Civil Engineering Design Prize 2001, JSCE
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選考結果 授賞作品/関係者リスト 選考委員 選考経過 総評
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総評
篠原修 篠原 修(東京大学教授)
景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会委員長
 審査結果を報告するに当たり、まず初めに応募して下さった42者(64作品)の方々にお礼を申し上げたい。土木学会初の試みである景観・デザイン賞に一体何名の方が応募してくれるのか、それが審査に携わった関係者一同の最大の心配事だったからである。又、デザインの伝統がある橋ばかりの応募になるのではないか、あるいは守備範囲の広い土木故に、思いもかけぬ作品が出てきたらどう対応しようかという事も心配だった。橋ばかりになってしまうのではせっかく景観・デザイン賞を設けた意味が薄れてしまう。
 蓋を開けてみれば我々の心配は杞憂だった。期待していたようには河川系が多くなかったものの、各分野にバランスのとれた応募となったからだ。さて今ここに最優秀賞5点、優秀賞12点を選定したわけであるが、審査を通じて明らかになった諸点-審査に当たって重視した点、議論の焦点となった事柄、今後の課題となった問題を紹介して諸兄の今後のデザイン活動の参考に供したいと思う。

[審査にあたって重視した点]
 何が土木のデザインと形成にとって重要か。この議論は応募作品の中から何を優秀賞に残すかの審査員相互のやりとりの過程でより明確になった。重要なのは、次の2点である。
1)デザインという行為に要求されるトータリティ(全体性)に目配りがなされているか。更に言えば目的に向って諸課題を巧みに統合化出来ているか(アーキテクチャー)
2)長い寿命と強靱な耐久性を要求される土木固有の要件を満たしているか(我々はあらかじめこの点を重要視していた為、建築やデザイン分野の授賞制度にはない竣工後2年以上という応募要件を付していた。
 1)の要件に欠けていた為ユニークさを有しながらも落さざるを得なかった代表例は以下のような作品である。構造の新規性にもかかわらず、造形、ディテールがおろそかになった橋、面白い形の提案はあるが利用者への配慮に欠けた橋、アイデアの豊富さは理解できるが、それらの多彩な形を洗練し収束させる姿勢に欠けたダム群。2)の要件を欠いていた為残念ながら落とさざるを得なかった代表例は、洪水(自然の営為)への対応が不充分で竣工当初の空間の魅力を失ってしまった河川整備であった。

[議論の焦点となった事柄と今後の課題]
1)インハウスエンジニアの役割、関与。一般的には仕事を受けたコンサルタントのエンジニア、デザイナーがデザインを担っている筈であるが、著作者財産権が発注者側に属している我国の現状では、インハウスエンジニアのデザインに対する裁量権は大きい。しかしその在任期間が極めて短い為(2〜3年)、誰がデザインの最終決定を行い、責任を持つのかがあいまいになっていると言わざるを得ない。在任期間が短く、担当者が変わる為、誰の名前を表に出すべきかで悩んでいる発注者も多いと聞く。インハウスエンジニアをデザインの中にどう位置づけるか、今後の課題である。

2)作品の良さはプランニングによる所も大きい。よい計画に乗っかれば、極論すると、凡庸なデザインでも良い成果は得られる。逆にいかにデザインが頑張っても計画が悪ければ良い作品とはなりにくい。最優秀賞となった「汽車道」はいわば得をした代表例である。賞というものは、作品を対象とする限り、出来上がった成果で評価する。これが今回の審査の、そして常識的な、考え方である。デザインとプランニングの関係をどう評価するか、これも今後の課題となろう。

3)事業の妥当性について。デザイン以前のそのプロジェクトが公共事業として果たして妥当であるか否かという点が議論となった(特に牛深ハイヤ橋や阿嘉大橋等)。しかし今回の審査ではそこまで遡ることはせず、デザインの評価でよしとした。これも作品が公共事業である為の今後の重要な問題である。
選考を終えて
大熊孝 時の経過に耐えられるデザインを!

