受賞作品/関係者リスト


 序 文
amano

   (準備中)  

天野 光一 土木学会景観・デザイン委員会委員長
日本大学 理工学部まちづくり工学科 教授
 (準備中)
 
 総 評
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岐路にたつ授賞制度  

齋藤潮(東京工業大学 教授)
景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会委員長
 北村眞一委員長の後をお引き受けすることとなった。気が重い任務である。選考委員はいずれも計画・設計に身を削ってこられた猛者であり、応募作品に対する言い分はいちいちもっともである。そして当然ながら意見はしばしば一致しない。しかし、気が重い理由は、猛者諸兄の意見を集約する難しさにあるのではない。本賞が何を目指すのかと問われ、明確な回答を少なくともわたしは示せないでいるからだ。
本賞の目的と意義について、創設の陣頭指揮をとった田村幸久さんは、土木分野のデザイン力の底上げだと明言された。創設以来、とくに橋梁分野から続々と応募があった。河川分野は環境再生へとデザインの比重を移しながら実績を積み上げてきた。その意味では本賞は一定の成果を収めたと言えよう。ただ、本賞が近年、土木分野以外へ授賞範囲を広げていることに、田村さんは忸怩たる思いがあると開陳された。
昨今応募総数が低迷するなか、とくに土木分野からの応募が少なくなっている。他分野からの応募を拒めば、いまや授賞制度そのものが成り立たない状況にある。数年前の公共事業縮減政策は無駄を減らすという名目で、つくるならより美しくよりよいモノをという姿勢すら拒絶するような雰囲気をもたらした。将来を見据えてじっくりいいモノをつくるという現場の意気は、災害の多発でさらに失われつつあるようにもみえる。海外を視野に入れた受注力育成のために土木分野のデザイン力の底上げは必要だとしても、当面の受注競争においてデザイン力は必ずしも正当に評価されないという厳しい実態があろう。
昨今の授賞傾向を踏まえた議論は、本年度の選考委員会の席上でも沸き起こった。グッドデザイン賞、建築学会賞、造園学会賞ほか様々な授賞制度がある中で、土木学会に属する本賞がどこに軸足を置くのかという問題提起である。デザイン力において一日の長がある他分野に眼を移していては、土木分野ならではのデザインの行方を見失う恐れがあるという指摘もあった。
去る5、6月に、協賛団体に土木分野の諸先輩を訪ねた折、次のようなふた通りのご意見をいただいたのも印象に残っている。ひとつは、土木を支援するつもりで協賛に応じているが、このところの受賞作品に土木分野のものが少ないのははなはだ遺憾である、というものである。他のひとつは、土木をいわゆる旧来の学問領域に対応させて狭くとらえることはない。公共性というキイワードでくくれるならば、それらは土木の範疇として扱ってよい。そうでなければ、土木は市民感覚との接点を失って行くだろう、というものだ。わたしにはどちらももっともなように思われる。
こうして、まさに、批判覚悟、満身創痍の決断として、本年度は、応募総数16件から8件を絞り出すに至ったのである。分野別にみると、街路2、広場2、河川1、港湾1、駅1、ID1。賞別では、最優秀賞2(街路・広場各1)、優秀賞3(街路・河川・港湾各1)、奨励賞(広場、駅、ID各1)である。港湾1といっても対象はターミナルビルであるから、作品そのものは建築物である。駅1も同様。土木らしい作品は河川=分水路のひとつだけである。
これをもって、土木が冷遇されているとみるか、他分野に肩を並べて堂々の受賞を果したとみるか。少なくともわたしは後者をとる。最優秀賞受賞作品はすこぶる上質の仕事である。これを、商業空間で事業主体が民間もしくは民間が関与しているから水準が高いのは当然といぶかる人もあろう。しかし、分水路はこれらと最後まで争った。論点のひとつはその階段工だった。そんな細部は、激甚災害対策特別事業としての分水路設計の趣旨と規模から問題にならないという意見。いや、これはまだ意匠検討の余地をあまりに多く残している、街路や広場における仕上げと同列に見ずともよいが、等閑視しないことが底上げに繋がるという意見。これが対立した。が、土木が内輪で評価し合うような体質に甘んじず、厳しくすべきところは厳しく行こう。かくして分水路は優秀賞となった。力強い分水路の受賞を寿ぎたい。
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デザインの難しさ  

