Civil Engineering Design Prize 2006, JSCE
土木学会デザイン賞総合案内
選考結果 授賞作品/関係者リスト 総評 選考委員 選考経過
作品選集の販売について 授賞記念品の販売について
序文
「異色作?新たな価値観?」

篠原 修(政策研究大学院大学 教授)
景観・デザイン委員会委員長
 2006年度の最優秀賞には異色作が並んだ。デザイン批評の常套句である端正な形、居心地のよい空間、迫力のある造形などという言葉では捉えきれないものが受賞したからである。それも各々が異なるベクトルを持つものとして。
 内藤廣設計の「牧野富太郎記念館」は普通に言えば建築の作品である。事実建築として建築の賞を受賞している。しかしその本領は単体としての建築にあるのではなく、五台山という山の地形と又建築周囲の樹林と、更には中庭に置かれた植物群と一体となった空間の創出にあるのだと思う。構造物としての建築ではなく、自然と混然一体となった空間にこそ、まぎれもなく未来の建築の在り方があるのだという明快なメッセージがそこにはある。そしてそれは、地形や植生と共に在って初めて完成するという日本の伝統的建築観への回帰であると見えなくもない。
 「小布施のまちづくり」は建築家宮本忠長と小布施堂を中心とする地元の人々、それに行政が加わった長年にわたる地道なまちづくりの成果である。まちづくりという仕事が一朝一夕にはならないこと、又そこには様々な主体の参画が不可欠であることを教えてくれる。テーマパーク型のまちづくりが何故に一過性のものに終わってしまうのか、持続性を持ちうるためには何が必要なのかを考えさせる好例となっている。一言余分なことを付け加えると、このような地道な努力に対して建築、都市系の賞が何故与えられなかったのか、不思議である。
 「木野部海岸」は、これがデザインですかという向きも多いのではないかと思う。普通に言う美しさや独創的な形とは無縁に見えるからである。しかしこれが評価されたのは、本来の海岸の風景とはこういうものだったのだ、ということを思い出させる力を持っているからであろう。技を競い、新奇に走る現代の潮流に見事に楔を打ち込んだ作品であると言えよう。但し相手は自然の中で最も手ごわい海である。この作品が10年20年後にも持続力を持ち得るのかを見守る必要があろう。
 冒頭に異色作が並んだと書いた。しかし、世の行く末を冷静に読み解こうとすれば、これらの作品は、各々が方向を異にするとは言え、近い将来の常識ではないのかと考えることも出来る。つまり橋の形が美しく、水辺が快適なのは必要条件であって、決して賞に値する十分条件ではないのだと。単なる美しさ、快適さや技術力のみでは土木学会のデザイン賞としては不十分なのだとも。
 優秀賞に入った作品、勝山橋芝川高架橋茂漁川長崎水辺の森公園みなとみらい線は、各々が個性と特徴を持った優れた作品である。だがここまで述べてきたように、土木のデザインが向うべき方向に関する思想性が、最優秀の3作品に較べて弱かったのだと思う。天野光一委員長以下の選考委員がその点を鋭く見抜いていたのだと推察する。
 ここに述べた評価の力点のシフトはここ2、3年で次第に顕在化してきた傾向でもある。デザイン作品の評価を通じて、土木学会景観・デザイン委員会は新たな価値観を獲得しつつあるのかも知れない。作品の評価を通じて審査する側が前進する。その前進した評価眼がデザインする側の前進を促す。そのような好ましい関係の歯車が廻り始めている。それを予感した2006年の受賞作品群であった。
総評
杉山和雄 天野光一(日本大学理工学部社会交通工学科 教授)
景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会委員長
 本年は30作品の応募があった。内、重複が1件、評価をもう少し後で受けたほうが良いという理由などによる辞退が5件、本年からはじめた先行応募(本年応募し竣工2年後に選考を受けるという本年から始めた応募制度)が2件であり、結果的に本年の選考対象になった作品は22であった。本年から土木学会員以外からの応募も受け付け始めたが、複数の応募があり、土木学会以外での本デザイン賞の周知も図られつつあるといってよい。22作品の内訳をみると、複合的な対象もあるので必ずしも十分ではないが割り切って分類すると、橋梁(高架橋を含む)7件、広場(駅前等を含む)6件、公園3件、駅および鉄道構造物2件、都市2件、海岸1件、河川1件であった。橋梁の応募が多かったわけではあるが、デザインの対象となりやすい、橋梁、高架のデザインですら、風景を強く配慮したものが増えているといってよい。