大熊 孝(新潟大学教授)
 今回初めての景観デザイン賞ということで楽しく選考させてもらったが、河川工学と土木史を専門とする私には若干荷が重すぎるところがあった。今回の応募作品は全部で64件であったが、橋梁部門が圧倒的に多く、河川関係はごくわずかであった。橋梁の構造的な細部についてはやはり門外漢であり、細部の工夫などを十分に評価できなかったと反省している。
 その他の反省点として、応募件数のすべてを見ていないということがある。応募の約4分の1は幸い見たことがあったが、残りは写真やスライドだけからの判断であり、正直なところ悔いが残る。ただ、すべて見ることは財政的にも時間的にも無理であり、委員の複数人が見ていないものは、必ず複数人が直接現地視察して、他の委員に判断材料を提供することで選考したことを付言しておきたい。私も、1件は旅費付きで視察させてもらい、数件は他の用件での旅行の際についでに視察した。
 その視察の際は、選考対象物が周辺の自然環境や歴史的景観と時間経過とともにどのように調和しているかに注目したが、応募の添付写真が完成時点の物で、現在の状況と異なるものがあった点が気になった。今後は、応募時点での現況写真も義務づける必要があると考えた。そして、自然条件の変動、樹木などの成長、さらに素材の風化や汚れなどが影響するものにおいて、その時間的影響を設計時点でどのように予測し、どのように対処しようとしたかを説明してもらう必要性も感じた。特に、河川関係の場合は一度洪水が発生すると、河道が変化し、構造物などが埋没したり、洗掘を受けたりする。そうした条件変化にも十分考慮した景観・デザインであることが望まれるのである。
 最後に、土木構造物は公共物が多いため、個人名では応募し難いということを何度か耳にした。しかし、是非ともデザインへの貢献度を冷静に判断して、最も寄与した人々の名前で応募が1件でも増えることを期待して止まない。
北村眞一 制約条件と設計目標をどう考えたか

北村 眞一(山梨大学教授)
 土木構造物のデザインはいかに評価されるべきか。昔から「用強美」といわれてきたが、「用強」は明白だが、美なる概念は今日でも明確でない。しかし公共性を有する構造物が嗜好や趣味でデザインされて良いわけではない。永久構造物としてその場所に固定され、多くの利用者や住民の目に触れるもののあり方として、「場所の美学」「公共の美学」が求められる。昨今は公共事業の必要論から「要」なる概念も生まれつつあるが、むしろ地球環境保全や素材の循環すなわち「環」が問われる時代になった。つまり「要」は前提で「用強」が必然、「美環」との折り合いがデザインの要となる。今回の応募では美のデザインは多かったが、環のデザインが少なかったので、今後に期待したい。
 デザイン過程とは、企画(構想)、計画、設計、施工、供用、評価、解体、再資源化といった構造物管理の循環である。このサイクルを頭の隅に置きながら供用後のある時点で評価するのがデザイン賞だ。中でも特に重視したいのが、この循環のキーポイントとなる第一の視点は計画・設計の目標設定(コンセプト)である。目標は時代性と地域性から判断の妥当性や先進性を評価される。設計段階では、上位計画や前提となる計画段階での目標をどれだけ深く読みとれたかにかかっている。設計前の計画段階での成否がその次の設計段階を本来は左右するが、デザイナーの責任範囲を超えた条件をできるだけ除いて設計を評価する。第二の視点は設定された目標をどれだけ実現したかという完成度である。その目標その場に対してこのデザイン、形態やおさまり、素材の選択に感性を含めたデザイン力と創造力が総合的に問われるのだ。
 デザイン賞の審査に当たっては場所と時代と目標と実現の創造性と妥当性を厳しく見させていただいた。受賞作はいずれも基準を越えて納得できる魅力を持っていた。
榊原和彦 作品(と)の出会い

