関東の土木遺産 関東の土木遺産
土木遺産の概要 施設位置図 施設一覧
   
栃木県/日光市
ところのだいいちはつでんしょとやまがはらしゅすいしせつ
所野第一発電所 外山原取水施設
平成25年度認定(2013年)
①外山原取水堰堤・排砂門(自然石乱積・切石布積)③社名・起工年・竣工年が陰刻された銘板
外山原取水堰堤・排砂門(自然石乱積・切石布積) 社名・起工年・竣工年が陰刻された銘板
②鳴沢川取水口(煉瓦造)④導水路(煉瓦造)
鳴沢川取水口(煉瓦造) 導水路(煉瓦造)
⑤旧水圧鉄管固定台跡(煉瓦造)⑥水路橋(煉瓦造)
旧水圧鉄管固定台跡(煉瓦造) 水路橋(煉瓦造)
【施設の概要】
所野第一発電所外山原取水施設は、栃木県鹿沼市に本社を置いた下野製麻鰍ノより、1897(明治30)年3月に日光市所野の製麻第二工場の建設に合わせその動力源設備として建設された。製麻工場では、当初150kwペルトン水車4台が設置され、工場の動力源として、その後、ペルトン水車1台に出力40 kwの発電機が取り付けられ、工場内の照明用電灯も賄っている。このように、本施設は自家工場の付属施設として稼働をはじめたが、1907(明治40)年に下野製麻鰍ゥら社名変更した帝国繊維鰍ェ余剰電力を鹿沼水力電気鰍ノ売却し、1917(大正6)年の株主総会において自家用発電事業から電気供給事業へと経営方針を転換、1919(大正8)年に発電部門が日光発電所として独立したことにより日光発電所の管理となった。その後、1924(大正13)年9月帝国電灯鰍ノ譲渡、1926(大正15)年東京電灯梶A1942(昭和17)年の配電統合令を受けて関東配電梶Aさらに1951(昭和26)年5月より東京電力鰍フ管理となり現在に至っている。
本施設は、外山原取水堰堤・排砂門(写真①)、鳴沢川取水口(写真②)および導水路(写真④)、木戸ヶ沢水路橋(写真⑥)、および旧水圧鉄管固定台跡(写真⑤)から成り、また、鳴沢川取水口の近傍には、社名“下野製麻株式会社”および“起工年”・“竣工年”が陰刻された銘板も残っている(写真③)。
外山原取水堰堤・排砂門は、利根川水系大谷川の支川である赤沢川に建設された重力式練石積堰堤であり、自然石を乱積みにした高さ3.73m・長さ26.7mの練積コンクリート堰堤と布積にした切石の排砂門2連から成る。鳴沢川取水口と導水路および水路橋はいずれも煉瓦構造物であり、また、操業当初の旧水圧鉄管固定台も煉瓦造である。これら一連の施設群は、わが国において現存する現役最古の発電用堰堤とその関連する施設であり、また、保存状態も極めて良好である。
これらの施設が日光市所野に建造された背景には、軍需物資としての麻製品需要の時代要請が高かったことに加え、日光市は大麻産地に近いこと、さらに急流且つ水量豊富な大谷川を擁する等、その立地条件が適していたことがあげられる。またその工法は、当時の牽引器具である神楽桟(カグラサン)やトロッコによる運搬等、人力が主体であったことが伝えられている。
わが国最初期の水力発電施設である所野第一発電所外山原取水施設は、その地理的特性を背景として建造され、近代黎明期における水力発電システムの様相とともに、時間流砂の深みが息づく貴重な土木遺産であり、また、当時の拙い道具を駆使して地域の近代化に取り組んだ先人たちの、地域開発への熱意と心意気を伝える土木遺産でもある。
【施設の諸元】
①外山原取水堰堤・排砂門 :練積コンクリート堰堤(自然石乱積、切石布積)高3.73m・長26.70m
②鳴沢川取水口および導水路 :煉瓦造
③木戸ヶ沢水路橋(外山原水路橋) :煉瓦造、高5.84m・長16.36m・幅4.425m
④旧水圧鉄管固定台跡 :煉瓦造
前を見る 前を見る 次を見る 次を見る
Copyright (c)2004 jsce-kanto All Rights Reserved.