戦後50年の日本の社会資本整備と国際比較

— 森地茂、屋井鉄雄 編著「社会資本の未来」社会資本研究会 から抜粋、要約 —

 

 

1.戦後50年の日本の社会資本整備の歴史

わが国の戦後の経済発展における社会資本整備と公共投資について、各時代を追ってその概略を述べる。

 

1)戦後復興期(1945年〜55年前後)

— 破壊された社会資本、不足する食糧、多発する災害(洪水)と事故(鉄道)、雇用対策としての失業対策事業、猛烈なインフレと緊縮財政(社会資本整備の財源不足)。

・ 戦後の日本の経済は、23年を経過して顕著な回復を見せ始めた。

・ 民間の経済活動の回復に伴い、鉄鋼、石炭、電力が隘路に。さらに、鉄道の輸送力の増強と道路整備が急がれた。

・ 地下鉄丸の内線建設が行なわれ、敗戦6年目の51年に開業したことが特筆される。

・ 50年前後の政府固定資本形成は戦災・災害復興のための支出割合が高い。政府固定資本形成の伸び率はわずかながら民間投資を上回っている。

・ 50年前半から、その後の社会資本整備の方向を規定する法律、各種五ヵ年計画、財源のしくみ等が策定されていった。

— 50年代前半には、鉱工業生産と交通・通信関係の社会資本(道路、国鉄、港湾、電信電話など)は、戦前の水準にまで回復した。

 

2)高度経済成長・前期(1955年〜65年前後)

— 京浜、中京、阪神、北九州等の工業地帯を中心に産業活動が活発化→それらの地域に民間投資や労働力が集中→産業基盤資本の不足が産業活動の隘路に。

— 全ての社会資本関連分野で、需要に供給が追いつかず。

・ 産業基盤を整備するための大都市圏への公共投資が優先され、民生安定のための投資は先送りされた。このことは60年制定の「国民所得倍増計画」に明言。 

・ 臨海工業地帯、新幹線、高速道路、黒部ダム、千里ニュータウン等、大規模プロジェクトが完成し、新たな事業計画が決定された。64年の東京オリンピックが戦災復興の象徴。

・ 55年〜60年のGNPの年平均伸び率は8.5%であるのに対し、民間設備投資は23.4%、公共投資は12.4%とGNPのそれを上回り、高度成長の度合いを物語る。

— 国民平均所得の向上。テレビ、電化製品の普及→ライフスタイルの変化。

— 高度成長のひずみが顕在化

㈰大都市問題:公害問題、通勤地獄、住宅環境の悪化、

㈪大都市圏と地方圏の所得格差、生活水準格差の拡大→経済成長の神話崩壊。

3)高度経済成長・後期(1965年〜75年前後)

— 高度経済成長が実現→高度成長のひずみ是正、ナショナルミニマムの拡充が最重要課題に。

— 新全総(69年)、大阪万博(70年)、札幌オリンピック・沖縄復帰・日本列島改造論(72年)、石油危機(73年)。

・ 公害・環境問題是正のため各種法律を制定。環境庁(71年)、国土庁(74年)が発足。

・ 公共投資の地方圏への配分割合が顕著に増加→地方圏への民間投資・企業立地を誘導・誘発→地方圏の雇用機会増加。生活基盤投資の割合も増加。

— この結果、地方圏での社会資本整備が進んだ

— 地域間所得格差を縮小させ、生活関連社会資本を充実させた。

— 田中角栄に代表される我田引水的地域誘導と汚職とを背景に、社会資本整備が厳しく批判された時代でもある。

 

4)安定期(1975年〜85年前後)

— 73年の第一次石油ショックを契機に、GNPの平均成長率は高度成長後期の10%強から5%程度に低下した(経済の安定成長期)。世界的不況。

— 産業構造に大きな変化:主役は、鉄鋼、造船、石油化学等から、自動車、家電、工作機械、エレクトロニクスへ。

— 民間投資が冷え込む一方で、技術開発への関心の高まり→民間投資の研究開発投資への比重が増加。

— 国と地方の財政収入の伸びが低下→大都市圏と地方圏との経済力格差、財政力格差が拡大。→公共投資に占める国の経費負担割合低下→地方圏への公共投資を相対的に抑制

・ 75年以降大量の国債を発行。

・ 80年以降、財政再建が課題に。ナショナル・ミニマムの拡充という社会資本の形成理念は変更された。過度な政府依存を反省。米英とともに日本も「小さな政府」政策をとり、公営企業の民営化や民活事業に乗り出した(レーガン、サッチャー、中曽根)。

・公共投資は81年以降、85年まで厳しく抑制された。財投による社会資本整備への投資は増加。

— 公共投資、民間投資ともに、80年頃を境に地方圏への比重増加が止まり、低下傾向に転ずる。大都市圏とその近傍地域への比重が増加し始める。

— 大都市圏と地方圏の所得格差が徐々に拡大

 

5)バブル形成期(1985年〜90年前後)