榊原和彦(大阪産業大学教授)
 私達が選んだものは何であったかを省みなければならない。丁度今朝の日経新聞に新宮晋氏のF.L.ライトの落水荘への評があった。『歴史に残る名建築は、施主、環境、建築家の奇跡的な出合いによって生まれた』と。そう、“幸運な出合い”に恵まれた作品ばかりではなかったろうか。もちろん、出合う者・もの達がそれぞれに優れていなければ幸せな出合いは成立しないのだから、選出作品に異存があるわけではない。そうではなくて、選に洩れた作品の中に、不運にも条件に恵まれなかったばかりに、というものがなかったかどうか。もしそうなら、地道な努力を続ける人達をディスカレッジすることになってしまう。
 たとえば、私が強く推した、仮設のペデストリアン・デッキがあった。私は、優れたデザインと見たが、構造的安全性への疑義が出された(私にはそうであるものが公共物として実際に建設されることはないと思えるが)と共に、アピールするところが少なかったせいである。しかし、仮設という条件のものに多くを求める方が無理ではないか。ただ渡るためだけに在り、野の小径のように、何もない造成地を貫く。歩を進めるたびに板敷きの床面は音を立てる。華はない。それでよいではないか。それこそ土木の一つの本質だろう。そこには、徒に華美に走る土木への警告があり、永続を半ば義務づけられている土木への問題提起があった。仮設としてしか存在してはならない土木があることを考えていた私の意を得るものであった。
 一方で、私は、少しく矛盾を感じながらも、一つの優れた河川空間デザインに異を唱えた。応募写真の風景は、不幸にも高水に合い、今はすっかり変わってしまっているというのである。私は、変化することもインスタレーションとしての土木さえも否定しないが、意図せぬ結果を招来してしまったものを推すことはできない。印象に残るこの2作品の他にも言うべきことはあるが、今は譲りたい。次回、問題提起に富み、今という時代状況を反映しつつ将来への展望を切り開くような作品を期待したい。
佐々木葉 作品に込められたエネルギーの総和

佐々木葉(日本福祉大学助教授)
 この賞の企画の段階からお手伝いをし、事務局として関わるつもりだったところ、女性もいた方がいいのではないか、などという妙なご配慮をいただき、審査員の一人となった。しかし女性の目などというものは、私の場合ほとんど意味をなしていないと思う。ではどういう目で審査をしたかといえば、作品を通して直感的に感じ取ることができる、関わった人々の情熱と心根と腕の冴え、である。それは20年来の私の仕事の原点でもある「景観はそれを通した人と人とのコミュニケーション」という捉え方による。だからといって、優れた作品やその作者に盲目的に恋をするわけではない。ここは好きだけれどここはいや、というわがままを押し通して審査をさせていただいた。蓼食う虫も好き好きということもある。審査の結果は一つの解釈とご理解いただいて、これをきっかけに、この作品のここはどうだ、あそこはどうだといった議論を期待したい。と言いつつも、熱く激しい議論を終えて出された結果を今冷静に眺めれば、受賞作品には、ある一定以上のエネルギーの総和があると思う。小人数の卓越したエネルギーであったり、多人数の継続的なエネルギーであったりする。最優秀賞はその総和が一段と大きいものといえよう。その評価構造を定式化しようなどという野暮なことはせず、個々の作品からひとつひとつ学んでいきたい。
 最後に、賞というものはその結果云々よりも、実は応募や審査をするものが、一番得るものが大きいと思った。応募の書類を整えることは、改めて自分の仕事の価値を深く考えることになり、そうやってぶつけられた数多のエネルギーの塊と格闘する審査とは、自らの価値観がぐらつかぬようにふんばりながら、しなやかに腕を伸ばして世界を広げねばならない。審査のために現地に足を運ぶことは、大変に勉強になる。それゆえに、貴方もぜひ、応募者に、そして審査員としてこの賞に参加していただきたい。次回は私も応募者になろうと思う。
杉山和雄 さらに多くの作品の応募を!

