序文 (細井 正延,昭和50年11月)

わが国における海岸工学の発展の歴史は,昭和29年から始まった土木学会海
岸工学講演会講演集(昭和45年の第17回から講演会論文集と改名)によって,
うかがい知ることができるであろう.もう少し溯れぱ,昭和22年頃から,新
潟市信濃川河口の西側海岸,富山湾沿岸,米子市皆生海岸の大規模な侵食を
防ぐために,対策委員会が三つの地域ごとに設けられて,侵食の原因・機構
・防止対策に関する調査が行なわれ,海岸侵食への究明が始まった.私もそ
の調査のお手伝いをしたが,皆生海岸の侵食の原因が日野川から海への排出
土砂量の減少であることや,漂砂の移動方向などをほぼ明らかにすることが
できた.当時は日野川の流砂量や波の資料は皆無であったが,てい線の変化
を示す詳細な資料が元京大教官の豊原博士によって作製されており,このよ
うな現地観測の貴重な資料が整えられていたことは,当時としては全く珍し
いことであった.手間のかかる現地調査の積み重ねがいかに大切であるかを
痛切に感じた次第である.烏取県の対策委員会では,皆生海岸の侵食の問題
のほかに,港湾の埋没や河口閉塞についても検討が行なわれ,それらの研究
結果が対策に結集されたわけであって,このようにわが国の海岸工学の発祥
の地の一つである鳥取県において今回初めて第22回の海岸工学講演会が開催
されるにいたったのは,まことに意義の深いことである.

昭和29年に第1回の講演会が神戸市で開催されて以来,毎年各地で行なわれ,
第1回では論文数16編であったものが今回は実に97編の多数にのぼっているこ
とは,海岸工学の隆盛発展を象徴するものでご同慶にたえない.論文数が将
来さらに増加することが予想されるので,海岸工学委員会で論文集の今後の
あり方についての討議が行なわれている.論文集の果す役割,すなわち海岸
工学に関する情報が速やかに,かつ幅広く集まること,研究論文だけでなく
現場報告も登載されることなどの速報性と集合性の問題,及び論文内容の質
的レベルの保持の問題などについて多くの意見が寄せられたが,結果は上記
の三つの性格が適度のパランスを保つことというのが多数の意見であった.
このような趣旨に沿った論文集をつくることは大変に難かしいことであるが,
関係者各位のご協力によってますます立派なものに発展させてゆくことを念
願する次第である.

従来より引き続いて,今年も業界案内欄を設けて財政面での業界の協力を得
たが,今回はさらに著者に登載料を負担していただいたために,印刷費の高
騰やページ数の増加にもかかわらず,論文集の価格を昨年より低く収めるこ
とができた.ご協力をいただいた方々に深く謝意を表する.

おわりに,この鳥取市での講演会は当委員会と土木学会中国四国支部の共催
で行なわれるもので,3日間にわたる会場の設営,懇親会,見学会,シンポジ
ウムの準備の仕事を引き受けて下さった烏取大学の野田英明氏ほかの方々や
地元の関係諸官庁のご後援に心から感謝するとともに,論文集の編集に苦労
された当委員会編集小委員会および土木学会事務局の方々に厚く御礼を申し
あげる.

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