報道部や科学部など,実際担当されている方と,学会のその分野の専門家が,日頃からコミュニケーションを取り,いざというときに機能する仕組みづくりを始めた.今後,もっと工夫し,マスコミとリンクして,国民の防災に役立つ専門家からの情報発信をしていければと思う.

個人の顔が見えるようにする

 土木は3K(キツイ,キタナイ,キケン)ということで,学生が就職したがらないという風潮がある.しかし,危険だから人にやらせて,それを避けるということは果たしてどんなものだろうか.それは,結局は,世の中の分担関係が変化しているのにもかかわらず,見かけは昔のままで,それを直さない.日本の昔からのやり方が,戦後50年の間に現実と極めて大きく乖離しているということである.談合問題も,発注の方式が時代に役所も戦前は,構想,計画,設計,施工,管理と,最初から最後まで行っていた.それが,戦後の高度成長の時に,それでは量的にも質的にもこなせないので,やり方を変えた.しかし,表面的には前と同じような姿を保っている.そこに問題がある.また,評価システムも問題だ.国や県で委員会をつくり,そこで評価するわけだが,説明する人が自分でやっていない.やっていない人が説明しても説得力がないし,集まった人が本質的な議論などできるわけがない.そんなことを,日本中でやっている.どこで悩み,その結果こうなったという,その悩んでいる部分が消えてしまっているのだ.
 結局,社会に対して土木が理解されないのは,実際にやっている人が表に出ていないからである.個人の顔が見えるように工夫していかないといけない.自分たちがやったことをそのまま見えるようにしなければいけない.表紙だけの名前では困るのだ.そして,関係する住民と専門家を結びつける仕組みをつくり,両方理解できる者として間に立つことも必要だ.
 私がかつて部下に常に言っていたのは,担当したものが専門から外れていることでも,担当したからには必死に勉強するようにということである.そうでなければ,司会しかできないことになってしまう.そして,一般の人に理解できるよう説明できる能力を身につける.そのためには,日本語の能力が重要だ.日本語は説得の道具である.それを常に意識して,生きていかないといけない.これも私がずっと言い続けてきたことである.土木の中堅の研修では,日本語は重要だ.専門用語がいくら話せても,一般の人に理解できるよう説明できなければ,何の役にも立たない.そのためには,大学の教育も考えていく必要があるだろう.

interviewer:篠原  修(略史編集委員会委員長)+ 畠中  仁(略史編集委員会幹事)
date:2004.7.27,place:土木学会土木会館応接室

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