受賞作品/関係者リスト


 序 文
amano

 

 

美しい解法としてのデザイン

 

天野 光一 土木学会景観・デザイン委員会委員長
日本大学 理工学部社会交通工学科 教授
 小生は、かって数学を志す若者であった。大学生時代に数学から景観へ大きく志を変えた。まったく異なるのかと問われれば、そうではないと答えたい。数学では、その解法で、必ず美しいということが言われ、「エレガントな解」が評価される。風景の美しさとは異なるものの、共通点がある。ある命題が与えられた時、それが解ければ良いのではなく、美しく解く必要がある。それは、デザインという行為も同様であろう。ある空間を、ある構造物を設計するとき、その制約条件を満足するだけではなく、美しく解く、これこそデザインであろう。また、数学者藤原正彦氏はこう言っている。美しい数学ほど、後になって高い応用価値を生む。醜い数学は、鑑賞に堪えぬばかりか有用性にも欠ける。空間や構造物も同じではないだろうか。また、同氏は数学者には美意識が不可欠であり、それを育てるためには、美しい風景、歴史、文化に触れる必要があるとも言っている。インドの偉大な数学者ラマヌジャンの故郷を同氏が訪れた際、南インドクンバナコム近傍のタンジャブールのブリハディシュワラ寺院を訪問し、その美しさ雄大さ、そしてそれを生み出す技術と文化の存在が、ラマヌジャンの天才を育むことに大きく寄与していることを実感したとも言っている。まさに我が意を得たりである。デザインという行為は、美しい風景を生み出すための「美しい解法」であり、それによって生み出された美しい風景は、ただその美しさを鑑賞し、楽しみにするだけではなく、我々の感性を磨き、人間力を育て上げるための力を持っていると考える。

 美しい風景を創りあげる行為であるデザインの、「美しい解法」の要件は何であろうか。30年ほど前に小生がフランスに滞在していた時、公共施設の整備においてパブリックコメントのようなものが義務付けられていたが、その中では、「風景の中にどのように挿入されるか」ということが常に問われていた。また、セーヌ川河畔のヴォアジョルジュポンポドゥという自動車専用道路の計画においては、恋人たちと散策者たちのために河岸空間を保全するということも言われていた。小生なりに解釈すると、風景の中に違和感なく挿入すること、また、そこに生活する者にとって居心地の良い空間を創出すること、これらは、「美しい解法」を見出すための観点といってもよいと考える。今回の受賞作品を見ると、土佐くろしお鉄道中村駅リノベーション、大阪市中之島公園、各務原瞑想の森は、それぞれコンセプトは異なるものの、居心地の良い空間を生み出したものであろうし、新四万十川橋は違和感なく風景の中に挿入されている。

 ところで、先日、小生の盟友のパーティで中村良夫先生の挨拶を伺う機会があった。「無のデザイン」というキーワードをお聞きした。その時は、無い方が良い物のデザイン論とは、存在しながらも無を追及するという話であったかと思うが、敷衍すれば、解かれていることさえ気づかせない美しい解法とも解釈でき、つまりあからさまでないデザイン行為も入るのかもしれないと感じた。今回の受賞作品のいくつかも、年月を経ることによって、あたかも前からそうであったかのように成熟していくのではないだろうか。  美しい風景の持つ力を信じ、美しい解法である「デザイン」という行為を通じて、感性豊かで、文化的な国民を育む、美しい日本の風景が達成されることを願って、筆をおきたい。
 
 総 評
kitamura

 

 

きらりと光るものを

 

