JSCE
土木学会

企画委員会

土木学会平成12年度全国大会特別討論会
「社会資本と土木技術に関する2000年仙台宣言(案)〜土木技術者の決意〜」(テープ反訳)

※注:本討論会記録は、当日の録音テープを基に作成されたものであり、不明瞭な部分について誤りがあることがあります。


  開 会

○司会 これより特別討論会を開会します。

この特別討論会は、西暦2000年という記念すべき年に、全国大会では初めての試みとして、企画委員会と東北支部との共催で、森地座長と5人の話題提供者を迎え、皆様とご一緒に「社会資本と土木技術に関する2000年宣言 (案) 」について討論するものでございます。

それでは、座長と話題提供者の皆様をご紹介いたします。

初めに、進行役として特別討論会の座長をお務めくださいますのは、東京大学教授森地 茂様でございます。 (拍手)

お手元の資料にございますが、森地様は、昭和41年に東京大学工学部土木工学科をご卒業なさいまして、昭和62年より東京工業大学教授、そして平成8年からは東京大学大学院工学系研究科教授として教鞭をとっておられます。土木学会役員はもとより、多くの委員会などでご活躍でございますが、時間の関係上、ご紹介は割愛させていただきます。

続きまして、話題提供者としてご参加いただきました皆様をご紹介させていただきます。

話題提供者お1人目は、東京大学名誉教授高橋 裕様でございます。 (拍手)

高橋様は、昭和25年に東京大学第二工学部土木工学科をご卒業なさいまして、昭和36年に東京大学工学部助教授となられ、その後、同大学教授を経て、昭和62年より東京大学名誉教授並びに芝浦工業大学教授として教鞭をとっておられます。

話題提供者お二人目は、建設省技監青山俊樹様でございます。(拍手)

青山様は、昭和44年に京都大学大学院工学研究科土木工学専攻を修了後、同年4月に建設省に入省なさいました。その後、河川局開発課長、東北地方建設局長、河川局長を歴任された後、平成11年に技監となられ、現在に至っておられます。

続きまして、話題提供者の3人目の方は、日本放送協会解説主幹齋藤宏保様でございます。 (拍手)

齋藤様は、昭和45年に慶応義塾大学法学部法律学科をご卒業後、同年4月に日本放送協会に入局なさいました。その後、社会部記者を経て、スペシャル番組部チーフプロデューサー、解決委員などを務められ、平成10年より解説主幹となられ、現在に至っておられます。

話題提供者の4人目は、社団法人日本土木工業協会会長梅田貞夫様でございます。 (拍手)

梅田様は、昭和35年に京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修了後、同年4月に鹿島建設株式会社に入社なさいました。その後、同社常務取締役、専務取締役、代表取締役副社長を歴任され、平成8年より代表取締役社長に就任なさいました。また、社団法人日本電力建設業協会会長、社団法人日本海洋開発建設協会会長も務めておられます。

そして、話題提供者の最後にご紹介いたします方は、東北大学教授森杉壽芳様でございます。 (拍手)

森杉様は、昭和41年に京都大学工学部土木工学科をご卒業後、ペンシルバニア大学大学院へと進まれ、修士課程を修了なさいました。その後、昭和59年より岐阜大学工学部教授、そして平成9年からは東北大学大学院情報科学研究科教授として教鞭をとっておられます。

それでは、座長の森地先生、そして話題提供者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

○森地 特別講演会に続きまして、この特別討論会に大勢ご参加いただきまして、大変ありがとうございます。

まず、この「仙台2000年宣言」の経緯のお話を若干させていただきたいと思います。

ちょうどことし2000年、ミレニアムの年に、仙台で全国大会が開かれる。しかも、この数年間、特に社会資本整備あるいは公共事業について厳しい批判がある。

こういう中で、この2000年という記念大会で何かする必要があるのではないか。特に、「倫理規定」の中で、「我々は自己及び他者が土木事業にかかわる仕事をする上で、その批判に積極的にこたえる必要がある」と、こういうことがうたわれております。

森杉先生を中心にして、東北支部でこういう「2000年宣言」を出そうではないかと、こういう企画が昨年の秋、持ち上がりまして、12月だったと思いますが、理事会で議論をするために、学会の企画委員会、企画委員会というのは、学会の長期のマターを所掌している委員会でございますが、そこで議論をするようにと、こういうことで、東北支部と企画委員会合同でこの「2000年宣言」の中身を詰めてまいりました。たまたま私その時期、企画委員会の委員長を務めておりました関係でここに座っております。

それで、約4カ月いろいろな議論をいたしまして、3月及び4月の理事会でご議論をいただき、4月の理事会でこの案、「2000年宣言 (案) 」を案として学会誌に公表し、ホームページをもって皆さんからご意見をいただき、さらに、きょう、この場でご意見をいただく。

それで、ホームページ上でのご議論は今後もいただいて、11月の理事会で正式に案をとって、成案にしていきたいと。もちろん、その間、必要な修正は十分議論をしてやっていこうと、こういうことでございます。

この中身でうたっていることについては、先ほど鈴木会長の特別講演の中でありましたさまざまなお話がその背景で、ほとんどそこで尽くされていたと思います。また、樋口先生からの大変感銘深いご講演の中で、「自由」というのは、自分たちのルールをみずからつくっていく自由という、こういうお話がございましたけれども、まさに社会資本整備にかかわる土木技術者が、我々のルールをどうつくっていくか、今さらながらと、こういうお話もあろうかと思いますが、改めてそれを確認しておこうと、こういうものに相当する話かと思います。

また、こういう宣言を出して、それで終わりかというこういう議論もたくさんございます。土木学会、たくさんの、もう年間1,000回以上の会議を開き、さまざまな研究開発、あるいは社会への提言をしているわけでございますが、特に、この企画委員会2000年レポート、こういうもので議論したこともありまして、今、先ほど鈴木会長からご紹介ありましたように、三つの委員会で今年度中に具体的に動き出すと、こういうことが起こっております。これの冊子の9ページをお開きいただきますと、9ページの右側に、上から十二、三行目のところ、@、A、Bとございますが、技術者資格評議会、これは岡村前会長を委員長とする会議でございます。ここで資格制度、これは大学生、卒業する大学生レベルから一番トップの資格まで、もう一度学会としてつくっていこうと、こういうことを今議論をして、今年度中にはスタートするとこういうことでございます。

それから、2番目が、技術者環境に関する特別委員会で、これは技術者が働いていく上での環境、例えば、いろいろな職域で技術者が足りなかったり、あるいはもっと流動性を増した方がいいではないかと、あるいはそういうためのインフラは何かと、こういう議論をしてございます。これについても今年度中に結論を出す予定でございます。

Bについては、鈴木会長みずから委員長をお務めいただいております、先ほどお話しあったとおりでございまして、これも今年中に結論を出し、今年度中には具体的な提言としてまとめ、動き出すとこういうことでございます。

さて、これからの進め方でございますが、まず、森杉先生から原案作成者の中心になっておられた森杉先生から、この内容のご説明をいただきます。

そのほかのパネラーの方々からは、宣言に対するご意見とか感想、あるいは宣言 (案) に含まれております事項に対する背景ですとか、あるいは宣言後、我々が努力をするべき事項ですとか、こういうことにかかわることをご自由に、5分ずつご発言いただき、その後、お互いの発言に対して、さらにもう一度一巡お話をいただきたいと思います。

さらに、会場からもぜひたくさんのご意見を、時間の許す限り伺いたいと思っております。 そんな格好で進めてまいります。よろしくお願いいたします。

それでは、早速、森杉先生から宣言 (案) の趣旨及び要旨について、よろしくお願いいたします。

○森杉 それでは、原案作成に参加いたしました一人といたしまして、企画委員会並びに東北支部で議論してまいりました (案) につきましてご説明申し上げます。

もう何度か繰り返されてきた問題でございますが、昨年、高橋先生を初めとする土木学会の倫理規定というものがつくられました。これは一種の土木学会の憲法というべきものと言ってもいいような基本法律であります。基本法であるとこういうふうに認識します。

一方で、さまざまな社会からの関心事、問題提起に対して、土木学会はたくさんなアクティビティをなしてきました。

この両者をつなぐ橋渡しとして、そこにさまざまなアクティビティを代表してまとめてみるとどういうことになるのか。特に焦点を社会資本整備に当てたときの取りまとめた見解をまとめてみると、こういうことになるのではないかというところが、ここでの問題提起であります。

それで、その問題提起のありますこの「2000年宣言 (案) 」につきましては、お手元の方では、資料としては3ページ、4ページにあるとおりでございますが、まず、前文におきましては、第1項とおきましては、過去、社会資本整備を進めてきたこと、あるいは国土の条件の克服に努めてきたこと、あるいは多くの技術者が、社会に対してさまざまな貢献をしてきたということを誇りに思っているということを述べております。

しかし、一方で、第2パラグの方ですけれども、そこでの中での社会資本整備の歴史や社会的意義に対する理解を十分に得るに至らなかったこと、あるいは要請に対してこたえていないと批判を受けているということも事実であるという認識をしております。

こういう事実認識のもとで、振り返ってみますと、土木学会は我が国の工学系学会としては初の倫理規定を1938年の3月に発表しております。さらに、先ほど申し上げましたように、あるいは何度か触れられましたように、昨年の5月には「土木技術者の信条及び実践要綱」を改定いたしまして、そして土木技術者の倫理規定が策定されました。

