土木学会誌11月号モニター回答

シリーズ特集 21世紀の社会資本を創る
投稿 世界のダム開発


 本文記事中では、ダムの有効性について、非常に解りやすい形で門外漢に示していただけたと同時に、単純に「ダムは良い/悪い」という議論に焦点が収束している感じを受けた。
 都市化社会における水資源の重要性は承知した上で、今後の人口減少の流れなどを考慮すれば、別の方策(国土・都市構造、土地利用なども踏まえて)による解決法も考えられないだろうか。水力発電のメリットの議論の中で、単に土地を電力供給のルートとして考えるのではなく、そこに固有の自然環境として捉える見方もあるだろう。
 一種の理想論かもしれないが、本号特集のように、デザインという言葉の意味がプロセスを重視していく流れの中、モノをつくるデザインと並行してモノをつくらないデザイン論が語られる必要があるのではないだろうか。そのプロセスを経て、あくまでモノをつくることによる解決という中で、初めてダムというモノのメリットが出てくるのではないだろうか。
(都市計画設計研究所 平井一歩)


 ダム開発に対しては、世界的に逆風が吹いているが、ダムによる水力発電、洪水調節、飲料水確保など、ダムによる便益は計り知れず、とりわけ発展途上国では、不足する電力をまかなうために、今後もダム建設を継続していくべきであろう。我々土木技術者は、世界銀行などの国際金融機関、国際的に影響力のある政治家などに、直接・間接を問わず、専門家としての立場から、積極的にロビー活動をしていく必要があると考えている。それは、金融機関や政治家達などの向こう側にいる国民を「主」とする民主主義の原則に基づいた行動であると考える。ダムあるいは水力は、石油やガスなど他のエネルギー源と比較すると、母体となる産業界や関係機関がこうした行動に不慣れのようなので、勉強しながら行動に移していくべきであろう。
(室蘭工業大学 矢吹信喜)


 記事の中で電力需要が今のまま伸びれば2030年には現在の2倍以上になるという事に対しては恐怖感をいだきました。CO2削減のため、工業や産業のさまざまな部分で電動 化が進んでいますが、その分発電所でCO2を多く排出しては意味がないという事がよくわかりました。世界中のダム開発で日本のダム技術と資本が必要とされているようですが、ダム開発で問題となる地球環境に対する技術レベルは欧米の方が高いとおもいます。ここで思うのは国際的なJVを起こしやすい何かしらの支援体制を整えて、地球全体で地球環境に取り組んでゆかなければと感じます。
((株)熊谷組 藤原正明)


 ダム反対の声には、水没に伴う地域社会への影響、自然環境への影響、あるいは、必要性の有無の面等からのものなどがある。これらの意見が出てきた背景の一つに、関連する社会基盤の整備の進展とこれに伴う住民意識の多様化などがあろう。国土資源を高度に利用していかなければならないこと、また、急峻な地形的条件下において安全で豊かな生活を実現していかなければならないわが国においては、多目的ダムは有用な社会基盤施設であることには変わりはないと考える。しかし、これからのダム計画やその建設に当たっては、これらの意見に示されている問題点をよく吟味し、その検討結果を関係者に十分説明し納得を得るように努め、その結果、多数の賛同が得られなければダム計画を断念することも止む得ないことと思う。いずれにしても、一方的な見地からの意見 等でもってダム建設の是非が結論ずけられていくこ との無いようにすることが肝心であろう。
(松江高専 裏戸 勉)


 一つの考え方として興味深く読ませていただいた。ダムの必要性は十分伝わってきたが、「ダムはムダ」という反対意見が少なかったため、説得力に欠けているように思う。
(金沢工業大学 田辺義博)


 少し前まで、社会資本整備によって私たちのの生活が豊かになるとを信じていた人は多かったと思う。しかし、現実は、思っていたほど豊かになったわけでなく逆に、自然破壊による将来への不安を大きく募らせている人が多い気がする。つまり、社会資本整備による大きな経済的な効果よりも環境保全による持続可能な発展を望む傾向が強いのではないか。
 ダムの水需要管理能力・リスク軽減能力は誰もが認めるところではあるが,嗜好の変化をみると,環境に関してどんな形であれ反対があれば,必要・不必要の議論を深め,誰もが理解でき,そして不安の少ないダム整備を目指すべきだと思う。
(片平エンジニアリング 松本猛秀)


「ダムはもういらない」という声がそれほど大きいという認識は正直言ってなかった。土木技術者の前に一般市民(というより人類の一員)として環境問題は今後特に重視する問題だと思うが、昨今の風潮では、自然そのものを残すことに重点が置かれすぎているように感じていた。人類は太古から自然(樹木、天然資源)を利用して暮らしてきた。その点からいうと環境問題は自然そのものを残すという議論ではなく、自然と如何に共存するか(生態系そのものではなく、生態系の多様性を如何に確保するか)の議論であり、行動が環境に如何にインパクトを与えるか、それの代替措置を如何に考えるかという議論だと思う。その点、この報告はCO2問題に対する水力発電のインパクトとその効用について明確にしており、非常にわかりやすかった。環境問題が重視される中、このような検討が公の場で議論されることを望む。さらに、CO2のみならず、生態系への影響その他に関する検討結果を投稿してもらうことを、期待する。
(大阪ガス株式会社 西崎丈能)