椛木洋子(株式会社エイト日本技術開発 交通インフラ事業本部構造事業部 構造橋梁分野統括)
今年の特徴として、単体のデザインもいくつかは見受けられたが、概して、広範囲にまたがる多くのデザイン要素を抱えた作品が多かったように思える。複数の事業が並行して進められ、関係者が多数の事業、または、災害復旧のように緊急で工期が限定されているような事業はトータルデザインが難しいとされていたように思うが、今年の受賞作品を見ると、やればできる、否、やらねばならないのだと教えていただいたような気がする。
最優秀賞「丸の内仲通り」は、街路デザインの経験がある設計者であれば容易に想像できると思うが、道路管理者、警察、沿道の関係者、その他気の遠くなるような多くの調整を経て、街路デザインを行った結果得られた成果であることが分かる。日本の街路デザインの水準を確実に高めていると思う。
優秀賞の「創成川通・札幌駅前通」および「川内川激特災害事業」でも設計者は同様のご苦労をされて、多くの要素を組み合わせ、これらのデザインを実現されたのであろう。デザイン力が備わってこその結果であることは言うまでもない。
一方で、デザイン要素が多いということは、たった一つの失敗であっても作品が台無しになるという危険性をはらんでいるということでもある。
「土木のデザインは制約が多すぎる。もっと自由にデザインがしたい。」という声を聞く。しかし、そもそも土木は人の営み全般を対象としているのだから、自然や社会的環境の制約をうけるのは当然である。土木におけるデザインとは、多様な制約を受ける多数の要素を関係づけ、根気強く、気持ちを込めてひとつひとつ形にしていくことにつきるのではないか。土木のデザインを極めるのは大変難しいが、今年の受賞作品は、関係者の努力が実った結果の表れだと思う。
今年も多くの作品に出合い、選考の過程での議論を楽しむことができた。1点だけ残念なのは、受賞作品に橋梁がなかったことである。来年は、橋梁を含む多様な作品に出会い、熱い議論を交わしたいと思う。  
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土木デザインの領域を広げよう  

須田武憲(株式会社GK設計 代表取締役)
今年度から土木学会デザイン賞の選考委員のメンバーとなり、多くの応募作品の全てを見ることができる立場となった。まず気がついたのは、土木学会デザイン賞が相当にユニークな賞であることだ。選考対象が、規模で言えば大きなものは河川の堤防から、小さなものは街路のストリートファニチャーまで、加えて明確な形態を持つものから創り出すためのシステムまで、同じテーブルの上で議論される。その広がりと多様性に対して自分なりにどのような評価基準をもつべきか、手探りの状態でスタートすることとなった。
選考の過程のなかで、ある広場について審査をしたときの議論が印象的だった。説明資料には周辺住民の手によって生物多様性のある水辺をつくり、それを維持管理をしているとあった。しかし実見の報告をみると日当りが過剰で水辺の草が繁茂しすぎ、本来の目的を果たしていないことが見て取れた。これは本来、適度な日陰をつくるべき高木の配置の問題でもあるし、なにより地域の人々を惹き付け、常に維持管理したくなるような魅力を発信していないというサインでもある。私自身の選考のポイントにも書いたように「自然に美しくなる」かどうかという観点から見れば、残念ながら及第点とはなっていない。
このようにそれぞれの選考委員の評価軸が議論されるなかで共有され、目に見えて進化し、客観化されるという動的な合意形成のもとに行われていることが、少しずつ理解できるようになった。
ひとつ残念であったのは、景観製品や景観材料のエントリーがいくつかあったにも関わらず、入選に至らなかったことだ。景観製品、景観材料は土木デザインの中でも非常に重要な要素である。モノと全体景観との関連性や位置づけを明確にしたうえで、選考委員の琴線に触れるエントリーシートをもって、来年以降も積極的に挑戦していただきたい。土木デザインの領域に対する認識をさらに広げていければと思っている。  
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皆で高めあっていく行為  

