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第I編 激動の10年を振り返る

第2章 10年の主な出来事

1.10年を振り返って

1.1 地球環境問題に直面したこの10年(1995-2004)

 この10年(1995-2004),土木界は急角度の転換期に際会し,厳しい試練に直面した.1994年11月の土木学会創立80周年記念事業を終えて一息つく間もなく,1995年1月17日の阪神・淡路大震災の発生は,土木界はもとより,日本の社会全体を震撼させた.その大災害は,わが国の国土保全の在り方,そして土木技術者に多大の反省を強いる事件であった.いち早くその災害調査に着手した土木学会のその後の諸施策に,この震災の教訓が色濃く反映することとなった. その年の3月20日,東京都の地下鉄霞ヶ関駅を襲ったサリン事件は,高い治安を誇っていた日本の警備体制に衝撃を与え,やがて続く社会不安の時期を暗示するかのようであった.このようにこの10年は,土木界にとっても日本社会にとっても前途多難を匂わせる幕開けとなった.
 この10年は,2000年を挟んで20世紀末から21世紀初頭にかけての世紀を超える時期であった.20世紀を総括し,その役割を踏まえて次の世紀への希望と抱負を抱くはずであった.しかし,20世紀は終わりに近づくにつれ,いやが上にも人類の不安をかき立てることとなった.その代表例が地球環境問題である.第二次世界大戦が終わり,地球を挙げて開発ブームが吹き荒れ,日本はその代表例であった.戦後復興から経済の高度成長を支えた開発に,土木技術者は著しく貢献した.しかし,経済効率の向上に力点を置いた開発は,やがて,いわゆる公害を各地に発生させ,それは環境問題へ,さらに地球環境悪化という,人類共通の重大問題へと発展した.
 人間の活動が主な原因である地球環境問題の深刻化は,科学技術そして現代文明の在り方に猛省を促している.明治以後の日本の目ざましい発展,アジアで最初に近代化に成功し,そして第二次世界大戦後,世界を驚かせた再建と経済発展,それはわが国が欧米近代科学技術とそれによって支えられている現代文明を目標としてばく進し,効率良くそれに成功したからに他ならない.しかし,科学技術がもたらした栄光と繁栄に目を奪われ,科学技術の限界と欠陥に気付かず,今日の事態を招いてしまった.かてて加えて,この半世紀は経済効率向上を金科玉条とする国策のまにまに土木界は対応してきた.過度の開発がもたらす環境破壊への配慮を欠いた姿勢そのままに,高度成長が終わりを告げ,バブル経済が破れたあとも,その惰性が続いていた.環境問題が各種の土木事業を揺さぶった1980年代後半から,環境への対策が育ち始めたが,その狭間に,長良川河口堰反対運動に端を発した公共事業批判は,社会問題化し,それ以後の公共事業批判の先鞭となった.
 地球環境問題の打開を目標として,1992年リオデジャネイロで地球サミットが開かれた.ここで地球温暖化が深刻な地球危機としてあまねく認識され,その対策としてCO2削減計画が京都議定書となったが,米国などが調印しなかったため行き詰まりを見せている.一方,地球の水危機もまた重大な地球環境問題であり,それへの対処を議論する第3回世界水フォーラムが,2003年3月琵琶湖・淀川を舞台に開かれ,約24 000人を集める空前の盛況を呈した.
 このように,20世紀末から21世紀初頭にかけてのこの10年は,地球,環境,そして一般市民の声が,日本はもちろん,全世界を覆うキーワードとなった.かつて経験しなかったその大きなうねりに翻弄されながらも,土木学会は時代を先取りする方途を目指して,次々と新たな施策を展開中である.この価値観の変化と多様化の嵐の中で,高度成長時の土木技術者の興奮時代から沈思時代への転換は容易でない.

