会長からのメッセージ

第96代会長 栢原 英郎
第96代会長
栢原 英郎

栢原会長は、「社会からの謙虚な受信と、社会への積極的な発言」を基本姿勢として学会運営に取り組まれています。そして、会長の思いを、会員、社会に伝えるため、土木学会誌に「会長からのメッセージ」のページが設けられています。ここでは、隔月で掲載されている「会長からのメッセージ」をお伝えします。


土木の魅力的な定義を考えよう

 既報(学会誌1月号)のとおり、2008年度「土木の日」の本部行事の一つとして行われたシンポジウム「匿名性からの脱却」では、土木学会らしく教育現場から工事の発注、さらには工事の展開にいたる幅の広い深みのある議論が展開された。
 土木の日の行事予定はひと月ほど前にマスコミへ説明するが、その説明会で記者から思いもかけぬ質問が飛び出した。シンポジウム「匿名性からの脱却」、会長提言「誰がこれを造ったのか」が狙いとしている、土木技術者が姿を現して責任の所在を社会へ明らかにすること、巨大な構造物に等身大の技術者の存在を感じて、自分もその道を歩みたいと若者が思うきっかけを作りたいという趣旨は理解できる。しかし、土木という名称では志望者が集まらないという理由から、国公立大学から「土木工学科」の名前が消え、私学でも数少なくなっていることをどう考えるのか。匿名性を助長しているのは土木学会、あるいはその関係者ではないか、という意見であった。
 名称の変更は繰り返し議論になる。議論になるということは、「土木」ではまずいと思うからであろう。しかし振り返ってみると、前提となる「土木とは何か」という説明ぶりについて議論したという記憶がない。われわれは疑うことなく「鉄道、道路や橋、ダムや堤防、港湾や空港などを造る技術」を土木技術として、土木についても同じように説明してきたのではないか。
 その通りだ、何が問題なのかという声が聞こえて来そうである。しかしこの説明では、印象に残るのは構造物であり、造ることである。作家の塩野七生さんがかつて土木学会で「橋や道路の造り方は教えるが、なぜ造るのかを考える教育をしていないのは問題」と語ったと聞いたが、上記の土木の説明振りも、最終的な目的については何も触れていない。
 東京工業大学のウェブサイトでは、土木工学を「私たちの社会が原始社会ではなく文明社会となるための工学であり、人間が生物上のヒトではなく、秩序ある暮らしを営む市民・公民となるための工学」と説明している。土木技術はインフラ整備の主力であるが、塩野さんは大作『ローマ人の物語』第X巻で「ローマ人はインフラを『人間が人間らしい生活をするために必要な大事業』と考えていた」と語っている。これをお借りすると土木技術とは、「人間が人間らしい生活をするために必要な環境を整えるための技術」ということになろう。
 土木の説明は一通りでは十分ではない。小中学生にどう説明するのか、自らの進路を決めようとしている高校生に対してはどのように説明するのか。今学んでいる大学生に対して、そしてもう構造物は十分と考えている多くの社会人に対してはどう説明するのか、相手ごとに適切で魅力的な土木の定義を考えることが今私たちに求められている。

土木学会誌 2009.3

炭酸ガス排出量を二分の一にする社会資本整備計画

 明けましておめでとうございます。
 社会資本整備やそれを担う官庁、建設業に対する逆風が一向に止まないままに、新年を迎えています。
 このような状況を修正したいと、昨年中、何人かのマスコミ関係者と意見の交換をしました。しかし、思わしい進展はありませんでした。某テレビ局で活躍中の若手女性記者の「今は何をいっても無駄です。社会資本整備が必要などという趣旨の記事は、社内を通らないのです」という言葉が全てを物語っているように思います。マスコミは自分たちで創り出した世論に今や逆に縛られ、身動きの出来ない状態にあるように思います。その中で、平成二一年度予算の編成に際して、景気後退に対処するため、特に疲弊している地方経済を立て直すために、総額がピーク時の半分にまで落ち込んでいる公共事業関係予算の削減の見直しが議論になったことは、一筋の光明を見る思いでした。
 国土という視点から考えたときに、現在のわが国は二つの大きな課題を持っているといえます。一つは平成二十年七月に閣議決定された「国土形成計画(全国計画)」が、計画部会からの報告に明らかにしていたように、「人口減少が国の衰退につながらない国土をつくる」ことですし、今一つは「地球温暖化を緩和するような国土とすること」です。  地球温暖化に対してはさまざまな議論がありましたが、一昨年のIPCC第四次評価報告書により、議論は終結したといわれています。ごく大雑把に結論をいえば、今世紀末までに気温は摂氏一・八度〜四・〇度上昇し、海面水位も一八〜五九センチメートル上昇する。台風の強度が増大し、我が国においては集中豪雨と干ばつのリスクが高まり、沿岸部では海面上昇と高潮の危険が増大するというのです。報告書には二〇〇〇年の時点で濃度が安定化しても、地球大気システムの「慣性」により気温上昇は引き続くという深刻な予測もありました。温暖化ガスの排出量を削減することは急務であり、我が国の国際的な約束でもあります。
 社会資本整備はなぜ必要か。これまでは「無駄な投資」という議論を受けて交通量や貨物量を推定し、その必要性を明らかにしようとしてきました。しかしそれすら、甘い推計、無駄な投資といった批判を受けています。今や、新しい価値観で説明することが求められています。そこで、炭酸ガス排出量を半減するための社会資本整備計画を策定し、これに基づいて事業の必要性を説明することが必要だと考えます。土木技術者が協力し、炭酸ガス排出量を二分の一にする計画を造るというのは如何でしょうか。これが私の初夢です。

