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第I編 激動の10年を振り返る

第2章 10年の主な出来事

4.学会と社会とのかかわり

4.1 緊急災害に対する活動

4.1.1 災害緊急対応部門の設置と活動経緯

 土木学会は,1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に際し,中村 英夫会長(当時)の問題意識と判断力,行動力とによって速やかに対応し,翌日には第1次の学術調査団を派遣して土木構造物の被害調査を実施した.この大震災に対する土木学会としての学術調査団派遣は合計4次にわたり,その後は関連する各委員会ならびに特別委員会で調査研究活動が進められ,土木学会独自の提言や報告書が作成されただけでなく,関連学会との共同作業として膨大な報告書がとりまとめられた.
 しかしながら,このような大規模な緊急災害の発生に際し,土木学会として,誰が,どのような資格で,どのように学術調査団を組織し,派遣するのか,さらには学術調査団に対してどのような義務,権限を与えるのか等々,学術調査団の緊急派遣に関わる意思決定や事務処理等に関して,土木学会としての組織体制が確立されていなかった.そこで,土木学会理事会に属する部門会議の一つとして,「災害緊急対応部門会議」が組織化され,緊急災害発生時に学術団体としての中立性を保持しつつ,社会に対する責務としていかに即応すべきかについて検討した.
 この「災害緊急対応部門会議」は,当初2名の理事と3名の部門幹事で構成され,1996年11月に活動を開始した.ところで,実質的な審議に着手した直後の12月6日に長野県下で「蒲原沢土石流災害」が発生した.この時は,松尾 稔会長(当時)の即断,水理委員会の全面的支援,ならびに「災害緊急対応部門会議」や事務局の即応によって緊急調査団を派遣することができたが,災害情報の入手方法,調査団長の決定ならびに調査団の構成方法,調査団の費用負担方法等,いくつかの問題点が改めて露呈した.
 このため,「災害緊急対応部門会議」は事の重要性と緊急性を再認識し,2名の土木学会理事を追加して7名体制で「土木学会災害緊急対応マニュアル」とその内規,および「緊急調査団構成メンバー候補者リスト」の作成に取り組んできたが,1997年に土木学会理事会においてその原案が承認された.
 その後,「災害緊急対応部門会議」は理事2名,幹事2名構成となり,「災害緊急対応マニュアル」も後述するような内容に改訂されるとともに,土木学会専務理事を本部長,同事務局長を副本部長とする「災害対策本部」が設置されることになり,現在に至っている.


4.1.2 対象とする緊急災害の定義

社会基盤施設整備を担う土木工学の専門家集団である土木学会が,公正・中立な立場から,災害の原因究明と速やかな緊急対応,復旧・復興への提言を行うことは,土木学会の社会的貢献として非常に重要かつ意義深いことである.その際に緊急調査の対象とすべき災害は,地震等の自然災害だけではなく,社会基盤施設整備に関わる事故や災害等も含めるべきである.また,災害の程度としては,多数の死傷者が発生した災害は当然であるが,たとえ人的被害の程度が小さくても社会的影響が大きい災害は対象とすべきであり,学術的な原因究明を必要とする災害は被害の程度に関わらず調査団を派遣すべきである.しかしながら,土木学会が緊急調査団を派遣する災害は,あくまでも土木学会としての緊急対応が求められる災害に限定することはやむを得ないと判断した. 具体的には,慎重な議論の結果として,土木学会が緊急対応すべき災害を以下のように定義することにした.




4.1.3 災害緊急対応システムの構築

 緊急災害が発生した時に,土木学会として緊急調査団を派遣すべきかどうかを迅速に判断し,派遣決定後には速やかに調査団を構成し,災害現地へ派遣するとともに,調査結果を公表するためには,土木学会としての行動規範をマニュアル化しておく必要がある.さらに,マニュアルは土木学会の全構成員に対して周知徹底しておくとともに,全面的な協力を要請する必要がある.
このため,当部門は「土木学会 災害緊急対応マニュアル」の作成に取り組み,1996年末に原案を作成した後も推敲に推敲を重ね,1997年に理事会の了承を得た.しかし,同マニュアルはその後も改正され,最新版は2001年10月に改訂されたもので,以下のような構成となっている.



なお上述した現行版と平成9年版の違いのうち,特筆すべきものは以下のとおりである.




