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1. デザインという仕事に対する誤解
今年度も景観・デザイン賞の募集をしたい.昨年度の第1回に続き2回目となる.会員諸氏はこの景観・デザイン賞についてどう感じておられるのだろうか.大方の会員諸氏は自分には無縁のものと思っているのではないか.特に現場の第1線で活躍されている官公庁やコンサルタント, あるいはゼネコンのエンジニア諸氏がそう思っているのではないかと恐れる.自分には無縁のものと考える根底にはデザインという仕事に対する誤解がある.
我国ではデザインと言うと, マスコミに登場するファッションを思い浮べる人が多いのではないか.その為か, 表面的な飾り, 本質とは無関係の余計なもの, 一種の遊び, 売らんが為の一時のはやり流行, 時には誤魔化し.それがデザインであると考えてはいまいか.つまり, デザインとはまともなエンジニアが手を出すべきことではない, そう考えているのではないか.
2. 土木の仕事
このようなデザインにまつわる軽佻浮薄なイメージとは対照的な位置に土木の仕事はある.質実剛健, 泥臭い男の仕事, それが土木であり, 民を救済し, 国家や人類のためにあるのが伝統ある土木の仕事であった.この土木の精神は大河津分水の竣工に当って青山士が残した「万象に天意を覚る者は幸いなり, 人類の為国の為」という言葉によく表れている.
3. 土木のデザインの意味
こう考えるとデザインと土木は無縁であるかのように思われる.しかし本当にそうであろうか.確かに土木の仕事の真髄は人々の暮しを安全に, 快適に, 更には豊かにすることにある.だが土木の仕事がそのような形而下のレベルに留まれるものだとは到底思えない.何故なら土木とは人間が暮らしていく空間と環境を, 更には風景を変え, 創り上げていく仕事だからである.それが人間の心と精神に影響を及ぼさぬ筈はない.アウトバーンの建設理念はこの辺の事情を指してこう言う.
「風景と土地とは, 人の生活と文化の基礎であり, 人を養育し, 人を作りあげる故郷である.技術者は, 社会の基盤を築く者であるという認識を持つならば, 風景と土地が保存されるように仕事をし, かつここから新しい文化価値が生れるように, その構造物を設計し, 創造する義務を有するものである.」
ここにデザインの意義が明確に語られているように,道路や橋梁は人や車が通れればよいと言うものではない.それは我々の生活空間を形づくり, 国土の風景となり, 時に心の拠り所ともなる存在である.つまり, 人々の暮しを安全に, 快適に, 更には豊かにするのが土木の仕事だとするなら, 人々の暮しに安寧と美しさを与え, 更には精神と心に豊かさをもたらすが土木のデザインの役割に外ならない.高度成長以来のエンジニアは, そして国民もこの当たり前の事実を忘れていたのではないか.
4. 国土と精神の荒廃を救済しよう
飾りではなく実質, 余計なものではなく不可欠, 遊びではなく誠実, はやり流行ではなく不易, 時にはエンジニアの祈り, それが土木のデザインである.国土と人々の魂の救済を願って, 心を込めて丁寧に作り上げること.この土木のデザインという行為を通じて, 高度成長以来の右から左へ機械的に仕事を流すことに疲れたエンジニア自身の魂も救われるのではないか.
我国の都市, 田園, 国土の荒廃に危機感を抱き, こういう現在を招いてしまったエンジニアの精神の荒廃を憂える人々こそ, 土木のデザインが必要としているエンジニアである.丁寧に心を込めて, むしろひっそりと在る作品の応募を願う.
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