土木学会誌
土木学会誌10月号モニター回答


今月の表紙・裏表紙
10月号の表紙・裏表紙はいつもの学会誌とは異なり、カラフルでかなり目を引くものであった。「鉄道と観光」というテーマは、モータリゼーションが進む今日において、公共交通の将来を考えるには重要なテーマの一つであると思う。その「鉄道と観光」を、時代背景とともにポスターで見るというのは、とても面白いものであった。また、視覚から交通行動、観光活動が促されることにも改めて考えさせられるものであった。
(山梨大学 今尾友絵)

表紙の写真「鉄道と観光」に関して
戦前の鉄道関連の観光案内、興味深く拝見致しました。日本にもモータリゼーションの時代の後に、特に高齢化社会を考えたときには、もう一度、公共交通が復権する時代がくるような気もしております。機会がありましたら、戦後から現代にかけての「鉄道と観光」も見てみたいと思います。もしかすると、近現代を扱う場合には、「鉄道・自動車と観光」となるのでしょうか。
(宇都宮大学 都筑良明)

今月の表紙を見た瞬間、何の本かわからなかった。
一般の方がよく目にする雑誌でもないだろうが、表紙を見た瞬間に土木学会誌をイメージするものであって欲しいと思う。
また、古い写真をさかんに表紙に採用しているが、その必要性に疑問を感じる。
温故知新ということなのであろうが、これからの土木業界を考えるといつまでも過去に縛られても仕方ないと思うのだが。
(大成建設(株) 松井俊二)

観光事業と鉄道との関係は、沿線開発の歴史でもある。鉄道会社が作成した5枚のポスターは、時代色を映し出しており、デザイン的にも興味が持てた。観光やレジャーと人物との一体化がされていて、鉄道自身が主役にないところが特徴的である。解説も丁寧で良かった。
(西武建設(株) 三村 卓)

巻頭論説 アーキテクチャと国土マネージメント
大変申し訳ありませんが、表現が難解で後半部分がよく理解できませんでした。学生会員も募り、幅広い読者を対象とするならば、もう少し簡易な表現を使っていただけないでしょうか。
(褐F谷組 伊藤政彦)

時局を論ずる 構造改革と構成ある地域の発展
今後の地域の活性化等について多角的に考えられた論文で興味深かった。なかでも、環境、食料の安定供給の重要性についての指摘は傾聴に値するものと考えられ、また、中山間地域問題の日本の独自性については、特に考えさせられた。人口減少傾向の中の地方都市の衰退は、わが国全土にとって様々な問題を生じさせるものになると考えられ、地方都市の主体的な活動をそれを支える国レベルの枠組みが必要とされているのであろう。
(宇都宮大学 都筑良明)

私の理解では,これまで長年行ってきた公共事業とりわけ地方への道路整備は,著者の言うところの地域の発展のためではなかったのか.少なくとも建前上はそうであったはずである.道路が出来れば人と物が動き地方・地域が発展すると考えていたはずである.しかしながら,残念なことにその効果は現われず,今現在世論の糾弾の対象とされている.すなわち,本音では地方発展のために道路を作ってきたわけではなかったことになる.そもそもこの失敗はなぜ生じたのか.それは著者の言う「個性ある地域の発展」の具体的デザインが何も無かったからではないのか.道路を作れば人と物が動くわけではなく,動く為の必然性が必要なのである.中山間地域にその必然性がない以上人も物も動かない.この必然性を創造する為に税金を投入することには異論は無いはずである.(これまでの箱物行政や箱物公共投資ではだめ)著者には,この「個性ある地域の発展」とは具体的にどのようなことなのかを示していただき,そのためになぜ交通基盤整備が必要なのか論じていただきたかった.
(東海大学 川上哲太朗)

個性ある地域の発展のためには「車の通らない道路」を含め、交通基盤整備の充実を図るべきとの指摘は、正しいと思う面もあるが、代えって個性を失わせる危険性も持ってはいないだろうか?こんなことを言うと、便利な都市に住んでいる者の傲慢と言われるかもしれないが、不便な中で培われた伝統こそが個性であるようにも思う。もちろん、急病時などの緊急時のために道路が必要という指摘もあるかもしれないが、そのために莫大な投資を行うよりも、救急ヘリコプターを充実させるなど、その場限りでない投資を行う方が良くはないだろうか。
また、食料自給率については、国土の開発も必要かもしれないが、種芋の開発規制、米の減反強制など、数々の不合理な規制がネックになっていないだろうか。そのあたりのソフト面の規制改革も行わなければ、いくらハードを整備しても無駄ではないだろうか。
(関西電力(株) 大江直樹)

特集 土木と建築
今月号で、つまらない、もしくは分かりにくいと感じられた記事を特定することは難しいが、ある意味では、今月のテーマそれ自体が分かりにくいとも言える。少なくとも、サブタイトルの「コラボレーションとアンビバレント」は、一体何を言わんとしているのか、理解に苦しんだ。「協調と背反」ではなぜいけないのか。こればかりは納得がいかないままである。
また、特集のなかで、[「土木」の強度と「建築」の流動」という記事と、「建築と土木のコンクリート」という記事は、順序を逆にして、できれば一つの記事に統一してほしかった。
((有)テラパックス・テクニカ 川九邦雄)

特集は、土木と建築についてであったが、大きく考えれば、土木・建築に関わらず、ある分野の独自性と他の分野との融合とでことを成していくことが、これからの時代は大切なのかと考えさせられた。
(電源開発梶@栗ア夏代子)

建築も土木も一般には同じ「建設」であり同一と見られているが、大学でも会社でもまったく区別のグループを形成している。このあたりも、一般の人から「建設」がさまざまな誤解を招く要因になっているような気がする。
(日本道路公団 福冨 章)

今回の特集は土木学会誌と建築学会誌の共同企画ということで、とても興味のあるものであった。土木や建築の世界に携わっているものには、大抵知っていることや考えられることばかりであったように思われるが、これを土木と建築の共同の作業とし、文章化したところに意義があるように思う。しかしながら、世の中における土木と建築の相違の認知度は低いのではないだろうか。現に私自身は、大学受験時に高校の先生から大きな違いはないと言われたし、友人等に土木学科に在籍していると言えば、建築学科と勘違いされることが多いのである。だから、このような企画をもっと世の中に出してもらいたい、なぜ土木と建築を分けているのかを示してほしい。
(山梨大学 今尾友絵)

土木、建築双方に隔たりがあると感じていたが、土木屋・建築屋・事務屋という業界用語は時としてこのマイナス的な意味を表していると思う。学部教育、受注背景、仕事方法が土木・建築と分かれる結果になった、また各々が専門分野に固執するあまり、プライドが高くなり他分野に関心を示さず、誤解や偏見が生じたという記事をいくつも目にした。
今後のあり方をもっと詳しく知りたい。互いに良い所を吸収しあわねばならない必要性、国際社会にも通用するように 基準等を改善しなければならない事を再確認した。良いものを作り出すという意 識は同じなのだから乗り越えられるものと思う。厳しい時代、自分の立場を見つめ直し、広い視野を持つ能力が必要だと感じた。
((株)熊谷組 波田泰子)

土木学会誌と建築学会誌の共同企画は非常に魅力的だと思う。土木・建築の語源からの各々の歴史、現在のマネジメントまで比較相違を理解する事ができとても勉強になった。今後も共同企画を是非行って頂きたいと強く願います。
((株)熊谷組 波田泰子)