4.1.4 緊急調査団の派遣実績

 土木学会のホームページを開いて,「災害速報」をクリックすると,「災害緊急対応マニュアル」に則って派遣された緊急調査団リストを見ることができる.それによれば,これまでに国内向け12調査団,海外向け10調査団が派遣されており,それぞれの活動内容や報告書の内容も閲覧することができる.


4.1.5 今後の活動方針

 緊急災害がいつ,どこで発生するかを予知・予測することは困難もしくは不可能であると判断せざるを得ない.特に地震発生を正確に予知することは不可能であるにもかかわらず,確率統計的にいつ発生してもおかしくないと指摘されている地域がいくつか存在しており,東海地震に関しては特に注目されている.
 このため,当部門の活動には緊急性が要求されるとともに,その責任の重大さを認識しつつ,「土木学会災害緊急対応マニュアル」を策定し,「緊急調査団構成メンバー候補者リスト」を作成することができた.しかしながら,これらを本格的に実用化する直前の1997年7月に鹿児島県出水市で土石流災害が発生したため,原案作成段階のマニュアルを適用し,緊急調査団が派遣された.その後も,緊急災害の発生に対応して緊急調査団が派遣されているが,災害緊急対応システムそのものはいまだ十分とはいえない.したがって,潜在的な問題点の発見とその解決を行うとともに,より実践的なシステムに改良していく必要がある.
 また土木学会会員はいうに及ばず,広く一般市民に対しても「緊急災害対応システム」について周知徹底を図るとともに,派遣された調査団が取りまとめた報告書や提言の広報活動にもっと努力すべきであると思われる.


[山本 幸司]

4.2 阪神・淡路大震災と土木学会の活動

4.2.1 土木構造物の被害原因の究明

 阪神・淡路大震災による土木構造物の直接被害額は道路,鉄道,港湾,河川堤防等を併せて約1兆5千億円に達した.道路橋で崩壊又は大破したコンクリート橋脚は約80基,鉄道の高架橋では1 000本以上のコンクリートが破壊した.それらの多くがせん断耐力の不足による破壊で橋脚の大崩壊の原因となった.地下鉄の駅舎もコンクリート中柱のせん断破壊により崩壊した.大断面の地下構造物が大被害を受けたのは世界で初めての例となった.
 臨海埋立地および河川沿いの沖積低地で発生した液状化は港湾施設,橋梁,建物,産業施設および水道やガスなどのライフライン施設に甚大な被害を与えた.特に液状化地盤の側方流動により膨大な数のライフライン埋設管路が被害を受け,水道やガスの完全復旧には約3ヶ月の日時を要し,長期にわたって都市機能が麻痺した.
 土木学会は,これら土木構造物の被害の実態を調査するため,第1次から第4次にわたって調査団を被災地に派遣し,被害原因の究明を行った.調査結果は2次にわたって全国18会場で,延べ参加者16 000余名を集めて行われた.
 さらに,5学会(土木学会,日本建築学会,地盤工学会,日本機械学会,日本地震工学会)共同編纂による全26巻の報告書が刊行された1).このうち土木学会は13巻(総頁数:6 900頁)を担当したが,この中で土木構造物の被害の実態,被害原因の究明結果および将来の地震に対する社会基盤施設の地震防災性向上の教訓などが詳細に記述された.
 阪神・淡路大震災によって何故多くの土木構造物が無惨に破壊されたのか? その原因の一つは「震源断層近傍域で極めて破壊力のある地震動が発生し,断層近傍域に立地していた神戸など大都市圏の構造物を襲った」ということである.阪神・淡路大震災以前の土木構造物の耐震設計では,関東地震による東京の揺れに耐えるということが常に念頭にあった.阪神・淡路大震災による震源近傍域の地震動はこれをはるかに超えるものであった.構造物の耐震性を考える上で重大な見落としがあったことを謙虚に反省し,これを次の世代に伝えなければならない.