北村眞一(山梨大学教授)
景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会委員長
 景観デザイン賞の選考はとても魅力的である。どのような作品が応募されるのかわくわくしながら応募作品集を開けてみる。そこには設計者や事業者の創造性と思いのこもった貴重な作品群がある。一つ一つの作品に目を通しながら、発見的に見たり、批判的に見たり、利用者の立場や、設計者の立場や、施工者の立場や、事業者の立場などから何を思ってこの形を捻出したのか、多面的に想像を巡らす。すべてを現地へ赴いて確認することはできなかったが、できる限りの想像力を働かせて作品に対峙する。選考委員には作品の是々非々を見抜かなければならない苦労がある。そして景観デザイン賞を世に出す時点で選考委員会が批評にさらされる番が来るのである。選考に当たって応募者や関係者とのコミュニケーションができないのも気掛かりである。選考委員も神では無いので、デザイン過程の苦労のすべてを見抜くことは難しいのが実際のところであろう。

 さて、本年の選考の対象は9件に加え先行応募の1件を加え10件であった。昨年は14件であり、本年は昨年より4件減少した。未曾有の大災害であった東日本大震災の復興もまだまだ十分には進んではいない。この賞への震災の影響はまだ続いていると見るべきであろう。一方で長期的に応募作品数の低減傾向もあり、経済の低迷という時代の流れの影響も無視できない。表彰する側でも制度の見直しや情報発信など何らかの対策が必要な時期に来ているのかもしれない。設計者には費用面や組織面などでの厳しい制約条件下でも何とか豊かな発想で、小規模であってもデザインに工夫をした作品を期待したい。また埋もれた作品が無いような工夫として、一定の技術とデザインの価値を認められた作品を網羅した年間の選集のようなものの発行も有効であろう。

 今年の応募作品10件の内訳は橋梁4件、道路1件、河川水辺1件(公園緑地と一体)、鉄道駅1件、水道施設1件、公園緑地1件、駐輪場1件であった。そのうち最優秀賞2件、優秀賞2件、奨励賞1件が受賞となり、特別賞に値するものはなかった。応募作品の内訳は例年の傾向に比べ、河川水辺が減った。近年東北地方の受賞作品が見当たらないが、震災の復興を願うとともに優れた作品を期待したい。また今年の作品では「公共性」の観点から審査及び受賞対象として特に問題のあるものは見当たらなかった。

 今年は最優秀賞を2件選ばせていただいた。この賞では事業規模を分けて評価していないので、小さいものは価値が低く見られがちである。また発想が良いだけではなかなか評価しにくいものがあるが、今年は思い切って小規模でかつ発想の優れたものを評価させていただいた。「中村駅リノベーション」がそれに当たる。小規模な駅の改修ではあるが、発想が優れており、駅の空間は実際によく利用されている。一方でしっかりとデザインされ工夫に飛んだ優れた作品として「中之島公園再整備計画」を選考した。特に再整備前は水面とは隔離されたデザインであった公園を、水面とのコミュニケーションを豊かに改善している点を評価したい。いずれもきらりと光るものを持っていると思う。

 優秀賞はしっかりとしたデザインの力作である。「新四万十川橋」は微妙な曲線の桁の形に工夫が見られ、すっきりとした嫌みの無い形状を達成している点を評価したい。「瞑想の森」は、建築と一体になった墓園と溜め池及び周囲の森林の全体構成が癒しの空間として優れている点を評価したい。

 奨励賞は将来の期待を込めて選ばせていただいた。「ポロクル」は、自転車のシェアのシステムであるが、デザインに工夫された興味深い試みであり、現状では整備途上の段階で、まだ箇所数や立地場所も限界が見られるが、将来への発展性を評価したい。

 総じて選考に当たっては、発想にきらりと光るもの、デザイン力が優れたものは勿論、奇をてらわない普通でも優れたデザインを見落とさないように努めた。
 施設のデザインに携わる方々には、今後とも実践において大いに創造性を発揮していただき、多数の作品を応募していただければ幸いである。
 
kabaki

 

 

 

デザインの領域

 