高見公雄(法政大学デザイン工学部 教授/(株)日本都市総合研究所 代表)
土木学会デザイン賞のメンバーとして2年目を迎えた。昨年度は「施設と分野とその評価の基準」といった点に感慨を持った。今年は少し慣れてきて、この賞は何を目指しているのだろうか、ということに思いが及ぶ。私なりのデザインに対する評価の考え方、センスというと大げさだが、そういったものはある。また都市づくり全般に係わってきたから、土地利用面や都市施設の役割、その実現の課程を含めて見ていくこともできていると思う。これらを勘案して、真に優れたものが最優秀賞であることは恐らく間違いないのだが、一連の賞の目的は何か、ということである。今年度の受賞作をみて頂くと、実は民間による取組みが上位にきており、「土木学会」という立場から想定される都市・国土の基盤施設に係わる受賞作が相対的に弱い。なぜだろうか。やはり公共事業として進められる基盤施設整備において、デザインへの配慮といった部分が強くは配慮されずに今日に至った結果と言えるだろう。そんな中、近年景観・デザインといった分野への関心が高まり、意識を持つ関係者、技術者は恐らく孤軍奮闘してきた。でもその成果は十分ではないかもしれない。そんな時代認識のもと、この賞を考える。未だ途半ばであることは確かであるが、将来に向かって現在の取組みを評価し、後押しすることが賞の目的であろうと。
今回の応募作を見る。最優秀賞は文句なしと言えるものの、残念ながら各受賞作には、景観・デザイン面の問題や課題がないとは言えない。結果としてのデザインの評価、創りあげられた結果は予測し得たものかどうか、そもそも条件やプログラムが適切であったのか、など。だが現状を改善し、望ましい将来へつなげることがこの賞の狙いであろう。今回の受賞者のみなさんをはじめ、不幸にして受賞に至らなかった応募作の関係者を含め、引き続き真摯な議論、研鑽により皆で高めあっていきましょう、という感慨を持った審査会であった。
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時間とデザイン  

戸田知佐(オンサイト計画設計事務所 パートナー/取締役)

今年もバリエーション豊かな作品群の応募に審査課程では様々な意見が飛び交った。結果的には都市的にぎわいを作り出しているプロジェクトが2点最優秀賞に選ばれた。審査の最終的な判断ポイントは、社会的意義、デザイン意図の明確さ、出来上がった空間の仕上がり、使われ方などである。どちらのプロジェクトもこの評価軸に対してバランスよく評価されたものと思われる。
今回の審査の議論を振り返ると、プロジェクト毎の時間とデザインの関係をどう読み解き、評価するかという点がいろいろな議論の根底にあったのではないかと感じた。人工的なものが劣化していく事は否めない。また、どのプロジェクトも敷地のコンテクストと歴史を持っており、周辺では、デザインされた時間とは違う時間が流れ続けている。その中で、それぞれのプロジェクトがどの程度の時間スケールを考慮してデザインされているのか。時間の経過を劣化と見せるのか、空間の熟成と見せるのか。改変する空間が大きくなればなるほど時間スケールも必然的に大きくなる。必要な技術や知識が多様になり、適切なデザインへのプロセスが複雑になる。
それぞれのプロジェクトの時間スケールとデザイン表現との関係をあらためて考察してみると、その関係は様々である。都市経済的時間に自然環境の時間を融合したもの、空間のスケールが大きくて時間的スケールとの連動が未知数なもの、時間の経過から取り残されているように見えるもの、大きな時間の流れを背負いすぎて過剰に時間経過を表現したものなど、時間のとらえ方はデザインの結果として明確に現れているようである。 風景は、生態系プロセス、人の生活や歴史の積み重ねによりつくられるため、目に見えているのは変化し続ける時間の一瞬の状態である。変化する一瞬の時間をとらえ、デザインされた時間として連続させる事により持続的に変化する事ができる豊かな環境がつくられていく。  
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“曖昧な公共”の価値  