その第4項を見ますと、「自己の属する組織にこだわることなく、専門的知識、技術、経験を踏まえ、総合的見地から土木事業を遂行する」という項目と、それから、第14項ですけれども、これは、その「自己の業務についてその意義と役割を積極的に説明し、その批判に誠実に対応する」と、こういうふうにうたっております。

こういう観点から、本宣言は、この倫理規定を具現化するものとして、さまざまなアクティビティを取りまとめるという見解で、社会資本に関する基本的な見解、これについての意見を表明するものであるというふうに位置づけております。

本宣言は9項目から成ります。

第1項は、 (社会資本の整備の意義) でございまして、これは「美しい国土」「安心で安全な生活」「豊かな社会」をつくると。これが社会資本整備の目的であり、社会資本整備はその手段であるということをうたっております。これは倫理規定の第1項そのものを引用させていただいております。

意義の後は、その意義をより具体化したものとして、 (理念) を3項目から挙げております。

理念の第1は、 (自然との調和、持続的な発展) ということでありまして、「自然を尊重し、将来世代の安全、福祉、健康を増進することを優先いたしまして、持続的な発展を目指したものを目指す」ということを言っております。

理念の2は、 (地域の主体性の尊重) というふうにまとめておりますが、「地域の主体性を尊重し、個性ある、かつ自律的な地域社会の形成に寄与する」と、こういうふうに述べております。

理念の3は、 (歴史的な遺産、それから伝統の尊重) という言葉でまとめておりますが、「歴史的遺産、地域固有の文化・風土、伝統を尊重するとともに、新たな文化・文明の創造に努める」と、こういう三つの理念から成る、とまとめることができるのではないかという提案であります。

この理念を実現するための手段としては、以下に示しております5項目から成っております。

最初の5項目のうちの三つの項目、これは主として社会資本整備に当たっての、持つべき機能であろうと、こういうふうに思っておりますが、方策の第1は (社会との対話、説明責任)でありまして、「社会から負託された目的を認識して、その必要性を具体的に説明するなど、社会との積極的な対話を通じて合意形成に努める」と、こういうふうに申しおります。これは先ほども会長からのお話にもありましたように、公共事業の事前評価、それから再評価、事後評価を含む説明責任という形のもののことを重点的な方策の第1番目にすべきであろうと、こういうふうに考えております。

第2番目は、そういう説明責任に当たりましては、 (ビジョンと計画の明確化) を抜きにして責任を遂行することはできません。そのために、改めて中長期的なビジョンを挙げて、そこへの道筋を示す整備計画を積極的に提案すべきだと、こういうふうに述べております。

第3は、 (時間管理概念の導入) でありまして、特にその事業の遅延がもたらす機会損失や、あるいは時間短縮による社会的便益を勘案した時々刻々の時間管理概念を導入して、その効率化を目指すべきだと、こういうふうに述べております。

8、9は、今度は土木技術そのもののあり方に関する方策でありまして、まず第1の、8番目の項目は (公正な評価と競争) という観点で述べておりまして、特に、先ほど森地先生のお話にもありました土木技術者の資格制度の充実、あるいはさまざまなそういう創造的なことに対する正当な評価並びに人材及び受注企業の競争選抜の実現、学際的・国際的に競争力のある技術並びに人材を開発・育成するように努めるということであります。

最後は、言うまでもないことでありますが、土木技術者は、我々はもちろん技術・技能の負担の向上に努める。しかし、その中でも特に (技術開発) として重点を置くべき項目を選定して、これに対して協力し合いながら、特にその推進を進めたいということでありまして、その例といたしまして、プロジェクトマネジメント能力の向上、あるいはコストの削減、リサイクルの新技術、あるいは国際貢献に関する技術開発、こういうものに重点を置いた努力を傾注すべきではないかと、こういうふうに提案しております。

最後に、以上のような趣旨を踏まえまして、土木学会は社会資本整備に関する諸制度の改善に向けて提案し、しかも土木技術者の能力向上の支援を積極的に行いたい。こういうことが我々の基本的な見解ではないだろうかという形で、まとめさせていただきました。以上です。

○司会 どうもありがとうございました。

それでは、まず齋藤NHK主幹からご発言をいただきたいと思います。

先ほどご紹介ございましたけれども、平成5年だったでしょうか、NHKの「テクノパワー」という、土木技術をご紹介いただいた、5回連続という大型番組をつくられたその中心人物でもありますし、土木会に対して常に辛口のご発言をされる方でもあります。どうぞご遠慮なくご発言をいただきたいと思います。

○齋藤 NHKの齋藤です。

辛口のコメントをするのが私の役割だと思っていますので、「コンカイトクライシス」というのが昭和59年にNHK特集で放送しました。それ以来、20年間、土木技術とおつき合いしてきたわけで、その経験を踏まえまして、今回の「仙台宣言」をどう見るのかということをお話ししたいと思います。

 まず、私が感じましたのは、なぜこの宣言を通じて使命感が感じられないのだろうかということ。苦言がないのは一体なぜなのだろうかと。多分それは、この宣言と具体的な行動、例えば公共事業をどう、どんな公共事業をこれから進めるのか、それがなかなか結びつかないからではないのかなという感じがしております。

過去に「倫理規定」があると、今回またこういうものをつくると。私たちからすれば、お題目はもういいと。それをどうやるかと、どう社会資本つくりに生かすのかが問われているのだということだと思います。

例えば、平成5年のゼネコン汚職では、社会資本をつくるシステムそのものが問われたのだろうと思います。では、それに対して土木学会としてどういうふうな提言をしたのか。また、阪神大震災、これについては、つくる技術そのものが問われたわけです。それに対してはでは土木学会はどういうふうに社会一般に対してコメントを出したのかと。また、昨今の公共事業批判、これに対しては、では土木学会は具体的にどういうふうな提案を出したのか。内向きではなくて、その利用者である市民に対してどういうふうなアクションを実際には起こしたのか。そこを私は非常に不明確だったのではないかと。そういうふうな、過去、この数年をとらえても、この宣言がなかなか一般に受けとめられないと思うのは、どうもお題目に終わる可能性があるということで、要は、実践が問われているということをまず申し上げたい。

言ってみれば、倫理と倫理の屋上屋を重ねている印象を受けます。その意味では、現状をどう分析評価し、その上で今後の国づくり、地域づくりの方向を具体的に示して、その実現のためにどういう仕組みの、どんな社会資本、どういう技術が必要なのかを、今回やはり提示することが必要なのではないかと。

確かに、森地先生の、8ページに書いてありますように、「現状認識が大切だ」と書いてあります。この説明の中に書いてありますけれども、この現状という場合、私が受け取る現状というのはプラス面の現状のような印象を強く受けます。マイナス面の現状認識については非常に薄いのではないのかなという感じがいたします。

その将来の国づくり、地域づくりの展望、青写真を描く場合に、いわゆる江戸時代までの日本、それから明治からこれまでの日本、それから21世紀の日本、多分全部物差しが違うのだろうと思うのですが、ではどんな物差しでこれから社会資本をつくっていくのか、「量から質へ」と言った場合に、どういうふうな考え方にするのか、その辺も私は非常に不透明な感じがしてしようがありません。

量の時代は技術万能である程度よかったかもわかりません。あるいは官主導でよかったかもわかりません。質の時代を迎えるに当たっては、恐らく市民主導でなければいけない。そうすると、物差しをどういうふうに変えるのかと。あるいはまた、これまでの社会資本というのは、健常者、障害者ではなくて、30代、40代の健常者を想定して社会資本をつくってこなかったのか。高齢化社会に向かうに当たって、どんな社会システムをつくっていくのか、そういうのが見えないですね。

それから、今月の6日から8日までの3日間、国連のミレニアムサミットが開かれて、その中で、事務総長の報告書の中で、具体的な目標が出ているのですね。行動目標が。それは2015年までに極貧状態に暮らす人々及び安全かつ供給可能な水を得られない人々の割合を半減させる。2015年までにすべての子供が初等教育を修了できるようにするとか、具体的な目標を掲げています。

それでは、21世紀の社会資本、例えば1人当たりの都市公園の面積、東京全体で6.2平方メートルだと思うのですが、それを、例えばニューヨーク、ロンドン並みに20平方メートル以上に引き上げるとか、やはり具体的な目標が私は必要なのではないかなと思います。

それと、時代のキーワードというのでしょうか、これは一体いつの時代のものなのかというのが余りよくわからないのです。いわゆる明治のときにつくっても、これは多分通用するのだろうと思います。大正時代につくっても通用するのだろうと。では、今どういう時代なのだと。今、日本はどういうところに差しかかっているのだと、そういう意味での時代性に欠けているのではないかなという感じがします。

それから、生活が便利になった反面、大規模な環境破壊も起きています。いわゆる、さっき言いましたように、プラスの面だけが評価されているのではないかなと思います。20世紀というのは、科学技術の進歩とともに、技術の暴走も問題になりました。それに対しては技術者としてそれをどう受けとめるのかという、私は反省がないのではないのかなと。それと、次の世代へのメッセージ、熱き思いというものが私は余り感じられません。