 ダム開発に反対の声があがっている原因として、情報公開の遅れが大きく関係しているのは確かだと思う。ダムが本当に必要であるということを現在の状況とともに示さなければ、一般国民は自然環境への影響や、移転強制など悪いことばかりでダムを作るのは反対だ、ということになる。今、渇水で困っているわけではないのでダムの必要さが分からないのである。毎日十分水があり、暮らすことができるのでダムはこれで十分、これ以上はムダであると思ってしまう。これは自然な考えであると思う。
 現在、私は水道事業便益の評価に関する研究を行っているが、水道もダムとよく似ている。今給水が止まるわけではないけれども、期間を決めて更新しなければ漏水してしまう。水道の場合、事業にかかる費用は水道料金値上げにつながる。そのため住民に事業の必要性を示さなければならない。新しく建設され便利になるインフラでは、一般国民も事業の重要性が理解しやすいが、事業が行われても直接変化が感じられない事業はムダに感じてしまうのである。本文でも少し触れられていたが、便益費用の概念が重要になるのではないかと思う。ダムの効用を示し、徹底的な情報公開をすれば、ダムに対する国民の考えも変わるのではないだろうか。
(鳥取大学 飯田奈穂)


 昨今の原子力関連施設の事故を見るにつけ、必要な電力需要を確保するためにどの様なインフラ形態を選択することが最適であるかを大きな視点で議論する必要があると感じる。その場合に、地球規模レベルで自然環境へ与えるインパクトの総計が最小となる様、議論されることが重要と考える。世論におけるダム建設に対する批判の最大の矛先は自然環境破壊に対する危惧であろう。反対派・推進派双方が充分な議論を深め、事業を展開することが重要と考える。そういった意味で、例えばアメリカでのダム反対論の主旨を記載する等、ダム建設反対派の主張を記載してもらいたかった。
(新日本製鐵 石田宗弘)


 「ダムは本当にいらない」のかどうか、定量的に判断するのは非常に難しい議論だと思います。ただ、本当に必要ならば、そのことを適切に評価し、国民に理解されなければならないでしょう。そのための努力は徹底的になされるべきです。ダムにより、いろいろな間接的効果、付加価値があるのは理解できますが、「だから必要である」ということには直接結びつかないと思います。その当たりの議論が必要だと思います。国土の安全、国民の安心を図りながら、土木技術全体のさらなる発展に寄与できる方向で、今後の社会資本整備がなされていくことを学会を通じて議論されればと思います。
(建設省土木研究所基礎研究室 西谷雅弘)


 本稿を拝読し、まず「なぜそこまでダム建設に拘るのだろう」という印象を持った。ダム建設の是非についてはなんとも言えない面があるが、単純なダム礼賛に終始する論調には素直には賛同できない。
 ダム建設によって可能になる水力発電電力は確かに二酸化炭素を排出せず、ダム湖建設(→森林破壊)によるCO2吸収能力減少量は、火力発電によるCO2排出量を下回るであろうし、治水上の利点も多い。しかし、本稿では生態系の変化等の悪条件についてはほとんど検証されず、反対意見を便益に比して小さなものと切り捨ててしまっている。
 文中に「ダム湖は人造湖であるが、時が経てば自然の湖に似てくる。時間が解決する問題であり、自然破壊とは言えない」という記述が出てくるが、極めて危険な思想であるといわざるを得ない。自然に対していかなる所為を加えようと、長い年月のうちに自然のものに溶け込んで行くのは当たり前である。このような思想は自然に対するいかなる所為をも正当化するものであり、環境破壊が問題となっている昨今では到底受け入れられるものではない。人間の手が入った“自然”は、もはや本当の意味での自然とは言えない“似て非なるもの”に過ぎないのではないだろうか。
 もちろん、“ダム=悪”というつもりはない。本稿で述べられているような利益が多く得られるのも事実であり、一部で“ダム=自然破壊”と切り捨てられていることにも賛同はできない。しかし、そのインパクトの大きさを考えると、ダム建設という選択が最適解であるのか否かは個別案件のみならず地域社会、ひいては国家建設レベルまで引き上げて検討する必要があるように感じられる。  ダムに限ったことではないが、大規模インフラ整備計画の考え方について改めて考えさせられる記事であった。
(東日本旅客鉄道梶@太田正彦)


 「ダムは、不要。」と聞くことののほうが多かった私にとって、あえて「ダムは、必要。」という意見に大変新鮮に感じました。現在では、ダム建設にあたって、建設予定地の自然環境破壊、そこに住んでいる人々の生活の補償問題などのダムに関してマイナスイメージばかりがつきまとっていると思います。「破壊された自然環境は、時間が解決し、本質的な破壊には至らず、リフォームということになる。」といったことや、「ダムの持つエネルギー」についても今までの私の考えを一新するようなことばかりでした。
 公共事業は、より多く人々が利益をもたらすものではなければならないと思います。しかし、すべての人が、利益を被ることは無理なので、誰かが犠牲を払わなければいけなくなることになります。ダムだけでなくどんな計画に対しても、犠牲を最小限になるような、そして、未来に向けての案を実行して欲しいと思います。
(徳島大学 田中映子)

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