杉山和雄(千葉大学教授)
 土木学会デザイン賞をスタートさせるに当たり、どの位の応募数があるかは大いに気にかかるところであったが、64点の応募があり関係者一同安堵している。最優秀賞、優秀賞に選ばれた作品はいずれも日本を代表する空間や構造物の一つである。受賞された方々のご苦労とデザイン知の駆使・活用に対し、賛辞を送りたい。ただ、応募数については、土木の幅の広さを考えるとまだまだ少ないと感じている。ことに今回、河川とかダムの応募が少なかったように思われる。次回には是非多数の応募を期待したい。
 その応募について気になる話しを数カ所から聞いた。それは、役所側の人名が出しにくいので応募をとりやめたというのである。本質は「空間や構造物の形態を発想し、あるいは全体形態を一つにまとめあげるに際して主体的に貢献した人にも敬意を表したい」ということで、5名程度までの中心的な役割を担った方々のお名前を記載していただくことにしているが、役所側の個人名は出しにくいというのである。おそらく土木構築物のデザイン・設計に関しては、組織として責任を負っているからというのが主たる理由であろう。これはある程度予想していたことではある。しかし、デザイン賞の主旨をご理解頂き、それを調整して頂けるものと思っていた。ところが意に反して、応募をとりやめたという話しを聞くと、主旨を浸透させるためにも、当面、人にも敬意を表したいという主旨と組織として責任を負っているという両面を並列させる必要があるように思われる。応募していただいた中にも、「これは、デザインもさることながら、発注者側のプランニングの良さに負うところが大きい」と思われるものがあったが、応募者名にそうした方々が含まれていない例もあった。組織として責任を負っているというのが理由であるなら、その組織を個人名と共に顕彰するというのも一法であろう。
 施工者の名前が少なかったのも気になる点である。たしかに施工者が着手する時点ではほとんどの設計は終わっていることが多いであろうが、「全体形態を一つにまとめあげるに際して主体的に貢献した」例も少なからず多いのではないだろうか。次回からの応募を期待したい。
田村幸久 まずは応募を!!

田村幸久(大日本コンサルタント株式会社専務取締役)
 景観・デザイン賞準備小委員会から係わって1年2ヶ月、当初のもくろみは、土木のデザインに関し個人に光を当てることであったが、予想外にというか予想通りというべきか、結構大変な14ヶ月であった。以下は、その感想と反省である。
 まず、これは最も根源的課題であるが、いうまでもなく今回のデザイン賞は「景観・デザイン委員会」の賞であるため、景観・デザインの意味を選考過程の中でどのように捉え、結果として示すことが出来たかという点である。いいかえれば、作品単独ではなく、周囲の地形や環境と一体となった、関係の新しい土木のデザインの規範を示すという事であるが、そのような作品を選定することの難しさを痛感させられた。応募作品の中からという限られた範囲から選ばざるを得ないこと(もっと良い作品があると思っても応募してくれていなければ選べない)、時代の古い作品は、どのように評価すればよいのか(その当時としては画期的であっても、今では普通という様なデザインをどう評価するか)。また、橋梁などは、つい橋単体のデザインに目が行ってしまい、周辺との関係を忘れがちとなる。など、悩ましい中で精一杯努めたが、どこまで出来ただろうか。現場に立って見て作品を確認することの大切さ、若い人を元気づけるような小さくてもキラリと光る作品がもっと出てきて欲しかった事など、様々な思いを感じつつの14ヶ月は私にとっても良い勉強になった。なお、応募段階で、発注者(主に官側)の理解が得られなくて、応募を断念したものがいくつかあったと聞いているが、まことに残念な事であり、発注者側の意識の向上と幅広い理解を要請したい。
 色々反省点は多いが、初めてのことなので大目に見ていただき、次回に向けて改善して行きたいと考えている。
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