椛木洋子(株式会社エイト日本技術開発 交通インフラ事業本部構造事業部)
  これまで受賞した作品のみを見る立場であったが、今年から審査員という、応募作品全てを見ることができる立場に変わった。驚いたのは、応募作品の多様性である。土木の領域が広範囲であることに加え、デザイン対象が、実際に構築されるものだけでなく、創出される空間はもちろん、創り出すためのシステムという実像以外にも広がっている。今年の受賞作品にその特徴が際だって現れている。

 一つめは最優秀賞の「土佐くろしお鉄道中村駅リノベーション」である。一見すると、わずかな予算で駅なかを改装しただけであるが、改札を廃したことにより、単なる駅の待合室が、人々の集う街の中心にある落ち着いた空間に変身したかのようである。多くの地方都市が抱えている駅前シャッター通り解消の一つのヒントになるのではないか。

 もう一つは、奨励賞の「札幌みんなのサイクル ポロクル」である。具体のデザインそのものより、街中でのサイクルシェアリングサービスというシステム構築が評価の対象であった。冬季利用できない期間が1年の1/3以上を占めるという非常に不利な条件の下、今後このシステムが拡大すれば、駐輪場問題に頭を抱える多くの自治体に大きな示唆を与えるのではないか。そんな期待を抱かせる「作品」である。

 最優秀賞のもう一つ「中之島公園再整備計画」は「都市・自然・人の関係再生」という目的を十分果たしている。特に浸水のリスクを容認したうえで、水辺と人を接近させた施設のデザインは最優秀賞という評価に値する。

 優秀賞の2作品、「瞑想の森」と「新四万十川橋」は、各々優れたデザインであり、一定の評価を受けたが、「特に」というレベルには至っていないという判断がなされた。

 今回の審査員各々の講評を読んで頂くと、審査員間の長時間に及ぶ議論を推察して頂けるのではないかと思う。来年以降も、多くの作品に出会い、驚き、審査員相互で熱い議論を交わしたいと思う。
 
takami

 

 

この賞の立ち位置 -施設と分野とその評価基準-

 

 

高見公雄(法政大学デザイン工学部 教授/(株)日本都市総合研究所 代表)
 今年度より土木学会デザイン賞のメンバーに加わらせて頂き、審査の立場から作品を見て、考えさせられることが多かった。それが「施設と分野とその評価の基準」といった感想である。「施設と分野」、という意味は例えば「橋」のように土木にのみ帰属するであろう施設の他、造園分野、建築分野、都市分野などにも帰属しそうな施設について、ここでどう評価するのかといった点である。個別施設の評価をする場はここであるか、公園などのようにそれのみならここではないでしょう、という作品もあり、その整理が悩ましいと感じた。また「評価基準」という意味は、人の手にとれるようなモノの出来ばえから、膨大な重量を支えつつかつ広大な空間との対比をみるべきものまで、スケールの違いとともに、人間との関係性の違いや製作技術の制約の大小を同じ土俵で評価していくことの難しさである。そういった点からは、土木学会デザイン賞の対象とする施設なり、分野なりについて今少し明確にした方が賞としての立ち位置がはっきりするのではないかと思いつつの審査であった。
 今年度の応募作品については、単体施設としては橋が多い一方、最優秀賞となった中村駅や奨励賞のポロクルなど、その取り組みやシステムとしての社会的意義を評価すべきものまで、応募数は限定的な中、評価対象のバリエーションは豊かであった。なのでさらに施設と分野とその評価の基準が気になったのである。分野・種類として一例ずつ出てきた比較してよいのかという作品を「デザイン」という観点から評価する、そしていくつかを選びその他を選外にする。その選択の基準のようなものへの不安である。しかしながら、だからこそこの賞は審査員の任期が短く、どんどん変わっていくのか、という出口をみつけた。すなわち、時々の審査メンバーが作り出す「デザイン賞」がこの賞の立ち位置なのかと。
 
toda

 

 

デザインの発見

 

 

戸田知佐(オンサイト計画設計事務所 パートナー/取締役)

