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第I編 激動の10年を振り返る

第1章 歴代会長が語るこの10年

7.地球環境問題が国際的な課題となるなかでシビルエンジニアとしての役割を考える

丹保 憲仁 第89代会長
丹保 憲仁(たんぼ のりひと) Norihito TAMBO 第89代会長
 (1933- ) 工博 名誉会員 1957年北海道大学大学院修士課程修了,69年北大衛生工学科教授,93年工学部長,95年総長,北大名誉教授,01年放送大学長.日本学術会議第17期〜18期会員,各種委員会委員長,会長を歴任.西安建築科技大学名誉教授,同済大学名誉教授,嶺南大学名誉博士(中国),スロバキア工科大学名誉博士,マサチューセッツ大学名誉工学博士.

土木屋としてかなり異質

 今回,土木学会から土木学会功績賞を頂いた.私の専門である環境工学は,専門家も日本に少なく,長い間,論文を書いてもあまり関心を払われてこなかった.また,最初から海外で仕事をしていたこともあり,普通の人よりは10年くらい遅れて,あんなやつもいると認められてきたのだろうと思う.この歳になり功績賞を頂けたことは,長い間仕事をしてきたことが認められたということで,大変うれしく思っている.
 私は北大の土木で修士課程まで教育を受け,卒業論文は,ダムのスピルウェイだった.水理学的な仕事をしていた後,米国へ留学し,物理化学を勉強した.また,大学院のときは医学部に預けられ,細菌学も勉強した.そういう面では,土木屋としてはかなり異色であるといえる.
 私が土木を志したのは,ダム屋にひかれ,地下足袋をはいてゲートルを巻き,作業服を着て,地道な仕事をするということに,意気を感じていたからだ.卒業論文を書いていた時も,終始つなぎの作業服でモーターを回していた.今の学生とは随分メンタリティーが違っていたのだと思う.そういう意味では,土木で現場に足がついているというのが,生きがいで,私自身は根っからの土木屋だと思っている.

人口減少化の社会資本整備

 会長時代,印象的だったことは,土木会館ができ,起工式が行われたことだ.一方で,ショックだったのが,アフガニスタンが最大の危機を迎えていたことで,世界がカオスに入った時期だった.そして,土木が,世間的に悪く言われた最盛期でもあった.そういう意味では,時代の変わり目だったのだろう.
 こうしたなかで,「人口減少化の社会資本整備」という本を出した.今まで多くの人に読んでいただいているということで,そこにシビルの原点があると感じている.
 サスティナビリティという概念が,ヨハネスブルグサミットで世界認知のパラダイムになったが,本はその前に書かれている.人口の減少は大変なことだが,地球環境問題の主点の一つは,人口の過剰増加にあり,人口をうまく減らすことは,最大の価値でもある.文明の転換期が訪れているといえる.
 タイトルは,社会資本整備となっているが,本質は文明の問題であり,そこをどう考えるかということである.土木の世界では,社会資本整備といった時には,日本国内だけの社会資本整備の話になってしまいがちであるが,地球レベルでいえば,日本のように社会資本が整っている国は少ない.世界の大半では道路は舗装されておらず,災害になれば,川はすぐ氾濫し,家はひっくり返り,すぐ燃えてしまう.そういったところで土木屋として何ができるのか.それは日本のために働いている官僚の中央集権組織だけではできないことだ.日本には土木の優れた技術があり,ゼネコンサイドに大量に蓄積されている.しかし,日本スペックで設計した社会資本構造は,アジアへは直に持っていけない.持っていくから摩擦がおき,ODAに問題ありなどと言われるのだ.現地で会社をつくり,そこで新しい技術が生まれたら,それを日本に逆輸入してくる.そういったやり方もある.できるなら,土木学会がプロフェッショナルな集団になり,双方向性のある役割を果たして欲しいと思う.

キーワードは「Integrated」

 函館や札幌まで新幹線を持っていくという話がある.新幹線が札幌まで乗り入れたら,札幌っ子の自分としては嬉しいことだ.しかし,自分が嬉しいということと,そのことが問題なく正当化されるかということは別の話である.道路と新幹線が連携されていないのに,新幹線の議論だけをしているというのは,土木屋にとってあるまじきことだ.そんなことで国土が扱えるのだろうか.しかも人口減少していく国土でどうするのかといいたい.総合交通体系はどうなるのか.私の専門で言えば,流域総合管理という概念がある.我々が持っている技術は,持っているものしかない.いくら癪に障っても今の技術を使うしかしかないが,その時キーワードとなるのが,Integratedということである.それができるのは土木屋しかいない.その土木屋が,鉄道や道路という縦割りで話をしていてはしょうがない.
 私は物理化学も勉強し,論文も物理化学的なものが多く,米国の仲間からは化学工学出身だと思われている.土木だというと驚かれる.しかし,魂,発想の原点は土木屋だと思っている.たとえば,水環境問題で,環境省では川の水質を測ると,川の水が汚くなったという.私の場合は,川の水が汚くなったら,どこで汚い水ときれいな水の出入りを区切るか.最終的には国土空間の分割をどうするかということが,基本的な扱いである.そこが違う.それはシビルエンジニアそのものの発想で,そういったことが今乏しくなっていると感じている.そういう意味では,大学の学科でも土木と環境が一緒になったほうがいい.そして,それにより土木も変わってもらったらいいと思う.