それと、これから「つくる時代から利用する時代」と言われたときに、我々は社会資本をつくるために来たのではなくて、つくったものを提供する、提供したものがきちんと活用される、そこまで私は責任があると思うのです。社会資本をつくることに携わっている人たちには。それがつくるところでとどまっているのではないか。つくったものを提供する、提供したものが活用されているかどうかというのが問われるのです。そこまで皆さん考えていないのではないのかなと。

では、その場合に、この「宣言」というのはどういう意味を持っているのかと。私はそういう意味では、非常にまだつくり手の思想でもってこの倫理宣言が書かれているのではないかなという感じがします。

それと、私は、ちょっと1分ぐらい長いかもしれませんが、済みません。普通は放送時間で守るのですけれども、いわゆる、ここに「伝統を尊重して、新しいものを創造する」ということがたしか書いてあったと思うのですけれども、私は、伝統を尊重するというよりも、伝統と新しいものを共存させるということが物すごく大切で、いわゆるそこに厚みがあると、町にも厚みができると、そして社会にも厚みが生まれる。そこに尊敬という言葉も生まれてくるのだろうと思います。今まで伝統を踏み台にしてきたのではないのか。あるいはそれをスクラップ・アンド・ビルドというのでしょうか、古くなるとすぐ壊してしまう。ある程度たつと、仕事がないからというので新しいものをつくってしまう。もうそういう時代は終わったのではないのかなと。いいものはいいのですね。いいものをきちんと評価していく、そして新しいものをそれに組み合わせていく。それが私は社会の厚みであり、時代の厚みであり、町の厚みにつながっていくのだろうと思います。

そういうふうな、いわゆるつくったものが、その社会あるいは都市にとってどういう意味を持っているのかというのを、きちんとやはり考えていただきたいなと。

最後に、もう時間がないのであれですけれども、社会資本を提供する、私は土木というのはサービス業であるという、そういうふうに意識を変えるべきであると。今まではつくってやると、お前たちにこういうものをつくってやる。つくってやるのではない、社会資本を提供するサービス業であるというふうにこれから変わらなければいけないのだろうと思います。

それと、私は土木技術というのが非常に重要な基幹技術だと思っていますので、誇りを持って、どうぞ市民の方にどんどん積極的に語りかけていっていただきたいと思います。以上です。

○司会 どうもありがとうございました。

それでは、続きまして、高橋先生からご発言をいただきたいと思います。

高橋先生は、先ほどからお話が出ております「倫理規定」を策定するときの責任者でございました。高橋先生、よろしくお願いいたします。

○高橋 ちょうど3年ほど前に、当時の土木学会の会長である宮崎さんから電話がかかってきまして、今いろいろ公共事業が批判を浴びておると。あるいは、官庁の再編成などが話題になっているときに、やはり我々も新しく考え直さなければならない。そこで、「倫理規定」というものをつくることを、何かマスコミの記者会見でご発表になったそうで、それを、「お前、その世話役をやれ」というご依頼を受けました。

それから数人の委員会をつくりまして、北海道大学の佐藤ケイイチさんを幹事長にして、約半年ちょっと議論いたしましてでき上がったのが、皆様のお手元にもあるかと思いますが、今出ております「倫理規定」でございます。

まず、前文で、先ほど森杉さんのご報告にもありましたように、既に1933年に今の「倫理規定」に当たるものをつくろうということを土木学会は考えました。そしてそれを発表したのですね、5年かけて。

この時代は、そういうのを提案したのは1933年から、でき上がる前の昭和13年前という時代は、日本が満州事変から中国との全面戦争に入る時代で、要するに軍国主義が大変高まっていった時代ですね。そういうものを提案した2年前に、この委員長をした青山 明は、オオコウズの放水路事業を完成して、その記念碑に「人類のため、国のため」ということを書いておられます。青山先輩は、新潟県の1放水路工事をつくるときにも、「人類のため」ということが念頭にあったのですね。青山氏は一高時代から、常に人類のために自分は何をするかと考え続けたそうです。そして、でき上がった綱領の中に、「人類」とともに「国家」という言葉があるのですね。私は、晩年の青山さんに2度ほどお目にかかって、いろいろお話しする機会がありましたが、そこまで突っ込みませんでしたけれども、多分、青山先輩は、「人類のため」と「国のため」という問題の矛盾に悩んだはずですね。

ところで、こういう立派なものを当時つくられましたが、残念ながらこれは、齋藤さんのご批判のように、余り十分効果を発揮しなかった。のみならず、多分、土木学会の会員の多くは、今回こういう「倫理規定」などということを言うまでは、そういう土木技術者の信条及び実践要綱を昭和初期につくったということすら、大部分の会員は忘れていた、存在を忘れていたのではないかと思います。そこで、今回、去年できました「倫理規定」も、私たち委員会としては、そしてこれが学会の理事会で認められましたので、ぜひこれが空文とかに終わらずに、これが何か具体的に発展することを希望いたします。

そういたしましたら、ことし、森杉さん、もちろん皆さんのご努力で、この「倫理規定」を大変ご利用いただいて、新しい土木技術者の決意というものができたことを、私は大変うれしく思いますし、また、森地さんがそれに関連して、今三つの委員会が具体的な行動を検討しているということを、まずお礼を申し上げたいと思います。

ところで、こういうものをつくった本当の意図は、少なくとも私の主観も入るかもしれませんが、今、土木事業、社会資本、公共事業というものが非常に大きな転換期になっている。転換期をどうとらえるかですが、ちょうど20世紀から21世紀への我々は変わり目に立って、20世紀というのは何だったのだろう、そしてそれを土木という意味でも、20世紀はどういう時代であったかということを省みて、その中の反省、そして教訓から、21世紀へ向かう新しい理念を考えるべきときだと考えます。

ところで、20世紀というのは科学技術の時代、あるいは戦争の時代、人類殺りくの時代、と同時に開発の時代でした。特に第二次大戦以後は、途上国も含めて、地球上の至るところで開発が行われました。それによって人類は多くの恩恵に浴しましたけれども、それによる副作用というものが、そうですね、1980年代ごろからわかってきた。つまり、それと同時に地球環境問題というのは、現在の科学技術というもののあり方を問い、科学技術の限界を我々に提示した問題だと思います。

一方において、人口は今や60億を超え、もう四、五十年のうちにさらに30億ふえる。そこで地球環境のみならず、地球危機が訪れている。こうなりますと、もはやこれからは国家という前に、前というか、その奥には地球があるのだろうと思います。

ところで、「倫理規定」は、次に「基本認識」ということをうたっております。それで、この基本認識で、ここの中に、私たちとしては反省を込めたつもりですけれども、「技術力の拡大と多様化とともに、それが自然及び社会に与える影響も複雑化し、増大したと。土木技術者がその事実を深く認識しなければならない」、つまり、従来の開発の20世紀は、ともかくものをつくればよかった。安全で、なるべく経費の少ない、そして効率というものをつくることに没頭した時代でした。私の学生時代でももっぱら設計、計画のための技術でありましたが、今、21世紀を迎えるに当たって、開発が自然や社会に与える影響が無視できないどころか、それを考えざるを得なくなった。そこにこの「倫理規定」の基本認識があり、2番目に「我々は次の世代の生存条件を保障する責務がある」ということと、現在の地球環境問題は、次の世代が果たして十分に安全に地球上で暮らせるかどうかという危機意識にあって、我々は土木技術を行うに当たっても、いわゆる世代間倫理ということが広く問われる時代になったと。

したがって、したがってと言うと何ですが、今回の倫理規定には、「国家」という言葉を私は一切取りました。そのかわりに「人類・地球」ということが、我々土木技術者のインターナショナルな責任である、そういう認識のもとに「倫理規定」前文の基本認識があり、そしてここの倫理規定の15カ条があると、そうご理解いただければ幸いです。

○司会 ありがとうございます。

続きまして、梅田会長から産業界のお立場からのお考えをよろしくお願いいたします。

○梅田 梅田でございます。

冒頭に、齋藤さんからいろいろ今回のこの「宣言」についてお話がございましたが、私は、この世紀、20世紀の終わりに、土木学会が土木技術者の集まりということが基本であるわけですから、今回、「仙台宣言」として盛り込んだ土木技術者の使命について、これを通じて社会に貢献するという宣言をしようというのは、大変に意義の深いことだと受けとめております。

もちろんこれからが、この宣言をしただけで終わりじゃなくて、この宣言したことについて、我々の使命がより重要になってくるということを含めてであります。

 私たち民間建設企業と申しますのは、申すまでもなく、社会・経済の発展と国民生活の安全と向上というものを支える、このいわゆる社会資本整備において、その最前線に立っている、これを担うという自覚を持って、官・学・産の役割分担の中で貢献していると私は自負をしております。

 その中で私たちに課せられている使命というのは、先ほど来お話がありましたことと重複いたしますけれども、良質の社会資本を経済的、効率的に整備していく。それから、地球・自然、この調和を図って、豊かで安全な国土を実現していく。それから、社会的責任を重視して企業活動を展開する。個々の企業が競うべきところは競う、しかしながら、協調すべきところは協調しながら、技術の研さんや自己責任と自助努力に基づいた経営を進めていく。さらに、地域社会とのコミュニケーションを十分とりつつ、必要とする社会資本を整備する重要性について、広く社会に理解を得る努力をしていく、ということが挙げられると考えますが、こうした使命を達成するためには、民間に席を置く土木技術者にあっても、社会工学や人文学、自然科学など幅広い知見の蓄積というのが、今までもそうでありますが、今後ますます重要になってくる。そして、社会資本の構築に対する正しい倫理観とロマンやビジョンを持って、誇りを持って行動し、先ほどの会長のお話にもありましたように、信頼される存在でなければならないということは、言うまでもないと思うのであります。