今月号の特集「土木と建築」は興味深い記事であり、学会誌が採り上げる話題として非常に価値のある企画であったと思う。しかし、「土木側」として土木のもつ問題点や課題を明らかにしようという意図があったのかどうか分からないが、「都市計画系」の方の原稿の割合が比較的多く、多少内容が偏っていたようにも感じられた。また、10ページ以上も文字のみが続くレイアウトも読む側にとっては少しキツイ。読み手にも「感性」や「直感」で訴えるような配慮を望むのは欲張りでしょうか。
(大成建設 小原伸高)

近くて遠い存在としての「土木」と「建築」は、ゼネコンの組織では営業や遂行本部の分化、教育機関でも「土木科」「建築科」と分かれている。この是非を論じても賛否両論あろうが、現実の姿や状況、由来についての今回の企画は意味のあるものだと思う。正直に言って、我々土木屋は建築屋のことをあまり知らない、いわんや競争相手と捉えている面が多々ある。私見ではあるが、土木はもっと総合工学的な面を拡充し、社会基盤や自然工学のジェネラリストを目指し、建築は「住空間」をテーマに文化的・人間工学的な分野を拡充すべきではないか、と考える。現状は、例えばコンクリート材料を用いる設計や施工の技術など、両者で同じようなことをやっているケースが多すぎるのではないか。自分が土木だからそう言うと思われても仕方ないが、日本の建築屋さんは、欧米の基準で言えば、Civil Engineer, Structural Engineerと呼ばれる業務に携わっている方が圧倒的に多い。歴史工学の発展の経緯に由来している今の姿に良い・悪いは無いが、少なくとも似たことをやっている分野は一層のコラボレーションを互いの業界の使命とする必要があると思う。
(千代田化工建設 弾塚雅則)

タイトルに「土木」と「建築」の両方が入っているときは、土木学会 担当分では、土木が先、建築学会担当分では、建築が先、タイトルを見るだけで、担当が予測できて楽しかった。とはいっても、土木学会誌に投稿している自分も自然に「土木」を先に書いていますが・・・。
(熊谷組 浅見恭輔)

本企画につきまして、横断的にあちらこちらをかいつまんでコメントさせて頂きます。
「座談会」では、卯月先生の学科の名称についての反対意見が目につきました。確かに様々な名称がつけられるようになってきていると思います。間口を広げておいて、その中でさらに選択できるようにするのか、入り口をさらに的を絞ったりあるいは広げたものにするのか、諸先生方の見ている世界の違いにより様々な選択肢が生まれる可能性があるようにも思えます。枠の中で考えた方が良いものもあり、枠の外の方が考えやすいものもあり、双方がコラボレーションして、より良いものが生み出されれば良いのでは、などとも思います。
「建築と土木のコンクリート」の表1, 2を見て、建築と土木が元々は対象物の違いから2つに分かれていたのかもしれないが、これらの表のように整理すると、それほど垣根を高くする必要はないのかもしれないと考えました。それ程、急ぐ必要はないのかもしれないが、これまで以上に接近していくことが可能なのではないかとも考えられた。
さらに「土木と建築に違いはあるか」の冒頭で、「結論から言うと何も違わないと考える」と言い切られており、ますますその感を強くした。そうなると、その先には、それでは融合させる必要があるのか、融合させるとすると日本の場合には、様々な軋轢を回避するという目的からトップダウン方式に頼らざるを得ない部分が多いと考えるが、今の時代にそのような改革が良い結果を産めるかについては甚だ心許ない気がする。特に不況期においては、パイが小さくなることに対する忌避感が大きいでしょうから急ぐ必要はないのかもしれません。いかがでしょうか。
次の「建築と土木の棲み分けと連携」を読むと、「同じ」と言えば言えなくはないものを、歴史的経緯によって棲み分けてきたと述べられている。ただし、本論文では、「建設といっても建築と土木は違うはずで」と述べられており、諸外国の事情について、「建築技術も土木技術も合わせて土木工学科で教育を施す諸外国においても、建築と土木はその実践において棲み分けている」と述べられている。そう簡単ではないようだ。また、品質と価格の問題にも触れられている。この部分は、実務が絡むと難しい面もあるとは思うが、特にパブリックな部分からデータを明らかにしていくような仕組みができれば良いと思う。さらに、「耐震設計」、「耐震施工」の技術については是非とも地震の多い諸外国で活用していって頂きたいと考えられるし、日本地震工学会にもそのような面でのご活躍を期待したい。
「土木事業のマネジメントの特徴」では、例えば、図3で土木工事と建築工事 の執行体制が比較されて示されている。スタンダードはこのような図式になるのかもしれないと見ましたが、今後は多様性が認められるような方向性で推移して行っても良いのではとも思いました。
日本の建設市場の規模について、「建築生産システムと土木生産システム」で、世界の建築市場の約4分の1を占め(2000年見通し)、建築投資のGDP比が約15%と先進国の中でずば抜て高いことが述べられている。このような数字を見ると、やはり公共事業に問題ありなのかとも思ってしまうが、物価調整後の数字も見比べながら様々な他の要素も考える必要があるのだろう。
「生活空間のリ・デザイン」で、バス停を「道の駅」とするニュータウンの再生には、全く同感である。逆に、「誰もが夢見る緑あふれる低密度住宅地は、地球環境にとっては悪夢なのである」という部分にはどきっとさせられた。しかしながら、宇都宮辺りでは実現可能なような気もするのであるがどうだろうか。
「次の時代の都市づくりへ向けて」の中で、「これからの都市づくりの論理は、必ずしも効率性ではなく、市民参加、持続可能性、成長管理、ユニバーサルデザイン等のさまざまな論理が介在してくると考えられる」と述べられているのには大いに共感することができる。自分自身の中では、その上で経済性をどのように考えていくかというのが難しい部分のように考えている。ここに果たして神の見えざる手は機能するのだろうかといったことを。あるいは経済を1つのパラメーターとして正面から考えていかなければならないというのが現実的な落しどころのような気がするがどうだろうか。
「建築と土木 両分野にわたる教育経験者の随想」では、コラボレーションの 重要性が指摘されており、「新しい価値の創造に向けて」では、「建築は規範を失っている。都市は混乱を極めている。自然だって、国破れて山河ありとは言えまい。今の状態では、国破れて山河なし、ではないか。」と述べられていて、共感できる。さらに、「多くの誤解や偏見が、近接する分野を隔てている。ここの融和がなされなければ、わが国の風景は、まとまりを欠いたまま永久に放置され続けるだろう。」という指摘には危機感が感じられる。ここで紹介されている3件の作品はどれも木を基調としたものであるようなのが印象的である。ただし、「同級生との激しい競争」の部分については、相手と闘っているようであっても実は自分と闘っているとは考えられないだろうかとも思えたし、「切磋琢磨」というプラスの要素を考えて頂きたいとも感じた。
(宇都宮大学 都筑良明)

土木と建築の違いを取り上げるという視点が大変良かったと思います。今後ともこのような、潜在意識としてはあるけれどもなかなか表面化してこないような事柄をどんどん取り上げて頂けると嬉しいです。
(大成建設株式会社 上野恭宏)

私自身が構造屋であることも手伝って,学生への講義などでも,土木デザイン(設計)とは経済性と安全性を目的に,構造計算を行うものだと教えることが多い.そのこと自体は間違ったことではないと思うし,たまには環境や景観への配慮が必要であると言うこともあるが,それでは具体的にどのようにすればよいかと言うことにはなかなか踏み込めないのが現実である.この特集記事では土木と建築の違いを主に都市デザインという問題を通して論じており,歴史的背景も含めてなかなか興味深い記事であったと思う.特に,3−4成瀬氏の「その差異はどこから生まれるか?」は,実務者の立場から,土木屋と建築屋の人間像の違いを鋭く突いたもので,自分自身を氏の論に当てはめてもなるほどと納得させられるものであった.土木屋に必要な「哲学と感性」とは何か,またそれを育む為にはどうしたらよいか再度良く考えてみたいものである.
(東海大学 川上哲太朗)