土木屋は地球の医者

 学生時代,教授から聞いたことで,忘れられないのが「土木屋は地球の医者だ」という言葉だ.地上をなめるように整備していく仕事が,私たちの仕事で,人のために役に立つ仕事をする.単に物をつくることが仕事ではないというのだ.シビルエンジニアのシビルという概念が,衛生工学,環境工学をやるときにも,私の中で本当に強い中心概念だった.諸々の学問を統合し,人々の役に立つことをする.それが,シビルエンジニアリングであると,学生の頃から固く信じていたのだ.
 私にとって大きなショックだったのは,スイスの国立水研究所に行った時に,バイオサイエンスをベースにしている人から,「衛生工学や環境工学で,先生はどういうレベルに到達したらドクターを出すのですか」と聞かれたことである.これは今の土木の先生みんなにもう一度考えて欲しいことだ.Ph.Dとは何か.本当に明確なレベルで出しているか.
 私自身は,ダブルスタンダードをもっている.ひとつは,シビルエンジニアとして,そのこと自体が世の中のシビルに役に立つベクトルを持っていること.それがないと審査する理由がない.もうひとつは,自分のやった仕事が少なくともサイエンス,テクノロジーの基本的な概念に則っており,そこで何か前に鼻面でもいいから出して見せたということ.私の学位論文は水の物理化学処理だが,私が突破口を開いたことによって,多くの人々が後が続くことにもなった.土木だけでなく,他の分野の人も私の仕事を引用し,拡大しはじめた.そういう意味では,今見たら恥ずかしい論文だが,鼻面を出したとは思っている.土木の分野で評価するのなら,その2つの尺度がいると私は思っている.
 いずれにしろ,座標決め,位置決め,GPSがしっかりしていない人は,この分野では生きていけないだろう.

情報を自分の知識にする

 学生に対して,学校で教えられるのは,情報に過ぎない.しかし,いくら教えても使わなければ役に立たない.だからこそ,同じ教育を受けても,後の伸びを見たら,学生個人,個人で全部違う.得た情報を自分の知識に統合できるかどうかが,人間の価値になる.統合の仕方なんて教える人はいない.それこそ先輩の背中を見てやれということだ.情報までは学校で出せるが,学校教育ばかりに多くを頼ったら,日本は壊滅する.日本の最大の弱点は,学校教育を受ければ,何かができると勘違いしていることだ.シビルエンジニアは学校で習ったことだけではほとんど何もできない.歴史を始め,いろいろ勉強しないといけない.土木は,人間とは何かを身につけ,テクノロジーを多角的に見ることができる.それは,土木だけだ.それができないのは,シビルエンジニアではない.単なるトンカチ屋であり,部品エンジニアである.だからこそ,トンカチ屋でない真のシビルエンジニアがかなりの数出てきて欲しいと思う.
 また,土木屋で戒めることは,ギャラント(カッコ良い)であることである.カッコいいことは戒めるべきことだ.カッコいいということは,どこかでジャンプしないとカッコよくならない.土木屋はギャラントではダメだ.発想はギャラントでもいい.やることはギャラントでなく,地を這わなければダメなのである.地下足袋はいて,山を歩く.カッコよくコンピュータの前に座って何ができるのか.そこが最近は少し怪しくなっているように思う.
 土木屋で大事なことは,ひとつは習ったことをいかに統合化するかということ.そして,もうひとつは,自分の専門はこれだということを,大切に育てながらも過剰に立てないことである.専門は,自分の生きていく原点だけに大事なことだが,しかし他のことに積極的に手を出していかないと,自分の分野が縮小していくだけだ.常識も硬直化する.そうなると,いい仕事はできない.若い人には,ぜひ,その2つのことを考えて欲しいと思う.

interviwer:佐藤 馨一(北海道大学教授)+ 柏倉 志乃(略史編集委員会幹事)
date:2002.9.2,place:放送大学学長室

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