 今回のデザイン賞の作品募集時に小生が「土木デザインは、・・中略・・まさに風景を創造することであり、単なる“もの”のデザインではない。例え設計対象が具体的土木構造物であっても、周辺の景観が存在し、そこに挿入される土木構造物が存在し、それらを総合した風景こそが土木デザインの対象であり、風景デザインこそが土木デザインである」と記述したが、まさにデザイン賞の応募作品や受賞作品の内容が、いわゆる「デザイン」から「土木デザイン」、「景観・デザイン」への変容しつつあるように思える。この傾向は、受賞作品だけを見ていただいても了解されよう。個別の受賞作品の詳細な講評については後に譲るが、例えば、最優秀賞の木野部海岸は、ちょっと見ればただの海岸風景のようにも見えるし、小布施も魅力的な町ではあるもののデザイナーの存在が大きく感じられるようなものではない。
 しかしながら、風景をデザインするような構造物のデザインはなかなか難しい。風景を重視したある作品では、風景として眺めたときの評価は低いものではなかったが、細部の意匠的な配慮がかえって評価を下げた。デザイン賞選考の議論としては難しい点ではあるが、意匠的な挑戦が感じられる作品の場合のデザイン上の「きず」と、風景に配慮し目立たないようにデザインした場合の「きず」では後者の場合のほうが評価に及ぼす影響が大きい。ある意味ではデザインを感じないような作品のほうがデザインは難しいともいえよう。また、景観配慮上の定石をきちんと守ったような作品もあった。その努力は十分に賞賛されてしかるべきであるが、「デザイン賞」ではないという結論に至った。やはり、何かひとつでも「抜き出ている部分」が受賞には必要なのであると考える。
 また、今回デザイン時の責任ではなくその後の補修で落選した作品があった。補修時に景観的な配慮がなかったゆえに、設計としては十分に優秀ではあるものの、現実に目にできる景観として「きず」が大きすぎたのである。出来上がった作品を長期間にわたって使い続けていく以上、維持、管理、補修時の景観的な配慮の重要性はますます増加すると考える。デザイン賞選考の過程だけで議論できる問題ではないが、今後景観・デザインを語る中で、十分に考えていく必要のある問題であると感じた。
 最後に、本年4月より、過去5年間の受賞作品の学会誌への連載を始めた。過去の受賞作品を紹介し、学会員諸氏にデザイン賞の存在と内容をPRすることによって、わが国における「土木デザイン」の質が向上し、かつ賞に対する応募や推薦が増加することを期待している。
選考を終えて
石川忠晴 選考を終えて

江川直樹(関西大学環境都市工学部建築学科教授)
本年度より審査に参加させていただいた。私は、集住環境のデザインを主な専門領域としているが、環境の骨格となるインフラストラクチュアとそれを取り巻く建築群等によって構成される集住環境のデザインは、日本の風景を語る現場においてきわめて重要な領域であり、従来の建築分野を超える視点の広さを持って、今後の土木学会デザイン賞のひとつの領域として定着してほしい。集住環境のデザインは、まさしく“もの”と“もの”との間、空間のデザインが重要である。どこに、なにもないヴォイドな空間を配し、その空間を介して、人々の視線の先に何が見えるのか、全体としてどのような風景となるのか、そこでどのような生活シーンが展開されるのか、といった空間配分のデザインが第一に重要なのである。そのうえで、フランク・ロイド・ライトが言うように、「空間は素材と素材の間にある」のである。見える景観としての質だけでなく、空間そのものの質が問われる領域なのである。日本の住宅地の風景の乱れが指摘されて久しく、あやまった方向(表層にのみこだわったデザインや、市場主義経済偏重のデザイン、空間の意味を考えないデザイン等)に走る傾向のあるなかで、本年度の最優秀賞として、「小布施のまちづくり、整備」が選ばれたことは本賞の社会性を高める意味からも、大いに評価したい。