今回特集されているこテーマ「土木」と「建築」に関しての第三者からの客観的な意見も聞けたら良かったと思いました。
(清水建設 賀屋絵里菜)

土木・建築の融合に関しては、必要な箇所・部分に関していかに協力・団結ができるかということであると感じていた。今回の特集については、座談会において各方面の方々の意見を聞くことができた。構造などの思想の違いや組織の違いなど根強いものもあるかと思うが、目的達成のためにはお互いを理解し合い、財産の交流を図ってゆくことが必要であろう。
(西武建設(株) 三村 卓)

10月号の土木と建築特集は両学会協力によるすぐれた企画として評価できるが、その副題"コラボレーションとアンビバレント"には違和感を覚える。特別な意味を持たせてのネーミングかと考えたが、企画趣旨の中には特別なコメントもなく、末尾の「一層密なコレボレーションを考える機会となれば幸いである」という記述に止どまっている。そのような文脈では一般的な協力、共同研究という意味としてのありふれた用法のように感ずる。
我が国で一般化している外来語の使用を否定するつもりは全くないが、特集の副題としては不適切だと考える。座談会末尾のまとめにあるコラボレーション、コラボレートという用語も目についた。その一方、"新しい価値の創造に向けて"の中で内藤先生が触れられているデザインというありふれた表現の持つ意味の再考には考えさせられた。
【投稿】(鹿島建設 廣田良輔)

1.座談会 建築・土木−コラボレーションとアンビバレント
今月の特集は、「建築と土木」ということで各方面からの切り口で当該のテーマにせまっている。その点では、テーマ自体が本質的な問題なので、大いに興味をそそられた。しかし、一面ではあまりに大きなテーマであり、それぞれの意見は見えても一方通行で、何やら虚しい感じがしないでもない。それは、まあ端的に言えば議論が煮詰まっていないからだろう。その点、少なくとも座談会であれば、その場でのやりとりで一方通行は避けられる。したがって、今特集のなかでは、最も読み応えがあった。
このテーマは、1回特集をすればおしまいというものではないはずである。これをたたき台にして、熱のさめないうちに、さらに議論を深められることを期待する。
((有)テラパックス・テクニカ 川九邦雄) 

この記事を読み、あるテレビ番組での話を思い出した。それはスポーツ業界の話だった。「日本は中学なら中学の日本一、高校なら高校の日本一を目指す。しかし海外は中学生でも世界を目指して練習をする。日本と海外の違いはここにある。」と言っていた。これはスポーツに限らず、全てに共通することだと思う。つまり、土木、建築それぞれにおいて技術者として一人前になることを目指すのではなく、専門知識をしっかりと身に付けていることは当たり前として、土木、建築全てにおいていち技術者として一人前になることを目指さなくはいけないと感じた。これからは、土木だから土木側からの観点のみではなく、統合的に広い観点からも、ものごとをみることができる技術者を目指すことがこれからは大事なのではないだろうか。
(北海学園大学大学院 盛亜也子) 

2.何故、日本の「土木」と「建築」は分かれているのか
当社も土木と建築が分かれており、実務でしばしば分化している不便さを感じていましたが、このように歴史的な背景を顧みたことは無かったため、大変参考になりました。
PFIなどにより大型プロジェクトが官公庁中心であった時代を抜け出そうとしている今、今後の土木は建築との融合というステップを通過する中で、例えばまちづくりで言えば、従来のように一時にペンキを塗り替える様な開発でなく、描くべき絵を明確にし細かいパズルを組みなおすようにしていくのだなあと考えるきっかけととなりました。
(前田建設 岩坂照之)

建築と土木が部門として分かれていることに対しては個人的には不思議ではない。違いを生む原因の根本は顧客に占める民と官の割合の差であり、これが個性の表現度の差を創出しているためであろう。建築構造物は機能面もさることながらデザインの重要度が高いため、おのずと個性を強く発揮することが望まれる。対して土木構造物は、最近景観が重視されてきているとはいえ、やはり機能重視でデザインもシンプルなため個性を表現する場は少ない。建築と土木が分かれるのは致し方ない気がする。
(大成建設株式会社 上野恭宏)

「土木」の強度と「建築」の流動
土木技術者と建築技術者が協力して(というよりも分担して)一つの構造物を構築したときに、どうしても、お互いの仕様の違いにより、なかなかうまく協力できないことが多いのではないでしょうか。私の施工させていただいた建築構造物も、当初は、建築部門と土木部門で施工方法のくい違いなどで、どうもぎくしゃくしてならなかったが、最終的には協力的に建設工事を進めるにことが出来ました。この結果を生んだのは、建築・土木双方を統括するJVの統括所長の努力の賜物であるが、もし、双方の技術者がお互いの仕様の成立過程、特殊性を事前に理解していて技術者どうしの技術的コミュニケーションが取れていれば、もっと分かり合えて協力的に施工を進められるようになったのではなかったかと思います。そのような意味で、今回の建築・土木の違いを土木学会誌上で取り上げることは、大変有意義な取り組みでは、なかったでしょうか。
(株式会社 大林組 小石川隆太)

建築と土木のコンクリート
これも通常業務の中で、全く意識したことがない観点で、その前の記事「土木の強度と建築の流動」と共に大変興味深く拝見しました。コンクリートにとどまらず、建築における土の視点もあるわけで、あるいは環境問題を考えた結果、土の建築という時代が来るかも知れず、様々な情報交換の意味も含め、今後もこの両学会共同企画はやって欲しいと思います。
(前田建設 岩坂照之)

先日、(社)日本コンクリート協会主催の「建築・土木におけるコンクリート構造物の設計施工法の統一に関する研究委員会」発表会に参加した。コンクリート構造物の設計法と材料・施工法に関して、今後、土木部門・建築部門を区別しない共通基準を作っていくとのことであったが、協調し相互理解しつつ将来的に統一できればと感じた。
(熊谷組 浅見恭輔)

土木事業のマネジメントの特徴
公共土木事業では発注者自ら工事の監督を行うのに対して、建築工事では設計を担当した建築設計事務所が工事の監理を行う。それだけ建築のほうが事業における設計者の果たす役割が大きいということができる。
土木においては従来発注者自ら設計、施工を担っていたこと、また設計成果品に関する著作権等の権利も発注者に帰属することからも明らかなように、設計におけるデザインや独自性を重視しなかったこと等が要因と考えられる。しかしながら、公共事業の透明性・公平性確保の観点から発注者の業務の一部を専門の知識をもつ第三者に委託する方式の導入が検討されていることや、土木構造物にもデザインが重視され始めていること等からも、三者間の関係を見直す必要があるのではないかと思う。
(日本道路公団 福冨 章)

「土木と建築」のコラボレーション,なかなかその実現に至っていないのが現状だと感じています。建築構造物はその物体自身の個性を如何にして前面に押し出すか,逆に土木構造物は目立つことなく周囲の景観に如何に溶け込ませるかなど,精神面での違いがあるのではと考えていました。しかし,その本質的な違いはやはり,我が国の社会経済構造,特に土木業界の特異な体質がこのような結果をもたらしているようです。世間の批判の目が向けられているように,公共事業が大半の土木業界では,「天下り」という官民との不透明な構図により体系化されています。しかし,このような問題ばかりが土木業界の特異体質化させているのではなく,土木工事と建築工事の執行体制の違いにも原因があることを,この話題提供から認識させられました。土木工事の場合,一つのものを造るのに,建設コンサルタント会社は工事用の図面を描き,積算に必要な数量計算書を作成し,これを受けて,建設会社いわゆるゼネコンが工事を請け負う体制となっています。つまり,設計と施工を行う2者は完全に分離された状態で構造物が出来上がっていきます。しかし,建築工事の場合,設計分野と施工分野の2者は存在しますが,設計分野はその工事が完了するまで監理を行うことが極めて当たり前であり,設計分野と施工分野のコラボレーションが形成されている点こそが,大きな差異であることです。確かにダムなどの大規模土木工事では,設計コンサルタントの技術者による施工管理が行われてますが,そのような工事以外では設計分野と施工分野が建築工事ほど密接な関係でないのが現状です。「土木と建築」,いずれも社会資本の整備という同じ目的にありながら,このような体系の違いがあることに対して,更に考えを深めねばと痛感しています。
(株式会社水建設コンサルタント 中尾 毅)

