土木学会誌1月号モニター回答

特集 新しい千年紀を迎えるに際して「みち」:文化の交流と伝播

 みちと一言いっても、個々まで様々な歴史的な背景があることを、想像した事が無かった。これまで、人が頻繁に移動することによる経済効果を期待するみちしか、これまで考えたことが無かった。
 地方から、地方へと移動するときに、みちに対していつも不満に思っていたことは、交通の便が非常に悪いことであった。それは、どのみちも都市圏を通過することを余儀なくされ、都市圏を通過するたびに交通渋滞に巻き込まれるからだ。鳥取から静岡に行くために、何度交通渋滞でいらいらさせられたことだろう。
 しかしながら、文章を読んでいて、私の感覚は、道がどう変わってきたのかをまったく知らない、現代人の身勝手であることを理解した。
 みちは、私達の前の人たちが、残していったものであり、私はこれまでその意図をまったく知らなかった。律令時代の中央とつながるために造られたみち、市場が各地に作られはじめ交流をするために整備されたみち、門前や・行楽地のような立ち止まることを前提にした場所の登場に伴うみち、みちそのものが行楽地となっていくブラ、モールの出現など、多くの人の意思が交じり合って、私の想像をはるかに越えるドラマがみちを介在して存在していたことが文章を通じて私に伝わってきた。
 現在、多くの人のみちに関する理解は非常に低いように感じる。みちがあるに越したことはないが、余分にお金を出すのは、いやだと多くの人が思っているのではなかろうか。中には、高速道路が通るところは土地買収に伴って大きなお金が入ると、政治の力を利用して無理にみちを曲げて、大もうけを使用とする人もいるのではなかろうか。
 多くの人と一緒に、みちを取り巻くドラマを演出し、より楽しい生活を実現するためにはどうすればいいのだろうか。個人の都合ではない次世代に残すべきみちを、多くの人と模索することができるようになればよいと思った。そのためには、多くの人がみちについて多くを学び、みちと触れ合う機会を教育現場や生涯教育の場を通じて感じる機会を増やしていく必要があると思った。
(鳥取大学 里田晴穂)

 読者に考えさせる記事で、大変面白い。今回、久しぶりに学会誌を拝読して、学会誌もずいぶん変わったものだと感心しました。
 今回の特集を拝見して、私なりの意見を一つ。
 新しい千年紀を迎えて、わが国がさらに活力ある展開をしていくためには、文化の交流こそ大切であろう。文化の交流は、人、物、情報、金など、さまざまなものの移動を惹起させ、わが国の生活を活気あふれるものとするだろう。
 これら、さまざまなモノの移動手段が文化交流の障害とならないよう、また、誰もが容易に移動できるようにするため、情報通信網、道路、鉄道、海路、空路など、さまざまな交通手段を多層な交通システムとして再構築することが必要である。
 新しい千年紀を迎え、「いまさら総合交通体系でもない」といわれるかもしれないが、交通をシステムとして総合的に捉え、整備していくことをあらたな「みち」づくりのテーマに据えたい。
(日本鉄道建設公団 堀口知巳)

 つい「道路」として考えてしまう「みち」というものの考え方を変えることができて大変面白い特集だった。移動・物流手段としてだけではなく、精神、宗教、生活、文化などに通じていく「みち」。使用者や価値観によって多面性を持つ「みち」。時間の移り変わりとともに多様化していく「みち」。「みち」をただ道路構造物として、設計する日常の中からは、なかなか到達できない思想だが、この様な思想を常に頭のどこかに抱いて設計をするべきだと思った。なにか無機質なものに血が通ったようなちょっとホッとした思いがした。
(北海道開発コンサルタント(株) 田中雄太)

 久しぶりに「みち」という言葉を聞いて、新鮮な感覚を覚えた。「みち」は普段はあまり使わない言葉だからだ。東京で生活していると「道順を教えてください」とは言わずに「行き方を教えてください」という。電車を乗り継いで、階段を上り下りして、エレベータに乗るとやはり「みち」ではない。インターネットが発達すると将来の「みち」は確かに「未知」である。土木技術者の役割も将来はかなり変わってくるような気がしたが、答えが「未知」とならないように思想を持って行きたい。
(鹿島建設 太鼓地敏夫)

 我々人間は、あと50年もすれば半分以上入れ替わるのに対し、土木の残すものは、100年単位で残ることを考えさせられました。「みち」は、徐々に遠くに人を、ものを、宗教を、運んできました。これから道は、より早く POINT TO POINT となる場合と POINT がたくさん集まって LINE となる場合を考えて行かなくてはならなくなると思います。さらに地球の外に道ができるのではないでしょうか。この道は、なにを運ぶのでしょうか。
(山晃測量設計 三村幸正)

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