一方で、美しかった日本の自然の風景もまた、近代化の誤った流れの中で、乱れることおびただしい。土木の優秀な技術は、美しい風景を壊すことなく高められ、自然のなかで適用されねばならない。土木のデザインは、そういった視点もまた重要だ。放っておいたらどんどん進行する風景の喪失に歯止めをかける技術とデザインが求められている。デザインという行為は、技術と表裏一体をなす行為なのである。最優秀賞の他の2作品は、このような視点から、優れて社会的なデザインとなりえた例であると評価する。
石橋忠良 風景の資質

小野寺康 (小野寺康都市設計事務所代表取締役)
土木学会デザイン賞の結果はそれ自体が社会的メッセージであり、またそうあるべきというのは、当然過ぎるくらいのことに思っていたが、今回選考委員として臨席してみてはじめて生々しくそのことを実感した。そして、その結果を出さなければならないという重圧を、応募作品のレベルの高さが救ってくれた。総じてフェアな評価ができたと思うし、結果にとても満足している。社会資産となるべき構造物のあり方として、メッセージ性の高い作品がバリエーション豊かに揃ったと考えている。とくに木野部海岸を最優秀にできた選考チームの眼力を誇りに思いたい。創り込むことがデザインではない。社会基盤を創出する「土木」という分野の方向を示す、印象深い授賞になったと思う。単体建築物に最優秀賞を与えられたことも画期的だった。デザイン賞は建築の応募も受け付けているという内部認識があったが、あらためて応募要領を確認すると、本賞の対象には、道路・街路・広場・公園・駅舎・河川・海岸・港湾・空港等の公共空間をはじめ、橋梁・堰堤・水門・閘門・堤防・護岸等の構造物などが含まれますとなっており、単体の建築物が受賞する具体的なイメージがそもそも「土木」になかったという、当然の事実に思い至った。だからこそ牧野富太郎記念館の授賞には意義がある。「など」に含めるのではなく、今後はIDや造園といった他分野からの応募も明確に募るべきだと思う。
全ての授賞作品は、「風景」へのまなざしの中で、他と一線を越えた資質を有している。そして最優秀と優秀賞の違いは何かというと、優秀賞に何かが欠けていたというのではなく、最優秀にはさらに突出した何かがあったという印象だ。その何かとは、決してカタチではなく、社会と共有する意味性、その価値だったと思う。今回の審査は、まさにそのことにおいて私自身にとっても、デザインのあり方を内省する貴重な機会を与えてくれた。
加藤源 新たな風景づくりをめざして

佐々木政雄(株式会社アトリエ74建築都市計画研究所代表取締役)
年々様々な分野からの応募作品が増え、今年度も多元的な視点から真摯で白熱した議論がなされてきましたが、当デザイン賞の作品に私が期待するところは、「地域の自然的・文化的・歴史的資産を充分に読み取って、後世に残る新たな風景をつくる」視点です。高度な技術的アプローチをもち、関係する複雑な関係者を調整し合意を図る形成プロセスを経て出来上がった空間の心地良さを、最良と考えています。
今回、講評を担当した2作品“牧野富太郎記念館”と“小布施のまちづくり”は、建築分野として応募されたもので、それぞれ講評に述べましたが、当デザイン賞の今後の新たな分野を展望する、新たな風景作りと言っていいと思います。牧野は「地力」(大地の力)と共生し、過酷な自然条件を高度なハードテクニカルアプローチに裏付けされた建築造形と周辺環境整備が見事に融合し、植物学者牧野富太郎と五台山という地域性が十分に表象されている点が秀逸です。
また、小布施はおそらく30年前には全国でどこにでもあったであろう地方小都市の普通の風景を、地域の新たな資産として見直し、評価し、関係する人々がすべて納得し合意する仕組みづくりと実践が行われてきました。急がずゆっくりとその土地の持つ資源を大事に育てつくり上げた、小布施の未来に残る新たな風景として創造された点が高く賞賛されます。
同様に木野部海岸も、地域のもつ伝統的な技術的手法を採用することにより、心やすらぐ、新たな風景を作り出している点が評価されます。その他入賞した茂漁川、長崎水辺の森公園も同様に高い評価がされます。
