土木学会歴代会長紹介(1914〜2005)


  1. 古市公威(ふるいちこうい)
  2. 沖野忠雄(おきのただお)
  3. 野村龍太郎(のむらりゅうたろう)
  4. 石黒五十二(いしぐろいそじ)
  5. 白石直治(しらいしなおじ)
  6. 廣井 勇(ひろいいさみ)
  7. 仙石 貢(せんごくみつぐ)
  8. 原田貞介(はらだていすけ)
  9. 古川阪次郎(ふるかわさかじろう)
  10. 中原貞三郎(なかはらていさぶろう)
  11. 中山秀三郎(なかやまひでさぶろう)
  12. 中島鋭治(なかじまえいじ)
  13. 日下部辨二郎(くさかべべんじろう)
  14. 吉村長策(よしむらちょうさく)
  15. 市瀬恭次郎(いちのせきょうじろう)
  16. 岡野 昇(おかののぼる)
  17. 田辺朔郎(たなべさくろう)
  18. 中川吉造(なかがわよしぞう)
  19. 那波光雄(なはみつお)
  20. 名井九介(みょういきゅうすけ)
  21. 真田秀吉(さなだひできち)
  22. 久保田敬一(くぼたけいいち)
  23. 青山 士(あおやまあきら)
  24. 井上秀二(いのうえひでじ)
  25. 大河戸宗治(おおこうとそうじ)
  26. 辰馬鎌藏(たつまけんぞう)
  27. 八田嘉明(はったよしあき)
  28. 中村謙一(なかむらけんいち)
  29. 谷口三郎(たにぐちさぶろう)
  30. 草間 偉(くさまいさむ)
  31. 黒河内四郎(くろこうちしろう)
  32. 鈴木雅次(すずきまさつぐ)
  33. 田中 豊(たなかゆたか)
  34. 鹿島精一(かじませいいち)
  35. 岡田信次(おかだしんじ)
  36. 岩沢忠恭(いわさわただやす)
  37. 吉田徳次郎(よしだとくじろう)
  38. 三浦義男(みうらよしお)
  39. 大西英一(おおにしえいいち)
  40. 稲浦鹿蔵(いなうらしかぞう)
  41. 平井喜久松(ひらいきくまつ)
  42. 青木楠男(あおきくすお)
  43. 菊池 明(きくちあきら)
  44. 平山復二郎(ひらやまふくじろう)
  45. 内海清温(うつみきよはる)
  46. 米田正文(よねだまさふみ)
  47. 田中茂美(たなかしげみ)
  48. 沼田政矩(ぬまたまさのり)
  49. 永田 年(ながたすすむ)
  50. 藤井松太郎(ふじいまつたろう)
  51. 山本三郎(やまもとさぶろう)
  52. 福田武雄(ふくだたけお)
  53. 岡部三郎(おかべさぶろう)
  54. 篠原武司(しのはらたけし)
  55. 富樫凱一(とがしがいいち)
  56. 石原藤次郎(いしはらとうじろう)
  57. 柳沢米吉(やなぎさわよねきち)
  58. 大石重成(おおいししげなり)
  59. 高野 務(たかのつとむ)
  60. 岡本舜三(おかもとしゅんぞう)
  61. 飯田房太郎(いいだふさたろう)
  62. 瀧山 養(たきやままもる)
  63. 尾之内由紀夫(おのうちゆきお)
  64. 最上武雄(もがみたけお)
  65. 水越達雄(みずこしたつお)
  66. 仁杉 巌(にすぎいわお)
  67. 國分正胤(こくぶまさたね)
  68. 高橋国一郎(たかはしくにいちろう)
  69. 八十島義之助(やそしまよしのすけ)
  70. 野瀬正儀(のせまさのり)
  71. 高橋浩二(たかはしこうじ)
  72. 岡部 保(おかべたもつ)
  73. 菊池三男(きくちみつお)
  74. 久保慶三郎(くぼけいさぶろう)
  75. 石川六郎(いしかわろくろう)
  76. 内田隆滋(うちだたかしげ)
  77. 堀川清司(ほりかわきよし)
  78. 淺井新一郎(あさいしんいちろう)
  79. 岩佐義朗(いわさよしあき)
  80. 藤井敏夫(ふじいとしお)
  81. 竹内良夫(たけうちよしお)
  82. 中村英夫(なかむらひでお)
  83. 小坂 忠(こさかただし)
  84. 松尾 稔(まつおみのる)
  85. 宮崎 明(みやざきあきら)
  86. 岡田 宏(おかだひろし)
  87. 岡村 甫(おかむらはじめ)
  88. 鈴木道雄(すずき みちお)
  89. 丹保憲仁(たんぼ のりひと)
  90. 岸 清(きし きよし)
  91. 御巫清泰(みかなぎ きよやす)
  92. 森地 茂(もりち しげる)
  93. 三谷 浩(みたに ひろし)


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  1. 古市公威(ふるいちこうい)工博 名誉会員 勲一等 男爵

     大学南校から第1回文部省留学生として1879年エコール・サントラル諸芸学科、80年パリ大学理学部卒。帰国後内務省土木局に入り90年土木局長、86〜96年工科大学教授兼学長、94年土木技監、98年逓信次官、1903年鉄道作業局長、1906年帝国学士院第二部長、17年理化学研究所長、24年枢密顧問官。工学会理事長、世界各国より勲章多数うけたほかASCE、ICE名誉会員等。

  2. 沖野忠雄(おきのただお)工博 勲一等

     大学南校から第2回文部省留学生として1880年エコール・サントラル諸芸学科卒。帰国後東京職工学校雇をへて内務省へ入り1897年土木監督署技監、大阪築港工事長、1905年大阪土木出張所長兼土木局工務課長、11年内務技監、18年退官。各種の調査会委員を歴任。治水、港湾事業に35年にわたり尽力、特に大阪築港、大阪水道、淀川治水工事等に功績が大きい。

  3. 野村龍太郎(のむらりゅうたろう)工博 名誉会員 勲二等

     1881年東大土木卒、東京府をへて86年鉄道局へ移り技師、94年福島出張所長、96年欧米出張後98年逓信技監、1909年鉄道院技監、13年副総裁兼運輸局長に就任、同年満鉄総裁となり14年辞任、19年再任され21年に辞任。のち、東京地下鉄道、湘南電気鉄道、南部鉄道の社長を歴任。帝国鉄道協会会長、朝鮮鉄道協会名誉会員、鉄道会議議員、工政会会長。