 社会資本をつくる発注者と受注者の立場からいいますと、我々産業界は受注者の立場でありますが、その立場から少々申し上げますと、限られた財源でよい社会資本を整備していくため、そのためには、技術力と経営力にすぐれた建設企業というのが、市場競争のもとで伸びるという、そういうことが可能になるシステム、これを構築することが切に望ましいことだと思っております。

 現在、既に公共事業における契約発注制度におきましては、エイセイの発注方式や技術提案、総合評価方式など、検討、試行されておりますが、こういった方式が広範囲で適用されていくならば、民間における技術開発のインセンティブもさらに高まる、それが社会資本の品質の向上とライフサイクルコストの低減にもつながっていくというように考えるものであります。

 我が国の土木界におきまして、技術開発が、一部を除けばどうもはかばかしくないという指摘も伺いますが、その理由といたしましては、公共工事における技術開発とマーケットが乖離しているところがある。したがってインセンティブが欠如している。それに技術開発成果に対する正当な評価と対価の問題があると思います。

大手建設業では、海外に例の少ない企業内の研究機関というものを持っております。私どもでも、約300人を超える研究者による技術研究所というのを持っておりますが、これは大体売り上げの現在で1%強、たしかに少ないといえば少ないものかもしれません。今までこれらで開発いたしました新技術を公共事業に適用するというときに、やはりいろいろな制約があったわけであります。これは会計検査の問題もありますし、いろいろな意味で制約がありました。それから、普遍的な工法にならないと使えないとか、そういう問題も大きな問題としてありました。

結局、会計法とかヨケツ令というものにも関連してくるわけでありますが、こうした民間の技術、民間で民間工事のために開発している技術、こういったものももっと採用できるような仕組み、そして、大規模プロジェクトでは時として当初から官・学・民共同での技術開発というのを行っておりますのですが、他業種に比して、こういうことがやはり今でもまだ劣るのではないかという気がいたします。

我が国の建設業が国際競争力の場でのパフォーマンスに劣ると言われている理由の一つも、技術開発成果、いわゆるグローバルなスタンダードとして認められる技術開発の成果が不足しているということとともに、国際的に通用する語学力、マネジメント力を十分に備えたエンジニアの育成不足によるという原因もあると思います。

したがいまして、今後、官・学・産がそれぞれの特徴を生かして、協力して人材の育成や研究開発に努めて、我が国の社会資本を効率よく整備するということができ、また、国際競争力のある技術の蓄積を行うよう努力することが必要であると思います。

最後に、ここに示された「2000年仙台宣言」が、お集まりの皆さんや土木技術者ばかりではなく、広く一般市民の方々の目にも触れることになり、社会資本整備の真の意味を理解していただく一助になることを、私は心から期待をいたしております。以上でございます。

○司会 どうもありがとうございました。

それでは、次に青山技監、官のお立場からご発言をよろしくお願いします。

○青山 この「宣言」、また「倫理」の話、非常に官の仕事に関係する部分が多いのではなかろうかと、私自身思っております。

特に、この宣言の1番、「美しい国土」「安全にして安心できる生活」「豊かな社会」をつくり、はぐくむために美しい社会資本を建設し、手段として社会資本を建設し、維持・管理・活用すると。

究極の目的は社会資本を建設することではなくて、「美しい国土」「安全にして安心できる生活」「豊かな社会」をつくることであると。社会資本整備はそのための手段であると。ここのところは私自身は、発注者である官も含めて、徹底的に認識をしておかなければいけないのではなかろうかというふうに思っております。

言い方を変えれば、建設至上主義といいましょうか、ものをつくることが究極の目的だと思っている意識がかなり多くの部分を支配していることが、いろいろな公共事業批判なり、土木の世界、土木技術に対する批判のかなりの部分を占めているのではなかろうか。

また、私自身、率直に今までの自分の土木人生といいますか、それを振り返ってみたときに、やはりものづくりに対する喜びを覚えたことは事実でございますし、またそれは今でも強くあるわけでありますが、それが究極の目的であるというふうに思っていた時期も、ある時期はございました。そういったところに対するやはり意識改革というのが、今我々に一番強く世の中から望まれていることじゃなかろうかと思うわけであります。当たり前のことであるのですが、その当たり前のことが実行できていないからこそ、実行できていないというより、我々1人1人の心の中にしっかりと根づいていないからこそ、この「仙台宣言」みたいなものを出さなければならないということではなかろうかというふうに思っております。

私自身は、実は個人的には、何万人もの会員がある一つの学会で一つのメッセージを出すということについては、基本的には反対でありました。そんな何万人もの意見を一つのメッセージで集約するということ自体が、ある意味では真理を追求する我々にとってみても、変な話ではないかと。倫理についても同様であって、何カ条にもわたる「倫理規定」を書くよりは、リシビルエンジニアでいいのではないかというふうに、私個人は思っておりますが、ただ、我々の建設至上主義に対する思い込みへのかなり強いのではないか。また、それが世の中から見たときに、非常に異常なものとして映っているのではないかということを、再度フィードバックいたしまして、私自身もこの「仙台宣言」というものに対して、前向きに考えてみようというふうに思った次第であります。

もう一つ言わせていただければ、戦後50年、私ども社会資本整備をする際には、やはり効率性というものが第一でございました。もちろん会計検査院の厳しいチェックも入るわけでありまして、少ない予算で最大限の効果を上げるということで、とにかく砂ぼこりの立たない道路をつくる、水のあふれない川をつくるというふうなことで走ってきたわけでありますが、美しさというものに対する認識が欠けておったのも否めない事実だろうと思います。

 美しさの中には、これは自然環境だとか、いろいろな文化・伝統だとか、そういったことも含めた美しさということを理解しているわけでありますが、この「美しい国土」をつくるということ、これをやはりもっともっと強く認識しなければならないのではなかろうかという意味では、私はこの「仙台宣言」、第1項目だけを取り上げて申し上げておりますが、非常に方向としては大切なものを指し示しているのではなかろうかというふうに思っております。

 まだまだ申し上げたいこともございますが、焦点がぼやけますので、この2点だけを申し上げておきたいと思います。

○司会 どうもありがとうございます。

 それでは、森杉先生から、原案作成者として、今までのお話についてコメントをどうぞよろしくお願いいたします。

○森杉 最初に齋藤さんの方から、今回の場合が具体的な提案になっていないのではないかということでありますが、確かに具体的な提案になっておりません。むしろ、具体的な活動を取りまとめた基本的見解という形のものに焦点を当てております。そういう時期がいるのではないかと、こういうふうに、そういう時期にあるのではないかと、私たちはそう思ってやってきました。

 具体的な案としては、例えば、森地先生がお書きになりました資料として、8ページとか9ページの方に、先ほどご説明がありましたように、最近の社会資本に関する学会といたしましても、そのプロジェクト評価と個別事業の評価に当たって、どういう制度であるべきか、あるいはその技術はいかなるものか、その可能性はどうか、各国との比較はどうかと、こういうようなシンポジウムをやりまして、提言してまいりましたし、あるいは、岡村会長のときからずうっと来て、社会資本整備のビジョンに関してそれをどんなふうに考えるべきかというふうな発言もなされましたし、一つの価値判断でありますが、こういう公共事業における公平性をどの程度考えるべきかと、こういう議論もやっておりますし、それから、先ほどの企画委員会のお話のような具体的な提案という形のものが行われております。

 こんなふうに、具体的な提案を行っているのですけれども、それを取りまとめたいというのがここでの意図であります。したがって、逆に、現状に対する批判もむしろ避けております。むしろ積極的に、「私たちはこう考える」ということだけに限定していると。こんな形のものでまとめております。

 いいコメントをいただきました点は、「活用する。社会資本を活用する」という言葉ですが、これはわざわざ第1項目目に「活用する」という言葉を含めさせていただきました。そういう形のものでまとめているというのが現状であります。

 それから、青山さんの方から、第1項の「建設至上主義」ということに十分な反省というものを求めるために、仕方がなく、本当は反対なんだけれども、仕方がなく賛成したというお話でありましたが、これもわからないわけではありませんが、一つの、何といいますか、著しい反対がない限り、一つの一種のコモンセンスとして、「倫理規定」あるいはこの「宣言」というものに基づいて我々は行動しましょうという認識は、一つのきょうの樋口先生のお話によりますと、「その法的規制を自分でつくる能力を問われている自由だ」と、こういうふうに考えることができないだろうかというふうに聞かせていただきました。以上です。

○司会 ありがとうございます。

○森杉 森地先生、追加コメントございましたらお願いいたします。

○森地 こんなエピソードだけ、1例だけご紹介をしたいと思います。

 今、社会資本そのものとか、社会資本はもういらないではないかとか、あるいは土木技術者に対する不信とかいろいろなことがあります。そういうことに対して、我々は間違っていたと、こういう格好でメッセージを発することいかんと、こういう議論をしたことがあります。