受賞作品の全体を通じて感じることは、ソフト・ハードのテクニカルアプローチを裏付けとしながら、新たな風景として何を創造しようとしたのか、受賞者の強いメッセージが伝わって、理屈抜きの心地よい新たな風景が創造されたと思う。
今後の土木デザイン賞は、まさにこのような視点で、新たな分野にふみだしたのではないでしょうか。
川崎雅史 選考を終えて

島谷幸宏(九州大学大学院工学研究院教授)
2年間、川や海を中心に審査を行ってきたが、高く評価される水辺のデザインにはいくつかの共通点がある。
まずは空間の確保である。川や海は自然の力によって形作られている。したがって、自然の営みを許容しうるだけの空間が確保出来れば、それだけ構造物の強度を落とすことができ、デザインにも幅が広がる。河川で言えば、川幅を広く確保できれば、洪水時の流速を落とすことが出でき、軽微な護岸ですますことが出来るし、河岸から堤内地の距離が遠ければ侵食に対する備えも必要なくなる。そうすることによって、デザインの自由度がぐっとあがる。計画の当初からなるべく広い空間を確保しようと努力した作品ほど結果的に良いデザインとなっている。
次に変化の許容である。自然の営みが常に見られる水辺では作ったままの形を維持することは基本的に困難である。いや形が変形することにより自然の造作が現れ、変化が生じ、美しい風景が展開される。変化を許容し、それを織り込んでいるデザインこそが水辺のデザインの真髄であるといっても言い過ぎではない。自然の営みを許容したデザインは、生物にとっても都合が良い。自然の営みに適応してきた生物の生息にとって、自然の営みが確保されることは生息場の確保につながるからである。変化を許容したデザインとなっているかどうかは、デザインの質に根本的な差をもたらしている。
次に生態系に配慮したデザインであること。今や水辺のデザインで生態系に配慮しないデザインはありえない。水辺に生息する多くの生物が絶滅危惧種であることを十分に認識し、生態系にも注意深い配慮が必要である。
最後に住民の参画である。水辺は公共の空間であり、風景は形作ってゆくものであり、その主役は自然とそこに生活する人々である。空間の履歴を把握する上でも、住民の参画は重要である。地域の住民はその場所が歴史的に持っている意味を、無意識であるにせよ何らかの形で継承しているからである。公共空間の風景は一旦、デザイナーや設計者の手を離れると彼らにはどうすることも出来ない。地域で守っていくしかないのである。そういった意味でも水辺の風景形成に住民の参画は必須である。
これらの全てを満たしていたのが木野部海岸であろう。わたしはこの海岸に水辺の風景のあり方の基本を見た。
齋藤潮 デザイン審査は初体験

西川和廣(国土交通省国土技術政策総合研究所研究総務官)
土木学会デザイン賞の対象分野は広い。それらをほんとうに一つの俎上に並べて比べられるものなのか疑問だった。しかし、それぞれの候補作品を見て行くにしたがって、何か伝わってくるものが感じられるようになり疑問は解けた。また、それらには設計者が語りかけてくるものと、作品そのものが語りかけてくるものがあることもわかった。創り上げられたものと、産み落とされたものとの差なのだろうか。どちらが優れているかは一概に決められないが、時を経て育ってゆくのが見て取れる作品が複数あり、個人的にはより心を動かされた。
維持管理のあり方について考えさせる、対照的なふたつの事例があった。一つは最小限の維持管理は行われているものの、経済的な制約から美しい外観を保つというレベルには到達していないもの、今ひとつは供用後新たに必要となった安全基準に対応するため、せっかくの外観を全く顧みない対策工を施されたものである。一つは賞の対象とされ、一つは選からもれることになった。管理者が作品を育てることがあり、逆に破壊することもあるという現実である。
応募作品は、橋のようないわば単体のデザインから、スケールの大きな総合的なプロデュースにかかるものにシフトしているように感じられた。これ自体は良い傾向だと思う。しかし、一貫したデザインの感性でまとめることの難しさも見え隠れしており、乗り越えなければならない制度上の課題を再確認せざるを得なかった。
