土木学会誌6月号モニター回答
 
信玄堤

 歴史的建造物が今もなおその役目を果たしていること自体が立派なことであるが、こと、この信玄堤の保全において周辺住民に保全の役目を与える、かつ、その精神性を祝祭によって継承するという秀逸なアイディアとその効果には大いにインスパイアされる。土木構造物の命の終焉は、単に物理・化学的な耐久性だけではなく、それを使う人達の心との絆にもよっているのだということがわかる。
 (新日本製鐵(株) 冨永知徳)

 一連の「土木遺産」の実例紹介の中で際だっていたように思います。他の事例紹介記事の、PR的要素やこうありたいという願望的な内容に対して、余計な主張や地元びいきを排しながら、逆に雄弁な仕上がりとなっており、好感の持てる記事だと思います。信玄への思い入れは特にないのですが、自然物でも役割を与えられ活かされることで、人に大切にされ、地域に溶け込んで、他のものに替えがたい価値を育んでいくものだと考えさせます。  人工の土木構造物であっても、「遺産」の名に耐えうるものは恐らくそうしたものであって、モニュメントや観光利用などをうたうものは、所詮付け焼き刃でしかないように感じられます。  河川工事における「多自然工法」とは誰が命名されたのか知りませんが、「疑似自然工法」であって自然の利用ではないように思います。百歩譲って自然の仕組みを最大限引き出すことをもって、そう名付けたとしても、自然の仕組みとは外見上のなんたるかを問うものではないと思います。土地を最大限有効に利用する目的で、河川に本来与えるべきスペースを制限し、直線化することで河川の三面張りが進んだ。いわば土木のバブル経済的一面が端的に出ただけのことで、三面張りはスケープゴートに過ぎないのではないでしょうか。「多自然」の語には、その贖罪的な響きを感じます。  こうした情況の中で、改めて信玄堤について淡々と事実を述べられた記事には、深く賛同しました。いずれ現代版信玄堤を自負する「多自然工法」の記事が掲載されることを期待したいと思います。 
(伊戸川環境総合企画 伊戸川善

 

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