1.2 この10年の光と影

 1994年の80周年以後も,わが国の土木技術による大きな成果は続き,その評価は高い.1999年5月には「瀬戸しまなみ海道」が開通し,本四架橋の3ルートが完成した.新幹線網も初期の予定とは若干遅れ,財政問題を抱えつつも進捗している.1997年10月北陸新幹線高崎・長野間,2002年12月には東北新幹線の盛岡・八戸間,2004年3月には九州新幹線の新八代・鹿児島中央間が開通した.
2001年10月には,関西国際空港が,その計画,環境対策などが国際的に高く評価され,アメリカ土木学会によるMonuments of Millennium プログラムの20世紀の世界の土木建築界の10部門のひとつ空港部門の代表として,アジアからは唯一選定された.関西空港のみならず,明石大橋はじめわが国の多くのビックプロジェクトは,日本のマスメディアでの近年の評価は芳しくないが,国際的評価はきわめて高い.
 土木事業でマスメディアの標的にされているのがダム,堰と高速道路である.1994年竣工の長良川河口堰からダム・堰反対運動が始まった.高度成長期の計画が,環境重視時代に竣工を迎え,価値観の変化に十分に対応できなくなり,一部に矛盾を迎えたためであった.2001年,田中康夫長野県知事による脱ダム宣言は,この間の事情を象徴しており,現在,討論が続いている熊本県の川辺川ダムをめぐる事態もまた,開発と環境,住民意志の変遷の狭間に生じた現象である.
 道路公団は,2001年11月の政府の民営化方針により,2003年2月,4公団民営化推進委員会が発足したが,議論は紛糾した.この論議において,高速道路の経営から計画についての批判が,世間の高速道路への評価を曇らせた.
 ダム,高速道路に代表される公共事業批判は,技術問題でなく社会的問題となり,環境,住民の意志,民営化などの現代的キーワードに振り回されている.
 土木学会においても,新しい分野の土木工学の開拓に意を注いできた.1996年11月発足の景観デザイン委員会,1999年11月の環境賞創設がそれであり,土木史委員会などの努力により,1997年の横浜ドックの重要文化財指定など,日本各地の土木文化財への関心の高まりは顕著であった.2003年土木学会の会長特別賞を授与された映画「日本の近代土木を築いた人々」(田部純正監督)は,江戸時代末に生まれたわれわれの大先輩,井上 勝,田辺朔郎,古市公威,沖野忠雄,広井 勇が,世界史の奇跡と云われる日本近代土木を築いたドキュメントで,45年の歴史のあるキネマ旬報文化映画部門で土木では初めてベストテン1位を受賞した.

1.3 定款の改正−学会の目的−

 土木学会の定款の改正は,従来,主として学会組織,会員の身分などであったが,1999年,初めて目的を改正した.すなわち,学会の目的に「土木技術者の資質の向上」と「社会の発展への寄与」が加えられた.従来,もっぱら学術研究活動に重点が置かれていた学会活動が,さらに土木技術者個人の能力向上とそれを通して社会における土木技術者集団の役割を明記したのである.従来ともそれらが土木学会にとって重要な役割であったことは云うまでもないが,とかく集団の力を強く意識していた土木技術者に,改めて個人としての技術者能力と,個性の自覚を促し,かつ社会への寄与を,学会の使命として確認したのである.
 この定款の改正は,前述の地球環境問題に象徴されるように,従来の次元を越え,急速に進行したグローバリゼーションの波にさらされ,土木技術者の活躍分野が一挙に拡がり,技術者個人も集団も,国際的評価に堪えなければならなくなったからである.一方,わが国の経済社会が安定もしくは沈静期に入り,価値観の多様化,民間の役割の増大の状況への対応を迫られたからでもある.

