博士必要不要理由
- 得るものは多かった.
- 学問を修行する場として良い経験となる.
- 本当に学術的に価値のある研究は修士や論文博士ではできないと思うから。
- 「はい」とは答えたが,質問の趣旨が理解不能
- うまく書く事が出来ないが、”いいえ”とは思えないから。
- いろいろな人がいた方が、何かあったときに役に立つだろうから。学生という立場でしか経験できないこともあるし、時間が自由になるというのは、すばらしい。独創的な発想に結びつくのでは?
- 利潤の追求が至上命題の民間企業にはできない、論理や真理の探究を大学院などで博士課程の人間がを行い、成果を社会へ提供する役割を担うべき。
- ???(卒業してみないと分からないと思う)
- 現時点では研究職・大学関係職員への登竜門的存在だからそうでなければいらないかも?
- ゆっくり考える時間がある
- 自分の存在を否定することになる
- 人間育成のためには非常に役に立っている。また、後輩の指導、指導教官のためにも非常に必要な役職である。でも、もう少し海外のようにしっかりとした身分を与えて少しでも金銭的な給与があると良いと思う。やはり金銭的に大変な学生が多いのは事実だと思うので・・・。
- 独立した研究者としての研究を行う(つまり人から与えられたテーマをそのままやらずに自分で分野を切り開く)という訓練は修士までの時間では足りないため。
- 博士課程がなければ,研究を続けて,博士号を取れないから
- ある分野の中での高度な専門知識を持った人間は社会の中でも必要となることがあるから。
- 高度な知識と技能だけでなく,理論の組み立てや思考能力を得るために必要.
- 修士課程1年は授業などで自分の研究やそのための勉強が思うようにできなかったように思います.(しかも毎回レポート提出させられていたような気がするんですけど・・・)そんな意味でも,私は自分の専門に没頭することができる博士課程は必要だと思います.
- 第1に,大学研究ひいては日本の研究において,博士課程の学生の役割は大きい,と思う.博士の学生がいなけりゃ,大学研究がなかなか進まず,発展しない.第2に,博士課程またはそれ相当の機関で研究のやり方について学ばなければ,研究のやり方が身につかない.修士課程を出ただけで,研究者として独り立ちできるだけの能力が身につく人は極少数だと思う.
- 世の中にはいろんなタイプの人がいるため,いろんな形の世界があったほうがいい.例えば,論文博士と課程博士.どちらも博士だが人によって向き不向きがあると思う.だからどちらも必要!!
- まだ分かりません
- 研究には時間が必要である。
- 先にも書きましたが、小中学校で学習する内容が減り、また同様に学部で学ぶ内容も減ってきているように思います。反面、世の中は専門家でありながら、他のフィールドも知り、融合させる力を持つものが必要な状態となっております。義務教育の学習時間が減っていることは、高学年での補充が必要だということになります。
- 自ら企画し実行できるのはMc以降であり、2年間では時間不足だ。Dc3年間を積むことで、より有意義な時間の利用が可能となる。
- 深く研究することは必要だが、質を維持するには、もっと入試等を厳しくする必要があるのでは?
- 学問の幅が広がるから。
- 研究者育成のため
- 社会人Drはなかなか自由な研究時間が取れないので,Dr取得後の後々の活動が遅れるから
- 努力を惜しまず勉学に励み,直視しなければならない最も重要な問題から逃げずに自分の様々な知識と体験から十分な時間の下で問題解決を図れる機会など博士課程のような場でないとないと思うから.
- まあ、ないよりはあったほうがいいかな、という程度だが。
- うーん,難しいなぁ.特に工学部では,修士修了が当たり前のような感じになっているから,自分に価値をつけたい人間には,絶好の課程だと思う.
- 学位を取る必要があるかという質問ならいいえ(生活するうえでさほど必要になるものではないから。)、博士課程というシステムが必要かという質問ならはい。(研究者は絶えず必要である。)