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第I編 激動の10年を振り返る

第1章 歴代会長が語るこの10年

2.日本建築学会と合同の震災調査報告書づくりと,海外交流・支部活動の 活性化

小坂 忠 第83代会長
小坂 忠(こさか ただし) Tadashi KOSAKA 第83代会長
(1928〜)工博 名誉会員 勳二等 1951年東京大学第二工学部土木工学科卒,建設省入省,河川局治水課,関東地建各現場,東北地建河川部長,河川局治水課長,同河川計画課長,関東地建局長,河川局長,建設技監.国土開発技術研究センター理事長,河川協会会長,全国建設技術協会会長,建設省旧交会会長,関東建設弘済会理事長など歴任.

大震災への対応に追われた1年

 私の会長在任期間は,1995年5月から96年5月までで,95年1月17日に,阪神・淡路大震災が発生し,まさに震災後の対応に追われた1年となった.震災直後の対応は,在任中であった中村前会長が行っておられたが,私が会長に就任直後,引き継ぎを行い継続して阪神・淡路大震災関連の対応に忙殺された.
阪神・淡路大震災については,種々の調査・研究があらゆる分野でなされたが,特に,土木学会では,第1次〜4次にわたる現地調査を実施し,報告書の編集・発行,各地で緊急報告会を実施してきた.
 同時に日本建築学会やその他の学会でも同じような取り組みを行い,それぞれが個別に報告書を出すという状況になっていた.私はこうした大きな問題については,学会ごとに個別に調査結果を報告するのではなく,合同で統一した調査報告書を出すべきであると考え,8月に日本建築学会会長とお会いした.また,95年12月には,土木学会,日本建築学会の合同会議を開催した.
 そこで合意を得て,その成果が2000年3月,「阪神・淡路大震災調査報告書」全26巻の発行として結実した.これは,土木学会をはじめ,建築学会,地盤工学会,日本地震学会,日本機械学会が合同でまとめたもので,発行後,兵庫県知事や神戸市長など関係機関を,それぞれの学会長がともに訪問し,寄贈したと聞いている.そのきっかけをつくれることができたことは,大いに意義のあったと思っている.
 また,震災1年後には,土木学会で95年5月の「第一次提言」続く,土木構造物の耐震基準等に関する「第二次提言」をまとめた.その主な内容は,今後の耐震設計法は,活断層から発生する地震動の予測を基本とするとの提言となっており,これらは記者発表を行い,一般社会に向けて土木学会としてのアピールができた.阪神・淡路大震災の数日後,オランダ,ドイツ,フランス,ベルギー,において記録的な豪雨による大規模な洪水が発生した.これらヨーロッパ各国における危機管理施策や治水施策について調査を行うため,土木学会ではヨーロッパ洪水について2度の調査団を派遣し,調査を行った.
 調査団は,愛知工業大学の四俵 正俊先生を団長とし,ライン川を中心とした第1次調査団と,芝浦工業大学の高橋 裕先生を団長とした,オランダ,フランスを中心とする第2次調査団に分けられた.私はその第2次調査団の顧問として参加した.
 95年6月に,オランダ,ドイツの環境省や運輸省など,様々な所を訪問し,オランダでは,デルフト工科大学で会議を行った.オランダやドイツ,フランスの被災地を回ったが,行く先々で,日本からはるばる専門の技術者が来たということで,大変な歓迎を受けたのが,印象に強く残った.
 ヨーロッパ水害の直接の原因である大量といわれる降雨量は,日本の豪雨と比較すれば,むしろ少量である.日本では,時間雨量150mm以上,日雨量1 000mm以上の豪雨も記録されているが,ヨーロッパ水害ではせいぜい100mm前後である.こうしたことには驚かされた.
 また,ヨーロッパでは,河川改修がなされ,まっすぐになった河川が,洪水流出に影響を与えると考えられ,最近では,元の蛇行した河川に戻すという,近年重視されてきた環境問題との調和を図る動きが進んでいる.洪水対策としてこうしたことも参考になった.
ヨーロッパ洪水調査団では,2次の調査を終え,その結果を,「1995年ヨーロッパ水害調査報告」としてまとめることができた.その報告の中では新しい時代の治水計画の考え方,危機管理体制下におけるボランティアの活用地域リーダーの重要性およびマスメディアとの協調等を提言しており,治水事業に長く携った私としては,新しい時代の治水の方向性を示した立派な発表が出来たと思っている.