1.4 技術推進機構の発足

 この定款改正を具現化するために,技術推進機構が1999年に発足し,学会として有効かつ強力な支援体制が確立された.すなわち,倫理観と技術力を兼ね備えた土木技術者の育成,かつその活躍の場の展開によって,新たな価値観に基づく社会資本の整備をめざしている.この技術推進機構に以下の4つの制度が2001年に創設された.
 「土木学会認定技術者資格制度」,「継続教育制度」,「技術者登録制度」,「技術評価制度」これら4制度を柱に据え,国際規格に関連した業務や公益性の高い研究開発業務なども実施されるようになった.
 まず,技術者資格制度は,土木学会独自の制度であり,組織よりも個人の力量が重視される時代となりつつある動向への対処として,土木技術者を評価し,活用する仕組みづくり,土木技術者としてのキャリアパスの提案,土木技術者の継続的な技術レベルの向上に対し,土木学会が主体的に取り組むことこそが,技術者集団としての学会の社会的責任であるとの自覚に根ざしている.すなわち,能力主義へと向かいつつある時代に即して,能力に応じた業務と責任を果たす職場環境の構築が要望されるからである.
 継続教育制度は,土木技術者が活躍するには,倫理観と専門的能力をもって社会に貢献する必要があり,技術者能力の継続向上の支援が目的である.これからは,国際的に通用する技術者の相互承認の重要性に鑑み,技術者の継続的能力開発とその証明が,技術者の必須条件となるからである.
 技術者登録制度は,主として中高年技術者を対象とし,その就業機会の増大と,技術者の流動化を高めることによって,技術者の活躍の場の増大,企業や自治体での技術者不足への対応と技術力向上に資するためである.
 学会の技術評価制度の確立は,わが国土木技術の国際的競争力の強化および国際貢献が,学会の責務であるとの観点からの学術評価であり,これこそ重要な国際戦略の一部であると考えられる.学会のこの制度は,すでに多くの公益法人が実施している既存の技術評価システムと競合しない分野で,学会独自の技術評価が狙いである.

1.5 倫理規定の制定

 公共事業批判,各種土木事業への反対運動,大学土木工学科の人気低迷などの危機感は,土木技術者への新たな倫理観の確立を目指すこととなった.1998年6月の理事会にて土木学会倫理規定制定委員会の設立が決定され,1999年5月の理事会にてその最終案が承認された.
 その規定の前文でも記述されているように,土木学会はつとに1938年「土木技術者の信条および実践要綱」(青山 士相互規約調査委員会委員長)を発表している.その当時,この種の規定を定めていた学会は無く,土木学会の先見の明と姿勢は誇るに足るといえよう.そもそも,今回の規定の直接の動機は,1997年の学会から「行政改革会議」(橋本龍太郎会長)への要望に基づいている.当時,同会議における議論において,土木事業および土木技術者の役割に,十分な認識を得ることを期待しての要望であった.その中で,学会としても,土木技術者が果たすべき社会的役割と土木技術者のあるべき姿について早急に取りまとめることを公約した経緯があった.
 1938年の「信条および要綱」においては,当時の社会情勢の反映もあり,「国運の進展」,「国家的」が人類の福祉増進とともに前面に出ている.今回の1999年の新規定においては,土木技術者の使命として,自然と人間の共生による環境の創造と保存を前面に出し,人類,地球環境への意識向上を願い,「国家」は規定全文から姿を消している.1938年に信条を高らかに宣言したにもかかわらず,会員への浸透はきわめて不十分であり,その存在さえ長く多くの会員から忘れ去られたことを反省し,新規定が会員のみならず全国土木技術者に周知され,その実践への努力が続けられることを強く期待する.
 倫理規定本文第1項にも明記されているように,「美しい国土」,「安全にして安心できる国土,豊かな国土」は,今後長くわれわれの技術の目標である.
 20世紀最後の年,2000年仙台の全国大会において「社会資本と土木技術に関する2000年仙台宣言-土木技術者の決意」が発表された.これは倫理規定を踏まえて,大変革期を迎えている現状にあって,社会資本整備のあり方などについて,より具体的に土木技術者の姿勢を自ら問うた内外への表明であった.

