関東の土木遺産 関東の土木遺産
土木遺産の概要 施設位置図 施設一覧
   
群馬県前橋市、みどり市、桐生市
じょうもうでんきてつどうかんれんしせつぐん
上毛電気鉄道関連施設群
H30年度認定(2018)
1.名 称:
じょうもうでんきてつどうかんれんしせつぐん
上毛電気鉄道関連施設群
2.完成年:
①西桐生駅駅舎(1928(昭和3)年):2800選 Cランク(登録有形文化財)
②渡良瀬川橋梁(1928(昭和3)年):ランク無し (〃)
③粕川橋梁(1928(昭和3)年):ランク無し (〃)
④荒砥川橋梁(1928(昭和3)年):ランク無し (〃)
⑤大胡電車庫(1928(昭和3)年):ランク無し (〃)
3.形式等:
①西桐生駅駅舎(1928(昭和3)年):2800選 Cランク、登録有形文化財
開業時の姿を今に伝える昭和初期のモダンな洋風建築で、東西19.1m、南北14.6m、延べ床面積189㎡の鉄板葺、木造平屋建の駅舎である。
中央改札場をマンサード屋根(腰折れ屋根)、東側待合室を寄棟屋根、後部事務室等を切妻屋根とし、正面に車寄せを付ける。外壁はモルタル塗、内部は漆喰塗り、腰折れ屋根中央部には、周囲を白く塗り、ガラス製の飾りがはめられた換気口が設けられている。また、換気口を中心にモルタルのレリーフが施されているのが特徴である。
また、駅舎西側の「プラットホーム上屋」は開業時に建設され、昭和初期の状態をそのまま残している。
(参考:マンサード屋根)17世紀のフランスの建築家フランソワ・マンサールが考案したとされる屋根で、寄棟屋根の、外側の4方向に向けて2段階に勾配がきつくなる外側四面寄棟二段勾配屋根である。天井高を大きくとったり、屋根裏部屋を設置したりするのに適している。マンサード様式などとも呼称される。
②渡良瀬川橋梁(1928(昭和3)年):ランク無し 登録有形文化財
開業時に設置された渡良瀬川に架かる橋長157m、単線仕様の鋼製8連鈑桁橋。上部構造は8連の60ft鈑桁で、下部工はコンクリート造の橋台2基及び橋脚7基よりなる上毛電気鉄道で一番大きく長い橋梁である。橋脚の平面形状は長方形のダイヤモンド形で、上流部は鋭角な水切りとなっている。1947(昭和22)年のカスリーン台風による被災を逃れ、今も地域交通を支え続ける近代橋梁である。
③粕川橋梁(1928(昭和3)年):ランク無し 登録有形文化財
開業時に設置された粕川に架かる橋長42m、単線仕様の鋼製4連鈑桁橋。上部構造は4連の30ft鈑桁で、橋脚及び橋台は、1947(昭和22)年のカスリーン台風で橋脚と橋台が損傷したため、橋脚は六角形から円形に作り替えられ、橋台はコンクリートで補強された。橋桁は損傷が少なかったため開業当初のものをそのまま使用し今に至る。大きな災害を乗り越え、地域交通を支えた近代橋梁である。
④荒砥川橋梁(1928(昭和3)年):ランク無し 登録有形文化財
開業時に設置された旧荒砥川橋梁は、現在の姿と違い、2連鈑桁橋であったが、現在の荒砥川橋梁は橋長47m、単線仕様の4連鈑桁橋(橋脚は3基)である。
1947(昭和22)年のカスリーン台風被害により、橋桁、橋脚、橋台とも流され、1ヶ月半かけて再建されたものが現在の荒砥川橋梁であり、前橋方の1連に、昭和3年当時に造られた旧荒砥川橋梁の20ft鋼板桁が再利用されている。残り3連は旧国鉄より譲り受けたもので、イギリス製で1903(明治36)年に製作された40ft鈑桁であり、明治期の輸入鈑桁を用いた貴重な現役橋梁である。
⑤大胡電車庫(1928(昭和3)年):ランク無し 登録有形文化財
大胡駅舎より約200m西に位置する矩形電車庫。主体部はたちの高い2棟の切妻棟を並列させた桁行32m、梁間11m規模の木造平屋建で、引込線2線を収容し、作業場等を附属する。下見板張で、小屋組キングポストトラス。現存する電車庫の中で我が国初期の遺構。
「電車庫」は開業当初、車庫と北側事務室・機械室第1.2.3倉庫・鍛冶場・浴室及び食堂・宿直室・電気作業所からなっていた。電気作業所の横部分は近年増設されたもので、事務室の北側の一部及び食堂東側は開業後まもなく増築したものである。機械室では、鍛冶場で製作したものを加工し、電車の部品等を製造していた。
現在は弁の調圧を行っている。各倉庫も部品庫・工具庫として現在も活用している。鍛冶場は昭和60年頃まで使用していたが、その後外注となり、平成8年に当電車庫の西側に鉄骨造の電車庫が増設されたことに伴い、浴室とともに撤去された。電車庫南側の食堂・宿直室は現在休憩室として利用している。電気作業所は業務は縮小したものの現在も使用している。それ以外の木造部分は、開業当初からのものである。
4.推薦理由:
地域の発展を支え、カスリーン台風の被害から早期に復旧し、地域の復興に寄与した歴史を今に伝える貴重な土木遺産である。
≪参考資料≫
(上毛電気鉄道の歴史)
