コンクリート委員会とのお付き合い

東京工業大学名誉教授 長瀧重義

  コンクリート委員会から、2015年コンクリート委員会国際レポート新年号に寄稿するよう依頼を受けた。聞くところによると私を始め、歴代の委員長談話を掲載したいとのことである。談話の内容は本人に任せると言うことであったが、前任の委員長は総て鬼籍に入られており、いわば私が最年長の委員長経験者になることもあり、委員長選任法等を含め昔話を含め自由に述べさせて頂くことにした。

 昨年11月21日に土木学会創立100年記念式典が行われたが、同じく記念出版物として「土木学会100年」が刊行された。当然のことながら土木学会100年の歴史の中で、コンクリート委員会の果たした役割は偉大であるので、当然前記出版物での扱いも大きいであろうと予測して頁を繰ると、確かに、756-777頁の計21頁に亘って記述されている。早速この資料を見ると、コンクリート委員会の設置は1928年で学会誌編集委員会に次ぐ2番目の委員会であった。初代の委員長は1928~1938年まで大河戸宗治教授が勤められ、次の吉田徳次郎委員長は21年、3代目國分正胤委員長は20年の長きにわたって勤めを果たされている。当時、委員長は東京大学の土木工学科の教授が就任することになっていたようである。

 國分先生から委員長を禅譲された第4代委員長、樋口芳朗(東大教授)先生は、委員会規則の制定を提案され、その中で委員長の選任は委員の投票で過半数の賛同を得た方を充てること、任期は1期2年とし、かつ2期4年を最長とすることを定めたのである。選挙は12月に行い選任された委員長の任期は翌年4月から始まることも定められた。この規則に則り委員長に選ばれたのが岡田清京都大学教授、次いで小林一輔東京大学教授が選任された。私は其のあとをついで第7代委員長に選任され、2期4年その役を務めた。私以降、岡村甫東京大学教授、その跡と続くがいずれも2期務められ、今日に至っている。

 私が初めて末席ではあったがコンクリート委員会に出席させていただいたのは、1960年9月1日のことであった。その後、立場はいろいろ変わったものの委員会顧問としての職務を最後に2013年3月末でコンクリート委員会との繋がりは終了した。なんと52年7か月の長きにわたってお世話になったことになる。さて、その9月1日のことであるが、コンクリート委員会(吉田徳次郎委員長)のフライアッシュ研究小委員会(國分正胤委員長)に幹事として出席するよう國分先生からご指示があった。当時私はまだ大学院の修士1年生で学生会員として土木学会の何かも解らずにいたのであるが、なにせ指導教官のご指示であるので四谷の土木会館に出頭したのである。しかしながら、丁度その日に吉田先生がご逝去され國分委員長はご葬儀の関係でご欠席に、代行の三浦博士(国鉄技研)の進行で委員会は無事終了したが、席上三浦博士の中性化深さの算出式など伺った記憶が鮮明に残っている。当時フライアッシュはコンクリート用混和材としてダムに代表される土木用マスコンクリートに重用されていたが、これを用いるとコンクリートの中性化が早くなるとして建築分野には全く使われていなかったし、フライアッシュの効用を巡っては吉田教授と東京大学建築学科浜田教授の間に激論が交わされていた様である。その事象を解明するため供試体に鉄筋をかぶり20,30,50mmで配置し、コンクリートの配合を単位セメント量、スランプ、フライアッシュの置換率を変化させた状態で作成し、長期に暴露させた後に中性化深さと鉄筋の発錆状況を測定することになったのである。測定は2、5、10、20年経過後に行う計画であった。そこで委員会に若い人間を参加させておく必要から選定されたのが小生と当時日本セメントの塚山氏と小野田セメントの土岐氏の3人だったのである。実際にこの結果を取りまとめた時には、現職は小生のみで、お二人の後継者等、若い方に手伝ってもらって報告を取りまとめた。初めての委員会終了時には強風と豪雨で電車が止まり、四ツ谷駅近くで電車の回復を待ったのも記憶に残っている。

 これ以降本当にいろんなことでコンクリート委員会にはお世話になったが、任期中、努力したのは「コンクリートライブラリー」の刊行と「コンクリート技術シリーズ」の発刊である。前者については既刊総数143号のうち約30号、約2割の号の発刊に直接、間接に関わりをさせていただいたし、後者については私の委員長在任中に刊行を決めたものである。コンクリート委員会の大きな業務はコンクリート標準示方書の維持管理であったが、この改訂作業は大がかりであるため、その中間で定められた指針やガイドラインはコンクリートライブラリーとして積極的に刊行するよう努めたのである。また委員会報告的なもので、その内容についてコンクリート委員会の承認を得ないものについても、資料の保存を図りその成果を確実にするため、技術シリーズとして刊行することを決めたのである。お蔭でこのシリーズも既刊105号になっている。コンクリート委員会には今後とも今までの経過と実績を評価していただき、この路線を繋げて頂きたいと希望はするが、新しい感覚でさらに評価される実績があれば積極的に取り組んで頂きたい。