土木学会誌 2009.1

謙虚な受信

 九月に仙台市で開催された平成二十年度の全国大会は、心くばりの行き届いた準備のおかげで、海外も含め全国の「土木技術者のきずな」をあらためて感じる機会となった。久保田支部長(実行委員長)をはじめとする東北支部の方々に、心から感謝を申し上げたい。
 今から四十年以上も前のことである。筆者が運輸省に勤務を始めて二年目、技官の多い港湾局から、技官はわずか二人という事務官の集団である海運局に異動となった。
 海運局は毎年「海運白書」を出す。異動して二年目に私も執筆者の一人となった。執筆者は局内検討会で原稿を読み上げ審査を受ける。私が読み終わった瞬間である。局長が「何だ、これは土方の日記だなァ」と声を挙げた。今や「土方」は不適切用語であるが、意味は現場の出面表のことで、古くは事実のみが書かれていて飾りのない文章をこう呼んだらしい。私の上司が「彼は土木技官ですから」とタオルを投げ入れてくれて爆笑となり、書き直しとなったが、港湾局や技官全員に申し訳ないことをしたと、猛烈な責任を感じた。
 このことがきっかけとなって、私は文章の書き方や説明の仕方を強く意識するようになった。そして要点は次の三つだという結論にたどり着いた。
 第一に、説明を聞いているのは私ではなく、別の価値観をもった人ということである。
 批判をする人が現れると事実を知らないのだと思い込んで詳しく説明をしようとする。異なった価値観に立って見ているから批判になるのだとは考えない。「何故こう言うのだろう?」と相手の立場になって考えてみなければ、相手との接点を見つけることはできない。
 第二に、相手に聞いてもらわなければ説明にならないということである。相手に聞こえる声で、簡潔に話すことが必須である。私の印象では五人に一人が「聞きとりにくい説明」をし、二人に一人が「時間に無頓着な説明」をしている。一分間の説明は相手の時間を一分間奪っているという気持ちがなければ、忙しい相手は心を開いてはくれない。
 第三に、理解されなければ説明にならないことである。小学生に大学の講義をする人はいない。アナウンサーが「タンカー」を「油輸送船」と言い換えるごとく、聞き言葉と書き言葉の差を意識し、また内容を相手の世界にあわせて如何に説明をするか、その工夫に説明者の能力が問われている。
 関西テレビの関純子アナウンサーが「伝える、ということ」と題して、「大切なことは伝える相手の立場や状況を思いやること」と語っている(『学士会会報』八七一号)。総会での会長就任挨拶や学会誌八月号の会長インタビューで「謙虚な受信と積極的な発信」と語ったところ、会員から「謙虚な受信については何もふれていない」とメールをいただいた。私が意味する謙虚な受信の一つは、「相手の立場に立って語れ」と言うことである。

土木学会誌 2008.11

語り継ごう

 学会誌に年数回、会長のページを作ってくださることになった。
 話しがあったときに、「良いですね」となぜ賛成したのか。
 会長の役割は、土木学会の伝統を正しく継承することであり、一方で時代の変化に合わせて学会の組織、活動などを変えてゆく、その舵取りをすることであろう。しかし、1年で会長が変わる意味を考えてみれば、これに加えて、土木の世界の様々な人々の考えや経験を、土木学会に活かすこともその意味ではないだろうか。さらに、多くの人が会員であることを意識するのは、私の経験からすれば土木学会誌を手にする瞬間だが、その時に、3万人を超えるこの巨大な組織の活動も、その背後には会長、理事、各種委員、事務局の人々など、「人」が存在しているのだということを感じて欲しいと願ったことも、会長が顔を出そうと思った理由の一つである。
 今回は、諸先輩からは尻青き者がとご叱声を受けること、若い会員からは昔語りは聞きたくないと嫌われることを覚悟の上で、私が土木を学び始めておよそ半世紀、その中で学んだ私の行動原則についてお話しすることにする。
 第一、好奇心、あるいは単純な疑問を持ち続けること。
 「国土観」という言葉に興味をもったことが、「交流促進型地域活性化モデル」という新しい地域開発モデルの発想に結びついた。また、設計外力を超える地震によって秋田港の施設がほぼ全壊した時に、一様の強さで施設を作ることに疑問を持ち、耐震強化岸壁の整備を思いついた。
 第二に、そうやって気づいたことを検証しておくこと。
 技術屋なのだからデータに当たり、普通の出来事か、特異なことか、検証しておくことが大切である。発見の喜びにも似た感激も味わうことができる。
 第三に、これらを積み重ねて自分の論理、ストーリーを作っておくこと。
 自分なりに論理を作っておかないと、変わった事象に応用ができない。
 第四に、リーダーとしての自覚を持つこと。
 どのようなポストにいようとも、地球に手をかけようとする土木技術者であれば、リーダーの自覚、正確に言えば正しい意味でのエリートの自覚が不可欠である。
 土木は経験工学であるといわれている。だから、先輩には、遠慮しないで経験を後輩に語る事をお願いしたいし、若い人も忙しく、かつ制約が多いかも知れないが、先輩の話に耳を傾けて欲しい。また、自分の経験をしっかり整理し、記憶して欲しい。いずれ、その経験に学ぶ後輩が現れるだろう。三年間、母校の大学院の教壇に立ったが、実務経験を聞くときの院生達の目の輝きを、今でも忘れることができない。

土木学会誌 2008.9

Last Updated:2015/06/12