  4. 石黒五十二(いしぐろいそじ)工博 勲二等

     1878年東大土木卒。神奈川県へ入り79年退職し第1回文部省留学生として英国に留学、英、仏、エジプトで実務に従事し83年帰朝後内務省入省、東大講師を兼任(衛生工学)。97年土木監督署技監から初代海軍公務監に転任し1906年退官。1907年貴族院議員。宇治川電気技師長、三池築港顧問等を歴任、直轄河川工事、軍港整備、水力電気等に功績が大きい。

  5. 白石直治(しらいしなおじ)工博 勲四等

     1881年東大土木卒。農商務省、東京府をへて83年文部省留学生として米国へ留学、大学、鉄道会社、橋梁会社等で実務を経験さらに欧州へ行きベルリン工大等で学び87年帰朝、東大教授となるが90年退官。民間に転じ関西鉄道、猪苗代水力電気、若松築港等に社長もしくは役員として関与、高知県より衆議院に3回当選、ASCE、ICE会員、土木学会長就任後3ヶ月で死亡。多士良〜俊多と続く家系。

  6. 廣井 勇(ひろいいさみ)工博 勲二等

     1881年札幌農学校卒、開拓使勤務をへて工部省へ転じたが渡米のため退職、87年札幌農学校署教授に任ぜられ米、独へ留学。89年札幌農学校教授となり、93年北海道庁技師、小樽築港事務所長兼任。97年東大教授兼道庁技師、1919年退官(名誉教授)。港湾、河川、鉄道、水力発電、橋梁設計などに功績が大きい。多数の論文著書のうち、特に「Plate Girder Construction」(1888年)、「日本築港史」(1927年)は著名。

  7. 仙石 貢(せんごくみつぐ)工博 勲一等

     1878年東大土木卒、東京府をへて東北鉄道の創立に参画、84年工部省鉄道局勤務、日本鉄道、甲武鉄道工事を担当、94年鉄道局運輸課長、96年逓信省鉄道技監を最後に退官。築豊鉄道、九州鉄道の社長、1906年満鉄設立委員、1908年衆議院議員、29年満鉄総裁に就任。帝国鉄道協会名誉会長。

  8. 原田貞介(はらだていすけ)工博 勲二等

     1883年東大理学部に入り86年退学しドイツに留学、91年シャロッテンブルグ高等工芸学校卒、92年内務省土木監督技師、98年第4区土木監督所長、1905年名古屋土木出張所長、18年下関土木出張所長をへて内務技監となり1924年退官、この間何回か中国へ出張し漢口の護岸工事等を指導。港湾調査委員、臨時治水調査会委員、帝国復興院参与等のほか各地の工事顧問を多数歴任。

  9. 古川阪次郎(ふるかわさかじろう)工博 名誉会員 勲一等

     1884年工部大学校土木卒。工部省に入り94年鉄道技師兼陸軍御用係、96年笹子遂道工事に尽力。1903〜4年欧米出張後鉄道隊技長として日露戦争に従軍。13年鉄道院技監兼技術部長をへて副総裁となり17年退官。のち九州鉄道、金剛山電気鉄道の役員、鉄道会議議員、帝国鉄道協会会長をはじめ各種委員会会長を多数歴任。ロシアおよびスペイン皇帝より勲章をうける。

  10. 中原貞三郎(なかはらていさぶろう)工博 勲三等

     1882年東大土木卒、陸軍省陸地測量部に入り86年陸軍5等技師、88年東大講師を併任、戦前の陸測地図の基礎を固める。のち熊本県技師をへて98年内務省第7区土木監督署長、1906年総監府技師として朝鮮各地で道路整備に活躍、11年大阪土木出張所長、13年欧米出張後東京土木出張所に転じ利根川、渡良瀬川、荒川改修工事に尽力し1924年退官。

  11. 中山秀三郎(なかやまひでさぶろう)工博 勲二等

     1888年東大土木卒、関西鉄道会社をへて90年東大助教授、96年河海工学研究のため欧米へ留学し98年教授。この間、帝国経済会議、学術研究会議、土木会議等会員を歴任、内務技師、逓信技師等を兼務し港湾、発電水力、河川、砂防植林等に貢献し、1926年退官(名誉教授)。1934年帝国学士院会員。土木学会の創立に深くかかわったほか土木用語調査委員会委員長としての功績が大きい。

  12. 中島鋭治(なかじまえいじ)工博 勲二等

     1883年東大土木卒、助教授となり87〜90年まで欧米へ留学。東京市下水道創設のため帰国、99年完成まで尽力、1896年バルトンの後任として東大教授となり、内務技師、東京市技師長等を併任、1921年退官(名誉教授)。25年土木学会会長に推されるが1ヶ月後に死亡、わが国近代上下水道の開祖として技術者育成、数十に及ぶ都市の水道に関与。韓国勲二等、米国水道協会名誉会員。

  13. 日下部辨二郎(くさかべべんじろう)工博 勲二等

     1880年東大土木卒、内務省に入り91年広島(第5区)、熊本(第7区)土木監督署をへて99年東京土木監督署長となる。北上川、淀川、吉野川、利根川改修、浦戸港、高松港、宇野築港等に関与、1905年東京土木出張署長となり翌年退官、東京市技師長兼土木局長を兼務し1914年退官。工学院院長、東京市区改正臨時委員、鉱害調査委員等を歴任(旧姓 巌谷:養父は明治の大書家 日下部鳴鶴)

  14. 吉村長策(よしむらちょうさく)工博 勲二等

     1885年工部大学校卒、母校の助教授をへて長崎、大阪、広島、神戸、岡山各市の水道計画に参画、特に長崎の土堰堤、神戸の石造堰堤は我が国貯水池堰堤の先駆をなした。1899年海軍技師に任官、佐世保鎮守府建築科長、1911年臨時海軍建築部工務監、20年海軍建築本部長、23年退官。海軍施設のほか、門司、小倉、福岡、佐世保、長野等各市の水道拡張工事の顧問として水道界に功績が大きい。

  15. 市瀬恭次郎(いちのせきょうじろう)工博 勲二等

     1890年東大土木卒。内務省へ入り93年土木監督署技師、1905年内務技師、1906〜7年欧米に出張、土木局調査課、1913年仙台土木出張所長、19年神戸土木出張所長、24年内務技監、1928年死亡・退官。児島湾理築工事、神戸港拡張工事、北上川改修工事等に功績が大きい。港湾調査会委員、道路会議議員等の委員を歴任。

  16. 岡野 昇(おかののぼる)工博 名誉会員 勲三等

     1899年東大土木卒、日本鉄道へ入り1905年欧米諸国へ出張、帰国後は同社解散のため1906年鉄道作業局に転じ1910〜11年欧米主としてベルリンに学び帰朝、19年鉄道省工務局長、24年鉄道次官となり退官。1925年西部鉄道副社長、26年社長に就任、秩父鉄道、理研工作機械等各社の役員を兼務、鉄道会議議員、大阪市顧問、信号協会会長等を歴任。

