土木学会映画・ビデオコンクール審査委員会

第21回映画・ビデオコンクール最優秀賞

「明日をつくった男―田辺朔郎と琵琶湖疏水―」

企画・制作:虫プロダクション  監督:牛山 真一



 

  
 明治のはじめ、維新の傷跡を深く残し、東京遷都による衰退の危機にあった京都。その京都が近代都市として再生を果たす契機となった琵琶湖疏水は、琵琶湖と京都を結ぶ水路を造り、水道水と農業用水を確保し、交通路としての運河を整え、さらには水力発電施設の建設に取り組むというようにわが国最初の本格的総合開発事業であった。この工事の責任者を務めたのが田辺朔郎(1861-1944)である。
 この作品は、理想に燃えた若き土木技術者 田辺朔郎が、当時の技術では無謀、不可能と誰もがその成功を危ぶんだ難工事を克服し、水力発電を取り入れるなどその決断力と実行力、独創性などをアニメーションやCG、記録映像を巧みに織り込みながら描いている。100年先の未来を見据えて前代未聞の難工事に挑んだ田辺朔郎の姿を通して、新しい未来を自分たちの手で築こうとする明治の人々の気概と魅力を、21世紀を担う子供たちに伝えようとする劇映画である。
 学会外の識者も加えた審査会において、この作品の製作意図を表すための企画性、映像作品としての構成や製作技術、内容の教育・啓発的な面の評価、幅広い層への訴求性、高い作品性と完成度、感銘度などの点がきわめて高く評価され、第21回映画・ビデオコンクールにおける、最優秀賞に値すると認められた。

第21回映画・ビデオコンクール 部門賞(一般部門)

「掘るまいか―手掘り中山隧道の記録―」

企画:三宅 雅子  監督:橋本 信一
制作:手掘り中山隧道の記録制作委員会



    

 一般部門賞は、土木事業及び土木技術を一般市民をはじめ広く社会に紹介し、それらに対する関心を高め、理解を深める作品を顕彰するものである。
新潟県山古志村は冬になると豪雪で孤立していたが、村民は中山峠の下に自らの手で約1kmの隧道を掘ることを決意し、昭和8年につるはしを主要な道具として手掘りを開始した。太平洋戦争によりやむなく中断されたが、徴兵者が帰還して手掘りを再開し、資材調達や出水など苦難に遭遇しながらも、昭和24年に開通した。出演者は当時工事に携わった村民であり、苦労や喜びが直に表現されている記録映画である。
村民が自力で隧道を掘り進み、忘れることのできない感動と共に貫通する様子は、暮らしに密着している土木の原点に思い至る。これは、土木事業が地域住民の生活に直結しているという本来の姿を示しており、土木技術者にとっても見落とすことはできない。
 この作品は、棚田の美しい山古志村のように素朴で淡々と、しかし16年間にも及ぶ手掘り作業を完遂させた村民の強靱な精神力と結束力が感動を与えるもので、最優秀賞に匹敵する出来栄えである。地道な作業の記録だけに派手さはないが、二度、三度と鑑賞するごとに出演者の笑顔が脳裏に焼き付けられる。地域に暮らす人々の日々の生活に密着した土木の原点を紹介したこの作品は、一般部門賞にふさわしいと評価された。

第21回映画・ビデオコンクール 部門賞(技術映像部門)

「海峡をつないだ技術―関門鉄道トンネル開通までの歩み―」

企画:北九州市   監督:西田 英司   制作:(有)写楽





 技術映像部門は、土木事業及び土木技術について、映像を通して高度な専門性を継承し、あるいは専門技術を分かり易く紹介する作品を顕彰するものである。
 関門鉄道トンネルは、当時の日本土木技術の総力を結集した金字塔であった。昭和10年に帝国議会で1,612万円の予算案が承認され、トンネルのコースは彦島弟子待(ひこしまでしまつ)から門司小森江(もじこもりえ)に決定された。工事は昭和11年に着工され、昭和17年に下り線(3,614m)、昭和19年に上り線(3,605m)が開通した。
下関と門司を鉄道でつなぐため、軍事上、商業上の安全確保の理由から、当時の土木技術にとっては全くの未知の領域である世界初の海底トンネルが採用された。門司側工事の一部は海底面までの距離が浅く、この工区は200トン余のシールドをジャッキで押し進める、国内初の本格的なシールド工法で施工されることになった。
 この作品は、主に技術的な視点から物語風に海底トンネル開通までの歩みを紹介しており、難工事を克服した土木技術者の経験談や貴重な現場の映像が織り込まれている。当時世界に類を見ない海底トンネル工事の歴史を紹介することにより、土木技術を映像により継承する優れた作品として技術映像部門賞に選ばれた。


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