— 85年の急激な円高による不況→金融緩和、公共支出の積極的拡大政策→内需拡大政策→地価の高騰→バブル景気に突入

— 前期の民営化政策の成果として、NTT・JT(85年)、国鉄(89年)が民営化される。

・プラザ合意(85年)、ルーブル合意(87年)に対応して、総合保養地域整備法(87年)、ふるさと創生事業(88年)、公共投資基本計画(90年)等、内需拡大による公共支出の拡大政策が行なわれた。

・ 急速な円高による日本企業の生産機能の海外移転(空洞化)が始まり、これまで安い土地や人件費をもとに企業誘致をしてきた国内地方部への投資が減少した。

・ 社会資本整備の基本的な理念として「国土の均衡ある発展」「豊かな国民生活の実現」が謳われ、地方圏では県を単位とした地域フルセット主義の社会資本整備が行われた(空港、港湾、上下水道、社会文化施設など)。

・ 東京圏、名古屋圏、大阪圏での港湾、空港、情報通信等の社会資本の国際競争力が問題に。

 

6)バブル崩壊期(1990年〜現在)

— バブル経済の崩壊は、92年の地価下落で決定的になった→極度の不況と金融不安。

・ バブル崩壊不況と産業の空洞化による製造業での雇用減少→都市部ではサービス業で吸収、地方では雇用維持を公共事業に頼らざるを得ない状況に。

・ 13兆円総合経済対策(93年)、財政構造改革法・規制緩和計画(97年)等、財政改革や各種改革が推進される。公共投資の抑制策が取られ、公共事業依存度の高い地域経済に打撃を与え、マイナス成長期を迎える。

・ 社会資本整備不要論が取りざたされ、世論に大きな影響を与えた。社会資本整備五ヵ年計画は七ヵ年計画に延長され、実質減額された(欧米諸国では財政再建下でも、社会資本整備の予算額を拡大してきた)。

・ その後、財政構造改革法は一時棚上げされ、膨大な資金が金融機関の再建と公共事業に投入され、今日に至る。

 

  

     -1 公共投資の地域間配分

           

 

わが国の戦後の公共投資の地域間配分の推移を図-1に示す。

高度成長期前期(55年〜65年)には、公共投資は「国民所得倍増計画」のもと大都市圏に優先されたが、60年代後半から70年代後半にかけてナショナル・ミニマム拡充が最重要課題とされ地域格差是正が行われた。

しかし、安定期(75年〜85年)には大都市圏への比重が徐々に増加し始め、バブル形成期(85年〜90年)以降は、公共投資抑制策が取られ地方圏への投資は減少している。      [奥野信宏氏、森地茂氏の著述を要約]

 

2.公共投資の国際比較

 

 図-2 政府支出における公共投資の比率(一般政府)

         

 

         

 図-3 国内支出における総消費の比率

         

 

政府支出は公共投資(ハード)と政府消費(ソフト)によって形成される。政府支出に占める公共投資の比率を図-2に示す。政府消費と家計消費の合計である総消費の国内総支出に対する比率を図-3に示す(総消費は国民の生活水準のバロメータとして位置付けられる)。

わが国の公共投資の比率は欧米諸国と較べて極めて高く、国内総支出に占める総消費の割合は欧米に比べて際立って低い。

国情も異なる上に、一義的に「最適な公共投資の比率」はないが、経済波及効果を重視するためにハード面に偏った政策を講じていることは明かである。この傾向は、近年さらに強い。

国民が安定した経済と生活水準の向上を享受するためには、国民によって生産された付加価値が適切に総投資と総消費に配分される必要がある。そして、政府支出は国民総支出のかなりの部分を占めるため、政府の配分行動(政府消費、公共投資)は、この総投資、総消費のウエイトに大きく影響する。

この場合、投資比率が高いことは、相対的に高い経済成長を供給面から可能にする。戦後、我が国が高度経済成長を実現したのは、国民がその高い投資比率を容認したからである。

しかし、それは同時に、生産活動の成果が国民の生活水準の向上に十分振り向けられていないことを意味する。もし、家計の消費性向や政府消費のウエイトが欧米並みであったなら、供給制約からあれほどの高度成長は実現しなかったであろう。

生活水準は消費の量によって規定されるとは限らないが、高い消費比率は、付加価値がより多く家計に分配され、かつその所得がより多く日々の生活のための財・サービスの購入に当てられているということであり、それが豊かな経済活動に見合った豊かな国民生活の必要条件と言えるであろう。

 

-4 日本及び欧州諸国の公共投資(一般政府)事業別シェア

 

 

-4にわが国の公共投資の事業別シェアの推移と欧州諸国のにおけるシェアを示す。

わが国では、運輸、農林漁業、エネルギー関連といった経済サービスのウエイトが異常に高く、社会福祉、保険、文化等のウエイトは極めて低い。しかもシェアの固定が問題視されながら、その構成はここ四半世紀を見てもさほど変化はない。      [松谷明彦氏の著述を要約]


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