  17. 田辺朔郎(たなべさくろう)工博 勲一等

     1883年工部大学校卒、京都府に奉職し琵琶湖疎水の設計施工の最高責任者となり同工事を1890年に完成(当時28歳)。京都理工科大学教授、北海道鉄道敷設部をへて1900年京大教授、1916年工科大学学長、1923年退官(名誉教授)。疎水工事のほか全国各地の運河、水力発電、北海道の鉄道事業等に功績、明治工業史、明治以前日本土木史編集委員長のほか論文、著書多数(号:石斎)。

  18. 中川吉造(なかがわよしぞう)工博 勲二等

     1894年東大土木卒、内務省第一土木監督署に入り98年関宿公営所主任として利根川治水工事に関与し、1905年内務省技師、1910〜11年欧米へ出張、19年東京第二土木出張所長、23年東京土木出張所長、28年内務技監、」34年退官。大堰堤国際委員会日本国内委員会委員長、朝鮮総監府治水調査委員会委員等のほか港湾協会、河川協会、道路改良会等の副会長、土木学会用語調査委員長ほか委員歴多数。

  19. 那波光雄(なはみつお)工博 名誉会員 勲三等

     1893年東大土木卒、関西鉄道に入り98年建設課長、99年京大助教授へ転じ1900〜1902年ベルリン工大に留学、帰朝後教授となり鉄道工学を担当、1906年京大を辞し九州鉄道へ転じ、のち鉄道院の中津、大分事務所長をへて1915年工務局設計課長、17年東大教授を兼任、19年官房総裁研究所長、26年退官。36年まで東大講師。交通文化賞受賞、第二代学会誌編集委員長ほか委員歴多数。

  20. 名井九介(みょういきゅうすけ)工博 名誉会員 勲三等

     1892年東大土木卒、内務省に入り94年土木監督署技師、1905年内務技師、1908年欧米各国へ出張、帰国後名古屋、東京両土木出張所に勤務、18年北海道庁技師、20年石狩治水所長をへて27年退官。北海道開発に功績が多い。29年東京高等工学校(現芝浦工大)校長、36年名誉校長、42年校長再任。雨竜電力顧問、土木学会初代主事ほか委員歴多数。

  21. 真田秀吉(さなだひできち)工博 名誉会員 勲二等

     1898年東大土木卒、内務省に入り淀川改修工事に従事、1911年東京土木出張所に転じ利根川改修第三期工事を担当、14年欧米出張をへて24年大阪土木出張所長、28年東京土木出張所長、34年退官。利根川治水協会、河川協会、港湾協会等の委員、顧問等多数。「明治以前日本土木史」、「本邦土木と外人」、「内務省直轄土木工事略史・沖野博士伝」等の編さんに深く関与、著書「日本水制工論」(1932)。

  22. 久保田敬一(くぼたけいいち)工博 名誉会員 勲一等 男爵

     1905年東大土木卒、米国へ3年間留学後8年鉄道院に入る。東京建設事務所長、建設局工事課長、名古屋、東京両鉄道局長、鉄道省運輸局をへて31年鉄道次官、1934年退官。38年貴族院議員、43年日本通運社長、46年退社、各種団体の役員、会長等を歴任。都市対抗野球の創設に尽力、相模、厚木国際などゴルフ倶楽部理事長および会長。交通文化賞受賞。

  23. 青山 士(あおやまあきら)名誉会員 勲三等

     1903年東大土木卒、渡米してニューヨークの鉄道会社で測量に従事、1904年から12年までパナマ運河の測量設計に7年半携わり1910年帰国、内務技師となり荒川放水路工事、事故続出で難航した信濃川大河津分水路工事を31年ついに完成させる。36年内務技監を退官、のち東京市、兵庫県、満州国等の嘱託として行政、治水事業などを指導、広井勇、内村鑑三の影響を強く受けた。

  24. 井上秀二(いのうえひでじ)

     1900年京大土木第1回卒、母校の助教授をへて1902年京都市土木課長、1907〜8年水道事業視察のため欧米各国およびエジプトへ出張、帰朝後京都市臨時事業部技術長兼水道課長、1919年猪苗代水力電気会社土木課長、23年東京電燈会社理事建設部長を歴任。水道研究会理事長、水道協会理事、函館水道、富山電気、名古屋市顧問等をつとめる。著書に「鉄筋コンクリート」(丸善、1906)あり。井上成美海軍大将の実兄。

  25. 大河戸宗治(おおこうとそうじ)工博

     1902年東大土木卒、鉄道に入り1907年より2年間欧米留学、18年東京改良事務所長として現在の通勤交通網の基礎を整備、29年鉄道工務局長をつとめ31年退官。32年から38年まで東大教授のかたわら攻玉社理事、校長を歴任。1950年以降短大教授。この間多くの委員会委員を兼務。2期にわたり土木学会コンクリート調査委員会委員長として示方書制定に尽力。1925年土木学会賞受賞。

  26. 辰馬鎌藏 (たつまけんぞう)名誉会員 勲二等

     1907年京大土木卒、内務省に入り淀川、遠賀川、利根川、多摩川等の改修工事に従事、1928年名古屋、34年東京の両土木出張所長をへて36年内務技監となり、1939年退官。退官後は土木会議、国土審議会、河川審議会の議員等のほか広島工業港、東京都水道、鳥取市、兵庫県等の顧問として指導にあたったほか1951年共栄興業会社を創立し社長として実業界で活躍。

  27. 八田嘉明(はったよしあき)名誉会員 勲一等

     1903年東大土木卒。鉄道に入り21年建設局路線調査課長、23年鉄道省建設局長、26年鉄道次官、29年退官。貴族院議員となり32年満鉄副総裁、37年東北興業総裁。政界では38年拓務大臣、39年商工兼拓務大臣、東京および日本商工会議所会頭、41年鉄道大臣、43年運輸通信大臣を歴任。戦後は拓大総長、日本科学振興財団会長等のほか広く実業会で活躍。

  28. 中村謙一(なかむらけんいち)勲三等 男爵

     1905年東大度土木卒、鉄道作業局に入り1908年鉄道院技師、13〜15年欧米留学、鉄道省新庄、秋田両事務所をへて23年建設局線路調査課長、24年建設局計画課長、26年鉄道省建設局長。29年貴族院議員となる。鉄道会議議員、鉄道工事統制協会会長、災害予防調査会委員、発電調査会委員等を歴任。著者に「近世橋梁学、上中巻」(1920、1913)あり。