長年、橋梁技術に携わってきたが、デザインそのものを審査するには初めての経験である。構造物の美しさに興味がないわけではないが、デザインあるいは景観の領域にかかわることは、職務上意識的に避けてきたところがある。それは数値化など客観的な評価が成り立たない領域に踏み込むことへの躊躇であったのかもしれない。これを機会に、自分の感性を物差しにすることを意識してみようと思う。
内藤廣 時間に委ねられたデザイン

樋口明彦(九州大学大学院工学研究院助教授)
土木構造物は総じて寿命が長いものです。与えられた役割を数百年にわたって寡黙に果たしつづけるものも少なくありません。そしてそうした構造物の中には、当初は真新しすぎて周囲とうまく馴染めなかったのに歳月を経る中で「時の重み」のようなものを身にまとい味わいのあるすがたへと少しずつ表情を変えていくものも、小数ですが存在します。今回受賞された作品の過半は、20年後、30年後、ひょっとしたら百年後に、そうした熟成された風景となっている姿を期待させてくれるものです。これらの作品には、作り手側の意図としてその構造物が経るであろう長い長い時間の流れの役割がプログラムされている、と私には感じられるのです。
茂漁川長崎水辺の森公園はこれから風景が育っていくことをシナリオに織り込み済みの作品です。木々の成長、石の風化や馴染み等にあわせて、訪れるたびに味わいを増していくにちがいありません。牧野富太郎記念館にも同様の作者の洞察を十分に読み取ることができます。
木野部海岸は、エンジニアが岩という自然の材料を、単に修景材料としてではなく海岸工学と生態学の視点から採用したところまでが主な受賞理由ですが、個人的には、コンクリートブロックを用いずに岩を選んだことで、北の荒波のなかでもまれつつどのような海岸風景に落ち着いていくのかに大変興味があります。
この作品集をごらんになる皆様も、掲載されたすばらしい作品達の中に仕組まれた時間に委ねられたデザインのプログラムを読み取っていただけたらと思います。
内藤廣 国のインフラにこそ美しいデザインを

宮沢 功(株式会社 GK設計 取締役相談役)
今年で3回目だが毎年新しい視点、新しい課題が提示され私自身、様々な勉強になり楽しませてもらっています。最初もそうでしたが、回を重ねた今年も、土木学会デザイン賞の選考の難しさを実感しています。遠景からの視点で評価することの多い橋梁、人が触れるヒューマンスケールでの評価が大切な公園・歩道橋などの都市施設、個人の技量が反映しやすいプロジェクト、多くの人のコラボレーションが作品の良し悪しを決めるもの、何年にもわたる事業の継続が結果を左右するもの、土木技術者や設計者の領域でない組織や政治的な判断が影響するプロジェクト等々、こんなに多くの、前提条件が異なる作品を選考することは本当に出来るのだろうか?と、思いつつも、やはり結果がすべてだと自分に言い聞かせて今年も選考に参加しました。
今年もいくつかの橋梁が応募されていましたが、特に道路橋や鉄道橋などの連続構造物に良い作品が少なく残念に思いました。国のインフラを形成するこれらの大型構造物は、必然的に自然の海岸線や田園風景、緑豊かな山間部に位置します。規模が大きいためにコストや効率が優先されることも理解できますが、機能としてのインフラは結果、景観としてのインフラを構成することを忘れてはいけないでしょう。土木景観を50年、100年のスパンで考えなければならないということは、そのものの機能、耐久性はもとより、その景観・環境が、そこで生活する人々の心にどのように反映するか、その人の人間形成に景観がどのように影響するのかを考える必要があります。そのためには土木構築物の景観デザイン的質の価値が、日本人の心の豊かさを形成する社会的な資産であるという社会的認識を明確にする必要があります。又、10年以上にわたって進められる様なプロジェクトでは、時代背景やその時々の条件により、結果として景観の連続性を確保する難しさをどのように評価するか、今後の課題は多くありそうです。
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