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土木史研究とは
 土木史研究について、土木史フォーラムが発行された1995年以来、議論されてきました。そこでフォーラムに掲載された土木史研究に関する意見を抜粋し、土木史研究に対する考え方の変遷、土木史研究は何を目指し、どこへいくのか、また、土木史教育をどのように実践していくべきか、という問いについて考えてみたいと思います。これは、土木史フォーラムの貴重な財産を活用することにもつながります。興味を持たれた方は、土木史フォーラムのバックナンバーをご覧ください。なお、ここにご紹介したフォーラムの文章は、一部加筆修正をさせて頂いております。
広報小委員長 鈴木 圭


●「令和時代と土木史委員会の始まりに際して思うこと」No.51・52、知野泰明 土木史委員会委員長、2020
 改元の年も広範な大水害による傷跡を、大地と人々の心に残して終わろうとしている。千曲川の破堤氾濫は、状況からみて江戸中期の寛保2年(1741)の大洪水に匹敵するという指摘があった。確かに、近年、全国各地で水害が続き、気候変動の影響といわれれば、経年グラフを見ずともその様に感ずる事象が繰り返されつつある。
 10月の台風19号では、勤め 先も水害被害に遭った。郡山より上下流の阿武隈川が12日(土)深夜に満水状況となり、既に生じていた支川や内水の氾濫と共に、越流、破堤、漏水などで本・支川の洪水が沿川市街地に氾濫した。この水害で、私も寛保2年の洪水を想起した。詳細は共著『日本災害史』(吉川弘文館)に記したが、関東平野と信濃国にて最大深1丈5尺(4.545m、関東の値と思われる)とされる大洪水となり、利根川や他河川と合わせて破堤が9万6,035箇所、延長4万3,000間(約78km)、流失・倒壊1万8,175軒、1,058人と馬7,079疋の水死が記録された(江戸は含まれず)。千曲川は山間地崩壊も複数生じ、長野盆地の千曲川下流部にある善光寺平一面を最大深7mほど(善光寺平洪水水位標の水位から千曲川左岸までの標高差)を記録する泥海と化しながら越後平野に向けて流下した。越後に入って信濃川となり、その惨状はやがて越後平野を流れ下ったのである。
 今回の水害でも尊い命が失われてしまった。土木工事の現場では、昭和後半の高度経済成長期にて安全第一、一人の事故死も軽んじないとの意識が浸透していった。しかし自然災害による落命の諦念は続いている。洪水が発生しても、被害がなければ水害とは称されない。自然現象である洪水の発生を止める手立てを人類はまだ得ていない。では水害から完全に逃れることは出来ないのであろうか。明治以来、個人資産としての土地所有や沿川の宅地開発が進んだ。また、河川整備は計画流量の洪水を固定化された河道内で近世よりも流速を上げて下流へ送る整備を進めた。また計画流量の超過を防ぐ方策として、ダムや遊水地、放水路などを条件が整えば併用した。これらの整備が進むにつれ近世に比べると洪水氾濫の発生頻度は明らかに減少していった。言い換えれば、沿川で生活を営む人々の一生において水害被害を被る回数は激減したのである。さらに河川施設の復旧では、土工機械の登場もあって近隣住民の参加を必要としなくなった。
 明治以降、河川整備は土木技術者の自然科学の知識を裏付けとした計画を以って行政主導で進んで行く。そこには国や国民を思うひた向きな努力の蓄積がある。今日の水害被害とその関連をここで議論するつもりはない。ここで問題としたいのは、河川との付合い方の作法を、我々が忘れ過ぎているのではないかということである。言うまでもないが、使われない知識や技術は忘れ去られる運命にある。
 今日のような生活圏を洪水氾濫が度々、襲うことの繰返しが再現されるとなっては、命を救うために、この国で暮らす人々が持っていた知恵の再興も必要ではないかと思う。こうした視点で問題意識を持ち、より具体的な解決手段を検討、提示できるのが専門家たる技術研究者である。土木史研究委員会が土木史委員会と改称された。その機会にあって感じることは、これまで土木史研究に深く思いを寄せてきた皆様、個々にあると思います。改称の提案挨拶にて、これまでの目標であった研究手法の確立から、史観の醸成をも目指すべきことを提言させていただいた。しかし、平成以来の大規模な災害を振返るほどに、土木史も土木工学の理想を実現する重要な一翼となることも目指さねばならないと思うようになった。
 では、土木工学が求める究極の理想とは何であろうか。我々、土木史研究者は温故知新という古来の手段も駆使しながら、今日の人々、更には未来の人々の幸福のための知恵を提示できる土木学の中で唯一の技術者であると思う。100年後の大水害は、一人の命も失うことなく終わらせることができるのであろうか。そのための知恵を数多く残していきたい。これが、令和時代の始まりと土木史委員会への改称に際し、私が掲げた目標の一つである。