 ある自治体のエンジニアから、自分の人生のうち、少なくとも3分の2は誠心誠意住民の方々とこの事業の意義、あるいはそれを実現していくことのいろいろな難しさ、こういうことを議論して、やっとやっとつくってきたと。「自分の人生の3分の2はむだだったというのか」と、こんな議論もございました。

 いろいろな思い、そうやっていろいろな思いがあることについて、やはり一つのメッセージにすることはどうかという青山さんのご発言は、多分そういうことも踏まえての話ではないかと思います。このことが青山さんの前で起こったわけでは決してないのですが、青山さんのご発言を聞いて思い出しました。

 それでは、もう1ラウンドといいますか、もしご発言いただけましたらで結構でございますが、まず高橋先生から今度はよろしくお願いいたします。

○高橋 この決意、土木技術者の決意、あるいはそれが、「倫理規定」を大分引用していただきましたが、これを具体的に、つまりこれを実現するために、文章には書けないけれども、どういうことを考えたらいいか、反省も含めて。

 土木技術者集団は仲間意識が強過ぎたのだと。つまり、土木事業というのは1人ではできない。大勢で一致協力してやらなければならないと。それが高じて、自分のグループを必然的に守り、開いた世界の中への目が今まで劣っていたのではないか。この強硬過ぎた仲間意識を開放するためには、具体的には、いわゆる土木技術者とか土木工学者ということに限らないで、いろいろな分野から人材を求めて、多分野との交流を深めることだと思います。

 これは初代の土木学会の会長が、大正3年に古市キミタケさんが、「土木工学というのは総合工学だ」と言われたことであり、土木技術者は本来はそれを意識していたつもりですけれども、専門分化が進行している間に、そういう意識が薄れてしまった。学問の分野でも専門分化が進行して、大体現在の科学技術文明が限界に来ているということを私申しましたけれども、今までの科学技術、科学の目的は、「真理の探究」ということを目指していた。そうではなくて、新しく組み直すべき科学技術は、真理の探究、それは無用というわけじゃありません。それが最終の目的ではなくて、問題解決型の科学技術でなければならない。

 そのためには、専門分化を、総合性というものを出すためには、学問を、工学に限らず、社会科学や人文科学との融合、そちらの方法論を積極的に取り入れることだと思います。そして、土木技術の最終の評価基準というのは、自然と人間が共生できているかどうかというのが評価基準で、土木工学ほど自然を相手とする技術はないわけですから、それぞれの自然の特性を理解して、それとのつき合い方、共生ができているかどうかが、今後の土木事業の最終の評価基準だと思います。

 そこで、考え方としては、土木の特徴からして、より歴史的考察を考えたい。土木の歴史というのは、縄文時代の遺跡にも土木事業は出ております。恐らく30世紀、40世紀まで人類が生存しているとすれば、その時代にも土木事業は必要です。そして、評価をするときには、予算の単位が1年というものに対する批判が今回の報告にもありますが、時間と歴史の要素を加味した評価、1年単位でものを評価したりしないで、時間と歴史の要素を加味した評価が必要である。

それから、もちろん総合的視野で、今後の社会はいよいよボーダーレスしていきます。これは学問の分野だけではありません。21世紀は国境崩壊時代であるという説もあり、もう国というものの概念が変わっていくと思います。そこで地球的視点に立つべきである。江戸時代から明治維新が日本が成功した一つは、かつては藩のためにみんな働いたのですね。それを明治以後、日本国のためという意識を転換できたことが、私は近代化に成功したともかく一つの意識革命だったと思います。

これからは、国のためという時代では今はなくなりつつあるわけです。そして国際的といいますか、そのときに、特に土木事業の場合は地球的視点からものを見る、そういう意識のもとに、この今回発表される、土木技術者の決意の底を流れる哲学とか考え方にこういうものが必要だとこう思います。

○司会 どうもありがとうございます。

どういたしましょうか。齋藤さんは後がいいですか。今……。( 「では先に」) そうですか、よろしくお願いします。

○齋藤 この宣言自体は私は評価していないわけじゃないのです。21世紀を迎えるに当たって、考え方を整理するということは私は必要だろうとは思います。ただ、整理しただけでは済まないのではないかということを申し上げているのです。きちんとした道筋まで示すべきではないかと。例えば具体的な行動基準は、いついつまでつくるのだとか、そういう道筋をあわせて私は示すべきであるということを申し上げたいのです。

ただ、土木学会以外の人間から見ますと、いまだもって理念、理念とやらなければいけないのは、それほど土木学会というのは理念がないところなのかなと。逆に言えばそういうふうな意識も与えるのですね。ですから、それほどやはりこの土木技術者の世界というのは難しい世界なのかなと。ある意味では、その難しいからこそ、今、きちんと21世紀を迎えるに当たって、考え方を共有しなければいけない。意識を共有しなければいけない。そういう意味では私は評価はしております。

ただ、その「仙台宣言」を出すときに、私はあわせてお願いしたいのは、ここに森地先生と森杉先生の解説がありますけれども、必ずこれはセットにして出していただきたいということと、願わくば土木学会誌にこれから出されるときに、この「仙台宣言」のさわりですね、「美しい国土」とか、「安全にして安心できる生活」「豊かな社会」というのは必ず表紙に書くとか、何らかの形でこの原点を忘れないということが、私は物すごく重要なことではないのかなと思います。

それから、もう一つだけちょっと言わせていただきたいのは、私、地方の公共事業に対する批判が非常に強いです。だけど、私はそれは社会資本に対する総括が不十分だからそういう問題が起きているのではないのかなという感じがしてしようがありません。私は、明治維新以降、日本というのは殖産工業で、臨海工業地帯を中心に経済に力を入れてきた。そのうちに7大都市が中心になってきて、そのうち3大都市、さらに東京中心になったわけです。

では、地方はどういう立場だったかというと、人やものを送る、そういうような一つの仕掛けにすぎなかった。ところが、今、地方に何が求められているかといいますと、自立ですね。あるいは連携です。そうすると、自立とか連携できるような社会資本の整備ができているのか、多分できていないのだろうと思うのです。いわゆる大都市へ効率的に人やものを運ぶようなシステムはできた。だけど、その地方が自立できるような視点でもって社会資本の整備はされてこなかったのではないかと。だからそれぞれの地方に合った社会資本の整備は必要だと私は思うのですけれども、そういうふうなわかりやすい説明がないというのは、私は非常に大きな問題なのではないかと。一般論として社会資本の整備は必要だとか、欧米に比べてこれだけの社会資本が足らない、私はそういうふうな説明はおかしいと思うのです。

なぜ、今地方が自立できていないのかとか、いわゆる少子・高齢化の中で、では1億2,500万人が維持できる社会システムが、7,000万人になったらそれで維持できるのか、維持できないのかとか、あるいは 6,000万人台になったときに、本当にはんらん地域にまで我々は防災対策を施す余裕があるのか、ないのか、そういう議論を今しなければいけない時代なのだろうと思うのです。

そういうときにどんな社会資本が求められているのか、そういうことをきちんと提示していくということが私は必要なのだろうと。だから理念とあわせて、そういうふうなビジョンなり時代の洞察力というのでしょうか、そういうことをあわせて提示していけば、私は、ああ、土木技術者というのは随分先のことまで考えて、洞察力があるなと思うのです。私は、そういう意味では、だから理念だけに終わらせてほしくないという願いで、あえて冒頭に申し上げたのはそういうことであります。以上です。

○司会 ありがとうございます。

梅田会長、いかがでしょうか。

○梅田 もういろいろお話が出ていますので、またつけ加えて申し上げるということはあれなのですが、今、地方に求める社会資本というお話が出たのですけれども、これは雇用の問題でも出てくるわけでありまして、地方経済、あるいは地方の雇用というものが今問題になってきていると。その地方の雇用を守る産業が興ってこない。産業がなくなった。それで地方の雇用が問題になる。それで地方の雇用が問題になるから、社会資本をつくるということを利用して雇用を守っていこうとする政策がとられると。こういうことも私は今の問題点としてあるのではないかと。

しからば、地方の経済をどのように活性化させるのか、これはもう地域によって千差万別だと思うのですが、こういったものは、単にこの土木界の力のみならず、あらゆる力をそこに集結してやっていくべき課題ではないのかなと。私はそう思っておりまして、今、この社会資本整備についての問題点、これは余り触れられないのですけれども、一体本当に必要な社会資本というものはどういうもので、それをどうやってつくっていくかということの一方、言葉は悪いけれども、失業対策等もやらなければいかんと。それに値するのに社会資本をつくった場合、何をやるかというようなことも同時に、正直なところあると思いまして、これらが全体、一くくりになって、いろいろな問題点が出てきているのではないかと。そういうように思っております。

したがいまして、これは解決策ということになりませんけれども、やはり我々としては、土木学会が中心となって行う社会資本の整備について、どういうようにこれから進めていくのだということを、この今回の「宣言」の一つとして読み取っていくことが必要なのではないかと、そういうように思います。