今までのマネジメントの紹介であり、今後どうしていけば良いのかのをもっと聞きたかった。自分が経験しない事業からどのようにして学ぶか、建築事業から、海外事業から学ぶにはどうすればよいか等を紹介して欲しかった。
(関西電力 西田 勉)

わが国の土木事業のマネジメントの変遷と特性がわかりやすく説明されている。最近話題となっている、3者構造による公共事業の執行体制について、国内建築工事や海外工事との比較が明瞭に示されている。筆者の言にあるように、海外の例を参考にし、多様性を受け入れられる公共事業執行システムを構築する必要はあると思う。しかし、それと同時に、数々のビッグプロジェクトを成功させてきたわが国のマネジメント技術を、海外に売り込むことはできないだろうか。英国が、自らのマネジメントシステムや契約システムを、香港やシンガポールに定着させたように、日本の建設マネジメント技術を海外へ輸出することはできないだろうか。そんなポジティブな話も聞いてみたい。
(財団法人港湾空港建設技術サービスセンター 前田泰芳)

建築生産システムと土木生産システム
公共土木工事においては、「設計・施工の分離」が原則である。これは、施工業者が設計を行うことによって、施工業者に有利な設計が行われることを防ぐためである。
しかしながら、施工業者において技術開発が著しい分野でその成果を反映させようとするならば、施工業者に設計をさせたほうが有利となる場合も考えられる。
このような考え方からデザインビルド方式が広まったものであるが、どのような調達方式を採用するかは、プロジェクトの規模、性質、工期等を総合的に勘案して決めるべきものであり、発注者はそのために多彩な調達方式を用意すべきと思う。
(日本道路公団 福冨 章)

建造物デザインの源流と未来
19世紀のフランスでの土木構造物には,造形意匠に装飾的な形態が付与されており,日本でも昭和初期までは装飾的な土木構造物が建設されていたという内容に,戦後の日本で土木構造物の性能だけが注視され,そのデザイン性に対する評価が低くなったことを残念に思う.最近デザイン性を重視した土木構造物が増え始めてはいるが,意匠に対する評価が向上し,土木における意匠技術が確立される必要があるだろう.
(大成建設 織田幸伸)

この記事は歴史の勉強だった。ルネサンス期のダ・ビンチから今日の土木・建築のデザインまでの変遷を歴史的に論じられており、勉強不足の私には新鮮で、非常に興味深く読む事ができた。よくを 言えば、学会誌が広く多くの人々に読まれる事を想定しているならば、読み手が 理解し易くより興味を抱く様に、人物の注釈やデザインの特徴がよく表現されて いる構造物の写真・イラスト等が掲載されているような工夫が欲しい。
((株)熊谷組 波田泰子)

その差異はどこから生まれるのか?
土木系出身者と建築系出身者の差異を都市開発者の観点から述べていたが,著者は土木出身者であるからか身内には厳しい記事であった.土木系出身者は「自分の専門に閉じこもりがち」,「個人的な発言を控えたがる」などの指摘もさることながら,「社会を語ろうとする建築,技術を語ろうとする土木」には,なるほど確かに当てはまると妙に納得してしまった.
この記事は我々土木技術者には非常に耳の痛い話だが,これを読んで耳を傾けない技術者は「自分の殻に閉じこもりがち」と著者から再度指摘を受けてしまいそうである.デザイン面からの切り込みではあるものの,我々に足りないものを的確に指摘したとても有意義な記事であった.
(横浜国立大学 島谷 学)

特集のテーマは、重くかつ比較的抽象的であるから、正直なところ、読んでいて疲れる部分が多い。
そのような中で、当該記事は著者が身近に見てきた例を簡潔にあげながら、本題にせまっており、読んでいて、「うん、そうだろうなー」などと思わずつぶやくなど、得るところが大であった。 他の全ての著者の方々に身近な例をあげてくれとは言わないけれど、できるだけ、わかりやすく書いていただけるとありがたいものである。
((有)テラパックス・テクニカ 川九邦雄)

ゼネコンの本社勤務なので、日常土木・建築両分野の人々と交流がある自分としては、多少強引な土木・建築の人達の対比をニンマリとうなずきながら読みました。
(熊谷組 浅見恭輔)

土木・建築の思考・行動の違いが記述されており,個人的に思い当たる節もあり,興味深く読ませていただいた.この中で気になるのが,「土木の学生が技術偏重であり社会的意義を考慮の対象外としていること」である.社会基盤整備に関係の深い土木の学生が,事業に対して社会的意義を見出せていないとすれば,それは今後の土木教育のあり方にも通じる大問題であろう.事の真偽を確かめるうえでも,土木・建築の両学生に対して意識調査を行い,意識の共通点や差異,および,その是非を考えてみるのも,今後の企画として面白いように思う.
(広島大学 山田忠史)

土木・建築の違いが発生する根源は民間の仕事が半分の建築・役所の仕事が全部の土木であると書かれていた。同感である。デザインといったものには主観が入る。各個人の趣味の領域になる。また、コストもアップする。公共工事の多い土木ではこういったものを排除し、全て同一、画一化し提供することが必要だった(早急の国土整備のため・住民の同意得やすいため)と思う。公共工事においてデザイン、景観を取り入れる難しさはここにある。誰が判断するのか。行政か、住民か、施工者か。プロジェクトファイナンス、証券化等の実施により、責任の所在がはっきりし、デザインの伴った提案型土木工事が可能になると思う。
(関西電力 西田 勉)

記事の中にて、建築出身者は「総合力がある」し「潰しも効く」に対し、土木出身者は「専門性に固執し外に踏み出さない」という指摘は、傾向としては的を得ていると思う。実際に周囲を見ても、建築の方がよりサービス精神が旺盛なように感じる。そしてその違いの背景として、「土木・建築の思考・行動の違い」についての指摘についてもなるほどと思うところが多かった。
また、筆者は「土木デザインは他分野の草刈り場になる」という危機感を持ち、底上げに取り組まれているようだが、その成果が実り、日産自動車のようにデザイナー出身者が取締役になるような社会になる日は、いつになることだろうか。
(関西電力(株) 大江直樹)

生活空間のリ・デザイン
この中で述べられている内容は、全体的に極論すぎるように感じられる。「作る側」重視・「使う側」軽視については、耳の痛い話であり反省すべき点はあろうが、今までに築いた建築物や基盤施設の全てが否定されているようで、社会基盤整備に携わってきた建築・土木技術者の存在価値は無いと言われているに等しい。そう決めつけることは問題である。
((株)荒谷建設コンサルタント 大田俊一)

私は都市づくりにおいて「土木」も「建築」も同じ「作る側」であり、縦割りの世界があってはならないと強く感じています。都市づくりは誰のためにするのか、それはやはりその地に住む生活者のためというのが大半であると思います。しかし、土木と建築の縦割りがあるがゆえに結果的には生活者にとって良いものがつくれないというのは非常に残念なことだと思います。安易に改善されるものでもないと思いますが、この先この縦割りの世界はなくなるべきものだと思います。
(清水建設 賀屋絵里菜)