1.6 国際交流の急進展

 前述の技術推進機構設立の趣旨においても述べたように,土木界の国際交流関係は,この10年かってなく急速に進行した.1999年ヨーロッパ土木技術者評議会との協力協定締結をはじめ,各国土木学会もしくは工学会との協力協定も以下のように次々と締結された.すなわち,1997年フィリピン,98年メキシコ,99年中国,タイ,シンガポール,2000年バングラデシュ,2001年べトナム,パキスタン,トルコ,2002年モンゴル,マレーシア,香港,インド,2003年ネパールと,従来欧米との協定が主であったが,この10年間に,主としてアジア諸国との協力関係が進行したことは特筆に値する.
 日本はもとより,アジアの多くの国々は,土木技術,土木工学の進展を,それぞれ欧米の土木界との関係を深めることによってその実を挙げてきた.近代科学技術の発祥が,欧米,特に西欧であった事実に照らして,それは歴史的必然であった.しかし,元来土木技術は,基本的に自然を相手とする技術であり事業である.かつ土木の仕事は人類が共同生活を営んだ時点に始まり,きわめて歴史性に富む性格を持っている.
 アジア,特にモンスーンアジアの一角に位置し,アジアで真っ先に近代化即西欧化に成功し,その近代的インフラストラクチャーを確立したわが国土木界は,土木技術に因む歴史性,アジア・モンスーンに特有の地域性に根ざした土木技術を振興し,それを欧米先進国に発進する国際的義務を持っている.この10年間に前述のように,アジア諸国との関係を深めた点は画期的歩みである.
 1999年9月,アジア地域の土木学会の連合組織アジア土木学協会連合協議会(Asian Civil Engineering Coordinating Council:ACECC)が発足した.当初会員は米国,台湾,韓国,フィリピン,日本であった.ACECCの主な役割は,アジア土木技術国際会議(Civil Engineering Conference in Asian Region:CECAR)を継続的に開催し,アジア地域が抱える土木技術に関する諸問題を,多国間連携のもとに解決策を見出すことである.
 1998年第1回アジア土木技術国際会議が,米国,日本,フィリピンの3土木学会の共催によりマニラにおいて開かれた.この会議は,メキシコ,韓国,英国,スウェーデンなどの代表も参加した.第2回同会議は2001年日本,第3回が2004年韓国において開催され,アジアのインフラ整備と持続可能な発展へ向けた土木技術の貢献の在り方などが議論された.これはまた,わが土木学会の国際戦略展開の一環として位置付けられる.アジアにおけるわが国の土木技術水準の高さ,経済および教育水準の高さに鑑みて,アジアにおける日本土木界の役割は大きいにもかかわらず,日本のODAが集中しているアジアにおいてさえ,建設業は日米欧が20〜30%で並んでいるが,コンサルタントに至っては日本はわずか9%に過ぎないことを,後述の2000年レポートでも鋭く指摘している.
 世界の建設市場を眺めても,イギリスは英連邦を核に,米国はこのアジア土木技術国際会議にも発言権を持ち,各国間の熾烈な争いが展開している.そこで,日本のアジアにける歴史的,地政学的立場に立つ積極的役割が問われている.
 わが国での災害調査はもとより外国での大災害には土木学会は調査団を派遣し,派遣先で高く評価され,わが国の災害対策に貴重な参考となった.その主要な調査例は,1995年1月ライン川などヨーロッパ大水害,1999年8月トルコ・コジャエリ大地震(M7.4),1999年9月,台湾集集大地震(M7.3),2002年8月ドイツ,チェコのエルベ川大水害,2003年12月イラン・バム地震(M6.6)であった.

1.7 企画委員会を中心とする改革案

 土木学会では,いくたの危機に直面している現実を直視し,企画委員会,土木教育委員会などにおいて,課題の整理と打開方法などを積極的に討議検討し,重要な報告を発表してきた.
 2000年4月に発表された企画委員会「2000年レポート−土木界の課題と目指すべき方向−」(委員長:森地 茂(東京大学))は困難な現実を率直に分析し,土木界の改革,土木学会の役割を大胆に提案した報告として,大方の注目を浴びた.
 まず,土木界衰退の危機の現状と将来予測を以下のように考察している.すなわち,21世紀初頭以降,公共土木事業費は減少し,2025年には現状の6〜7割程度を覚悟し,土木系新卒者数は現状の年間約8000人の約6割の約5000人に徐々に減少させていく必要があるとしている.
 これら予測の前提として,1)今後ともわが国経済の低成長が続く,2)人口構造が今後大きく変化し,老年人口は2015年ころまで急速に増加し,その後横這いで推移するが,高齢化率は上昇し続け,2050年には32%に達し,世界有数の老人大国となる.一方,わが国総人口は2007年にピークに達し,その後わが国は初めて人口減少を経験する,3)高齢化の進行に伴い,社会保障負担を始め,国民負担が増大する.
 土木事業を取り巻く環境をこのように捉えて,同リポートは「土木界の改革−21世紀の社会変化への貢献−」として,公共事業への市場システムの導入拡大,優秀な人材の確保と有効活用,展望と魅力ある教育の実現,競争力ある研究開発体制の構築について,それぞれ具体的に提案をしている.これを貫く思潮は,土木界の最悪のシナリオはわが国の国家的課題となる可能性があり,現時点で土木界は早急に体質改善を図らなければならないと警告している.この改革案の「優秀な人材確保」への対策が前述の「技術推進機構」である.
 2003年5月,土木学会企画運営連絡会議(座長:御巫 清泰会長)は,「JSCE2005−土木学会の改革策−(社会への貢献と連携機能の充実)」を発表した.ここでは,「岐路に立つ土木と土木学会の新たな途」(1986年),「JSCE2000-土木学会の改革策」(1998年),それに前述の2000年レポートの実行状況を自己評価し,今後の対応策を示している.今日の土木工学の目標は,市民の意識や社会の問題を汲み上げ,それに基づいた社会資本サービスおよび空間利用に関する解決策の提供であるとの姿勢を表明している.そのためには社会・学会・会員の相互連携が必要であり,それを支えるコミュニケーション機能の強化を提案している.