●「土木史委員会設立のころ」No.9、高橋裕 (東京大学名誉教授)、1998
 本委員会設立の直接の動機は、日本土木史編集委員会(1954.6~73.10)が創立50周年記念事業の一環として「日本土木史-大正元~昭和15年」(1965.12)を刊行、引き続いて「日本土木史-昭和16~40年」(1973.4)を刊行し解散した。筆者はその編集過程で土木史の基礎的研究の必要性を痛感し、青木楠男委員長の全面的協力を得て、理事会に前述の委員会設立を申し出た次第である。これに先立つ約10年前、筆者は東大助教授時代に土木工学科の講座新設候補に土木史を、教室会議に提案したことがあった。当時は全国的に工学部拡張時代であり、各大学とも工学部の講座増設に熱心であった。東大土木教室でもその論議が行われていた。東大では最上武雄教授が長年、土質力学の発展と体系化に努力してきた実績を根拠に土質力学講座の設立が最優先であった。続いて構造、材料、各種力学、計画などが次々と候補にあがった。筆者は前後の見境も無く、土木史講座を提案したが、きわめて不評であった。助教授の分際で聞いたことも無いような、なんら学界にも実績の無い学問を提案するなど非常識極まりないという顔をされた。わずかに基本的に支持されたのが最上教授であった。土木史はたしかに重要であり、その意義は認めるが、講座を維持する人材はじめ諸準備がなく時期尚早ではないかとのご意見であった。八十島教授も交通計画から後に景観工学を育てるなど新分野の開拓に実績をあげられたように、新鮮な提案にはつねに好意的であったので、趣旨には同意されたが、他の講座候補と比べると重要度は低く優先的には無理だとの意向だったようである。しかし、他の教授の方々が土木史は歴史だから文学部だとか、全く意義を理解して貰えず、一笑に付されたのとは雲泥の相違であった。

●「土木史教育について」No.7、長弘 雄次(九州共立大学名誉教授)、1997
 人類は困難に立ち至った時、国・団体・個人を問わず必ず歴史を振り返り、先人の残した教訓に学び未来に向かって前進する。市民生活環境を改善するための土木工学も例外でなく、拡大主義・廃棄物等の処理に悩まされ、材料のリサイクルや環境との共生など大きな転換期にある。私は土木工学を目指す学生諸君に先ず『土木史教育』を推進することを提唱したい。新鮮な若者時代に土木史を学ぶことによって、先人の苦労して構築した土木遺産の歴史を学び、その時代背景の計画・施工の建設に従事した人々の自然との闘い共生の心を会得し、土木技術者として社会で活躍する心構えを身に付けさせることが大切と考えるからである。現在土木事業で活躍している人が土木史に理解をもたれるよう努力することも必要であるが、学生時代に土木史の必要性、土木遺産保存の重要性や土木工事の自然環境保全の心構えを認識させることが、長い目で見て最も効果的であると思う。土木史を学ぶことによって、学生は土木人としてあるべき基礎的な教養を身につけ、生まれ育った郷土の土木遺産を誇りにし、郷土愛、隣人愛に目覚め心の教育、地球自然を大事にしながら、これを根底に研究、構造物の建設を考える手法を身につけるようになる。土木史教育を受けた学生が社会に巣立ち、謙虚な心を持って社会の中堅として活躍するときに初めて地域の人々が土木に親しみを持ち、自然と調和した構築物に共感し、土木遺産の保存に積極的に協力する気運が高まることであろう。この場合特に必要なことは、土木史を担当する教官・教員が土木工学全般に通じている経験者或いは土木史を専攻している方々によって行なわれることが望ましく、また土木史観として思想的なものが入って来るので、その中立性をわきまえた土木史の教育が実施され、健全な土木技術者の育成がなされることを切望するものである。

