土木学会誌11月号モニター回答
ペットボトルウォーター台頭の文化・社会・経済的背景

 昔は水にお金を出してまで呑む人は希だったと思う。確かにその当時、自分も水を買ったことがない。言換えれば、買わずとも安全でおいしい水がどこにでもあった。今では、外出すると水を買う。理由は、何が入っているのか解らないから。また、買った水の容器は、ゴミとなり環境へ負荷がかかる。おいしい水を呑むために水を汚しているようなものだ。安全でおいしい水を取り戻すべく根本的な対策が必要ではないかと思う。
(日本鉄道建設公団 佐々木養一)

 「日本では安全と水が只で手に入る」と言われていたのが、はるか昔のことのように感じられる。
 水道水がまずければペットボトルの水を買って飲めばよい、という発想は、ある意味とてもこわい。水がまずい原因を何が作り出しているのか、私たちの生活そのものを見直す必要があるのではないのか、というところを根本的に考えるためのチャンスを失ってしまうからである。川も湖もダムも、そこにあるのはただ単に物質としての水で、私たちの命の源であるという実感を持てないというのでは、あまりにも寂しい。
 ミネラルウォーターを極めることもよいが、地元の水についても、もっとしっかり考える必要があると強く感じた。 
(京都精華大学 角野有香)


"ペットボトルウォーター"の歴史に関しての記事が大変参考になった。三ツ矢サイダーが元祖天然水であることを知り、その歴史の古さに驚いた。
(住友建設(株) 高橋直樹)

 土木学会誌に映画監督が執筆されていて少し驚きましたが、文章表現がわかりやすく、またテーマがミネラルウォーターと、とても身近なものだったため興味深く読ませていただきました。土木が扱うテーマは最も私たちの日常に関わってくるものばかりであり、今回の様に一見すると土木分野とはあまりゆかりのなさそうな方や、土木構造物を実際の利用される方、地域の住民など土木の専門家以外の様々な立場の方が執筆されることは、土木の専門家とはまたひと味違った意見や考え方を聞くことができ良いと思います。
(オリエンタルコンサルタンツ 富田早季)

 巻頭論説からはじまる、今回の特集「水資源は大丈夫」は面白かった。さまざまな切り口の論説が紹介されていて良かったと思う。21世紀の地球環境問題を議論するうえで、「水」、特に「安全な水」の確保は重要である。わらわれの地球上にある水のうち、流れていて本当に利用できるものは本当に少ない。特に、本論説はたいへん興味深かった。社会現象としてのペットボトルウォーターは、その市場のおおきさに驚くとともに、現代技術が「おいしい水」、「安全な水」を供給できない悲しさでもある。本当に、昔飲んだ井戸水の味が忘れられない。
(電源開発 喜多村雄一)

 ミネラルウォーター市場の急成長の理由として、本レポートでは水道の水質に起因する項目に対する分析だけではなく、アンケート結果から、「健康のために飲む」という水道水の水質にあまり左右されないと思われる項目が上位にきていることに着目し、ミネラルウォーターを健康飲料としての観点から分析している点が大変興味深かったです。
 今後、ミネラルウォーターの利用に関して、水道水の代替という利用と健康飲料という利用の二分化されていくのではないかと感じました。
 また、映画監督という土木とあまり関わりの深くない業種の方の記事ということも新鮮に感じます。これからも多くの異業種の方に執筆していただきたいと思います。
(水資源開発公団 大島伸介)

 筆者が映画監督とは驚き。
(アジア航測梶@天野 篤)

 飲み水に関して、当初は上水道の普及が切望され、蛇口をひねって水が自由に使える状況になると、次は高品質な水道水が望まれた。さらに、人々はおいしい水を求め出し、最近は健康・美容を飲み水に求めるようになってきているようだ。この傾向はそろそろ収束するような気がするのだが、本当の答えは将来を待つしかないだろう。それにしても、人間の欲望は飽くなきものであることを、改めてこの記事から悟った。
 そう考えると、公共の社会資本ストックはコスト縮減の観点からも無駄と思われるものを省き、単一な機能のみを満たしているものが少なくないため、人々の価値観が変化した現在となっては関心が薄れてしまうのも当然かもしれない。それでは、社会資本を飲み水に例えた場合、おいしさや健康・美容はどのようなものを指すのだろうか。環境・利用・歴史・文化などの他に、ワクワクするようなもの、ドキドキするようなものなども含めて、いろいろな要素が想定されると思う。公共事業でそこまでやらなきゃいけないのか、といった議論も当然出てくるだろう。しかし、これからは人々と同じ目線に立ち、それぞれの施設ごとに将来あるべき姿をまず考えていくことが重要ではないだろうか。これには徹底的な情報公開と住民参加が不可欠である。コストや法制度などの障害をどう克服していくかについてはその後に議論すべきだと思う。飲み水の事例と同じように、多機能で付加価値の高いものが多くの人に支持されるはずだ。
(五洋建設(株)水流正人)

 フランスの「ヴィッテル」の水源の環境保護についての考え方を読み、日本の法的規制の問題が浮き彫りになったと思う。今後は、水源の周辺の環境保護についての基準も必要な時代になっていると思う。
((株)地域みらい 北原良彦)

 自分自身の周辺もまさに述べられている通りの状況となっている。この夏に耳にしたのであるが、水道水源の水質悪化で水道水がカビ臭いと苦情が出て、新聞紙上をにぎ合わせた。しかし、若者からすれば特にそういったことは感じていないとしている。これは何故かと聞いてみると、若者は水道水は呑まず市販のペットボトルウオーターを呑んでいたのである。現在はこういった状況である。人間は高級志向及び嗜好の多様化に伴い仕方がない面もあるものの、水道水の水質については考えさせられる現象である。
(中電技術コンサルタント(株) 佐々並敏明)


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