4.2.2 耐震設計法に関する提言

 阪神・淡路大震災はハードからソフト面まで多くの教訓を残したが,構造物の耐震設計や耐震補強に関して最も重要な教訓は「阪神・淡路大震災の震源断層近傍域で発生したような極めて稀な地震動に構造物が遭遇しても構造物を完全に破壊させることなく人命と財産を守る」ということであった.これを実現するために,土木学会は3度にわたって土木構造物の耐震設計と既存構造物の耐震補強に関して提言を行った2). 地震から約4ヶ月後の1995年5月に第一次提言を発表し,この中で,二つの基本方針を打ち出した.
 最初の方針は「2段階地震動による耐震設計」の提唱であり,レベル2地震動に,阪神・淡路大震災の断層近傍域で発生したような地震動を考慮し,2段階の地震動による耐震設計をすべての土木構造物に適用しようとするものである.
 2番目の基本方針は,性能規定型設計法の提唱である.提言の中に性能規定型設計という用語が用いられているわけではないが,「構造物が保有すべき耐震性能,すなわち被害状態は人命への影響,応急活動等への後影響を考慮して決定する」と記述されており,性能規定型設計の考え方が唱えられている.
 土木学会の提言が出されてから2ヶ月後の1995年7月に,中央防災会議により「防災基本計画」が策定された3) .「第1章 災害予防」の冒頭において「構造物・施設等の耐震性の確保」についての基本的考え方が示された.表現,用語など若干異なるが,内容は土木学会の提言とほとんど同じであり,2段階の地震動については内陸の直下型地震の地震動を考慮すること,また人命への影響を最重要視して耐震性能を定めることが唱われ,これらが構造物と施設の耐震性確保のための国としての基本方針として位置づけられた.
 地震後ほとんどの土木構造物の耐震設計基準が土木学会や防災基本計画に示された基本方針に沿う形で改訂された4).2段階の地震動が規定され,また,構造物や施設の目標とすべき耐震性能も多くの改訂基準の中に明記されることになった.これらの改訂された耐震基準のうち,道路橋,鉄道施設,港湾施設および水道,都市ガスなどライフライン施設に関する基準の概要は土木学会により英訳され広く世界に紹介された5).


4.2.3 阪神・淡路大震災後の調査研究活動および広報活動

(1)委員会活動

 地震工学委員会,コンクリート工学委員会,鋼構造委員会をはじめとする調査研究委員会において,被害原因,設計用入力地震動,耐震設計法,都市圏の防災性向上等に関する調査研究が継続的に行われた.これらの調査研究成果は「阪神・淡路大震災における鋼構造物の震災の実態と分析」6),「コンクリート標準示方書[耐震設計編]」7)などの出版により公表され,実務に活用されている.

(2)土木学会誌による広報活動

 「阪神・淡路大震災特集」(1995年〜1996年8月),「震災フォーラム」((1996年11月〜1997年10月),「阪神・淡路大震災からの教訓―21世紀に何を引き継ぐか―」(2000年1月)等の連載を通じて,阪神・淡路大震災の教訓と今後の地震防災の在り方に関する意見,各分野で得られた知見等の広報を行った.

(3)学術講演会等の開催

 2回にわたり,「阪神・淡路大震災に関する学術講演会」(1996年,1997年)を行い,構造物の被害原因の調査結果,今後の耐震性向上の方策等に関する研究成果が報告された.発表論文数は213編,参加者は1 615名であった.

(4)外部資金による調査研究活動

 科学研究費補助金による重点研究「都市直下の地震による災害防止に関する基礎研究」(1996年度〜1999年度)を主導的に推進した.本重点研究では強地震動予測と活断層,直下地震に対する構造物の耐震性向上など8項目が重点研究課題として取り上げられた.
 科学技術振興調整費による総合研究「構造物の破壊過程解明に基づく生活基盤の地震防災性向上に関する研究」(1999年度〜2003年度)において研究統括機関として,研究の推進に主導的役割を果した.8) 本総合研究では構造物の塑性領域での大変形挙動,既存構造物の耐震診断技術と補強技術,および現在兵庫県三木市に建設中の実大三次元震動破壊実験施設を用いた将来研究のための準備が主要検討項目となった.


4.2.4 将来の巨大地震への対応

 東海地震等の将来の巨大地震への対応を検討するため「巨大地震災害への対応特別委員会」が2003年11月に設置された.本特別委員会では,巨大地震による長周期地震動と震源近傍地域の地震動,耐震診断と耐震補強技術の総合化および災害情報の共有化など8項目の課題について約2年間で検討を行い,検討結果を提言として社会に公表して行く予定である.土木学会の特別委員会の検討項目のうち長周期地震動に関して日本建築学会と共同研究が実施されており,このため両学会間に「巨大地震対応共同研究連絡会」および「地震動部会」など3部会が設置されている.本共同研究では, 長周期地震動の予測手法および超高層建物,長大橋梁などの長周期地震動に対する動的応答が試算され, これらの長周期構造物の安全性が検討され,必要な場合には耐震補強の方法等が提案される予定である.