来るべき時代の計画規範は、「コンパクト化」「複合化」「外部化」の3点を中心にと書かれていた。コンパクト化・複合化については都市再生等でよく言われていると思うが、外部化については新たな見解だと思った。炊事の外部化は一部始まっているし、保育施設も充実されるであろう。個々人のライフスタイルに合わせた柔軟な(必要最小限・割安・都度移住可能な)住宅選びができれば良いことである。ただ、他人と供用する部分が増えることで余計な衝突や干渉が発生する可能性が高くなる(個を大切にした外部化が必要)。コミュニティーの強化になるかどうかも疑問である。やはり週末には別荘でのんびりしたいと思うような気もする。
(関西電力 西田 勉)

記事の中にて、私たち工学技術の専門家は「作る側」の論理に立ちやすく、それにより数々の弊害があるため、もっと「使う側」の視線を生かすべきだという指摘は、もっともだと思う。ただ、このような指摘は、最近増えてきているように思うが、どこまで生かすか、誰に基準を置くかなど難しい面も多いだろう。また、その時は良くても、時代の変化とともに求める視点も違うだろう。そのため、常に試行錯誤の連続かもしれないが、これからは使う側の視線以上に、使う側と共に、使う側の責任で作ることも必要になってくるのではないだろうか。
(関西電力(株) 大江直樹)

次の時代の都市づくりへ向けて
数号連続で都市づくりについての記事が掲載されているが今回の記事は理解しづらいとともに、特集の主旨からは離れている様にかんじた。
((株)熊谷組 波田泰子)

土木行政への提言
近年さかんに論じられている、公共事業の構造的な問題点と今後の展望を、大変分かりやすくまとめられた記事でした。
業界の人間として読むと手厳しく、提言の実現は難しいように感じられるご意見ですが、一般市民として読むと、「公の金を使って、採算の取れるサービスを公に提供するべきだ」といった至極当たり前の提言だと思います。
事業に対するこれらの批評に対して、正確なデータを元に理詰めで答弁できる。我々個人々々のそういった仕事の積み重ねが、業界に質的な転換をもたらすと信じて、日々の業務に務めたいと思います。
(建設技術研究所 福井洋幸)

構造改革の目指すところ・行き着くところそしてその結果業界に生じる影響が的確にかつわかりやすく簡潔に論じられていて、思わず家族にも読ませたくなった。
(千代田化工建設 石川史郎)

今まで誰も踏み込めなかった「聖域無き構造改革」に今年の夏小泉内閣が第一歩を踏み出したが、莫大な借金抱えた日本の再生という総論では国民は皆賛成し大いに期待している。ただし、"時局を論ずる"で清水教授が「議論されなければならない重要なことが欠落しているように思える。」と述べられていることは賛成である。道路特定財源の一般財源化についても、"道路にしか使えない財源がある"のではなく、自動車燃料や自動車の取得・保有に対して"道路にしか使わない税金を徴収している"のであるため、税制全体の問題として議論を重ねた上で税負担者の合意を得るべく努力すべきである。
( (株)荒谷建設コンサルタント 大田俊一)

これまでの公共事業に対する批判,および,今後の公共事業の方向性が展開されており,筆者の主張は土木技術者にとって傾聴に値するものだろう.しかし,その一方で,今回の特集題目である「土木と建築」という枠組みの中で,この記事がどのような意味を持つのかが把握できなかった.今回の企画趣旨が,土木・建築の各技術者の相互理解とコラボレーションの形成にあるならば,今後の公共事業において,それがどのように役立つのか示されるべきだったように思う.
( 広島大学 山田忠史)

土木と建築の教育スタイル
土木と建築は同じ建設系の分野でありながら、互いが融合する姿を見ることはほとんどありません。どうしてなのかと不思議に思いながらも自分の中であいまいにしてきたのですが、本稿によって少しはっきりしたような気がします。すなわち最初の教育において、土木は最適化思考、建築はデザイン的思考の影響を受けていて、お互いが各々に固執しているということです。そこから、学習態度、公に対する感覚、職能意識などに大きな差が生じてくるようですが、土木と建築がうまく関わっていくためには、この差異をどこかの段階で縮めていく必要があるでしょう。
(東京工業大学 山口亮太)

建築史と土木史から見る精神風土
土木と建築の考えの中に歴史教育のとらえ方の違いが現れており大変参考になった。私も土木史教育に興味を持っており、工学概論や環境水資源学(河川工学)の講義でも歴史に触れ、「なぜ歴史を習うか」という問いには、「過去を知り、現在を理解し、将来を予測する」と答えている。文中にもよく似た表現がされていた。またこれまでの世の中の動きを「モノをつくる・建てる・架ける」から「美しい・美しく・快適な」というように、「動詞の時代」から「形容詞・副詞の時代」に変わっていることも説明している。現在を理解するために、建設工事・防災・環境等に関する新聞のスクラップ収集(夏休み中)を単位取得の条件としたこともあった。土木史教育はJABEEにおける技術者倫理にも有効という紹介もあり、意を強くしたものである。
(阿南高専 湯城豊勝)

建築と土木 両分野にわたる教育経験者の随想
この記事の中では,「従来の建築学と土木工学を統合し,情報工学,環境工学などの領域を加えた分野について一貫教育を行う新構想の大学」,豊橋技術科学大学のことが述べられている。実は,私はその第一期卒業生である。受けた教育はこの記事に書かれていた通りのものであったが,工業高専の土木工学科を卒業し,既に土木分野の水に強く染まっていたため,その当時は多少の違和感を覚えていた。新構想ゆえの将来への漠然とした不安感であったかも知れない。このような教育は,白紙の状態の技術者の卵の方が受け入れやすいものかも知れない。とはいっても,現在土木と建築の両方の話に躊躇なく入っていけるのは,受けた教育のおかげだと感謝しているし,学生時代に得た両分野の友人は自分の財産だと思っている。両分野の多くの領域で本質的には同じような研究がなされているのは資源,人,時間全ての面において無駄が多く,将来的には融合していくべき,あるいはいかざるを得ないものと考えている。そのためには,このような融合的教育を受けた人材を積極的に受け入れ,活用していける社会的土壌を作ることの必要性を是非指摘しておきたい。
(高松高専 長友克寛)

新しい価値の創造に向けて
デザインは翻訳すること、すなわち、技術や場所性を誰にでも分かる目に見えるようにすることであるという定義にはなるほどと感じた。内藤先生の講議を土木工学科の学生が受けられるようになっている状況は好ましいと感じるとともに羨ましくもある。
(大成建設株式会社 沢藤尚文)

この記事自体に不満があるのではなく、さらに踏み込んで、デザイン面のコラボレーションだけでなく、実際の機能面で土木と建築のコラボレーション例などあれば紹介していただきたかったです。例えば屋上緑化などは、このまま進めば土木でも建築でもないモノに発展する可能性もあると思うのですが。
(前田建設 岩坂照之)

永代橋の古い図面のレイアウトが美しく、当時の土木設計関係者の文化的なレベルの高さが分かるとのくだりがあったが、なるほどと思わされた。現在の「土木」はやはり技術偏重の傾向があるのかもしれないなあ、と感じた次第である。
(大成建設 小原伸高)

外国語や難解な日本語・比喩を多様する文章が見受けられる中で、一読して筆者の考えが良く理解できる文章でとても好感が持てました。「土木と建築」の章に書いてあったことは、まさにその通りだと思います。土木VS建築・・・etc.と心に垣根をつくっている人々にこの文章を読んでもらい、「建設関係の三分野が合流して、人が住む生活環境全般に対して、その本来の力を発揮する」端緒になればと思いました。
(褐F谷組 伊藤政彦)

