| 日本統治下の平壌における街路整備に関する研究 | 五島 寧 | 1-14 |
| 都市計画道路と用途地域制の相互変遷に関する研究 −東京都区部− | 寺西 弘文 | 15-30 |
| 戦後の東京の民間会社による外濠高速道路建設経緯 | 堀江 興 | 31-44 |
| 碓氷峠旧線跡に残る鉄道構造物の技術的特徴と意義 | 小西 純一, 田島 二郎 | 45-60 |
| 1875(明治8)年の堤防法案の審議から1896(明治29)年の河川法成立に至る河川行政の展開 | 松浦 茂樹, 藤井 三樹夫 | 61-76 |
| 筑後川中流域における水利の技術システムの変遷に関する研究 | 坂本 紘二, 外井 哲志 | 77-92 |
| 近世治水における堰に関する研究 −その技術的な変遷について− | 知野 泰明, 大熊 孝 | 93-108 |
| 中部5県の近代土木遺産 −道路隧道・砂防堰堤・発電堰堤の評価 | 馬場 俊介, 増田 智彦, 岩村 高正 | 109-124 |
| 大井川徒渉制を中心とする近世・東海道の渡河形態について | 松村 博 | 125-137 |
| タイにおける道路整備の歴史的変遷とその社会経済評価 | 藤川 謙, 福田 敦 | 139-148 |
| 交通体系から見たバンコクの都市構造の変遷に関する研究 | 吉井 信, 福田 敦 | 149-158 |
| 渋谷,池袋からの郊外鉄道とその沿線地域の変容に関する一考察 | 為国 孝敏, 榛澤 芳雄 | 159-172 |
| 戦前名古屋における土地区画整理制度による集落計画 | 市古 太郎, 馬場 俊介 | 173-182 |
| 長崎市の近代都市形成と道路網の整備 | 岡林 隆敏, 林田 幸誠 | 183-190 |
| THE JAPAN MAIL 米英橋梁論争(2) −NOT A BRIDGE BUILDERの手紙− | 月岡 康一, 小西 純一 | 191-198 |
| 金沢市内犀川に架かる橋の移りかわり | 安達 實, 北浦 勝 | 199-204 |
| 桃介橋の修復事業の検証 −力学的安全性照査の重要性 | 馬場 俊介 | 205-218 |
| シカゴの可動橋 −シカゴ・タイプの展開とアーパン・デザイン− | 伊東 孝 | 219-230 |
| 埼玉県内の近代道路橋梁群 | 金平 博樹, 伊藤 学, 窪田 陽一 | 231-236 |
| 岐阜県白川村の「大牧橋」について −昭和初期における大支間3ヒンジRCアーチ橋− | 山根 巌 | 237-244 |
| 明治20年代の土木技術者高田雪太郎の生涯と業績 | 市川 紀一 | 245-254 |
| 猪苗代湖疏水(安積疏水)構想の先覚者・小林久敬 | 藤田 龍之 | 255-266 |
| デ・レーケと琵琶湖疏水計画 −J. de Rijkeが先に帰国したG. A. Escherへ送った手紙から− | 上林 好之 | 267-277 |
| 電力土木の歴史 −第2編電カ土木人物史(その2) | 稲松 敏夫 | 279-286 |
| 秋田藩における近世期史料からみた水利・治水技術の特徴 −米代川中流域における堰普請積書について | 堀野 一男 | 287-294 |
| 北海道本府・札幌の位置選定と石狩川舟運 | 松浦 茂樹 | 295-308 |
| 長崎外国人居留地における石畳道と側溝・排水溝の調査 | 岡林 隆敏, 長友 章二郎 | 309-318 |
| 大和条里計画の使用尺度と測量技術に関する検討 | 須股 孝信 | 319-330 |
| 交通路の変遷について(その2) −ケルンバットから河岸段丘、そしてトンネルヘ− | 西 淳二 | 331-338 |
| JR釧網本線の路線計画と形態 | 横平 弘 | 339-346 |
| 建設期間年表の構築と応用 −北海道の鉄道の発展過程− | 中岡 良司 | 347-354 |