米国総会での表彰式に感心

 95年10月のアメリカ土木学会総会に,日本の土木学会会長である私に,夫人同伴で出席してもらいたい旨の通知があった.それで,出席予定をしていたところ,韓国の土木学会からも総会にぜひ出席してもらいたいと言ってきた.私にとって韓国は,1972年に国連のESCAPのもとでの2国間における洪水予警報に関する技術協力で訪韓して以来20年来の長いつきあいがあったので,最終的には日程を調整して,両方に出席することにした.
まず,韓国へは私一人で訪れることにし,10月19日に出発してソウルに行き,10月20日の韓国土木学会の総会に出席した後,10月21日に帰国し,成田空港で家内と落ち合い,ロサンゼルス空港で乗り換え,総会開催地のサンディエゴに着いた.
 23日には,東京大学の國島先生や,建設技術研究所の石井さんの発表があり,25日午前中に米国土木学会ASCEの総会があった.従来,日本での表彰式といえば,壇上に表彰者がいて,一人ずつ呼ばれ,挨拶する程度だが,この総会では2階の座席の表彰者にスポットライトを当てながら,その人の功績を壇上のスクリーンに映像として映し出していた.聴衆との一体感と臨場感があるそのパフォーマンスに感心し,帰国後土木学会の表彰でもそうした形式をプレゼンテーションに取り入れることにした.それは今でも継承されており,会員に喜ばれているのではないかと思っている.
 総会を済ませて,午後からロサンゼルスに帰った.ロサンゼルスでは,すでに東京からACR(首都圏建設資源高度化センター)の一行が,アメリカにおける残土の有効利用の実態調査に来ており,私と合流することになっていた.前年の94年にロス地震があり,そのときのロサンゼルスにおける地震の状況と,対応策を調査した.ロサンゼルス市の方が親切に市庁舎地下3階の気密室まで案内してくれた.その部屋で地震のときの状況を聞くと同時に,その部屋の構造についても説明があり,地震だけではなく,核戦争までも想定して作ったシェルタ−であることに感心した.
 韓国・米国の両土木学会に出席できたことで,海外土木学会と,日本土木学会との海外交流の一里塚になったのではないだろうか.
また,国内でも,土木学会の運営の一環として全国の支部長会議を定期的に開催した.私自身,中国・関西・東北の3カ所に行かせてもらった.これらにより,本部と支部の交流と,支部活性化への働きかけができた.加えて,特定公益増進法人認可条件をクリアするため,経理事務の立て直しや,9万冊にのぼる図書在庫の評価替を行ったが,こうしたことにも微力ながらお手伝いできたのではないかと思っている.

世界をリードする技術力を

 私が会長職につく前年に土木学会80周年の行事を行った.その時の寄付は,非常に多く集まり,川崎市長から,土地を使って欲しいという要望があったりもした.しかし,10年経った今は時代が大きく変わった.予算も厳しくなっている.そうしたなかで,土木学会の将来を考えると会員の皆さんの希望や要望を具体的に実現するための資金は,確実に減少していくことになる.
 しかし,現在,建設事業に対して,あまりにも,感情的な無用論がある.そのなかで,我々が意気消沈し,志まで無くしてしまうことになったら大変である.こういう時期だからこそ,声を大にして建設事業の必要性を叫ばなければいけないのではないだろうか.昔,我々の現役の頃は,資金が潤沢にあった.今の時代は,予算も絞られ,それによって緊縮が行き過ぎているような気がする.こういう時代だからこそ,我々がいろいろな知恵を出さなければいけないのではないだろうか.
 世界のパワーに太刀打ちできるようにするためには,次の世代,そしてその次の世代に向かって,どうしたらいいのか.日本に今ある優れた能力をうまく利用するとともに,世界をリードする技術力を養っていくことが大切である.そうしなければ,今までのような豊かさを維持することができなくなってしまうだろう.このためにも,土木学会の皆様の奮斗を期待したい.

interviewer:加藤  昭(水源地環境整備センター理事長)
date:2004.9.17,place:土木学会土木会館応接室

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