  29. 谷口三郎(たにぐちさぶろう)名誉会員 勲二等

     1909年東大土木卒、北海道庁に入り15年内務技師、18年大阪土木出張所で淀川改修を担当。29年内務省土木局第一技術課長、東京出張所長をへて39年内務技監、42年退官。のち外地治水工事を指導し中国政府より厚い信頼をうけ現地へ残留し48年帰国。日本建設機械化協会初代会長のほか各府県の顧問、建設省専門委員等を歴任。日中親善に功績が大きい。

  30. 草間 偉(くさまいさむ)工博 名誉会員 勲二等

     1906年東大土木卒、九州鉄道をへて9年東大助教授、18年から欧米へ2年間留学、逝去した中島鋭治教授の後任として21年教授、42年退官(名誉教授)。早大教授、高岡市、前橋市、名古屋市、満鉄、福井市等の上下水道顧問等を歴任。日本水道協会功労章、保健文化章、1926年土木学会賞および67年度功績受賞。

  31. 黒河内四郎(くろこうちしろう)工博 名誉会員 勲三等

     1907年東大土木卒、鉄道に入り21年信濃川電気事務所長、建設局長、工務局長等を歴任し34年退官。東京地下鉄道技師として現銀座線の全通に尽力、京浜鉄道、湘南電気鉄道等の取締役、顧問等として技術指導にあたった。日本保線協会会長、芝浦工大教授、各種団体の役員、学会誌編集委員長ほか委員歴多数。

  32. 鈴木雅次(すずきまさつぐ)工博 名誉会員 勲一等

     1914年九大土木卒、内務省へ入り東京、横浜土木出張所等をへて、30年日大教授兼任、34年土木局第二技術課長、39年東京土木出張所長、42年内務技監、45年退官。戦後は日大教授のほか政府の各種審議会委員等を歴任、日大名誉教授。河川、港湾、水力発電、上下水道等に業績。65年度土木学会功績賞、交通文化賞、藍綬褒章受章、松本氏名誉市民等のほか68年土木界初の文化勲章を受賞。

  33. 田中 豊(たなかゆたか)工博 名誉会員 勲二等

     1913年東大土木卒、鉄道院へ入り欧米留学ののち、23年復興院橋梁設計課長、25年東大教授を兼任、34年東大教授専任、48年退官(名誉教授)。横河橋梁製作所相談役として各地の橋梁設計を指導。日本学術会議会員、日本学士院会員、溶接学会会長、土木学会本四国連絡橋技術調査委員長を歴任。1929年度土木学会賞、紫綬褒章受章。没後その功績を記念し「土木学会田中賞」を設立。

  34. 鹿島精一(かじませいいち)

     1899年東大土木卒、鉄道作業局に勤務後、鹿島岩蔵鹿島組組長の養嗣子(旧姓:葛西)となり1912年組長に就任、30年株式会社改組に伴い社長、38年会長となる。この間、東京商工会議所議員、東京土木建築業組合会長。土木工業協会理事長等を歴任し、46年貴族院議員。国内、海外工事を数多く施工し民間請負企業の地位向上に功績が大きい。請負業者からの土木学会会長は最初、43年度緑綬褒章受章。

  35. 岡田信次(おかだしんじ)工博 名誉会員 勲三等

     1937年京大土木卒、鉄道省に奉職し32年欧米各国へ留学、45年鉄道防衛事務局長、運輸省鉄道総局長、50年参議議員となり東京高速道路会社取締役、東京交通興業会社社長を歴任、54年運輸省政務次官。56年日本自動車会議所理事、62年攻玉社短大学長、63年国際技術協力開発会社社長。71年度土木学会功績賞受賞。岡田竹五郎、信次、宏と続く土木の家系。

  36. 岩沢忠恭(いわさわただやす)工博 名誉会員 勲二等

     1918年京大土木卒、内務省に入り42年国土局道路課長、45年関東土木出張所長をへて内務技監県国土局長(古市土木局長に次つぎ二人目)、48年建設次官兼建設技監。49年建設事務次官、50年退官。同年参議院議員(全国区2期、広島地方区1期)。日本測量協会会長、全国測量業協会会長等を歴任。1965年第13回国際道路会議(東京)日本実行委員会委員長。

  37. 吉田徳次郎(よしだとくじろう)工博 名誉会員 勲1等

     1912年東大土木卒、九大教授をへて49年退官。この間イリノイ大へ2年間留学。我が国コンクリート界の父と呼ばれ教育、研究のほか現場の施工指導に果たした役割は大きい。特にコンクリート委員会の委員長として25年間示方書制定に尽力しPCの普及にも貢献。九大名誉教授、日本学士院会員、藍綬褒章、1940年度土木学会賞受賞、没後その功績を記念して「土木学会吉田賞」を設立。

  38. 三浦義男(みうらよしお)名誉会員 勲二等

     1920年東大土木卒、鉄道省に入り新潟鉄道局工務部長、工務局改良・計画各課長、戦時中は運輸通信省工務局長、施設局長を歴任し45年退官。内閣技監戦災復興院勤務、特別調達庁監事、復興建設技術協会副会長、交通協力会会長をへて53年参議院議員に当選、59年宮城県知事に当選して6年間東北振興に尽力したが現職のまま死亡(宮城県県民葬)。

  39. 大西英一(おおにしえいいち)工博 勲四等

     1912年名古屋高工土木卒、鉄道院に入るが電力界へ転じ、14年神通川電力会社へ入社、神通川建設所長としてこれを完成、32年矢作水力会社へ移り中部地区の電源開発に従事、40年取締役となるが42年設立間近い日本発送電会社へ入社45年理事、47年総裁に就任、50年退任し51年電力技術研究所初代理事長、日大教授、53年電力中央研究所理事長代理の現職のまま死亡。藍綬褒章受章。

  40. 稲浦鹿蔵(いなうらしかぞう)名誉会員 勲二等

     1924年京大土木卒、内務省神戸土木出張所に入り35年大阪府土木部河港課長、42年青島埠頭常務取締役、46年兵庫県土木部長、49年建設技監、52年建設事務次官をへて55年退官。56年より68年まで衆議院議員、建設常任委員長を歴任。河川協会、海岸協会、港湾協会等の副会長、会長等をつとめる。日本道路協会名誉会員、72年度土木学会功績賞受賞。

  41. 平井喜久松(ひらいきくまつ)工博 名誉会員 勲三等

     1910年東大土木卒、鉄道院に入り15年から2年間米国へ留学、27年工務局改良課長、34年工務局長となり39年退官。華北交通理事、満鉄副総裁となる。戦後は鉄道建設興業(現鉄建建設)、興和コンクリート、日本構造橋梁研究所、等の社長、鉄道施設協会会長、日本交通協会副会長等を歴任。60年度交通文化賞受賞。平井晴二郎氏の三男。

