平成11年6月1日
建設省 九州地方建設局長 様

(社)土木学会 土木史研究委員会  委員長 大 熊  孝

第一白川橋梁の保全的存続に関する要請

益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。

貴局におかれましては、熊本県の立野ダム建設に伴い河川構造令にひっかかる等の理由から、第一白川橋梁の撤去を検討しておられるとうかがいました。

昭和2年に竣工した第一白川橋梁は、貴局もよくご承知されておられるように、わが国の橋梁史上きわめて重要な構造物であります。すなわち、第一白川橋梁は、鋼アーチ橋で、昭和2年当時は記録尽くめの橋でありました.まず、日本最初の鋼鉄道橋であり、土木学会誌1928(昭和3)年4月号によれば、「側径間は足場上において組立てを行ひ、中央径間は跳出組立てを行へり」とあります。つまり、両側の橋は谷の斜面に組まれ足場上で架設する。中央部は足場を用いずに、両側から釣り竿を伸ばすように跳ね出していき、中央で閉併合する方法です。この工法は現在では「張り出し工法」とよばれておりますが、我が国で最初に用いられたのが本橋であります。部材はリベットで接合されており、その数は39,986本で、鋼製のデリッククレーンも初めてここで使われました.本橋以前には日本電力が黒部峡谷の電源開発用に建設した専用鉄道の黒部橋(現黒部峡谷鉄道の旧山彦橋)がある程度で、本橋以後、国有鉄道では昭和13年に只見線で建設された一回り大きい第一只見川橋梁のみであります。また、すぐ近くには、トレッスルを有する立野橋梁があり、この形式の橋は九州では本橋しかなく、全国的にも珍しいものであります.この橋梁は第一白川橋梁の建設の際には、多くの資材と架設用機材の運搬に利用されたものである。このように第一白川橋梁は残された数少ない戦前の橋梁の中でも国鉄時代の先駆的な橋でもあります。

熊本県の近代化遺産のなかでも第一白川橋梁は三角西港や八代の10門の石造アーチを持つ郡築樋門と並んで貴重で、非常に価値ある土木遺産となっています.築後70年経過していますが、現在の使用頻度や通行荷重を考えても十分機能があり、登録文化財としての価値も十分あると考えています.また、橋梁としての規模も大きく、橋梁の建設地点は阿蘇の北向山原生林の近くであり、赤いアーチと細い部材で構成されているので橋梁が緑の自然の中にうまく溶け込んでおり、遠くから眺めると銅製のアーチの素晴らしさが渓谷の中に浮かび上がっており、見事であります。現在、トロッコ列車が観光用に走っていますが、車窓からは、黒川の合流によって白川の清流を眼下に一望でき、これまた壮観な眺めとなっています。このように観光的な面からもこの第一白川橋梁の果たす役割は非常に大きく、地域資産いや熊本県が誇れる遺産であります。 

さて、第一白川橋梁に関しましては、貴局内でいろいろとご検討されたと存じますが、以上述べたように土木文化財として非常に価値の高い点を十分勘案していただき、将来方針を再検討していただきますようお願い申し上げます。特に、土木構造物は本来、現地保存が原則であり、可能な限り現地保存をお願い致します。


  


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