 デザインの中にいつも新しい発見やメッセージ性があって欲しいと思う。それは奇抜なデザインという意味ではなく、現代社会を問い続けるような、より健やかな生活への欲求のような物。沢山の物にあふれて便利という豊かさではなく、環境とともに生きながら自分の周りのものに敏感でそれらに感謝し続けられるような豊かさ。

 バブルの時の箱物行政が避難され、環境配慮の思想が浸透してきた今、「環境はデザインするものではなく保存すべき物」という見方が強くなってきた。確かに不必要なものをつくる必要はないし、過剰装飾された広場も必要ない。でもそれがデザイン不要説にはつながるのはおかしい。自然環境と人間が共生するためにはデザインが必要なのである。それは新しい物をつくるというよりも、歴史と未来をつないでいくような空間づくり。最低限でそして最大限の効果を得られ、未来への遺産になるようなデザインの質の議論が今だからこそ必要に思う。

 私が価値を見いだすのは、押しつけられた公共性ではなく、個人の自由が沢山ある公共性である。公共空間の中にいかに個人的な豊かな体験ができる場所があるかという事。パブリックの中でのプライベートの確立ができて初めて真の豊かさを創り出せるのではないか。100人の人がまあまあだと思う最大公約数的なデザインではなく、使う人のニーズを純化させてその場所にしか出来ないデザイン。そんな個性のある場所が街の中に複数存在すれば、どこかに自分の大好きな場所が見つかるはずである。

 今年の審査の中では、そんな視点からのデザインの議論が少し出来たのではないかと思う。何が意味のあるデザインなのか、その空間の存在価値はどこにあるのか、多様な空間を一つの評価軸の中で議論するためには、そんなプリミティブな所に戻る必要がある。こんなに物があふれかえっている時代だからこそ本当に必要な物を見極める事が、これからのデザインの可能性を広げる。
 
nagumo

 

 

地域を元気に!

 

 

南雲 勝志(ナグモデザイン事務所 代表)
  デザイン賞は土木における技術やデザインの優れたものを選出し、積極的に社会に広めていこうという取り組みだが、なぜか応募数は減少している。理由はともあれ、いずれにしろひとつの転換期を迎えている事は間違いないと思う。

 そんな中、今年の最優秀は対極とも言える2作品が受賞した。「大阪市中之島公園」は土佐堀川・堂島川に囲まれた都心のシンボルともいえる公園の再整備。歴史的建築や橋梁との空間的融合を計り、歴史、文化、自然を感じられる場所を市民と共に作り出し、大阪に元気を呼び戻そうという官民一体の計画である。親水性を増すことで全体の誘導性を確保し、各拠点の広場へのイベントの誘導、さらに自然環境の創出など、規模も大きく、ランドスケープデザイン、土木技術の総合力を駆使して実践した作品といえる。

 対して「土佐くろしお鉄道中村駅リノベーション」は疲弊が続く地方都市に於いて、今後いかにまちを元気にして行くか?という点で共通性があるが、規模も予算額も遙かに小さい。設計者によると設計をスタートするまで10年近く地元への説得に費やし、リノベーションはその最後の成果であったという。それは駅を拠点にもう一度まちの中心を作りたいという設計者の愛ではないだろうか。その気持ちが市民に伝わり成功した。予算が間違いなく減少していくなかで、公共の利益をローコストで構築する可能性を示している。以前、選考委員のコメントに「小さくもキラリと光る作品を見つけたい。」と書いたが、そんな作品に出会えた気がした。地域や人々に対して勇気や希望を与えるという価値観はより増して行く。規模の大小に関わらず、土木デザインにその思想をいかに埋め込めるかが今後の社会に対する価値を大きく決定付けていくような気がしている。

 最後に三年間の選考委員を努めさせていただいた間、幹事や選考委員の皆さんには大変お世話になりました。また多くの関係者の皆さんとデザインの議論が出来たことに感謝いたします。
 
nishimura

 

 

「普通」という価値

 

 