1.8 新時代の土木技術者像

 土木技術者の在り方が問われている.かつては土木構造物や土木施設を安全に機能的に建設することが,土木技術者が備えるべき資質であり,そのための理論を開発するのが土木工学の主な目標であった.しかし,技術革新によって,土木構造物や施設が巨大化し,それが自然および社会環境に与える影響が複雑化してきたために,その予測と対策を含め,自然との共生のための技術開発が土木技術者の重要な目標となった.土木工学の目標もまた,そのための学問体系を構築することとなった.
 21世紀の土木技術者をめざす土木教育のあり方についても,土木学会は主として土木教育委員会が2001年に「新しい土木教育について」,2003年には,大学・大学院教育小委員会が2001〜2002年度活動報告書「20年後の土木教育者像に向けて−大学教育ナビゲーション−」を発表した.これらは,すでに紹介した2000年レポート,JSCE2005で提起された土木技術者像,土木教育論と連動している. 土木教育界の難問は,土木工学科の人気の低下によってほとんどの大学で土木工学科の名が消えたことに象徴される.わが国の土木技術者の社会的地位は,欧米に比しきわめて低いことに加えて,公共事業量の大幅低減,ダムや高速道路に代表される大型土木プロジェクトに対するマスメディアによる不評も加わって,一般社会の土木への無理解が教育研究機関の土木不人気を煽っている.大学生の学力低下が国家的話題となっているが,土木工学科学生の質の低下が特に著しくなければ幸いである.
 一方,土木技術者の目標の変化は,土木教育に従来とは異なる次元の資質育成が求められている.従来の構造物の設計能力,施工の技術と材料に対する学識が必要であることに変わり無いが,新たな土木技術としての自然共生,あるいは環境と開発の関係の考究が必要となっている.そのためには,自然に対する新たな技術哲学の構築が重要なテーマである.新しい課題に立ち向かう土木技術者の資質としては,地球人意識を持ったジェネラリストが必須の条件である.個々のプロジェクトを全地域の中で捉えること,自然界の中での土木に関わるプロジェクトの位置づけを歴史的に考察できる土木技術者が一人でも多く誕生すること,それを可能ならしめる土木教育が強く期待される.

 土木学会創立90周年を迎えた2004年は,学会創立者の一人であり,初代会長古市公威の生誕150年である.また日本の運命を決した日露戦争開戦100年であり,日本の近代土木技術が急成長の契機を掴み始めた年でもあった.それから100年の経過の中に土木界のこの転換の10年を冷静に省み,来るべき学会100周年へ向けての展望を築きたい.
 90年前,第1回学会総会において,古市公威は,「将ニ将タル人ヲ要スル場合ハ土木ニ於テ最多シトス」と気概ある会長講演を吐露した.土木技術者が,専門分化にこだわらず,総合力あるジェネラリストであれと強く期待したのであった.土木界が困難な転換期に立った今こそ,味わうべき講演である.
 「JSCE2005−土木学会の改革策−」などでの提案が,100周年記念までのこれからの10年間にどれだけ実行できるか否かに,将来の土木の盛衰がかかっている.困難な節目に立って,土木学会そして土木界は正念場を迎えている.

[高橋 裕]
参考文献

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