○司会 ありがとうございます。

青山さん、どうぞ。

○青山 私も短いコメントにしておきたいと思いますが、我々が究極に目指すのは何かということでありますが、先ほど高橋先生は、「自然と人間の共生」じゃないかというふうに議論したとおっしゃっておりましたが、私も自然と人間の共生に加えて、もう少し幅広い人間の暮らしそのものと言ったらいいでしょうか、言葉にすれば、「安全で、生き生きとした、活力のある美しい暮らし」という言い方にさせていただいたらいいのでしょうか、そういうものが究極の目的であるという、目的をしっかり持つことが一番大事なことじゃなかろうかと思うわけでありまして、梅田会長がおっしゃった、次の世代なりをにらんだときにでも、雇用をにらんだときでも、どんな社会資本を整備をすべきかというテーマは、やはりその究極の目的に対して有効な、それも次の世代の暮らしまで視野に入れた、それに対して有効な社会資本をセレクトして整備していくという姿勢が求められているのではなかろうかなというふうに、私自身は認識しております。

それともう一つ、どうしても考えなければいかんのは、談合の問題だとか価格の問題だとか、入札・契約制度の議論というのは出なかったわけでありますが、価格だけで競争するということが本当に技術力の競争につながっているのだろうか。当然、会計法、また地方自治法では、原則は価格競争であると書いてあるわけでありますが、私自身も原則は価格競争ということでいいのだとは思いますが、本当の意味での技術力の競争になかなかなっていない。これを何とか打破していく仕組みづくりをやはり考えていかなければならないのではなかろうかと思っております。そこのところが私どもに課せられた非常に大きなテーマじゃなかろうかと思っておりますし、そういった意味でのキーワードも、高橋先生がおっしゃったような総合性ということじゃなかろうかなと。言い方を変えれば、人間の暮らしということまで見据えた場合の、他分野も含めて総合的にものを考えざるを得ないし、また、次の世代というものを考えた場合も、総合的にものを考えざるを得ないし、また、技術的な競争力ということを考えた場合にも、総合的なものの見方をしていかなければいけないのではなかろうかというのが私の思いでございます。

○司会 どうもありがとうございます。


  討 論

○司会 大変お待たせをいたしました。残り40分弱ございます。フロアからなるべく多数のご発言をいただきたいと思います。

1対1でこうやりとりをしておりますと、極めて少数の方しかお話しいただけませんので、可能な限り問題点をクリアに、短時間でご発言をいただいて、なるべくたくさんいただき、その後、特にご指定がなければ、森杉先生からこの宣言に関するお答えをいただく、こんな格好で進めてまいりたいと思います。

それでは、先ほどご発声になった方、どなたでしょうか。ちょっとこちらからは暗くてよく見えないのですが。どうぞ。

○ 私が先ほど声を出しました。先ほど声を出したのは、ここでも説明責任とかなんとか言われながら……。

○司会 恐縮ですが、お名前を。

○吉原 言います。名前は言いますが、説明責任だとかなんとか言いながら、これまでは、前におられる方が一方的に話して、そして2時間の時間のうち半分以上をそれだけの方で使われて、後ろにこんなに人間がいるわけですから、私はそのためにやってきたので、特に発言させていただきました。鹿児島大学の吉原といいます。

先ほど、齋藤さんが種々ご指摘されましたこと、全く同感です。この「宣言」というのが、土木の責務が変化したのでないかという予感があって、それを再確認したいということで多分始まったのだと思うのですが、この宣言を見ましても、要するに、基本認識がないのですね。それが先ほどの齋藤さんのご指摘だと思うのですが、例えば日本社会の構造がどうなっているか、現状がどうであるかというのが全く総括されていません。先ほどの樋口先生の話とも関連します。日本人の権利と義務の関係はどうなっているかとか、そういうことをなしにして、個と個を取り結ぶ土木というもののあり方が明確に規定できるはずがありません。

また、自然環境のとらえ方にしても、漠然とあそこにあるように、やれ美しいだとか、豊かだとか、そんなんじゃなくて、人間活動の場としてどうなっているか、それから人間生存の場として脆弱なのかどうなのか、そういうこととか、あるいは、憲法で規定する財産権との関係で自然を把握しないといけない。あるいはまた、自然の多様性というものの認識がなくてはならないと思います。

そういう点からすると、第2項の頭に「自然を尊重し」とありますが、あんなふうに安易に書くことは誤解を生むと思います。

それから、もう一つは、「宣言」やここに至る前段階で、先ほど来るる土木技術者の「倫理規定」のことを意識され、そしてその存在を誇っておられました。ところが、土木の場合は、倫理というものはもともと個人的なものなのですが、土木の場合は個人の能力とか覚悟とか努力でどうにもならないことがあるわけですね。それは何かというと、現行のいろいろな制度です。それからこれまでのいろいろな行政手法です。それから慣行です。そういったものがあるわけで、そういったものを抜きにして、土木技術者個人に倫理だどうだということだけでは済まないだろうと。そういうことを言っているから、齋藤さんに、「まだ土木は倫理がいるのですか、理念がいるのですか」とこう言われるわけですね。齋藤さんには、実は時間がありましたら、放送倫理綱領についてご質問したい点があとございます。

そういうわけで、この「宣言」を今土木関係者に見せたとします。その関係者というのはいろいろいるわけですが、単純に従来型公共事業批判といって、日本国のあり方抜きに出てくる批判がいっぱいあるわけですが、そういう批判にこたえられません。あるいは、土木不要論を唱える方たちを納得させることもできません。それより何より、最末端で市民との板挟みに悩む土木技術者に、その悩みを解消させられるかというとそうもいきません。

もっと心配なのは、若い人たちがこれを見て、多分見ないと思いますが、もしこれを見て、若い人たちが、土木工学科に志願するでしょうか。恐らくこれはありません。なぜそういうことになっているかというと、齋藤さんがご指摘されたように、土木の根幹にかかわる基本認識がないからです。もちろんこれから以下、何点か私ちょっと言わせていただきたいのですが、例として、これが絶対にそうだというふうに言いません。私の独断です。だけれどもこれは学会としてこういう事柄を、意見を集約していただきたいと。その1例です。

1番目は、日本は物質的、ハード的には既に豊かな社会になった。これまでは貧しかったという認識です。これは先ほどの会長講演で、まだまだ整備が足りないと言われていましたが、これから整備することがないという意味ではありません。整備するについて、豊かになった、そういう状況を受けて、整備の仕方があるだろうと。それから、事業の採択の基準についても、これまでは貧しい時代であった、その時代に通用してきた手法を使おうとするのは間違っていると。そういうようなことを意味しています。

2番目は、地球は小さくなった、これまでは地球は大きいと思い込むことが暗黙のうちに了解されていたと。今まではそうだったと思うのです。だけれどももはや地球は小さくなったという前提のもとに土木をやらないといけないと。

それから、3番目は、日本の生活の場としての地理的障壁は極めて大きい。どこかにありましたが、国土が脆弱とかいうのはこれじゃないのです。生存の場としての国土が極めて脆弱なのです。地理的障壁は我々は克服できるようになりました。だけれども国土の生存の場としての国土は絶対大丈夫ですと言い切れるでしょうか。そういう意味です。

それから、4番目、日本の民主主義は未成熟である、資本主義は協調なしの競争にさらされる市場主義に陥っていると、これは憲法のせいであると。非常に独断が混ざっていますが、一応私の考えです。

5番目、日本の根幹を支えるのは土木である。この土木のスポンサーであり、ユーザーであるのは市民だと。先ほどの樋口先生の言われた市民です。そしてパトロンとなる、サポーターとなり得るのも市民です。そしてこの市民が、先ほどのお話のように、自立しているのが理想ではあります。だけれども、単なる集合体としての住民であるのもやむを得ません。それはなぜかというと、しょせん土木というのは政治に従属するものだからであります。

というように、今言った6点がすべて皆さんに合意されるとは思わないのですが、こういった事柄をベースに物事を考えない、こういうものを構成しないと、齋藤さんのように、「これは何になりますか」ということになるのですね。

 それで、この後、実は8点についてそれぞれ提言と批判があるのですが、 (「済みません」)いやいや、わかっています。私ばかりが使うわけにいきませんので、これでやめます。

○ お願いします。

○司会 はい、どうぞ。

○井上 私は青山さんの先輩といいますか、 (「後輩でございます」)後輩でございます。年だけはとっておりまして、森地さんじゃなくて、高橋名誉教授に会ったかどうか、こうずらっと見ますと、大体もと帝大の名誉教授、まともなことを言った齋藤さんだけが慶応でございます。私はあす、ずっとその高橋さんと会ったと思うのですけれども、倫理、倫理と言いました。

博多だったか神戸だったか。高橋名誉教授、だれか東大名誉教授の座長に無視されたのです、倫理を。あすも続けまして、もうやめようと思ったのですが、あすは1時半からAの301で、「君は真実と国と国民のために死ぬことはできるか」。フランス語嫌いなのですが、樋口さんに、嫌いなのですが、ノーブレス・オブ・リュージという、思い上がりを捨て、国民に養っていただいている日々を自覚こそ、博士・教授にまず必要ということでございます。