「牧野富太郎記念館の設計において景観上の建物の処理の問題に向き合った際,周囲の環境を味方につけることを模索した。」という著者の対応が印象に残った。これはデザイン上の話ではあるが,同じことは構造設計でも言えるのでは無いかと思った。すなわち,これまでの設計の大半は,自然の力に立ち向かうか,あるいは自然の力をうまく逸らせるものであったように思う。これに,自然の力を利用するという視点を加えることで,さらに自由な発想が生まれてくる可能性を感じた。
(高松高専 長友克寛)

技術リポート 高吸水・高保水コンクリートの開発
コンクリートを用いた構造物は,一般に自然に対して悪影響を及ぼすが,本技術は自然と共存出来るように改良した技術として興味深い.このような新しい技術はコストが高くなり,実績がないとなかなか採用されにくい.これからは積極的に採用し,様々な技術の中から本当に自然にとって有効な技術が普及されるようにするべきだろう.
(大成建設 織田幸伸)

公共事業による環境破壊が指摘される現在,このような材料の登場は今後の建設事業にとって極めて有効であることは間違いない.しかしながら,今後も厳しい財政状況が続くことが予想される中で,コスト面の比較が記事になっていないのが残念であった.材料に用いる植物短繊維はさほど高価なものではないとは想像がつくが,実業務に携わる読者達はこの材料の機能・性能面だけでなく,コストに関する情報も欲しているのではないか.
(横浜国立大学 島谷 学)

盆休みに海で捕まえたカニが我が家の水槽の中で生きている。ウェットコンクリートで作られた人工的な生息環境でも多くの生物が生きていけることは間違いないと思う。ただ、詳細な構造についてはよくわからないが、感覚的には植物繊維を混入したコンクリートが十分な耐久性を持ち得るとは考え難く、今後の実験結果あるいは実績が気になるところである。
(大成建設株式会社 沢藤尚文)

環境に優しい・環境と共存する土木材料としての ウエットコンクリートの記事に興味を覚えた。水際の構造物としては、すぐにも適用を推進すべきである。しかし、本文では適用の可能性を紹介されているのみである「ヒートアイランド現象の緩和」にはやや懸念を感じる。打ち水や雨水の連続的な供給の下であればその蒸発散作用が期待できるが、都心の中では、この給水が厄介ではないか。また、汚水や何らかの汚染を受けた水が使われた場合、浄化作用を持たないウエットコンクリート(これがバイオ・トリートメント機能を持つ土壌との大きな違い)では、2次的な環境汚染の温床とならないか、といった点を研究すべきである。
(千代田化工建設  弾塚雅則)

ビオトープ等にも活用できるのではと興味深く拝見した。こちらの勉強不足もあり、紙面の都合もあるとは思うがいくつか分からない点を指摘させていただきます。1)カニの生育環境のところで、空気温度、環境温度と出てくるがそれぞれ何を意味しているか、2)特許関係はどうなっているのか、3)写真5は三面護岸に使っても植生が戻るという意味なのかどうか。
(宇都宮大学 都筑良明)

透気・透水性の増大は耐久性の低下につながることを意味するため、高吸水・高保水コンクリートという言葉にまず関心がいった。こうした既成概念にとらわれない発想力には敬服するばかりである。しかしこの記事を読んでもう一つ心に留まったのは、自然から学ぶ姿勢である。この技術はカニの生態から学んだものとあるが、元来土木は自然を相手とする技術であり、従って自然から学ぶという姿勢は土木技術の原点であるのだと改めて肝に銘じた次第である。
(大成建設株式会社 上野恭宏)

この記事を読んで恥ずかしながら初めてウェットコンクリートの存在を知った.また,このコンクリートの開発の最初に,カニの生態調査があったことには感心させられた.近年,生態土木といった言葉が生まれてきており,このような生態系の視点から土木を考える発想がますます重要となることを痛感させられた.私自身も海洋土木の分野に身を置く事から,生態系や環境との共生が緊急の課題であると強く考えており,大変刺激となる記事であった.
(東海大学 川上哲太朗)

土木紀行 河内貯水池堰堤および南河内橋
三島由紀夫に「どの高さを水面で切っても・・・・少しも異様に思われなかった」と言わしめた河内貯水池の全景写真を掲載して貰いたかった。また、南河内橋のレンティキュラー・トラス構造には目が引き付けられた。一見DNAの螺旋構造をも連想させるその姿には近未来の橋ではないかと思わせる新鮮さがある。今後も視覚に心地よい刺激を与えてくれる記事を掲載して貰いたい。
(大成建設株式会社 沢藤尚文)

事故災害 愛知県河川堤防緊急強化検討会報告
素人としては、審議会での検討結果を淡々と記しているような印象を受けました。限られた誌面と頁数では確かに困難でしょうが、長時間にわたり危険水位を超えたのは何故なのか、今後どのような対策がとられるべきなのか等について、より広域的な視点からの考察についても検討結果を知りたいと思います。
また、施設整備と改修のみならず、(フェールセーフとしての?)ソフト面からの対策を実施される予定とのことですが、この点についても非常に興味が湧きます。
可能かどうかわかりませんが、「続編」を期待してしまいます。
(国土交通省 森橋 真)

学生のページ 海外に羽ばたく
文化や自然環境の紹介から参加する活動まで、NGO、地元自治体等とタイアップしてこのような活動を進めてほしいと思う。講座の中での会話等、貴重な情報をまとめる作業をできれば進めてほしい。
(宇都宮大学 都筑良明)

シリーズ 20世紀ニッポン土木のオリジナリティー考 わが国独自の環境下でニーズに応える鋼製基礎工法の開発
鋼管矢板、鋼管矢板基礎工法ともに日本独自のものであるということを今回の記事を読んで初めて知った。
仮締め切りと本体構造を兼用するという考え方は合理的であると考える。
臨海部の軟弱地盤上に多くのインフラを整備する必要のあった我が国において、その施工性の良さと経済性から数多くの実績を残したということは自明の理であったような気がする。
記事全般についても、専門的知識を有する方にとっては物足りない内容であるかもしれないが、概要を理解するという意味では読みやすい内容であったと思う。
(大成建設(株) 松井俊二)

恥ずかしながら、この記事を読むまで鋼管矢板井筒が日本独自の工法であったとは知らなかった。必要は発明の母とはよくいったもので、日本における厳しい施工条件だからこそ生まれてくる技術というものは少なくないのであろう。建設業界に身をおいていながら、施工法や技術開発の変遷にあまり興味を抱いたことがなかったのであるが、このように、今では一般的な施工法でも意外と最近の技術である例はいろいろありそうである。新しい興味を喚起される記事であった。
(大成建設 小原伸高)

海外リポート 国境に架ける橋
日本人にとって宗教を重んじるということはあまりなじみがない。そのためにコーランが破かれるという事件が起こったりしたのは記憶に新しいことであろう。しかし世界の人の多くが宗教を持っているものであり、日本人のような考え方のほうがまれである。この記事ではそのような背景からイスラム教の人々と一緒に仕事をするむずかしさを見てとれた。宗教とは僕らが考えているよりもはるかに重要な物であり、無宗教の日本人は介入してはいけないもののような感じがする。海外での仕事はその国の常識を学ぶことから始まるということがわかった。
(東京工業大学 川島広志)

個人的な経験もあり、酷暑の中・イスラム圏での工事の様相がよく伝わってき、また懐かしくも感じた。昨今和平ムードが完全に沈滞している中でこのような政府開発援助・民間業者による工事の結果として、両国の物流・人的交流の活発化に寄与して欲しいと願って止まない。
(千代田化工建設 石川史郎)