西村 浩(ワークヴィジョンズ 代表/北海道教育大学芸術課程 特任教授)
 審査委員も今年で2年目、土木学会デザイン賞に関わって感じることは、土木と一言にいっても、そのジャンルが多種多様で、そこに各々独自の価値観を持つ専門家が審査委員として関わるわけだから、応募作品の評価基準を共有することがとても難しいということだ。だから、例年通り審査の議論は白熱し、意見の集約は困難を極めたことは言うまでもないが、議論の過程で出てきたある発言を切り口に、僕なりの総評をここでまとめてみたいと思う。

 それは「これって普通だよね」という言葉である。ニュアンスから言えば、「普通」であることを否定的に扱う発言だが、ここで考えたいことは、「普通」とは何かということだ。議論し尽くせないテーマかもしれないが、僕は、「普通であること」つまり「慣れ親しんだ当たり前のこと」が日常生活の側に寄り添っているからこそ、人々は安心して暮らせるのではないかと思っている。モノづくりにおいて大切なことは、これまでの「普通」を疑い、そして改めてこれからの「普通」を考えることだ。だが、「普通」という価値に常に意識的でいることは、実はなかなか難しい。

 今回の審査過程を振り返れば、これからの社会を支える「普通」へと定着させる意識の低い作品は、残念ながら選外となった。“デザイン”とか“賞”といった言葉に惑わされず、当たり前のことをより豊かな当たり前のことに洗練・進化させていく思考こそが、本賞の理念に相応しいモノづくりの基本だと思う。

 ただ、これまでの右肩上がりの時代とは社会の価値観が大きく変わりつつある今、これまでの常識とは相当にかけ離れた思考が生まれることもあるはずだ。そしてその遠い未来に向けた思考を、この現在にモノとして落とし込むには、これまでの当たり前の価値観にどっぷり浸かった社会の壁を突破する力が必要なのだ。最優秀賞の2作品は特に、未来を切り開く突破力を備え、そして僕には、その先に、新しい「普通という価値」が透けて見えるのである。
yamamichi

 

 

 

地域社会と土木 関係修復のデザインを

 

山道 省三(NPO法人全国水環境交流会 代表理事)
 今回の応募は、橋梁、建築物などの施設整備事例が多く、河川や道路、港湾、海浜等土地のデザイン事例が少なかった。河川や道路など国や自治体が管理する施設は、誰が応募するのか、応募費用は誰が出すのか、そもそも評価されることに馴染まない体質なのか、募集者側で研究してみる必要がありそうだ。

 今年の応募の中で特徴的な点は、リノベーション、再整備といった新たな視点で、リニューアルした事例に注目が集まったように思う。土佐くろしお鉄道中村駅、大阪中之島公園再整備、見方によっては、岐阜県各務原市の瞑想の森、札幌のポロクルも同様である。ここにおけるデザインの視点は、その施設が果たしてきた役割、原形構造やデザインを理解し、新たなセンスと素材で継承することにあったと考える。つまり、その土地なり施設なりが培ってきた地域社会との関係性の再構築、の継承が重要である。この60~70年の間に行われてきた土木事業の多くが、地域との関係性を無視し、コストや機能重視で展開されてきたため、地域コミュニティの喪失にも連なっている。中村駅はデザインの評価もさることながら、駅という地域拠点でのコミュニティの回復という視点が評価されたのではないか。施設が再整備された後の利用状況を見ると、そのような場をいかに多くの人たちが求めていたかがわかる。これは、大阪中之島公園再整備や瞑想の森整備にも共通する。成熟した都市や、耐用期限のきたインフラの整備に、自然環境や景観の回復が大きなテーマになっている。しかしながら単なる自然復元ではなく、地域社会との歴史や文化に眼を向けることがより重要である。土木施設と暮らしのあいだには、計画者の創造をはるかに越えた関係がある。そこにデザインのヒントが隠されている。これから、修復のデザインが多く応募されることを期待したい。