[濱田 政則]

参考文献


4.3 社会とのコミュニケーションの取り組み

 社会資本の整備が進むとともに,国民一人一人の価値観が多様化し,プロジェクト実施に関する判断に技術的・経済的信頼性,透明性が要求される現在,土木学会では,過去10年間においては多くの機会をとらえて情報発信の実績を積み重ねてきた.
 この活動を支えるために土木学会では,いくつかの学会改革を行うとともにインターネット技術の発展・普及に合わせ従来の学会誌や広報パンフレットなどに加えホームページを開設し,情報発信の場を広げてきた.この節では,土木を取り巻く課題の解決や要請に応えるための学会改革を概括するとともにインターネット技術を利用した社会とのコミュニケーション場の醸成についてまとめる.


(1)10年間の学会改革の動き

 個々の試みの詳細は5節にゆずるとして,学会と社会との関わりを明確に打ち出した学会改革の動きは,1998年にまとめられた「JSCE2000−土木学会の改革策−」と2003年にまとめられた「JSCE2005−土木学会の改革策−社会への貢献と連係機能の充実」の2つが上げられる.また,JSCE2005策定と時期を同じくして岸会長の下での2002年度会長提言特別委員会(委員長:岸 清会長)において「社会との情報受発信システムの構築」をテーマとした活動が展開された.
 JSCE2000は,工学系学会が有すべき重要な機能(1.Societyとしての会員相互の交流,2.学術・技術の進歩への貢献,3.社会に対する直接的な貢献)を十分果たし得る学会の体制を確立するために,1996年8月に理事会に設置された企画運営連絡会議および同幹事会が,土木学会の組織改革を含む課題について検討を行った成果である.
 JSCE2005は,JSCE2000のフォローアップを行うとともに社会への直接的貢献と種々の問題解決のための行動計画を策定し,その実行を確実なものとするJSCE2000以来の学会システムのさらなる改革の推進を提言している.この中で改善すべき課題の一つとして社会の信頼を得るコミュニケーション機能の構築と学会の使命を果たすために3つの連携(対社会,対会員,内部組織間の連携(コミュニケーション))を上げている.


(2)土木学会でのインターネット技術の活用

 土木学会では,JSCE2000の検討の開始された1996年に学会のホームページの試験運用を開始している.
 インターネットの活用は,従来の紙媒体を主体にした情報発信に加えた新たな情報発信手段であり,会員間の情報共有の場を与える機能など会員サービスの充実と併せて導入された.
 ホームページの主な推移を更新履歴よりまとめると以下のとおりである.

1996年 8月  ホームページの暫定運用開始
1997年12月  支部ホームページの開設
1998年 3月  英語版ホームページの開設
1998年 4月  インターネット版土木図書館DB検索システム開設
1998年 4月  学会誌ホームページをリニューアル
1998年 8月  緊急災害調査団の派遣速報開始
2003年 2月  情報交流サイト試験運用開始


(3)情報交流サイトの構築

 情報交流サイト開設以前のホームページの活用は,主に土木学会から社会に対して一方的に情報を発信するものであり,インターネットの最大の特徴である即時性に対して十分その機能を果たしているとは言えなかった.一方,社会からの要請を受ける窓口としてメールを使う機能がホームページに付加されていたが,学会側での対応する仕組みや結果を公開する仕組みは不明確であった.
 2001年度全国大会(熊本)での討論会における一般・会員からの意見等から,学会として社会からの情報を的確に受信し,また,社会が必要とする情報を的確に発信していくことによって,社会と学会との関わりを緊密化することが重要であることが認識された.
 そこで,2002年度会長提言特別委員会において「社会との情報受発信システムの構築」をテーマとした活動が展開され,インターネットを活用し社会からの質問・回答,意見交換を目的とした相方向性を有し即時性の高い新たな「情報交流サイト」と学会内の対応する仕組みを構築した.さらに 2003年度には学会の主要な活動として取り上げられ,会長の呼びかけにより特別上級技術者の方から投稿していただく仕組みを新たに設けるなど内容の充実に努めた.
 以下に開設から2004年5月末までの月ごとの利用者数,記事掲載数,コメント投稿数の実績を示す.
利用者数は増加傾向にあり,3月以降月1万人程度の利用者数となっている.また,記事掲載数,コメント投稿数は,月20〜30件であり1日2件程度の書き込みがなされている.



[井上 直洋]


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