●「土木史を考える小委員会」とは?No.4、馬場俊介 土木史を考える小委員会委員長、1996
 「土木史を考える小委員会」は、平成7年度に発足した委員会である。土木史は教育対象としても研究対象としても、土木史への期待感と事前評価は高い。しかし、「工学の範疇での史学」としての枠組みを今後どう構築していったらよいのか、きちんと整理されているとは言い難い。さらに、土木史への実学的なアプローチである土木遺産の保存活用に関していえば、調査こそ軌道に乗っているものの、保存活用が社会的に認知されて行くのかどうか不透明で、今後乗り越えなくてはならない山があまりにも多い。かくして誕生した小委員会だが、初年度では3つの目標を掲げた。①若手研究者の養成(ポストをどう用意するか)、②阪神大地震を踏まえた道路橋の2G対応の補強問題、③近代土木遺産の保存活用マニュアルの作成、である。小委員会のメンバーは、この3点に対応するように選定された(①篠原修,清水慶一,為国孝敏、②小林一郎,島谷幸宏、③伊東孝,後藤治,知野泰明の各氏)。最も大切な議題であったはずの①には、最も短い時間しか当てることができなかった。その結論も、土木史研究の若手といっても数が限られているので、動静を随時把握しておこうという程度のものであった。②の問題は、某コンサルタントから打診があって初めて、その存在が明らかになった。震災後に急きょ作られた新耐震基準によれば、戦前の道路橋のほとんどが「補強不能」となり、結果として取壊しが加速されるのでは、という危惧の念であった。「新しい耐震設計の考え方と文化遺産、景観」という題目で企画されたシンポジウムは、土木史研究委員会の主催で実施に移され(平成7年12月19日)、かなりの手応えも得られた。③の出版事業は、文化庁の建造物課から打診のあったもので、出版社「ぎょうせい」による刊行を前提に編集が進められた。強力な執筆陣を用意しただけのことはあって、項目立てまでは順調に進んだが、いざ執筆となると予定は未定で作業はとめどもなく遅れてしまい、出版担当者を呆れさせる事態となった。

●「土木史研究も・・・・・・一般教養と専門」No.3、篠原修 編集小委員会委員長、1996
 僕は昔から歴史が好きで、一般の歴史書や土木の歴史を読むことを楽しみとしてきた。しかし、自分を土木史研究者であると思ったことはない。史料の検索、史料批判に始まる歴史研究のやっかいさを少しは知っているからである。しかしここ10年程デザインをお手伝いしている内に、どうしてもデザイン史を研究する必要が生じてきた。例えぱダムのデザインを手掛けると、先人達がどのような条件のもとで、どのような思いを込めてデザインしたかを知る必要に迫られる。それがわからなけれぱ、先人の遺したダムの本当は理解できず、又先人達のデザインの蓄積を受け継いで自分のデザインを展開することは出来ない。蓄積を受け継げなければ、そのデザインは今の、自分一人の薄っぺらなものにならざるを得ない。注意深く、歴史研究の深みにはまらぬように、範囲を限定して恐る恐るやり始めていると言ったらよいか。土木史という研究分野に対する認識は、僕の体験からすると、かっての景観によく似ているように見える。極めて取っつき易く、一般教養と研究の区別がつきにくく、本丸と出城の自覚なしに。しかし、土木史とは冒頭のエピソードにも述べたように景観研究以上に時間のかかる手強い分野である。あるかないかもわからぬ史料を求めて這いずり廻ることに代表されるように。土木史研究とは極めて魅力的であると同時に極めてリスクの大きい分野である。まず40才までは鳴かず飛ばずを覚悟しなけれぱならない。十分に時間を使える人、それを自分の本丸にしようとする人のみが本物の土木史研究に耐え得るのだと思う。「土木史研究も・・・・・・」という時代は去りつつある。

●「土木史フォーラムの発刊に寄せて」創刊号、武部健一 土木史フォーラム小委員会委員長、1995
 土木は、大地にその痕跡を残しつつ人類の発展に寄与してきました。それは国土と地球の歴史的遺産であります。その土木が成し遂げた足跡をたどり、その意味を考えるのが土木史研究です。それはやがて体系化し、土木史学として位置づけられることになるでしょう。近年、土木史の研究はそれ自身が盛んになっただけでなく、その発展が社会から期待されています。それは国土開発にあたって、生活環境や自然環境との調和だけでなく、歴史環境との調和もまた強く求められることとなり、国土の歴史的遺産を継承しながら新しい国土環境を創造することが要請されるようになってきたからです。土木史研究の発展は、土木史を専門的に研究しようとする人たちとともに、他の研究や業務の傍らで土木史に興味を持ち、自らもこれに参加してきた研究者、愛好者たちによっても支えられてきました。土木史研究にはまた、歴史学、考古学、地理学、民俗学、文学その他の人文科学分野や、さらに建築学、機械工学その他の近隣諸工学分野との研究交流が不可欠です。土木史ならびに関連諸研究分野の情報を提供するだけでなく、これまで相互交流の機会の少なかった研究者、愛好者たちに、みずから参加し、情報を発信、交換する場を提供することが大切だと考えています。

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小澤一輝(公益社団法人 土木学会 研究事業課)
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