  42. 青木楠男(あおきくすお)工博 名誉会員 勲二等

     1918年東大土木卒、内務省土木局に入り欧米出張をへて30年東大講師を併任、42年内務省土木試験所長、46年退官し早大土木科の基礎を確立、54年第一理工学部長、65年国土館大学教授、同年早大名誉教授。文化財保護委員会委員、溶接学会、日本道路協会名誉会員、66年日本学士院会員、60年藍綬褒章、67年度土木学会功績賞受賞。日本土木史、本四連絡橋技術調査委員会など委員長歴多数。

  43. 菊池 明(きくちあきら)名誉会員 勲二等

     1925年東大土木卒、内務省に入り土木局、下関土木出張所、国土局、興亜院等をへて45年国土局土木課長、近畿土木出張所長をへて48年道路局長、52年建設技監、56年退官。日本道路公団理事となり60年辞任。地崎組副社長、地崎道路会長、橋梁コンサルタント社長等を歴任。日本道路協会会長、道路緑化協会会長、第13回国際道路会議(東京)議長等をつとめる。

  44. 平山復二郎(ひらやまふくじろう)名誉会員 勲三等

     1912年東大土木卒、鉄道院に入り欧米各国へ留学後、24年復興局道路課長、工務課長を兼務。31年鉄道省熱海建設事務所長、仙鉄局長をへて37年建設局長をつとめ退官。満鉄理事、満州電業理事、満州土木学会会長等を歴任。戦後はピーエスコンクリート、パシフィックコンサルタント社長、日本技術士会会長等をつとめる。53年度交通文化賞受賞。著書「トンネル」(岩波書店)ほか。

  45. 内海清温(うつみきよはる)工博 名誉会員 勲二等

     1915年東大土木卒、内務省から電力界に転じ電気化学工業、黒部川電力等をへて37年富士川電力土木部長、日本軽金属取締役、日発理事等を歴任。戦後は建設技術研究所理事長、攻玉社短大等をへて56年から58年まで電源開発総裁に就任。この間各種審議会、委員会委員長等を多数兼任。1942年度土木学会賞、65年度功績賞受賞。

  46. 米田正文(よねだまさふみ)工博 名誉会員 勲一等

     1928年九大土木卒、内務省に入り満州国国道局技正、奉天省交通庁長をへて48年建設院水政局治水課長、50年近畿地建局長、52年河川局長、56年建設技監、58年建設事務次官、59年参議院議員、63年運輸常任委員長、67年大蔵政務次官。この間、河川、道路、国土総合開発等審議会委員、全国治水同盟連合会会長等を歴任。74年度土木学会功績賞受賞。

  47. 田中茂美(たなかしげみ)工博 名誉会員

     1926年九大土木卒。鉄道省に入り43年門鉄施設部長、45年鉄道総局施設局計画課長、48年施設局長、49年国鉄理事施設局長をへて理事・初代技師長、52年退職。同年極東鋼弦コンクリート振興、55年興和化成、58年興和コンクリート各社の社長を歴任。66年プレストレストコンクリート工業協会会長、71年度交通文化賞、72年度土木学会功績賞受賞。

  48. 沼田政矩(ぬまたまさのり)工博 名誉会員 勲二等

     1919年東大土木卒、鉄道院総裁官房研究所に入り神戸改良事務所をへて28年米独へ出張。33年大臣官房研究所第四科長、42年鉄道技術研究所第二部長兼東大教授、45年鉄道技術研究所長となり同年退任、東大教授専任となり55年退官、56年早大教授、65年国士館大学教授。この間、文化財審議会専門委員会等、学会等を含め多くの委員会に関与、64年度交通文化賞、67年度土木学会功績賞受賞。

  49. 永田 年(ながたすすむ)工博 名誉会員 勲二等

     1922年東大土木卒。台湾総督府、内務省をへて電力界へ転じ東北振興電力から42年日本発送電へ。51年北海道電力副社長、52年電発理事、53年佐久間建設所長を兼務し57年土木部長、60年電発顧問をへて東京電力技術最高顧問。国際大ダム会議副総裁、日本大ダム会議会長、日本ACI会長、56年藍綬褒賞、57年度電気学会電力賞、62年度土木学会賞、69年度功績賞受賞。

  50. 藤井松太郎(ふじいまつたろう)工博 名誉会員 勲一等

     1929年東大土木卒、鉄道省に入り47年運輸省鉄道総局施設局線路課長、49年国鉄信濃川工事事務所長、52年技師長兼建設部長、55年常務理事、58年日本交通技術社長、63年理事・国鉄技師長、69年再び日本交通技術社長となり73年国鉄総裁、75年退任。土質工学会会長、日本鉄道施設協会会長等を歴任。トンネル工学委員会委員長をはじめ学会歴多数、58年度土木学会賞、73年度功績賞受賞。

  51. 山本三郎(やまもとさぶろう)工博 名誉会員 勲一等

     1933年東大土木卒、内務省東京土木出張所で利根川等の工事に従事、37年内務技師、50年建設省利水課長、52年治水課長、56年河川局長、60年建設技監、61年建設事務次官、63年退官。同年三井港湾開発社長をへて74年水資源開発公団総裁、82年退任。83年日本ダム技術センター理事長、84年退任。各種の審議会委員、日本河川協会会長等を歴任。77年度土木学会功績賞受賞。

  52. 福田武雄(ふくだたけお)工博 名誉会員 勲二等

     1925年東大土木卒、26年東大助教授、27年欧米各国へ出張。42年教授となり第二工学部の創設に尽力。58年東大生研所長、61年名大教授併任、63年退官(名誉教授)、構造計画コンサルタント社長と千葉工大教授を兼務。75年千葉工大学長。日本学術会議会員、日本工学会会長、国語審議会専門委員、学会の各種委員長を多数歴任。33年度土木学会賞、73年度功績賞受賞。

  53. 岡部三郎(おかべさぶろう)工博 名誉会員 勲二等

     1916年東大土木卒、内務省に入り新潟、横浜土木出張所、土木研究所等をへて27年東京市橋梁課長、29年退官。尼崎築港、39年から東亜建設工業に移り46年から74年まで取締役社長をつとめる。この間、東大講師(40〜54年)、関係協会、日建連、経団連等の役員、運輸省、東京都、横浜市、神戸市等の港湾審議会委員等を歴任、59年藍綬褒章、69年度土木学会功績賞受賞。

  54. 篠原武司(しのはらたけし)工博 名誉会員

     1930年東大土木卒、鉄道省に入り兵役をへて49年運輸省広島鉄道局施設部長、国鉄施設局停車場課長、四国鉄道管理局長、西部総支配人兼門司鉄道管理局長をへて57年鉄道技術研究所長、61年退官。64年日本鉄道建設公団副総裁、70年総裁。80年退任。日本トンネル技術協会会長、国際トンネル協会副会長、学習院評議員(現在)、64年・72年に銀盃授与。75年度土木学会功績賞・76年交通文化賞受賞。

