八幡堀の修景と保全

所在地:滋賀県近江八幡市宮内町 地図
事業者:滋賀県 土木交通部河港課、滋賀県 東近江土木事務所

 

受賞者

氏名
所属(当時)
役割
川端五兵衛 社団法人 近江八幡青年会議所(JC) ・修景保全実現への調整
・基本構想,計画の立案
西川幸治 京都大学 教授 ・保存修景計画の立案
・デザインアドバイス
山崎正史 京都大学 助手 ・景観現況調査,評価付け
・修景保全計画案(構想案)の作成
白井貞夫 八幡堀を守る会 ・修景保全後の市民活動取りまとめ,啓蒙活動
西村恵美子 八幡堀を守る会 ・修景保全後の市民活動取りまとめ,啓蒙活動
木ノ切英雄 八幡堀を守る会 ・修景保全後の市民活動取りまとめ, 啓蒙活動
苗村喜正 八幡堀を守る会 ・修景保全後の市民活動取りまとめ,啓蒙活動
社団法人 近江八幡青年会議所(JC) ・八幡堀保存修景運動発足
・各関係者との調整歴史的文化的な景観としての価値付け
八幡堀を守る会 ・景観、水質等の市民活動による管理
・市民への啓蒙活動
滋賀県 東近江土木事務所 ・八幡堀の保存修景事業の認可
・予算編成

 

講評
 「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」とは、この事業に関わった多くの市民に共有され、堀の再生をめぐって現在に至るまで連綿とつづけられた様々なアクションの基点になった認識である。この強い思いこそが、八幡堀とその周辺の景観整備のレベルをここまで押し上げたのだと、改めて感心させられた。実際に八幡堀を訪れてみて感じるのは、その環境の厚みである。むろん、その下地となっているのは、今から425年ほど前に城郭の内濠として開削され、近世から近代を通じてこの町を発祥とする近江商人の商業活動を支えた水路とその両側の町並みである。日本国内において、こうした歴史的な土木遺構が近代化の名のもとに次々と姿を消す中、この街とその人々はあえてその潮流に抗い、むしろその歴史性にこそ価値を見いだす選択をした。さらに、そこに新たな価値を付加することに躊躇することなく、時間をかけて様々な整備を実施してきたからこその「厚み」であるだろう。そこには、短期的な経済効率の追求とは一線を画する卓越した先見性をみてとることができるのである。特に、八幡堀と周辺の街づくりにおいて標榜されてきた「リバーシブル・デヴェロップメント」、即ち元の姿に戻すことによって公共の利益を促進するという可逆的開発の思想は、現在もなお有効であり続けており、同様の状況におかれている多くの地方都市にも多くの示唆を与えるものであると確信する。(宮城)

 

 八幡堀は、昭和時代の成果である。当時、交通手段が自動車に転換しつつある状況下にあって、多くの都市は、歴史的な水路や堀を埋め立てて道路とすることを当然のように考えた。土木、都市計画の世界も同様であったし、現在ではそれを反省している都市も多い。近江八幡、さらにはいくつかの都市は、これに対して疑問を抱き、都市の構造を変えないこと、そして都市の空間を昔ながらに維持していくという選択をした。この選択は正しかったし、またそれが歴史に根ざしたまちづくりに対する多くの人々の共感を得ている。
 堀をきれいに維持していくことが地域の役割、という考え方は現在では評価される要素であるが、おそらく当時は「それは役所の仕事」という時代であったと思う。現在ではエリアマネージメントということばもあるが、これも今の時点でいえることだと思う。そのための当時の運動をリードした関係者の努力に敬意を表すべきである。
 個々のディテイルをいえば、気になる点がある。例えば、橋の構造とデザイン。計画では木橋が基本となっているものだが、現実はほとんどは桁橋。中心から離れた地点の橋化(整備時期の遅い橋)は木橋である。それでもいいのでは、である。当時の土木技術はある意味そのレベルであった。ただ、八幡堀のこの仕事がなかったとすれば、その後の伝建地区も文化的景観もなかった。
 八幡堀の保存は、まちづくり、町並みの保存にとって重大なことであった。これに関わった多くの方々に敬意を示したい。(小出)