それで、ちょっと内容を申しますと、それで、その座長が無視したので、岡田ヒロシ前会長に手紙を書きました。これはナシのつぶてでございました。それで博士や教授はうそを言うのです。なぜうそを言うか。建築学会はかなり肝っ玉小さいです。私が言うと、もう頭に来るので、お医者さんのうそを言ってみたのですが、三食食べろとか、戦前は水を飲むなとかいっぱいうそがございます。なぜ博士や教授はうそを言うか。まず気休め、保身、自分を保つ、それから面子、それから人を見下す、それからそれを許す世間、無知蒙昧、それから無責任、それから医者はコクスと言いますが、国を治す名手、でしょうか、この教授たちは。それから沈黙の罪でございますが、それで、せっかくですから、あす来ていただけないかもしれませんので、あすの論文をかいつまんで申しますと、まず、帰りなんいざ、支那は嫌いなんですが、陶淵明でございます。日本は既に滅びております。大借金です。この借金をどうやって返すのか。社会認識はあるのでしょうか。どうしたらいいのか。一遍ない存在になって、ソルトとして生きる、タイは全部仏教徒になりますね。それから我欲なければ恐れるものなし、日本再生、それから倫理にもありませんが、自己と自然をありのままに見ること、博士と教授と思い上がると見えなくなるのです。この間も建築学会の……。

○司会 済みません。たくさんいらっしゃいますので。

○井上 もうすぐ終わります。岡田会長をしかりつけたので、やはり倫理を言うのですけれども、弁当を出してくれました。建築学会のましゅらはどこも弁当が出ませんけれども、建築学会は弁当が出たのですが、もう全然わかっていない、岡田会長、建築学会の会長で、しかりつけたのですが、同じようなことを言いました。それで、博士も教授も全部技術者も思考停止を起こしているのです。

それから、このこと、土木の計画理論でございます。それから耐震基準、これは齋藤さんにお教えしますけれども、例えば阪神大震災、神戸地下鉄ダイカン駅、ナカバシが壊れました。これは土木の学会の基準に「地下構造物は水平力、地震力を考えなくてよろしい」と書いてあるのです。私は松山の大会でそれを質問したら、そこの司会者が、東大名誉教授、今ちょっとやめまして、この間会ったら、ああ井上さん、もう……。はい、すぐ終わります。出なかったらよかったと言っておりましたけれども、そういうことで、いや、仕方ない、落下防止装置、あのおもちゃみたいな金物で、落ちないはずはありません。あんなものは落ちて当たり前です。ですから、大地震が起きたら橋は落ちます」と言わなければいけない。どこでどれだけ動くかわからないのです。地震学者もですね。そういう気休め、保身をやってはいけないのです。それで、やめろと言うからやめますけれども、高い身分に伴う義務、ノーブレス・オブ・リッジ、若い方はご存じないかもしれませんけれども、フランス、大嫌いなので、フランスと支那は大嫌いなのですが、そういうことを、帝大教授は考え、自覚していないのではないかと思います。高橋さんは結構ですから、森地さん、答えてください。

○司会 どうぞ。

○足立 芝浦工大で土木工学科教授をしております足立と申します。

今回の「宣言 (案) 」について、少し具体的に意見を申し上げさせていただきます。

これまでの日本の公共事業、つまり社会資本整備において、事業の経済性評価が不十分であったというのが非常に大きな問題だと私は思います。つまり、事業のコストと事業が与えるイネフィット、つまり効果の対比検討が不十分であったということです。

多少具体例を申し上げますと、GDP比で日本の建設投資は他国に比べて極めて高い。それから、ここ二、三十年間の日本の建設投資額は極めて大きい、日本1国の投資額は北アメリカ大陸全体、あるいはヨーロッパ全体に匹敵するオーダーです。

それなのに、先ほど会長がお話しされましたように、社会資本整備率が悪い、これはなぜか。その理由の一つが、これまでの建設投資の金の使い方が悪い、下手であると私は思います。それで、それが先ほど少しお話が出ました日本の国債残高が極めて大きい現状になっている原因の一つです。これは日本の政治や選挙制度と、いろいろな場面でそれに便乗してきた、それを利用してきた土木工学関係者が無関係ではないと感じます。

 以上をまとめますと、事業の経済性評価をもっと強調し、主張する「仙台宣言」にしていただきたい。言いかえれば、この項目を1項目ぜひ「宣言」につけ加えていただきたいと思います。以上です。

○司会 どうぞ。

○大島 建設技術研究所の大島と申します。建設コンサルタントをやっておりまして、その立場からも、今回の「仙台宣言」について意見を述べさせていただきたいと思います。

 昨今の公共事業に対する公共事業バッシングということ、それから、これからの見通しの不透明性ということから、現場においては非常に技術者自身が自信をなくしかけている、あるいは混沌としているというような状況の中にあって、昨年、「倫理規定」が出されました。いわゆる土木技術者の基本的な姿勢を示すということで、非常に明解なものであったと私は評価しております。

 このたび、「仙台宣言」というものが出たわけですけれども、私自身は非常に高く評価したいと思います。

 先ほど、パネラーの方も申しましたが、これによって、いわゆる産・官・学のいわゆる土木技術者の中において、社会資本整備を形づくっていく上での共通の認識というもの、共通の土俵ができたということで、これからそれぞれの場所でいろいろ行動に移すとともに、それぞれが共同してやっていくときの共通の認識ができたというのが、非常に画期的なことではないかというふうに私は思います。

 さらに、コンサルタントの立場から見ますと、特に、方策にあります方策の3、いわゆる(時間管理)の問題、それから方策の4にありますいわゆる競争、(真の競争)ということ。それから、方策の5にあります(技術開発)ということについて見ると、真摯に受けとめざるを得ないと。端的に言いますと、今までの姿勢について反省をせざるを得ないところが私はあると思います。

 そのような意味で画期的なことであり、必要なことは、先ほど齋藤さんもおっしゃいましたけれども、まず行動に移すことだと思います。その行動も、それぞれ学会あるいは行政ということじゃなくて、まず自分から、そして自分のいる企業から具体的な行動を起こしていく必要があるのではないかと、それが一番肝要ではないかというふうに思います。責任転嫁せずにやっていくことが肝要かと思います。

 齋藤さんの発言については、非常に私は不満です。私たち自身はそれなりの努力をしておりますが、それもその方策1、あるいは方策2が今まで不十分だったというふうに反省をして、頑張っていきたいというように思います。

○司会 どうぞ。

○北詰 建設省土木研究所の北詰と申します。

 社会資本という言葉について意見を述べさせていただきます。この社会資本という言葉は、所得倍増計画の時代に経済学部の先生からつくられた言葉と承知しております。過去50年来、この日本の社会は経済を中心にして発展し、そしてそのために我々土木技術者もいわゆる社会資本をつくってきたわけでありますが、この資本という言葉が端的に物語っておりますように、非常に経済に偏り過ぎたという反省があるのではないかというふうに思う次第であります。この経済を重視するということは、現在も意義があるというふうには感じておるのですが、また一方、弊害もあると思います。

それで、これから21世紀を迎えるについて、先ほど高橋先生を初め諸先生方がおっしゃいましたように、これからは理念として経済ばかりじゃなしに、地球環境との調和というような新たな理念も含まれるべきだというふうにおっしゃいました。私もまさにそのとおりだと思います。それであるとすれば、そのことを明らかにするために、この社会資本という言葉をもうこれからは使わないと、そういう形でスタンスを明らかにするべきじゃないかというふうに思います。

端的に言いまして、社会資本というこういう経済に特化したような言葉じゃなしに、もう少し、例えば社会基盤とか、社会基盤施設とか、もう少し概念の幅を広げるような言葉を使ったらどうだろうかというのが私の提案であります。「新しい酒は新しい皮袋に入れる」という言葉もありますが、ぜひご検討いただきたいと思います。以上です。

○司会 ありがとうございます。

どうぞ。

○野田 仙台に住んでおります野田シゲルと申します。

方策の4の8番の「技術者資格制度の充実」について、今お話ししていただける範囲で、どの程度のことを考えてみえるのか、そのビジョンをお示し願いたいと思います。

現況では技術士と、それから建設省のやる1級、2級土木施工管理技師、あとはまあ狭い範囲でコンクリート技師とか下水道技術検定とかありますけれども、そういったものとは全く別に、土木学会で年1回試験して、土木技術者1級、2級、3級ぐらいに分けてやるのか、その辺のことをちょっと知りたいと思います。終わり。

○司会 どうぞ。

○家村 京都大学の家村でございますけれども、私自身は耐震工学というか、自然災害にかかわっておりますので、自然災害という立場から少しお話ししたいと思うのですけれども、「安全にして安心できる生活」ですが、皆さんご存じのように、日本ほど近代国家の中で自然災害の激しい国はないと思うのです。地震あり火山あり、台風あり、洪水ありですね。ですから、そういう非常に激しい自然災害の中で、今後何もしなければ、災害ポテンシャルは幾らでもふえていく。

 といいますのは、遊水地にはどんどん家は建ちますし、断層の近くにはどんどん家は建っている、火山の横にもぼんぼこいくということで、今後どんどんそういう、投資をしない限り、「安全にして安心できる生活」を守れないだろうと。そういうことが、美しい言葉では書いてあるのですけれども、これをひっくり返して見ないと、そういうことがあらわに出てこないというか、自然災害だけでなくて、いろいろな社会資本もこれからどんどんそういう耐用年間を迎えてきます。そういうことを考えれば、新たな投資というか、そういうものをどんどん継続しない限り、そんな簡単に「美しく、安全にして安心できる生活」が守れるとは決して思わないし、そういうことをもっともっと外に問いかけるというか、こわもてでそういうことを言うということに、我々恐らくなれていないのですね。非常に優等生でありますけれども、事ここに至れば、そういうことをもっと積極的に、わかりやすい言葉で言うべきかなという気もします。