1922(大正11)年、地元の電力会社や地主、織物業者を中心とする32名が発起人となって、翌年、養蚕をはじめ各種の産業振興を図るため、鉄道網をより効率的に形成することを目的に鉄道路線免許を申請したことに始まり、1924(大正13)年に第一期計画線の免許が下付され、1926(大正15)年に会社が設立される。
前橋(中央前橋駅)〜桐生(西桐生駅)間は1928(昭和3)年2月に着工し、突貫工事により同年11月に開業し、現在の路線が完成する。世界恐慌の後の1932(昭和10)年頃には、安定成長を遂げるようになり、昭和20年までの10年間で、年間輸送人員を約100万から約800万人に大きく増可させることとなる。しかし、昭和22年のカスリーン台風で大被害を被るものの、昼夜兼行の復旧作業によって1ヶ月半後に全線開通となり。やがて諸産業の発展や沿線人口の急増、高校進学率の上昇などが相まって、輸送量を順調に伸ばしつつ、地域の発展に大きく貢献した。
(カスリーン台風の被害)
1947(昭和22年)9月、秋雨前線が本州付近を停滞する中、15日夜半に房総島南部を通過したカスリーン台風は東日本に大雨を降らせ、関東では洪水土砂災害によって死者数1,100名、家屋の浸水30万3千160戸、家屋の倒半壊3万1千381戸の甚大な被害となった。
その被害の多くは、わが国最大の流域面積をもつ利根川流域において発生し、15日午後からの上流域での洪水土砂災害、16日午前0時20分の北埼玉郡東村(現・加須市)での利根川堤防決壊、そして約5日間にわたる首都圏氾濫と、広域で様々な被災過程が生じた。
上流域にあたる群馬県では14日から15日の2日間で、沼田554㎜、前橋391㎜、藤岡426㎜などの豪雨となり、それが引き金となって、赤城山を中心に斜面崩壊や土石流が多発した。赤城山(標高1,828m)は火山噴火物が積み重なって形成され、侵食を受けやすく、崩壊し易い地質構造にある。赤城山頂の大沼から発し、西側斜面を下る沼尾川では、15日午後、降雨がいっそう強くなり、15時頃山鳴りとともに斜面が崩れ、30分後には高さ約10mほどの土石流が敷島村(現・渋川市)深山地区を襲った。被災前は小規模な渓流河川であったものが、土石流通過後に深さ6〜10mの切り立ったU字型の谷に変貌しており、その侵食力の凄まじさを物語っている。一方、その下流では宅地や農地に大量の巨石と流木等が2〜5mの高さで堆積し、利根川本川まで到達した土石流は一時流れを堰き止めて、浸水被害をもたらしている。土石流の侵食によって、沿川の家屋は一瞬のうちに流失するが、削り取った土石も土石流本体に取り込まれて、その規模を大きくし破壊力を増す。沼尾川での土石流は侵食・堆積過程が沿川集落の中で発生したことで甚大な被害となり、敷島村全体で死者行方不明83名、重傷者14名、流失家屋167戸の大惨事となった。
赤城山南麓の荒砥川でも土石流が沿川の大胡町(現・前橋市)を14時半頃に襲い、犠牲者72名を出す惨状となり、同じく南麓の富士見村(現・前橋市)では16時頃赤城白川で土石流被害が生じている。(内閣府防災情報のページ(HP)より)
被害は、1都5県(東京都、千葉県、埼玉県、群馬県、茨城県、栃木県)に及んだが、都道府県別の被害状況を見ると、死者数及び家屋の浸水戸数で、群馬県が最も多い被害を受けている。
甚大な被害を受けた被災地の惨状は、今となっては写真でのみ知ることが出来るが、復興に取り組んだ鉄道関係者、土木関係者の情熱を、今も運行を続ける鉄道を支える土木施設た群馬県内の様子を想像することができる。
(荒砥川(旧大胡町)における被害)
この洪水で、流失した家屋124戸をはじめ全潰半壊97戸で、浸水家屋は流積した土砂が堆 積して床上1mも埋没し、家財道具は一つも残さず流失し、一瞬にして食べるもの、着る衣もなく住む家もなくなった人は600世帯2,550人となった。
家屋とともに耕地も土砂に埋まった。水害後の土砂の搬出には非常な努力を要し、各家から運び出された土砂は街路上に置かれ、家の塀や2階よりも高くなり、一時は通行できなくなるほどであった。
カスリーン台風の水難で生命を亡くした人の霊を慰めるために、地元有志によって宮関橋(上信電鉄 荒砥川橋梁)の東袂に七年忌を記念して、観音の石造が建てられた。
5.所在地:
群馬県前橋市、みどり市、桐生市
6.管理者:
上毛電気鉄道(株)
7.特記事項:
西桐生駅舎は2800選Cランク
西桐生駅舎を含め、全ての施設が登録有形文化財
8.PR方法:
選奨土木遺産認定に向けたPR
①毎年行われているイベント「大胡電車庫イベント」で、土木遺産関連の解説を加えるなど、「土木遺産」を積極的にPRする。
②H30年度は、「選奨土木遺産 記念イベント」として実施予定
11/18(土木の日)近くの日程で式典実施予定。
・式典(認定書・銘板授与)
・電車庫の見学等
・災害にも負けない、くじけない鉄道として、お守りでも土木学会選奨土木遺産認定をPR
9.連絡先:
上毛電気鉄道(株) 鉄道部
〒371-0016 群馬県前橋市城東町四丁目1番1号
TEL:027-231-3597 FAX:027-231-9920
各施設の位置及び諸元