西村 浩(ワークヴィジョンズ 代表)
 本賞の審査委員を拝命して3年目。とりあえずは任期を全うすることができて、ようやく肩の荷が下りた気分だが、お陰で随分たくさんの土木のデザインに接することができた。特に2年目以降は、実見対象になった作品については、担当以外のものも含めて全て実際に足を運んで見て回った。1年目の審査では、自分が実際に見ていない作品について、自信を持って議論ができず、消化不良の時間を過ごしてしまったからだ。応募者は真剣だ。だからこそ、審査委員も全力で議論に望む覚悟が必要だと思った。少々無理をして全国を飛び回ったが、とてもいい経験になった。
 審査は、毎年例に違わず「土木のデザインとは何か?」という問題提起から始まる。特に本賞の応募条件とも言える“公共性”の定義については、激しい議論が交わされること度々、結局、明快な解を得るに至らなかった。ただ、今改めて審査過程の議論を振り返ってみれば、この“曖昧な公共”こそが、これからの都市空間のあり方そのものなのかもしれない。市民や企業といった「民」が、公共空間の整備や維持管理・運営に参画する事例が、近年飛躍的に増えている。「官」の管理下から解放された公共空間では、「民」の自由で新しい発想によって、格段に美しく上質なデザインが提供されているのだ。そして、この上質なデザインを纏った空間は、市民の間に街をシェアする気持ちを生み、ますます街を大切に使っていこうという機運に繋がっていく。本年でいえば、丸の内仲通りやハルニレテラス、札幌駅前通地下歩行空間は、その好例だ。たくさんのヒトの力を結集して、モノとコトの良い循環を生み出すことが、今後の都市を持続的に支える新しい「公共」となり得るのではないか。その循環の過程でカネを生み、それが新たな雇用に繋がればなおよい。
 任期の最終年を迎えて、上質なデザインの底力を感じることができてよかった。新しい土木デザインの可能性を垣間みたような気がしています。3年間ありがとうございました。
 
yamamichi

   地になじむデザインを  

山道 省三(NPO法人全国水環境交流会 代表理事)
今年の応募一覧を見て、土木デザイン審査でありながら、「土木」が少なく、建築や設備系が多いのはどういうことだろうとは、審査員の誰もが思ったようだ。主に公共事業として行われる河川や砂防、道路、港湾関係の事業は、この応募制度では参加しにくい点がある。事業者が国や自治体の場合、応募費や他の経費を負担しにくい状況にあり、加えて、事業費の節減で、デザインには費用がかかるため、計画当初から考慮しないといった思いこみがあるようだ。募集する側も参加費や応募条件等を再考するとともに、土木デザインとは何か、審査の内容等を丁寧に示す必要がありそうだ。今回の応募には「土木デザインとは何か?」といった原論的な意味で、良し悪しは別に、考えさせられる作品が目に付いた。まず、相当な費用をかけたと思われるが、その構造物の中で、あるいは周辺空間で何をさせよう、してもらおうとする意図が見えない事例、パーツのデザインはセンスがいいのに、全体から見ると、調和、調整されていない例、植物や小動物、水面などの特徴が充分生かされていない例などがある。いいかえれば周辺の空間の地形、土地利用、歴史、まちづくり、住民、ライフスタイル等との関係性が希薄であるともいえる。事業者の中には地図に残るような土木事業を標榜する所もあるが、私は、大規模な土地や景観の改変を伴うようなデザインはなるべく避けてもらいたいと考える。少なくとも近い将来、地になじむことを想定したデザインを望んでいる。今回の作品の中で評価の視点にしたのは、そのなじみ方、なじませ方であった。