○司会 もうあとお一方だけ。どなたかいらっしゃいましたら。どうぞ。

○土屋 金沢工業大学の土木工学科の土屋と申します。

 我々の土木プロダクトというものは、一般の工業製品と大いに変わった点があると思うのです。というのは、一般の製品は、できるだけいい商品を、できるだけコストを安く生産しまして、それを多くのユーザーが評価するというのが、自然のシステムとしてでき上がっております。

 ところが、我々の土木プロダクトはそういうシステムの中にないと。つまり、つくられたものが同一性能を持っているかどうかということは非常にわかりにくいということですね。

 それから、このコストを安くするという面ですが、それは、例えば梅田会長さんの鹿島建設とかそういうところでもおやりになっていると思うのですが、やはり設計から後での施工面におけるコストダウンが主でありまして、設計面において果たしてそのコストダウンというものが十分行われているかどうかということは非常にわかりにくいと。一般の、例えばソニーとかナショナルとかという生産者は、設計と製造という段階でコストダウンを図っていると思いますが、私たちはなかなかそこのところが一体化してやりにくいという点があると思います。

 それと、先ほど芝浦工大の先生がお話になりましたが、やはり評価というものができる人がいないということです。一般の製品でありますと、それがもう自然のシステムとしてそういう評価体制というものがありますけれども、私たちはそういうものはできないということ。そこは、先ほどNHKの齋藤さんのおっしゃったところ、私たちの反省すべき点、どうやったらそういうシステムというものがこれからできるかという点ではないかと思います。

 また、全く購入ルートが違います。一般の商品の場合は、店頭に並んでいる、あるいはカタログがある、そしていろいろな、自動車ですと評論雑誌があって、そこで評論されて、ユーザーが現金と交換いたしますが、私たちは入札制度という形でやっております。そこらあたりが全くほかの業界と違うところでありまして、これをいかに近代化するかということが、非常に難しい問題ではあると思いますけれども、今後努力すべきことでありまして、そういったことをこの「仙台宣言」の中にどうやって織り込むかということは非常に難しいことだと思いますけれども、ぜひ、その点お考えいただきたいと思います。

○司会 ありがとうございます。

 この会場をジャスト6時半に終わるように言われておりますので、森杉先生から七、八分で答えられる範囲のところでお答えいただきたいと思います。

 それで、あと、きょうお配りしております紙に、ぜひご意見をお書きいただきたいと思います。

 それから、今、私の思いとしては、ホームページ上でご意見いただいたのに対して、また我々が議論した結果をその上でお答えするような、そういうことも試みたいと思います。時間が限られておりますので、大変恐縮でございますがよろしくお願いいたします。

○森杉 まず、吉原さんからいただきましたご意見ですが、基本的に文章の表現の問題をどの程度書き込むかというふうに私は受け取りました。そういう面において、なるべく簡潔にしておきたいということで、それぞれの言葉の中にある気持ちを表現する文章としては、簡潔にしておるというふうにお答えできるのではないかとこう思っております。

 それから、足立さんの方からいただきました経済評価の不十分だったということは、方策1でありまして、(社会との対話、説明責任)と、こういうところに挙げておりますし、それから、特に方策3も関連する話でございますが、こういうふうな形で表現しております。

 連動いたしまして、家村さんの方からのその現在のGDP比率が高いのは、現実に是か非かという議論でありますが、一方で、戦後の日本の公共事業のスピードが世界の中でナンバーワンのスピードだったことも事実ですし、今後、やはり一定の社会資本の整備というものをやるに当たって、「脆弱な国土」という形で表現しております、そのさまざまな自然条件の厳しさによるコストが高いという事実もあると、こういうふうに思っております。

 この辺につきましては、全くそういう方策2の方でも、あるいは方策の9の方でも、こういうことの技術の開発をねらって、今後もやっていく必要があるだろうと、こんなふうに書いております。

 それから、資格制度については発言いたしませんので、土屋さんの方から特に3点ご指摘いただきました、設計と施工との形ということですが、これも実は私たちとしての表現の仕方は、9番やあるいは7番の方で、方策3や方策5の方で述べておりますように、まずサイクルコストとして考える必要があるだろうということで、計画、設計、施工、そして運用されて、管理されていく、このプロセス全体のコストを考える必要があるというふうに考えております。

 それから、その評価の公共性というご指摘もいただきましたが、これは先ほどの足立さんのお話とも連動するお話ですが、項目3でやっておりますように、(説明責任)ということでありますが、説明責任をどうやるのかというご指摘だろうと思います。これにつきましては、土木学会を初めとして、このところ公共事業の個別評価ですけれども、これをその経済評価をマニュアル化をつくって、すべての公共事業の事前評価と再評価と事後評価を行うという制度化が最近行われました。これは日本にとってもちろん画期的なことでありますが、この方策そのものは、既に欧米では昔から行われておりまして、日本でやっと行政改革に基づいて実行されるようになったと言っても過言ではないと思います。

 もちろんここにまだ大きな問題点がいっぱいあります。マニュアルとして完成することはあり得ませんで、ある種のこういう技術的な革新というものが続けられていく必要があると思いますが、基本的な方向としては、こういう経済評価のマニュアル化、あるいは制度化がある程度実行されつつあると、こういうふうに私たちは認識しております。

 それから、ユーザーがお金を支払っていないということにつきましても、そのユーザーがお金を支払うような技術革新並びに、あるいはその技術革新を評価する、入札を初めとする制度、こういうものの方向に重点を置くべきだろうというふうに私たちも考えております。

 以上、お答えできているかどうかは心配ですが、こういうことにさせていただきます。

 (「国民のために死ねるかという問題があります」の声あり)国民のために死ぬつもりはありません。(「それは保身に走るからなのです。だから       、東大教授の、まあほかの     

               いいじゃないかなと思いますが

    」の声あり)

○司会 あと5分ぐらいしかありませんので。

たくさんご意見ありがとうございました。約今から半年前、企画委員会の中に、森杉先生あるいは東北支部からの先生方もまじえて、約20人ぐらい弱だと思いますが、その中だけでも大変な激論がございました。書き物にしただけで、つまり、次の会合までにまた書きかえてということだけで十数回はやっている記憶がございます。コンピューターを持ち込んで、その場でなどというようなこともやっておりました。

きょう、そういうことを思い出しながらご意見を伺っておりまして、かなりの部分はそのとき突っ込んで議論した項目でもございましたし、新たなお話もございました。いちいちここですべて取りまとめることは時間の関係も、あるいはボリュームが多過ぎることもあっていたしませんが、先ほど申し上げましたとおり、ぜひたくさんの方からのご意見をいただきたいと思います。期間はもうあと2週間ぐらいの間に、できましたらホームページ上に、できましたらきょうお書きいただいて、後ろの受付のところにお戻しいただければと思います。可能な限り、それに対して我々がまた検討したことをお答えするつもりでございます。

それから、冒頭申しましたように、11月の理事会で案をとった形に何とかまとめたいと思います。唯一、ぜひご理解いただきたいことは、たくさんご意見ございますし、それぞれお持ちのご意見が異なっているかと思います。これを極めて簡潔に、しかも共通項としてまとめる、すると特色がなくなる、こういうジレンマの中でどうまとめるかというのは、大変難しい作業ではございますが、なお一層続けてまいりたいと思います。

きょう、大変たくさんの方から、いろいろな角度からのご意見をいただいた、こういうこと自体が、案をまとめるということより以上に意義があったと私自身認識しておりますし、学会でこの社会資本整備、あるいは土木技術、あるいは技術者のあり方について、議論をさらに深めていくことの意義は大きいかと思います。

最後に、資格制度については、先ほどのこのレポートの中に、そういうものが必要だということだけが書かれております。今、資格制度評議会で議論をしている途中でございまして、各研究委員会から代表の方を2人ずつ出していただいて、その方もまじえて検討していこうと、こんな段階でございますので、まだこういう格好でというか、これはまとまってございません。したがって、それがまとまる途中段階も含めて、また学会誌それからホームページ等でお知らせをしたいと思います。

以上、大変司会がまずくて、一つの結論という格好にまとめることはとてもできませんでしたが、改めて皆様の積極的なご参加に感謝を申し上げます。

また、パネラーの方々、お忙しい中、ここにお集まりいただきまして、大変有益なお話をいただきましたことを、改めて御礼申し上げて、この討論会を閉じさせていただきます。

どうもありがとうございました。 (拍手)


○司会 話題提供者の皆様、そして座長をお務めくださいました森地先生、どうもありがとうございました。

これから特別討論会参加者の皆様が退席されますので、会場の皆様、どうぞもう一度大きな拍手でお送りいただきたいと思います。 (拍手)


閉 会

○司会 これをもちまして特別討論会を終了させていただきます。

なお、18時45分より、2階さくらにおきまして交流会がございますので、引き続きご参加くださいますようお願いいたします。

どうぞお忘れ物などなさいませんようお気をつけください。

また、アンケート用紙もよろしくお願いいたします。

長い間どうもありがとうございました。



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