  55. 富樫凱一(とがしがいいち)名誉会員 勲一等

     1929年北大土木卒、内務省に入り45年関門国道建設事務所長、48年九州地建工務部長、49年道路局建設課長、52年道路局長、54年東大講師を兼任、58年建設技監、60年退官、三菱地所顧問をへて62年日本道路公団副総裁、66年より70年まで総裁。同年本州四国連絡橋公団総裁となり76年退官。73年度土木学会功績賞および88年度特別表彰、鈴木雅次氏につぎ88年度文化功労者に推挙。

  56. 石原藤次郎(いしはらとうじろう)工博 名誉会員 勲二等

     1930年京大土木卒、講師、助教授をへて43年教授となり河海工学講座を担任、73年定年退官(名誉教授)。この間、工学部長、防災研究所長、大型計算機センター長等をへ歴任、日本学術会議第五部会員を6期18年つとめ第五部長となる。各種委員会や審議会委員を多数歴任、京大はじめ土木関連学科の増設、土木学会関西支部の発展に貢献、73年度土木学会功績賞受賞。

  57. 柳沢米吉(やなぎさわよねきち)名誉会員 勲二等

     1927年東大土木卒、内務省に入り43年運輸通信省港湾建設課長、46年港湾局計画課長、48年中国海運局長兼広島海上保安本部長、51年海上保安庁長官をへて55年退官、同年アジア航測社長、65年三井共同コンサルタント社長、この間、国際建設技術協会理事長等を歴任、75年度土木学会功績賞受賞。

  58. 大石重成(おおいししげなり)工博 名誉会員

     1930年東大土木卒。鉄道省建設局計画課、52年国鉄東鉄管理局長、54年建設部長、57年北海道支社長、幹線調査室長、58年常務理事、60年新幹線総局長となり63年退官、64年鉄道建設業協会会長はじめ各種団体の役員を兼務。61年度土木学会賞、81年度功績賞受賞。

  59. 高野 務(たかのつとむ)名誉会員 勲二等

     1934年東大土木卒、内務省に入り富山県、新潟県勤務をへて40年内務技師、43年防空総本部技師を兼任、49年京浜工事事務所長、52年道路局国道課長、56年企画課長、58年技術参事官、59年中部地建局長、60年道路局長、建設技監をへて62年退官、三菱地所顧問。この間、東大、早大講師、日本道路協会会長(名誉会員)等、多数の委員会、審議会等に関与、80年度土木学会功績賞受賞。

  60. 岡本舜三(おかもとしゅんぞう)工博 名誉会員 勲二等

     1932年東大土木卒、42年東大助教授、47年教授、64〜67年生産技術研究所長(併任)。70年名誉教授、同年埼玉大学教授、73年理工学部長、74年埼玉大学学長、80年退任(名誉教授)。86年(財)震災予防協会理事長、90年退任。49年度土木学会賞、60年度著作賞、78年度功績賞を受賞、79年紫綬褒章。82年藤原賞、87年12月日本学士院会員、90年度文化功労者に推挙。

  61. 飯田房太郎(いいだふさたろう)勲二等

     1930年東大土木卒、間組に入社、49年取締役、常務および専務をへて67年副社長、69年社長に就任、この間、国内の代表的土木工事とくにダムを多数完成させ、東南アジアでも活躍、土木技術の向上に貢献。日本土木工業協会、日建連、経団連、海建協会等の理事、日本建設機械協会等を歴任。建設大臣表彰、藍綬褒章受章、鹿島精一氏に続き業界から二人目の学会会長。

  62. 瀧山 養(たきやままもる)工博 名誉会員 勲二等

     1932年東大土木卒、鉄道省入省、東京改良事務所、新潟鉄道局、建設局停車場課、華北交通、軍需省出向をへて45年運輸省鳥栖管理部長、49年輸送局設備課長、52年審議会調査役、55年広鉄管理局長、審議室長をへて60年常務理事、63年退職、鹿島建設常務をへて67年専務取締役。退職して73年国鉄技師長、79年国鉄顧問、80年海外鉄道技術協力協会理事長、63年度土木学会賞、83年度功績賞受賞。

  63. 尾之内由紀夫(おのうちゆきお)名誉会員 勲一等

     1939年東大土木卒。内務省に入り東京土木出張所、関東地建をへて49年から54年まで人事院に出向、給与部職課長、職階部長となる。54年建設省へ戻り58年道路局企画課長、63年道路局長、66年建設技監、67年建設事務次官、70年日本道路公団副総裁、76年本州四国連絡橋公団総裁、82年退官。83年三菱地所顧問、80年日本道路協会会長、81年日本トンネル技術協会会長、83年度土木学会功績賞受賞。

  64. 最上武雄(もがみたけお)工博 名誉会員 勲二等

     1934年東大土木卒、35年講師、36年助教授、47年教授、68年工学部長、71年定年退官(名誉教授)。同年日大理工学部教授、81年顧問、日本学術会議会員、土質工学会会長(名誉会員)。国際土質基礎工学会議副会長、日本建設機械化協会会長(名誉会員)、43年度土木学会賞、83年度功績賞受賞、土質工学会67年度論文賞、69年度功績賞受賞、論文、著書多数。

  65. 水越達雄(みずこしたつお)工博 名誉会員

     1936年東大土木卒、大日本電力入社、戦時電力統合により日本発送電へ、さらに電力再編成に伴い51年東京電力に移る。建設部長、常務取締役をへて常盤共同火力社長建東京電力最高顧問。この間、東電土木技術陣のリーダーとして活躍、特に梓川、高瀬川両水力開発計画を指揮した功績は大きい。土木学会関東支部長、岩盤力学委員会委員長のほか委員歴多数。85年度土木学会功績賞受賞。

  66. 仁杉 巌(にすぎいわお)工博 名誉会員 勲一等

     1938年東大土木卒、鉄道省に入り技術研究所、施設局土木課長、管理課長をへて59年名古屋、62年東京の両幹線工事局長として新幹線工事を指揮し64年建設局長、65年常務理事、68年退任。71年西武鉄道に入り専務取締役、副社長。79年退任して日本鉄道建設公団総裁、83年国鉄総裁、85年辞任。89年西武鉄道社長。55年度土木学会賞、86年度功績賞受賞、企画委員会委員長ほか学会歴多数。