写真1 カスリーン台風県別死者数

写真2 カスリーン台風の洪水浸水区域図
(国土交通省関東地方整備局HPより)

写真3 都道府県別被害状況

写真4 選奨土木遺産認定に向けたPR

写真5 選奨土木遺産認定に向けたPR

写真6 選奨土木遺産記念イベント

写真7 選奨土木遺産記念イベント
画像8:
写真8 選奨土木遺産記念イベント

写真9 ①西桐生駅舎のマンサード屋根

写真10 ①西桐生駅舎の全景

写真11 ①開業時(昭和3年)からの木造プラットホーム上屋

写真12 ②カスリーン台風に耐えた開業時からの渡良瀬川橋梁

写真13 ②上流側に水切りを設けた橋脚(下流側より撮影)

写真14 ②拡大写真(上流側より撮影)

写真15 ②カスリーン台風1ヶ月後(昭和22年10月29日撮影)の航空写真
出典:国土地理院ウェブサイト(「地図空中写真閲覧サービス」)より

写真16 ③カスリーン台風で被災し復旧した橋脚(橋桁は当初)

写真17 ③カスリーン台風1ヶ月後(昭和22年10月29日撮影)の航空写真
出典:国土地理院ウェブサイト(「地図空中写真閲覧サービス」)

写真18 ④カスリーン台風で被災し復旧した荒砥川橋梁
(手前が当初からの橋桁、奥が譲り受けた橋桁)

写真19 ④旧国鉄より譲り受け復旧した1903年(明治36年)イギリス製の40ft鈑桁

写真20 ④1903年(明治36年)イギリス製のポーナル型プレートガーダー橋

写真21 ④1903年(明治36年)イギリス製のロ型ブラケット

写真22 (参考)カスリーン台風被災・復旧状況写真(「大胡町水難誌」より)
(荒砥川橋梁)復旧した上電鉄橋(手前は仮設)

写真23 (参考)カスリーン台風被災・復旧状況写真(「大胡町水難誌」より)
(直上流道路橋)仮設 宮関橋橋脚

写真24 (参考)カスリーン台風被災・復旧状況写真(「大胡町水難誌」より)
(昭和23年撮影航空写真)復旧した上電荒砥川橋梁と付替仮設道路の宮関橋(道路橋)

写真25 ⑤現役の大胡電車庫 全景

写真26 ⑤小屋組キングポストトラス

写真27 ⑤大胡電車庫内の様子
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