ヨルダンとイスラエルの国境に橋を架設するというプロジェクトでありましたが、日本での仕事とは異なる諸問題を知りました。ヨルダン・イスラエルと国交のない国の業者を予定していて拒否されたり、日中50℃近くなる日が続きまともに作業ができなかったり、またイスラム教のラマダ等々。近くではイスラエルとパレスチナの抗争も行われていたということで、中東で仕事をすることの大変さを垣間見れたような気がします。
(東京工業大学 山口亮太)

日本の「あたりまえ」が通用しない海外での建設工事の苦労が興味深く描かれている。特に、未だ硝煙の匂い残る中東での工事であり、文化・宗教、気候も特異な環境で、慣れない現地エンジニア・作業員を指導してPC橋の完成にこぎつけた様子が、誇張なく伝わってきた。
(財団法人港湾空港建設技術サービスセンター 前田泰芳)

話の広場 有明海異変を衛星データで読む
諌早湾干拓事業によって有明海異変が急に注目されているが,この原因は様々な要因が複雑に影響しあったものだと考えられる.このような複雑な現象を観測するには,限られた地点の計測では不十分であり,面的な全体観測が可能な衛星データの役割は大きいと考える.今後,有明海だけに限らず様々な地域での観測に活用されるよう期待したい.
(大成建設 織田幸伸)

リモートセンシングによる海洋環境の解析は,今後大きな役割を担うことが予想される.この記事の研究は,有明海の異変と諫早湾干拓事業との関わりをクロロフィルa濃度の経年変化によって明らかにしようとするものであった.確かに,クロロフィルa濃度は潮受け堤防着工から年を経ることに減少しており,何らかの因果関係があるように思われる.しかしながら,各データの取得時刻や潮の流れ(上げ潮時か下げ潮時か潮止まりか)などが明確になっていないため,各年の比較が適切に行われているかはこの記事からは読み取ることができない.特に潮の流れによっては湾外から水塊の供給があるので,クロロフィルa濃度に大きく影響する可能性がある.
読み手の想定や字数の関係で省略しているのかもしれないが,そのような重要な情報については必ず記事に明記するようお願いしたい.
(横浜国立大学 島谷 学)

近年問題となっている有明海異変を、新たな切り口で検証された表題に惹かれて読ませていただきましたが、潮受け堤防の締め切りによる衛星データの変化があまり明確にされておらず、読者としては少し残念でした。
また、衛星画像の判読方法の説明(例:フォールスカラー画像による潮流変化の判定方法)が少なく、私自身あまり聞きなれないトピックであったため、内容の理解が難しい記事でした。
しかし、土木事業が環境に与える影響を正確に評価することが求められてる昨今、これは研究成果が期待される先駆的な分野であることには間違いありません。著者の続報に期待したいと思います。
(建設技術研究所 福井洋幸)

衛星データを用いて有明海の変化をとらえた内容は見た目にわかりやすく、リモートセンシングの有効性をあらためて感じる内容であった。
本稿におけるデータを見る限りでは、有明海の異変は諫早干拓事業の影響を受けているとは想像できるものの、事業自体が決定的な要因であるとは断言できないというのが私の感想である。
本文にも書かれていたが、有明海における小さな変化の繰り返しが有明海全体にさまざまな影響をおよぼしてきたと考えるのが妥当なような気がする。
(大成建設(株) 松井俊二)

おそらくは専門家でない人間(私のように)を十分に意識して書かれた文章と想像しますが、適切な画像処理を行うことで、広範囲の時間的変化を直接に視覚に訴えることができる衛星画像の強さを感じさせる考察でした。
勿論、本稿の内容は様々な検証の端緒にすぎないものであり、衛星画像から如何に精度の高いデータを得るか(そのデータの精度をどのように計測するか)、海上からの実測データとのあわせどのような推論を行うことが出来るのか等、水産・水理・水文・情報処理といった、様々な、かつ総合的なアプローチが今後必要となるのでしょうが、その点についての見解も伺いたかったところです。
なかなか困難な研究となりそうですが、現在までの時系列データとそれらから推測される今後の自然の姿、考察結果をを一枚の画像で明確に示すことが出来るという、素晴らしい成果が待っていることでしょう。
(国土交通省 森橋 真)

リモートセンシング技術の進展には眼を見張るものがあると感じた。継続的な定点観測が有効な情報を与えてくれることを確信する。一方、有明海の観測から得られるデータを解析する中で、潜在的に第二の有明海になりそうな地域に警鐘を鳴らすことも考えるべきである。潜在化した汚染のタネは、ある時を境に臨界点を超えた如くに急に顕在化するものである。地上からの観測では見落としてしまうそのような変化を捕らえる術に活用できれば、より有効な手段となると思う。
(千代田化工建設 弾塚雅則)

人工衛星LANDSATから送られてくるデータを基に,諫早湾干拓事業による海洋環境悪化が問題視されている有明海を「診断」されており,非常に興味深く読ませて頂きました.潮受け堤防閉め切り前後による潮流の変化や,海洋環境の指標であるクロロフィルa濃度の変化などのデータを目の当たりにし,有明海が「疲弊」していることを思い知らされました.この疲弊の原因が干拓事業なのか否か.正確な結論が一日も早く出ることを期待します.
(京都大学大学院 松中亮治)

衛星データからこれほどまでの情報が得られることを知って大変驚いた。一方で、いかに技術が高度化したとはいえ、はるか上空からでもはっきり分かるほどに有明海の異変は深刻なのだと改めて思い知らされた。異変の原因は完全に解明されてはいないようであるが、人間の手による影響が少なからずあることは疑いようがない。今後はこうしたリモートセンシングを有効に活用して、深刻な事態に至る前に異変を感知し、迅速かつ効果的な対策を行うしくみを確立していく必要があると考える。
(大成建設株式会社 上野恭宏)

衛星から見たデータからすれば、諫早湾干拓事業の起工後になんらかの変化が生じている事は疑いようがないように思う。たしかに堤防締め切りが現在の異変の「直接的原因である」とは確定できないが、人間の手によって、なにかの異変が起きている事は確かである。そしてまた堤防締め切りが「直接的原因ではない」とも判明していないことは明白である。その「異変の原因のひとつかもしれない」事業をあえて積極的に継続し、環境の異変を人間が黙認していることの意味をもう一度考えてみたくなった。
(千代田化工建設 石川史郎)

さまざまな形でメディアに取り上げられている問題なので、興味深く読ませていただきました。大規模公共事業と環境の問題にありがちなプロパガンダ色もなく良かったと思います。今後、このような技術がより発展し、大規模工事と環境の問題に何らかの寄与していくことを祈念します。併せて、土木学会として、プロパガンダ色のない公平な調査・研究の結果が掲載されることを希望します。
(褐F谷組 伊藤政彦)

私は大学で衛星データを用いて河川の流域管理の研究をしていたので非常に興味深く 読ませていただきました。この有明海の変異は衛星データの解析から少なくとも人間が造り出した堤防によるも のであるという結果が出たということを受け止め、今後も衛星データを用いて面的に管理していくべきだと思います。またその他の分野でも衛星データを用いて環境の保全・把握を推進していくべきだと 思います。
(清水建設 賀屋絵里菜)

昨年、顕著に問題化した有明海における異変を人工衛星LANDSAT/TMのデータから、クロロフィルa濃度の経年の2次元推移を把握することで、考察するという試みがされていた論文であった。主に、諫早湾干拓事業との関係について取り上げており、水域が変化する様子やクロロフィルa濃度の拡散状況についてを視覚的に主張されていた。工事着手前からの観測してしていたことは貴重であり、今後は実測データとの整合性についての研究や潮流のシミュレーションの必要性もあるかと思う。このような記事は、社会性が強く出やすいので時節を少し過ぎた頃に発表されることは、冷静さが得られるという点においては有用であるが、許す限り早めに発表されてゆくことを望む。
図−4では(c)、(d)の記号付けを誤っており、94年データと2000年データに同じものを使用していたことは残念である。
(西武建設(株) 三村 卓)