  67. 國分正胤(こくぶまさたね)工博 名誉会員 勲二等

     1936年東大土木卒、兵役後43年東大助教授、50年教授、74年定年退官(名誉教授)。武蔵工大教授・現在足利工業大学顧問教授・ACI名誉会員。日本学術会議会員、IABSE副会長等を歴任。61年以来、コンクリート委員会委員長を20年間つとめ示方書改訂に尽力。50年度土木学会賞、85年度功績賞、86年IABSE功績賞受賞、1991年日本学士院賞を受賞。

  68. 高橋国一郎(たかはしくにいちろう)名誉会員 勲一等

     1944年東大土木卒、内務省に入り河川工事をへて50年五十里ダム出張所長、56年関東地建4号国道、58年東京国道の両工事事務所長、64年高速道路課高速道路調査室長、66年地方道課長、国道第一課長、70年道路局長、72年建設技監、74年建設事務次官、76年日本道路公団副総裁、78年総裁、86年辞任。同年日本道路協会会長、88年道路審議会会長、92年度土木学会功績賞受賞。

  69. 八十島義之助(やそしまよしのすけ)工博 名誉会員 勲二等

     1941年東大土木卒、42年講師、兵役従事後47年助教授、55年教授、80年定年退官(名誉教授)。埼玉大学教授となり81年より工学部長。78年より日本学術会議会員を3期、第五部長、・副会長を歴任。86年帝京技術科学大学長、88年国土審議会会長のほか各種審議会委員長および学会委員長歴多数、85年紫綬褒章、89年度土木学会功績賞受賞。87年の講書始の儀に東京地下鉄につき昭和天皇に進講。

  70. 野瀬正儀(のせまさのり)工博 名誉会員 勲二等

     1936年東大土木卒、富士電力、日本発送電、関西電力へ引継入社、水力計画課長、建設部次長をつとめ54年電源開発土木部次長、59年関西電力へ移り黒四建設事務所長、支配人、常務、専務取締役をへて75年電発副総裁、83年退任。日本大ダム会議会長、国際大ダム会議副総裁等を歴任。黒四発電所建設に関し62年度朝日賞を代表受賞、73年度藍綬褒章受章、86年度土木学会功績賞受賞。

  71. 高橋浩二(たかはしこうじ)工博 名誉会員

     1945年東大第二工学部土木卒、運輸省に入り盛岡地方鉄道部に配属され建設線調査、青函トンネル調査などに従事、59年から64年の間東海道新幹線建設工事に参画、68年門司鉄道管理局長、72年建設局長、75年常務理事、79年技師長、84年退任。この間、大都市通勤対策、鉄道の高速化、超電導マグレブの推進に尽力。同年鉄建建設に入社、副社長をへて代表取締役社長に就任。92年度土木学会功績賞受賞。

  72. 岡部 保(おかべたもつ)名誉会員 勲二等

     1944年東大第二工学部土木卒。運輸通信省入省。兵役をへて港湾局計画課、第二港建、運輸技研勤務、61年港湾局建設課長、63年計画課長、67年技術参事官、70年経企庁総合開発局長、72年運輸省港湾局長、73年退官。74年(社)日本港湾協会理事長、(財)港湾運送近代化基金理事・会長、75年全国浚渫業協会理事・会長、84年より日本港湾協会会長、87年港湾審議会会長、91年度土木学会功績賞受賞。

  73. 菊池三男(きくちみつお)名誉会員 勲二等

     1945年東大第二工学部土木卒。47年内務省入省。55年建設省道路局、67年有料道路課長、68年国道第一課長、72年関東地建局長、同年道路局長、74年建設技監を歴任し76年退官。77年首都高速道路公団副理事長、81年から84年まで理事長。退職後は日本高速通信(株)代表取締役社長に就任、89年退職。76年度土木学会副会長、90年度(財)立体道路推進機構理事長。矢直、英彦、三男と続く土木の家系。95年度土木学会功績賞受賞。

  74. 久保慶三郎(くぼけいさぶろう)工博 名誉会員

     1945年東大第二工学部土木卒。講師をへて48年第二工学部助教授、63年東大背三技術研究所教授、82年退官(名誉教授)。埼玉大学へ転じ85年工学部長、87年退官、東海大学教授、93年退職、52年度土木学会奨励賞、79年度論文賞、89年度著作賞、93年度功績賞受賞。89年紫綬褒章。理事・副会長のほか学術講演連絡、論文賞選考、耐震工学、土木工学用語等の委員長および委員歴多数。

  75. 石川六郎(いしかわろくろう)工博 名誉会員

     1948年東大第二工学部土木卒。運輸省、国鉄をへて55年鹿島建設(株)取締役、78年代表取締役社長、84年代表取締役会長、94年名誉会長。82年(社)日本土木工業協会会長、83年東大工学部非常勤講師、85年(社)日建連会長、87年日本および東京商工会議所会頭、93年退任。91年(社)日本工学会会長、業界代表としては三人目の土木学会長。各種経済団体顧問のほか多数の公職を歴任。95年度土木学会功績賞受賞。

  76. 内田隆滋(うちだたかしげ)工博 名誉会員

     1943年東大土木卒、海軍技術将校として兵学校で教育にあたる。戦後鉄道省施設局に入り63年建設局計画課長。68年幹線調査室長、70年建設局長、72年常務理事、75年退職、76年東武鉄道(株)常務、専務をへて83年日本鉄道建設公団総裁。87年退任し東武鉄道へ復職、88年取締役副社長、94年6月社長。土木学会においては編集嘱託(主任)、各種委員、理事、副会長等を歴任。90年度土木学会功績賞受賞。

  77. 堀川清司(ほりかわきよし)工博 名誉会員

     1952年東大土木卒。大学院をへて54年東京大学講師、55年助教授、57〜59年米国California大学客員教授兼研究員、67年東京大学教授、84〜86年工学部長、88年退官(名誉教授)、埼玉大学教授。92年より埼玉大学長、青島海洋大学、大連理工大学客座教授。論文集編集委員会委員長、海岸工学委員会委員長、副会長等を歴任。68年度土木学会論文賞、81年度ASCE国際海岸工学賞、93年紫綬褒章受章。

  78. 淺井新一郎(あさいしんいちろう)名誉会員

     1948年東大土木卒。建設員採用後65年建設省関東地建技術管理官、66年日本道路公団高速道路計画課長、70年建設省道路局高速国道課長、72年企画課長、76年道路局長、78年建設技監をへて退官。83年日本道路公団副総裁をつとめた後84年首都高速道路公団理事長となり90年退官。91年より新日本製鐡(株)顧問に就任。92年(社)日本道路協会会長。学会歴として79年度副会長、表彰委員会技術賞主査等。

  79. 岩佐義朗(いわさよしあき)工博 名誉会員

     1951年京大土木卒。建設省河川局治水課、土木研究所をへて53年京都大学助手、54年講師、55年助教授、64年教授に昇任。92年退官、地球工学研究会会長。65年〜66年米国MIT客員教授。79年水理委員会委員長、国際水資源学会副会長、国際水理学会(IAHR)副会長(名誉会員)、日本学術会議第13、14期会員、土木学会関西支部長等を歴任。58年度土木学会奨励賞、68年度論文賞、96年度功績賞受賞。

  80. 藤井敏夫(ふじいとしお)工博 名誉会員

     1949年東大土木卒。日本発送電力技研、51年東京電力(株)箱島、奥利根、梓川の各現場に勤務、原子力建設部部長、81年理事建設部長、83年取締役をへて86年常務取締役、91年最高顧問兼常盤共同火力(株)取締役社長に就任、73年度吉田賞受賞。関東支部幹事長、理事、副会長、定款調査、コンクリート、企画、岩盤力学、エネルギー土木、広報、吉田賞など委員、委員長歴多数。

  81. 竹内良夫(たけうちよしお)名誉会員 勲二等

     1946年東大第二土木工学部土木卒、運輸省へ入り69年大臣官房参事官、第三港建局長をへて73年港湾局長、76年退官。(財)国際臨海開発研究センター理事長、84年関西国際空港代表取締役社長、91年退職。同社相談役のほか(社)日本港湾協会副会長、(社)海外運輸コンサルタンツ協会会長、港湾審議会会長、(株)竹内良夫事務所社長など。理事、関西支部長、平成3年度全国大会実行委員長など学会歴多数。95年度土木学会功績賞受賞。

  82. 中村英夫(なかむらひでお)工博 名誉会員

     1958年東大土木卒。交通営団をへて61年東大助手、66年助教授、67〜69年Stuttgart大学客員教授、70年東京工大助教授、74〜76年経企庁経済研究所システム分析研究室長を兼任、75年東大助教授、77年教授(工学部土木工学科)、測量学・社会基盤計画学を専攻。各種委員長、副会長を歴任、65年度土木学会奨励賞、81年度論文賞のほかフォンシーボルト賞、リヨン・ルミエール大名誉博士など。各種審議会委員など歴任。2005年功績賞受賞

  83. 小坂 忠(こさかただし)工博 名誉会員 勲二等

     1951年東大第二土木工学部土木卒、建設省へ入り78年関東地方建設局長、80年河川局長、81年建設技監、83年退官。(株)首都圏建設資源高度化センター代表取締役社長、(財)国土開発技術研究センター副会長、(社)関東建設弘済会理事長、全国建設弘済協議会会長など。


  84. 松尾 稔(まつおみのる)工博 名誉会員

     1962年京大大学院卒、62年京都大学助手、64年京都大学講師、65年京都大学助教授、72年名古屋大学助教授、78年名古屋大学教授、87年名古屋大学評議員、89年名古屋大学工学部長、91年日本学術会議第15期会員、92年名古屋大学学長事務取扱、92年日本工学アカデミー理事、94年日本学術会議第16期会員・第5部幹事、95年名古屋大学理工科学総合研究センター長。地盤工学会副会長、(財)名古屋産業科学研究所理事、(財)科学技術交流財団理事等を歴任。79年土木学会論文賞、84年著作賞等受賞。2004年功績賞受賞。


  85. 宮崎 明(みやざきあきら) 名誉会員

     1946年東大第二工学部土木卒。内務省入省後建設省各部局、大臣官房技術参事官、国土庁水資源局長等をへて、76年鹿島建設(株)常任顧問に就任。76年同社常務取締役、82年同社専務取締役・営業本部長、88年同社代表取締役副社長・営業本部長、90年同社代表取締役社長、96年同社取締役相談役。建設業労働災害防止協会理事、国際技術協力協会常任理事、日本タンザニア協会会長等 その他各種団体の委員等歴任。85年建設大臣功労賞等受賞。


  86. 岡田 宏(おかだひろし)工博 名誉会員 勲二等

     1953年東大第一工学部土木卒。日本国有鉄道入社 建設局各課、外務部等を歴任、80年同社新潟鉄道管理局長、83年同社建設局長、常務理事、86年同社技師長。87年日本鉄道建設公団副総裁、89年同公団総裁。93年海外鉄道技術協力協会理事長。中央建設業審議会専門委員、中央公害対策審議会専門委員、中央環境審議会特別委員、社団法人日本トンネル協会会長 その他各種団体の委員等歴任。78年鉄道功績賞、94年交通文化賞等受賞。


  87. 岡村 甫(おかむらはじめ)工博 名誉会員 紫綬褒章

     1961年東京大学卒、68年東京大学助教授、82年東京大学教授、96年東京大学大学院工学系研究科長兼工学部長、99年高知工科大学副学長。通商産業省原子力発電技術顧問、日本学術会議第17期会員等を歴任。67年土木学会吉田賞、81年土木学会論文賞の他、多数の土木学会賞を受賞。


  88. 鈴木 道雄(すずきみちお)名誉会員

     1956年東大土木卒業。建設技官に採用、88年建設技監、89年建設事務次官をへて退官。日本道路公団総裁をつとめた後、99年(財)道路環境研究所理事長に就任。学会歴として、88年副会長等。2003年功績賞受賞。


  89. 丹保 憲仁(たんぼのりひと)名誉会員

     1957年北海道大学卒、58年北海道大学助教授、69年東京大学教授、93年北海道大学工学部長、95年北海道大学学長、2001年放送大学学長。日本学術会議第17・18期会員等を歴任。87年土木学会環境工学委員会委員長を歴任、91年土木学会著作賞を受賞。2004年功績賞受賞。


  90. 岸 清(きしきよし)名誉会員

     1960年東京大学卒。東京電力(株)入社、89年原子力建設部部長、92年原子力建設部副本部長、95年同フェロー(理事待遇)、2001年顧問。89年技術開発賞受賞。2005年功績賞受賞


  91. 御巫 清泰(みかなぎ きよやす)名誉会員

     1958年東京大学卒。運輸省入省、港湾局環境整備課長、港湾局計画課長、港湾局技術参事官、港湾局長などを歴任。98年関西国際空港(株)代表取締役社長。2003年日本港湾協会会長に就任。学会歴として、理事、関西支部長等を歴任。


  92. 森地 茂(もりち しげる)工博

     1966年東京大学卒。東京工業大学、東京大学教授を歴任。2004年政策研究大学院大学教授。学会歴として土木計画学研究委員会委員長、企画委員会委員長等を歴任。


  93. 三谷 浩(みたに ひろし)工博

     1958年東京大学卒。建設省事務次官、首都高速道路公団理事長などを歴任。2001年(財)先端建設技術センター 理事長に就任。学会歴として副会長、表彰委員会功績賞主査等を歴任。


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