この本 ユニバーサル・デザイン
僕がバリアフリーという言葉をはじめて知ったのは[beautiful life]というドラマでした。これは車椅子の人のドラマでこのドラマをみてからバリアフリーの場所にも目が行くようになりました。最近になり自分の祖父母が車椅子生活になり、バリアフリーの重要性を痛感しています。たった2,3段の階段でさせ上れないため、迂回したりすることが良くあります。ユニバーサルデザインという言葉はバリアフリーよりも高齢者にやさしい表現だと思います。このようなデザインが増えないと高齢者が一人で生きていける世の中にはなりません。多くの場所がもっとバリアフリーになることを望みます。
(東京工業大学 川島広志)

書評を論ずるのは些かおかしいような気もしますが、気になる話題ですのでお許し下さい。いわゆる「バリアフリー」施策では、環境施策の一部と同様、総論では賛成でも各論になると様々な「バリア」が現れるようです。
事業者にしてみれば、施設の改修などで人的、金銭的負担を強いられる、と感じるかも知れません。また、評者が書かれているとおり、日本におけるバリアフリー施策は交通弱者を健常者と区別することで、結果として誰もが同じように公共交通機関を利用し、移動の利便性や安全性を向上させるという本来の目的から離れ、新たな、見えないバリアを築いているのではないかとも思います。
ユニバーサルデザインが、他人との「違い」を意識する瞬間を少しでも減少させ得る皆の一般解となるのであればそれは素晴らしい研究成果と言えるでしょう。とはいっても経済的な条件(商売になるか)が最後のバリアなのでしょうが。
(国土交通省 森橋 真)

バリアフリーに対する日本とアメリカの考え方の違いが興味深い。高齢者や障害者を社会的弱者として特別扱いし、疎外しているのが日本における現状のバリアフリーであるが、本来、特別なニーズをも取り込んだ汎用品に解を求めるべきであると説明している部分である。日常、車椅子のシンボルマークを見る度に、設備はあるけどあまり使用されていないなあ、などと思っていたものであるが、この記事を読んで、なるほど!という気がした。紹介記事だけ読んで本の内容がわかったつもりになるのも浅はかであろうから、きちんと本を読んでみることにしたい。
(大成建設 小原伸高)

学会誌全般へのご意見、編集委員会への要望等
表紙と記事の内容とに何らかの関連性があるのですか?
(東京工業大学 川島広志)

土木学会誌モニターなど、E-MAIL アドレスなどを公開したらどうでしょうか。
(株式会社 大林組 小石川隆太)

今回の特集は図や写真が少なく、読み通すのに多少苦痛を感じた。モニターでなかったら決して通読はしていなかったと思う。特集の内容には得るところが多くよかったが、人に読ませる構成とする工夫が必要だと感じた。
(大成建設株式会社 沢藤尚文)

土木学会への要望となるが、今年度行われた土木学会全国大会の日程(10月2日から3日間)は、大学4年や大学院2年の来年度社会人になるものには会社等の内定式の日程と重なることが多く、そのため、学会への参加を諦めたり、内定式を早退せざるおえなかった人がいた。来年度からはもう少し日程を考えてほしいと思った。
(清水建設 南 隆行)

海外に羽ばたく、など海外の仕事紹介は多々あるのですが、もう少し砕けた記事も扱ってもらえないでしょうか。失敗とか、習慣とか、無理矢理使う英会話とか、箸休めの意味も含めて・・・。
(前田建設 岩坂照之)

以前から感じていたのですが、土木学会誌は特集記事の比重が高いような気がします。内容を豊かにしようと思えばそれ相応の容量になることは避けられないのでしょうが、相対的に見て特集以外の記事の内容が薄い気がしてなりません。
全体の頁数を増やすことが出来ればよいのでしょうが、それも簡単ではないでしょう。そこで、特集でも特集以外でも、複数の月に渡って連載する形も考慮に入れては如何でしょうか。特に今回の特集記事のように、色々と考えさせられる内容のものは、じっくりと考える時間を与えていただいても問題ないような気がします。
(国土交通省 森橋 真)

毎回思う事ですが、特集記事の内容がとても多くて正直読み疲れてしまいます。充実させようという編集委員の方々の気迫は伝わってくるのですが・・・現在の2/3から半分程度の紙面でよいのでは?数回シリーズに分ける方法もあるかと思います。そうすることで最終回には読者の声も反映したものにも出来るかも。
(千代田化工建設 石川史郎)

土木と建築。今回の特集は以前から興味のあった対比ものの一つであった。ただ、大学教授の記事が多く、建設会社関係者の記事が材料等に偏っていたのは残念である。実務者としての意見をもっと多く聞きたかった。実務では、土木と建築はきっちり分かれており、人材の行き来もない会社が多いと思う。そういった人たちへの異業種への関心の動機付けとなればと思い、今後も同様の対比ものを期待する。土木と都市開発。土木と環境。土木と不動産。土木と金融。等。
(関西電力 西田 勉)

毎回多彩な企画を取り上げられ、興味深く読み、考えさせられることも多い。例えば、今回の特集でいうと、私自身は土木出身だが、特に最近、建築関係者のセンスや行動力にすばらしいと思うことが多かったが、その背景的なものを少し理解できたように思う。まさに、今後建築に見習うべきことは多いと思うので、再度取り上げて欲しい話題だと思った。
(関西電力(株) 大江直樹)

編集委員会より読者の皆様へ
10月号に対して寄せられた「会員の声」に対する編集委員会からの回答です。


【ご意見・ご要望など】
今回の琵琶湖疏水をはじめ土木学会誌の表紙には、過去の土木工事の写真や時代背景の解説があり、楽しみの一つです。また、毎号掲載されております「土木紀行」についても興味深く拝見しておりますし、機会を作って自分の目で見ておきたいと考えています。これらの資料は大変貴重であり、また将来土木技術者を目指す方への学習資料として役立つと思います。そこで、これまでに紹介されたすべての記事を整理して頂きたくご提案します。
(日本鉄道建設公団 岡 康博)

【編集委員会からのお答え】
ありがとうございます。表紙の写真は多くの読者の方からご好評をいただいているところです。編集委員会としましても表紙の写真については今後とりまとめ整理することを検討したいと考えております。
なお、これまでにご紹介した記事のタイトルについては土木学会誌のホームページの中でバックナンバーとして掲載しておりますが、記事内容全部の電子情報化等は現在のところ、編集委員会としては考えておりません。学会誌の基本的な位置づけとして、長期的に保存すべき文献としてではなく、社会変化に即応した情報を提供する雑誌であるべきだと考えております。


【ご意見・ご要望など】
土木学会にはいろいろな委員会があると思いますが、これらの活動概要を報告するのはどうでしょうか。まず、委員会名でアンケートを採り、興味の多いところから始めればよいと思います。「ホームページでみて下さい」ということになるのでしょうか。与えられて初めて興味を持つものもあると思うので、紙面の無駄ではないと思うのですが。
(関西電力 西田 勉)

【編集委員会からのお答え】
土木学会の各種委員会の活動内容については、土木学会のホームページ(www.jsce.or.jp/committee/index.html)の中で紹介しておりますが、ご意見をいただきましたように幅広く皆さまに土木学会の活動内容を周知していただくためにも土木学会誌の中で紹介することについても今後検討していきたいと考えております。



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